クロノスクラブの謎
翌日、僕は神田神保町にある週刊アクセス編集部にいた。
以前、九条院家に謎の爆発事故について探りを入れに来た一ノ瀬というライターがいた。
その男からもらった名刺で出版社に連絡してみたのだ。
「爆発事故について思い出したので、お会いしたい」と言ったところ、一も二もなく一ノ瀬は話に飛びついてきたという訳だ。
実際は爆発事故のことなんか、全く思い出せてない。
クロノスクラブについて何でもいいから早急に情報を得たい。その一心だった。
という訳で、僕は今その編集部にいるのだが──。
パーティションで仕切られただけの応接スペース。
電話の音や編集員の話し声が聞こえてくるので、ちょっと落ち着かない。
僕は思わずわさわさと前髪をいじった。
しばらくすると一ノ瀬が姿を現した。
「やあ、九条院のお嬢さん! 麗ちゃんだったよね。あの件、思い出してくれたんだって?」
「いや、まあ、その……」
一ノ瀬がどんと腰を下ろす。手には携帯レコーダーを持っていた。
「じゃあ、あの事故の真相を教えてくれないかな? 君とお友達は九条院総研で何をしていたのかな?」
「それが、その、あの……」
そもそも思い出していないので、答えようがない。
ただうつむいて言葉を濁した。
一ノ瀬は怪訝な目で僕を見ながら、ポケットから煙草を取り出し火を点けた。
「思い出したんだろ。言いにくいことなのかな? 全部は記事にする訳じゃないから、とりあえず話してみようよ」
「ええ、じゃあ、まあ、その言いますけど……」
「はい、待ってました!」と調子のいい一ノ瀬の合いの手が入る。
「実は……」
「実は?」
「実は……、タイムマシンが爆発したんです」
僕は苦し紛れに、自分の知ってることを混ぜて話を捏造することにした。
一ノ瀬の表情がにわかに曇り、煙草の煙を盛大に吐き出した。
「はあああ──?」
「ゲホゲホッ」
その煙の直撃を浴び、咳きこんでしまう僕。
煙が目にしみる!
「ちょ、ちょっと待ってよ、君。いくらなんでもタイムマシンはないでしょ。そんな話、小学生も信じないよ。うちはこれでも一応経済誌なんだよ。オカルト雑誌じゃないんだから」
そんなこと言われてもタイムマシンは確かにあったんだけど、と思ったが、話がややこしくなりそうなので、誤魔化すのはもう止めた。
「ごめんなさい、嘘です。実は何も思い出せてないんです。今日はどうしても一ノ瀬さんに聞きたいことがあって来ました」
一ノ瀬は口をポカンと開け、僕を見ている。
何も言わないので、僕は言葉を続ける。
「一ノ瀬さん、クロノスクラブって知ってます?」
すると、何かのスイッチが入ったように一ノ瀬の目つきが変わった。
「君、その名前をどこで?」
「あ、えーと、知り合いから聞いたんですけど……」
智晶さんの顔を思い出しながら、答えた。
「それで、君さ、それを知ってどうするの?」
「探してる僕の友達がそのクラブにいるはずなんです」
僕の答えに一ノ瀬が腕を組んで唸った。
「一ノ瀬さんはクロノスクラブについて何か知っているんですか?」
一ノ瀬は机に置いたレコーダーを切った。
「いや、そのクラブについては正確なことは僕も知らない。だが……」
「だが、何です?」
「僕が取材している経済事件で、過去にも何度かその名前を聞いたことがある。しかし、名前だけは耳にするものの、その実態については全く不明だった。他の経済記者にも訊いてみたけど、みんな僕と同じような感じで正体を知る者は一人もいなかった。ところが、ある重大事件の取材で知り合った事件の黒幕とされる人物に、クラブについて問い詰めてみたところ、彼は僕にこう警告してきた」
「どんな警告ですか?」
腰を浮かせ、僕は身を乗り出した。
「その人物は僕にこう言ったんだ。『クラブはミニ国家のようなものだ。関わらないほうが身のためだ』と」
「ミニ国家?」
「うん、確かにそう言った」
煙草を灰皿に置きながら、一ノ瀬がうなずく。
「じゃあ、そのクラブの場所とかはわからないんですか?」
「いや、僕もねジャーナリストの端くれだから、関わるなと言われて、はいそうですか、と引き下がった訳じゃない。もちろん八方尽くして調べたさ」
「それで、わかったんですか?」
一ノ瀬は無念そうに首を横に振った。
「いや、クラブの実態は尻尾すら掴めてないよ。ただ、その組織が東京の区内にあることだけは間違いなさそうだ」
「東京の区内……」
広すぎて、砂浜の中から米粒を探すに等しい。
「ところでさ……、麗ちゃん」
一ノ瀬が興味津々の目で僕を呼ぶ。
「何ですか?」
「麗ちゃんは九条院財閥の人間だから、僕と違ったルートでクロノスクラブに行き着くかもしれないだろ?」
「はい、僕はそのつもりですけど」
「だから、何かわかったら僕に是非教えてよ」
一ノ瀬は数回手を擦り合わせて、僕を拝む。
それから、立ち上がり、
「それと、思い出したら爆発事故の件もよろしくね!」と調子良く言い、応接を去った。
一人取り残された僕は、結局ほとんど情報を得られず、ただがっかりした。
わかったのは、クロノスクラブがミニ国家云々ということと、区内にあるんじゃないかということだけだった。
◇◆◇
週刊アクセスのビルを出て、僕は駅に向かった。
水道橋駅で電車に乗り、これからどうしよう、と何度も考えた。
いくつか駅を過ぎ、新橋駅のアナウンスが聞こえた。
その言葉を聞いた瞬間、頭に何かが閃き、条件反射的に僕は電車を降りた。
この時代は新橋駅は地下駅だった。
僕は階段を駆け上がる。
新橋駅を出ると、すぐに案内板を探した。
そして、僕はそれを見つけた。
「あった!」
その文字を読む。
「新ゆりかもめ線。この時代は新が付いてるんだ」
華族制度もこの時代にはないので、華族専用道路も存在しない。
案内板の示す方向に向かうと駅が見えた。
切符を買い、ホームに行くと電車が停まっていた。
2011年の頃とは車両が変わっているが、雰囲気は良く似ている。
乗りこむとすぐに電車は動き出した。
ゆりかもめはタイヤがあるから電車じゃないよ、と麗ちゃんが言ってたことを思い出した。
この車両はどうなんだろう?
そんなことを考えた。
東京湾が見えてきた。
運河沿いに沢山のビルが立ち並んでいる。
ここから見えるのは、以前の未来のように廃墟ビルが並ぶ物悲しい殺風景な景色ではない。
綺麗なビルが林立し、運河には船が行き交っている。
やがて、長い橋を渡ると、僕が目指すビルが見えてきた。
空に向けて競い合う兄弟のように、仲良く並んでいる二つの高層ビル。
あのビルが僕の目的地だ。
麗ちゃんがいるとしたら、あそこだ。
何の根拠もないが、僕にはそんな予感がした。
◇◆◇
『新国際展示場正門』のアナウンスで、僕はゆりかもめから降りた。
駅を出て、ビルを見上げる。
ビルは陽光を受け、銀色に輝いている。
それを見上げながら足早にエントランスを目指す。
高い方のビルに入り、エレベータ乗り場に向かう。
そこで入居テナントが掲示されたビルボードを見つけた。
低層階は飲食関連のテナント、それより上のフロアは外資系の保険会社で占拠されていた。
しかし、最上階の三十三階だけぽっかりとテナント表示が空いていた。
僕は降りてきたエレベータに乗り、そのフロアを目指した。
だが──。
三十三階行きのボタンがないよ!
目を皿のようにして操作盤を見たが、やはり三十三階のボタンは見つからない。
諦めて三十二階のボタンを押し、上がっていった。
三十二階に着き、エレベータのドアが開く。
見えたのは壁に描かれた外資系保険会社のロゴマークだった。
人影もないので、降りて歩いてみたが、会議室があるだけだった。
もしかしたら、三十三階って屋上なのかな?
非常階段の扉があったので、階段に出て上に行ってみた。
三十三階の上にまだ階段は続いている。そっちが屋上行きだろう。
やっぱり、三十三階はあるようだ。
ドアを開けようとしたが、鍵がかかっていて開かない。
耳を澄ましてみたが、人の気配はしない。
本当に空きテナントなのかもしれない。
直感だけで来てみたけど、やっぱりダメだよね……。
一つため息をつく。
このビルは、僕と麗ちゃんが幼い頃、社長ごっこをやった場所だ。
過去の東京でも麗ちゃんはわざわざ、このビルまで案内してくれている。
それ程、麗ちゃんにとって思い入れがあるビルなのだ。
とはいえ──、当てずっぽうも甚だしいし、ジャーナリストが八方尽くして探して見つからないものが、僕なんかに簡単に見つけられるはずがないよね……。
意気消沈した僕は、三十二階に戻りエレベータで一階に降りた。
もしかしたら他のエレベータで三十三階に行けるかもと思い、確かめたが、どのエレベータも三十三階行きのボタンはなかった。
外に出て、もう一度ビルを見上げた。
かなり年季の入ったビルだが、メンテナンスが良いのか、まだ綺麗だ。
ビル風が僕のスカートを揺らす。
海がすぐそこなので、風は潮の香りがした。
◇◆◇
帰りのゆりかもめの中、僕はまだあのビルを眺めていた。
すると──、ビルの近くに一機のヘリコプターが飛んで来た。
そのまま飛び去るのかと思っていたら、そのヘリコプターはあのビルの屋上に着陸した。
そういえば──。
三十三階が空きテナントだとしても、エレベータで行けないのは変じゃない?
僕の頭にそんな考えが浮かんだ。