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取締役会〜社長室の対決

 京都を後にし、僕らは午後の東京行きリニアに乗った。


 タクシーの料金は京都駅で麗ちゃんのクレジットカードでキャッシングをして支払った。

 昨晩気づけば苦労はなかったのだが、クレジットカードというものを持ったことがない僕はそんなことに気づくはずもなく、華族の麗ちゃんはお金を借りるという発想がそもそも欠落していた。

 彼女は寝る直前に、そういえば、とそのことに思いあたったらしい。


 今度のリニアでは僕らは指定席に座ることができた。

 麗ちゃんは今、窓際の席で手にした赤い携帯電話を物憂げな目で眺めている。

「七瀬さんから電話があった時、僕らは多分圏外にいたんだよ」

 僕は駅弁を食べていた箸を止め、彼女を慰めようと声をかけた。

 麗ちゃんはパタンと携帯電話を折りたたみ、

「だったら、大事なことなんだから何度も連絡するか、メッセージを残しておいてくれてもいいのに……」と顔を背け、窓の外を見た。

 だが、外は防音壁の切れ目が目にも止まらぬ早さで流れていくだけで、旅の風情も何もあったものじゃない。


「それより、麗ちゃんも食べなよ。丸一日くらい食べてないんだからさ」

 僕が彼女の前にある駅弁を箸で示すと、「そうね」と麗ちゃんはその包みをほどいた。

 それから、麗ちゃんはご飯を一掴みして最初の一口を食べようとしたが、箸を戻した。

「やはり、七瀬が今回の事件に絡んでいる予感がするの」

「七瀬さんが……、そうかなあ?」

 僕は人の良さそうな七瀬さんの顔を思い起こした。

 とても陰で悪いことをするような人には思えないし、僕が麗ちゃんと出会った時には既に九条院グループにいた人だ。

 そんな人が九条院を裏切るだろうか?


「祖父がなくなり、父が入院した辺りから、おそらく何かのたくらみが始まったんだわ」

「考えすぎだよ。麗ちゃんは頭がいいから、深読みしすぎるんだよ」

 空になってしまった弁当箱を紐で括りながら、僕は彼女をなだめた。


「いいえ、郁。今回、私を京都にとどめた理由がきっと何かあるはずよ」

 麗ちゃんは横を向き、僕の目を見た。

 間近にある、彼女の淀みない目。


 僕は彼女の言うことを信じてあげるべきなんだろうか?

 でも、彼女に無実の人を疑って欲しくもない……。


「まあ、帰ってから、調べてみる価値はあるかもね」と僕は視線を外した。

 そこで会話が途切れてしまい、麗ちゃんはシートに深く体を沈め、何かを考えているようだった。

 しばらくすると、彼女は携帯電話で話し始めた。

 察するに相手は冴島さんのようだった。


 ◇◆◇


 リニアは予定どおりの時刻に東京駅に着いた。


 駅を出て程なくして、冴島さんの車が迎えに来て、僕らはそれに乗った。

「これからどこへ?」

 僕はシートに座り、麗ちゃんに訊いた。

「本社よ」

 麗ちゃんの言葉と同時に車が走り出す。

 麗ちゃんは腕時計を見ながら、

「冴島。宝谷専務は?」と訊いた。

「先ほど電話で話しましたように、ひとまず事情聴取が終わって、昨晩解放されたようです」

「それで、今は?」

「取締役会があって、それに出席されているようですね」

「良かった。みんな、今回の打開策を話し合ってくれてるのね」

 麗ちゃんは、一つため息をついた。


 華族街を横目に、内幸町の本社ビルが間近となった頃、麗ちゃんの携帯電話が鳴った。

 麗ちゃんが相手を確認し、電話を耳にした。

「はい、麗ですが」

 しばらく麗ちゃんは黙って相手の話を聞いていたが、にわかにその表情が険しくなった。

 そして、彼女の大声が車内に響いた。


「なんですって! 父が社長解任ですって!」


 ええ! 麗ちゃんのお父さんが解任! どうしてまたこんな時に?

 僕は驚いて、麗ちゃんを見た。


 彼女は肩を大きく上下し、かなり興奮しているようだ。

「とにかく、もう本社に着くから、すぐに事情を説明しなさい!」

 電話を勢いよく切り、悔しそうに唇を噛みしめる麗ちゃん。

 なんだか事情を訊くに訊けない雰囲気で、僕は麗ちゃんが話してくれるのを待ったが、とうとう彼女が口を開くことはなかった。


 ◇◆◇


 本社に着き、エレベータに乗り、また昨日と同じ高層階へ。

 今度は宝谷専務がエレベータ前で待っていた。

「宝谷専務! どうしてこんなことに?」

 麗ちゃんが厳しい表情で専務に詰め寄った。


 専務はいつもの暢気そうな表情も消え失せ、昨日の事情聴取で疲れたせいもあるのか、少し青い顔をしていた。

「いえ、それが取締役会の三分の二の賛成で決まってしまったのです。出席者も改正新会社法の定足数に達してましたので、不本意ながら可決されてしまいました」


 麗ちゃんは専務を指さした。

「あなたは──、あなたは賛成したの!」


 専務は手の平を見せ、首を何度も振った。

「いえ、滅相もございません。私はもちろん反対しました。しかし、根回しされてたのか、他の取締役のほとんどが賛成しましたもので……、誠に申し訳ありません」

 今度は何度も頭を下げる専務。


 麗ちゃんはまだ怒りが収まらない様子だったが、怒る相手は専務じゃないと悟ったのか、

「わかったわ。それで、新社長は誰に? そいつが今回の犯人ね」と言い放った。


 専務が恐縮しきった表情で答えた。

磨仁まに副社長です」

「磨仁副社長だったのね! いいわ。彼と直接話をします。案内してくれる」

 麗ちゃんが専務と歩き出す。

 それを見て、また僕はここでお役ご免か、と踵を返そうとしたら、

「郁も来なさい。あなたも今回の件で随分頑張ってくれてるんだから、敵の顔くらい見ておかないと」


 意外な言葉に、戸惑う僕。

「え? 僕なんか立ち会っていいの?」

「いいに決まってるじゃない。あなたがいたからこそ、私もここまで頑張れたのよ」

 麗ちゃんが振り向き、僕に大きく頷く。

 僕はこれまで一度も踏みこんだ事がない、この廊下の先へと足を進めた。


 ◇◆◇


 深い紅色の絨毯を踏みしめ、僕は歩を進める。

 隣には麗ちゃんと宝谷専務。

 麗ちゃんは眉を吊り上げ、全身から殺気だったオーラを漂わせている。

 触れると指が切れてしまいそうなくらいの剣呑けんのんさだ。

 彼女はこれから勝負を挑む相手を頭の中で思い浮かべているのだろう。


 だが、僕は副社長の顔を良く憶えていない。というのも、副社長の交替が割と最近だったからだ。

 どんな顔だったかな、と考えながら歩いているうち、廊下の奥の扉に突き当たった。

 専務に案内された、そこは社長室。


「早速、社長室に入るとはふてぶてしい根性ね。敵ながら見上げたものだわ」

 麗ちゃんが燃えさかる目で、扉を舐めるように見回した。

 それから、ばんと一つ足を踏みこみ、

「さあ、開けてちょうだい!」と専務に命令した。

 その声に気圧され、ノックもせずに専務が扉を開く。


 目に飛びこんだ、その部屋は広々として開放感に溢れていた。

 大きな窓から燦々と陽の光を浴びながら、豪奢な机で一人の男が煙草をふかしていた。


磨仁まに副社長!」

 広い部屋に麗ちゃんの声が響く。


 麗ちゃんは脇目も触れずに真っ直ぐに、窓際の社長卓に歩いていく。

 僕は、彼女の少し後を歩きながら、副社長を観察した。

 大柄な人だな、というのが第一印象だった。

 大きな社長の椅子に座っているが、その椅子が小さく思えるほどだ。

 顔はいかにも海千山千といった感じで、いくつもの皺を従えた目は眼光鋭く、隙がない。

 まあ、病気で社長不在の大会社を任されるほどの人間だ。並の人物であるはずはないのだけど。


 その副社長は麗ちゃんが近づいても、気にする様子もなく煙草を吸い続けている。

 先制攻撃は麗ちゃんだった。

 彼女は副社長の面先でばんと机を叩いた。

「説明してちょうだい! あなたはどういう了見で、父を解任したのかしら?」


 副社長は煙草をゆっくり口から外すと、表情も変えずに麗ちゃんの顔を見た。

「おやおや、これは九条院のお嬢さん。これはとんだ所を見つかってしまったかな。まだ早いとは思ったのだが、ちょっとこの椅子に座ってみたくなってね」

 副社長は煙草片手に大袈裟に肩をすくめた。


「そんな事より、父の解任理由を言いなさい!」

 副社長は大儀そうに大きなクリスタル製の灰皿に煙草を置くと、机に両肘を付いた。

「理由も何も、こんな不祥事が発覚してしまった後ですよ。昨日だけでも大株主や消費者から非難の電話が絶え間なくかかってきているんです。その責任を誰が取るという訳ではなくても、暢気に病気療養している社長をそのままにしておく訳にはいかないでしょう」


「っ!!」

 麗ちゃんは「暢気に」という言葉に耐え難いものを感じたのか、一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに反撃した。


「じゃあ、あなたも責任を取るべきじゃないのかしら」

 副社長は珍しいものでも見たかのように目を大きく見開き、首を横に振った。

「いやいや、この未曾有の難局を乗り切るにはそれなりの人物が必要でしょう?」


「それがあなただと!」

 麗ちゃんは今にも飛びかかりそうな勢いだ。

 だが、副社長も臆する気配は微塵もない。

 彼は麗ちゃんの問いに深々と頷いた。

「無論ですな。私はそんな時のために副社長として、九条院に迎えられたのですから」


 麗ちゃんは両手を突っ張り握り拳を固め、怒りに耐えている。

 その目は副社長を見据え、一瞬たりとも視線を外すことはない。

 緊張した空気が部屋に漂う。

 専務は後ろのほうに立ち、心配そうな目で事の成り行きを見守っている。


 しばしの沈黙の後、麗ちゃんが沈んだトーンで副社長に言った。

「いいでしょう。それならば、私も切り札を出します。華族法第百八条、親族による経営権の優先的相続手続きを開始します」

 麗ちゃんが副社長を見て、にやりと笑った。

 僕は華族法について詳しいことは知らないが、『親族による経営権の優先的相続』は華族特権の一つであることには間違いない。


 副社長は彼女の言葉を眩しそうに目を細めて聞いていたが、彼女の言葉が終わると、大きな手で机を一つ叩き立ち上がった。

「面白い。お好きなようにどうぞ。こちらは臨時株主総会で、それを阻止してみせましょう」

 副社長が麗ちゃんを見下ろす。

 巨体なだけにその威圧感はすさまじいほどだ。


 睨み合う二人の眼差しの間には、漫画にあるような火花が飛び散らんばかりの気迫が感じられる。

 僕は緊張のあまり、ごくりと唾を飲みこんだ。

 いつまで続くのかと思われた睨み合いも、麗ちゃんの言葉で終焉した。

「話し合いの価値はないようね。では、いずれ株主総会でお会いしましょう。私も大株主の一人ということをお忘れにならないように」

 副社長に捨て台詞を残し、扉へと歩いていく麗ちゃん。

 僕もそれに続いた。


 副社長はそれを黙って見ていたが、僕らが扉にさしかかった頃、後ろから声をかけてきた。

「一つ忠告を差し上げておきます。社長の持ち株は既に人手に渡っていますから」

 麗ちゃんが血相を変えて振り返る。

「なんですって!」

 副社長は不敵な笑みを浮かべ、言葉を継いだ。

「先の経済危機で、社長は私財をいくらか放出しましたよね。その時に、病床の社長はそちらの秘書の方に自分の財産の処分を白紙委任したと聞いてますが」


 麗ちゃんが目を見開いた。

 どうやら秘書の七瀬さんの裏切りは、僕から見ても確実なようだ。


 麗ちゃんは強く唇を噛みしめている。

 何か一言返すのか、と僕は思っていたが、彼女は何も言わず、早足で廊下に出て行った。

 僕と専務はそれを追った。

 僕は麗ちゃんの横に並び、「やっぱり七瀬さんが」と言いかけ、彼女の顔を見た。

 と──、彼女の目からは大粒の涙がこぼれていた。

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