雪のクリスマス・イブ あの日の記憶
降り積もる雪が、街を白く塗り替えている。
私は娘の手を引いて、華やかに飾られたクリスマス・イブの街を歩いていた。あの日の記憶が鮮明に蘇って来たのは、イブに降る雪と娘の手の温もりのせいなのだろう。
あれは私が五歳の時だった。
あの日も今日と同じ様に雪が降っていた。街にはクリスマスソングが流れ、街路樹やショーウインドウを飾るイルミネーションは魔法の世界を思わせるようにキラキラと輝いていた。
駅前には、恋人と待ち合わせをしているのだろうか? 若い男が時計と改札口を交互に見ながらそわそわしている。
幸福を絵に描いた様な、笑顔のカップルが腕を組んで改札口から吐き出されて来る。
有名ケーキ店のロゴ入り袋を大事そうに抱えたサラリーマンが、足早に改札口へと吸い込まれて行く。
街ゆく人々は、降り続く雪の冷たさとは正反対に、暖かな幸せに包まれている様だった。
私は母に手を引かれ、幸せそうな人々のたむろする駅前に背を向け、雪の降り続く街を歩いた。
母からは、どこへ行くのか聞かされていない。たぶん母もどこへ行ったら良いのかわからないのだろう。
その時の私と母の姿は、まるで吹雪に道を見失い、雪山をさまよい歩く遭難者の様であっただろう。
もっとも、私たち親子に目を止める人など一人も居なかった。世間は自分たちの幸せに酔いしれていた。
母と私はしっかりと手をつないだまま、雪の降り続く街をさまよい続けた。
降り続く雪は、私の体温を容赦なく奪ってゆく。それでも母は私の手を握ったまま歩き続けた。
疲れ切った私は道端でしゃがみ込み、「おかあさん、さむいよぉ。つかれたよぉ」と、不平を言い母を困らせた。
すると母は、「もう少し、もう少しだけ頑張って」と、やさしく悲しげな笑顔で応えた。
母の顔を見上げた私の目には、私よりもずっと疲れきっている母の顔が映っていた。そんな母に甘えてはいけないと、幼心に思った記憶が鮮明に蘇って来た。
私は立ち上がり、母の手を握った。母も私の手を握り返してくれた。冷たく冷えきった手だった。
華やぐ街を離れ、母は遮断機の下りた踏切の前で立ち止った。私の心臓は、カンカンと鳴り響く警報音と同調する様に高鳴った。警報器の赤い光に照らされた、母の顔が恐ろしかった。
轟音と共に赤い電車が通り過ぎる。遮断機は上がり、周囲に静寂が戻った。それでも母は、私の手を強く握ったまま動こうとしない。
蒼白い街灯の光に照らされた母の顔は、全ての感情を失っている様にみえた。
赤い電車を三回見送った後、母は私の手を引いて再び歩き始めた。
踏切を渡り、人気のない川沿いを歩いた。雪は更に強さを増して、街はどんどん白く塗り替えられていく。しかし、その雪も、夜の闇を塗り替えることは出来ない。しだいに闇は深くなっていった。
母と私は、川沿いにある公園の東屋で夜を明かした。
母は私を包むように抱きしめてくれた。
母はマフラーを外し、私に幾重にも巻き付けてくれた。
母は私の髪をやさしくなでてくれた。
そして、蒼白い顔で笑いかけてくれた。
母の瞳から一滴の涙がこぼれ落ちるのをみた。
五歳の私には、母の身の上に何が起きたのかなど、わかる筈も無かった。
降り続いていた雪もやみ、夜の闇が朝日に追いやられる頃。母の胸に抱かれたまま、私は眠りについた。
目覚めると病院のベッドに寝かされていた。
私は母を呼んだ。声の限りに母を呼んだ。
でも……、母の返事は返って来なかった。
代わりに応えてくれたのは看護師さんだった。看護師さんは私を抱きしめて……。
私を抱きしめながら泣いてくれた。
あれから二十五年が経った。私の娘はあの時の私と同じ歳になった。あの日と同じ様に、今日も雪が街を白く塗り替えている。
あの日の母と同じ様に、私は娘の手をしっかりと握りしめたまま、駅を背にして歩き始めた。
私はあの時の踏切の前に佇んでいた。娘は不思議そうに私の顔を見上げている。娘の目には、私の顔があの日の母の様に見えているのだろうか?
カンカンという警報器の音が鳴り響き、私の心をかき乱す。点滅する赤い光にあの日の母の顔がうかぶ。そして、轟音と共に赤い電車が通り過ぎた。
私は静寂を取り戻した踏切を後にして、川沿いへと歩を進める。
そして、母に抱かれて夜を明かした東屋を訪れた。
母と最後の時を過ごした場所……。最後に母のやさしさに包まれた場所。
私はあの日の母の様に、娘の身体を抱きしめた。娘の身体は暖かく、私の心を暖めてくれる。
あの日、私を抱きしめながら、母は何を思ったのだろうか?
私の冷えきった身体は、母の心を暖めてあげる事が出来なかったのだろうか?
一滴の涙が頬をつたった。
あの日の母と同じ様に……。
今日があの日と違うのは、私と娘をやさしく見守ってくれる人がいる。
娘を愛し、私を愛してくれる、私のダンナさまが……。
持参した花束を供えてから、クリスマスソングの流れる街へと歩き始めた。
三人で手をつなぎ、イルミネーションの輝く幸せの国へと……。
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