1-6ある男の旅の始まり
以前投稿していた1-4ある二人の旅の始まりを二分割したものです。内容的な変化は殆どありません。以前の内容が分かる方は飛ばしていただいて結構です。
【Side R 】
「(何故こんなことになったのか……。)」
目の前の光景を見て、黒外套に身を包んだその人物、レインはそう心の中で毒づいた。上空を仰げば、その視界に突き抜けるような蒼が飛び込んで来る。
天気は快晴、潮風吹きつけるここは船上。そして、周囲三百六十度、だだっ広い海洋である。積荷からして、恐らく商船であろうこの船の、甲板の上には武器を構えて殺気をばら撒く、大量の船員達と、牙を剥き出しにした赤黒い、これまた大量の魚型のケモノ。
港から客船に乗る予定だった自分が、なぜこの場にいるのか。レインは順を追って思い出して見る。ここから暫く、彼視点での回想にお付き合い願おう。
まず、ティンベルドに着いた自分は、少ない手持ちで腹を満たすため、飯屋を探したはずだ。こういった半ば観光地と成っている都市の表の店では、客から金をふんだくることしか考えていない様な値段を平気で提示してくる。少なくとも、俺はそう感じる。過去に友人達に連れられてきた記憶を頼りに、裏路地の手頃な店を探した。詳しくは割愛。
そこで、見た目はグロテスク、良くて奇抜としか形容しようがないものの、何とも美味そうな魚料理を提供してくれる、奇抜な名の店を発見した。俺は自分でも気色の悪い位に喜んだ。何せ三日ぶりの飯である。店主が何か言っていたが、自身の興奮に飲まれ、記憶が定かでない。
荒野を超えるに当たって雇ったガイドは、初日の夜、ケモノに襲われた際に食料を含む荷の大半を持って逃げ去ってしまった。パニックを起こした俺の馬は、俺を振り落したところで、ケモノに喉を裂かれ死亡。二日後には、何と残り少ない食料まで奴らに掠め取られてしまった。何せ数が多すぎた。守りながら一人で戦うのは無理がある。
路銀をケチったのが拙かった。安く貧弱な馬でなく、高価でも強靭な駆竜を借りていれば、後二日は早く飯にありつけただろうに。今更嘆いたところで、それこそ後の祭りである。面倒な。
古来より民草の足である馬と駆竜。双方とも、長距離を走る際の速度に然程の変わりはないが、一瞬の加速やスタミナ、フィジカルを考慮すると、駆竜に軍配が上がる。駆竜の短所としては、二足歩行故に直接騎乗すると揺れがひどい事だろう。乗り心地に関しては、馬が勝る。しかし、馬車、この場合は駆竜車と言うのか、を引かせれば、その差も無くなる為、駆竜を借りるには馬以上に金が掛かるというのが一般的である。
閑話休題。
ともあれ、魚料理を食おうとした時である。……今考えれば、掴み上げられていたあの子供だろう、兎に角、何かが砲弾の如く飛んで来て机ごと俺の料理を吹き飛ばした。それはもう、頭に来て、原因とか、事情とか諸々どうでも良くなった俺は、(多分)攻撃を仕掛けて来たであろう三人組に、俺の食事を残飯にした残飯以下の弩低脳の畜生共に、己の失敗の八つ当たりも含めてキツメの制裁かましてやった。
非常にすっとした気分だった。そして頭に残っていた熱を逃がす為、一つ大きく息を吸い込み、瞑目、暫くして息を吐いた。感情を鎮め、感覚を研ぐルーティンである。厳密には違うが、要は、息止めの長い深呼吸だと思えばいい。そうして思考が冷却されると、同時に顔から血の気が引いた。
一つ、店の中で暴れた人間で、意識が有るのは自分だけである。
一つ、店の壁をその場の気分で破壊した。
一つ、自分は余所者である。
つまり、このままでは責任を取らされる。今考えれば、俺も被害者である訳なのだから、そんなに焦る必要もなかったように思うが、空腹で頭が回らなかった、と便利な言訳を使わせてもらおう。
さておき、思い立った俺の行動は速かった。面倒事は避けるに限るがモットーの俺は、急ぎその場から逃げ出した。飯屋に入ったというのに、結局空腹が増しただけ。大きかった期待に比例し、精神的反動も大きく、空腹の不快感は更に増したように思われた。飯代は前払いだったため、元から余裕のなかった財布は更に軽くなり、悩みに悩み、悩み抜いた末、飯を諦めた。これから海を渡るのだ、最低限の路銀と食材の調達資金は残しておかなければならない。
ドロドロと体が溶けて行くような錯覚すら覚える、重く纏わりつく疲労感と脱力感に苛まれながら、乗船の手続きをしに、港の方面へ歩いていた。……実際には、最低限の水分しか残っていないこの体はドロドロどころかガサガサであるが。などと、下らない考えで空腹を忘れようと試みていた時だった。
「……む?」
「おっとごめんよ。」
正面から歩いてきた少年と、肩がぶつかった。奴は一言そういうと、細く入り組んだ路地の方へと小走りに去っていった。忙しい奴だ。もし俺が、先程の店にいたゴロツキの様な輩だったら、確実に難癖付けて追い掛けられている所だろう。と、まあ、そこで俺は気付いた。
「ん?……財布が、無い、な……。ん、無い、よし。」
軽く首を回し、
「ぶっ殺す。」
即断即決。有言は即実行に移す。その時既に俺の頭に財布を取り返すという考えは無かった。馬鹿め小童。其方は俺が先ほど歩いて来た方向。道さえわかれば、即座に追い詰めてくれる。
そんなことを考えた俺は、どうにも、肉体のみならず、精神状態もガサガサに荒んでいたのだろう。
かくして二時間後
「……動けん。」
有言の実行は失敗に終わった。空っぽの胃袋の存在を忘れ、散々に走り回った為、とうとう体は動かなくなり、お世辞にも清潔とは言い難い地面に、俺はうつ伏せに倒れていた。地元の少年犯罪者を舐めた結果がこれである。道を覚えたと言っても、それは先ほどの店からの一通りのみ。一本でも知らないルートに入り込まれれば、見つけることが叶わないのは、自明であった。
最低でも普通の体調であれば、まず素人から財布を掏られるなどあり得ない。流石に、これには焦った。たかが三日の絶食で、まさかここまで弱るとは。面倒な。
震える指先で、腰の小物入れに入っているビンを取り出し、チビチビ中身をすする。クソ不味い。そのまま、更に一時間、今度こそ本当に無一文に成った絶望感に包まれながら、裏路地で水揚げされたマグロの様に転がって休息をとった。
かくかく震える脚を何とか立たせられるまでに回復した後、取り敢えず街で仕事を探した。しかし、一日も半分以上過ぎた時刻に、簡単に日雇いの仕事が見つかるはずもなく、役所に行き、ケモノの簡易討伐依頼を受けようにもそもそも手数料が足りない。そうだ、強盗をしよう、とも思ったが、現状街の警備員に追われては、斃すなら未だしも、逃げ切る自身は微塵も湧かなかった。
兎も角、金も無く、仕方も無いので、密航でもしようと、目当ての客船に乗り込み、船員達に気取られないように、船底付近の樽の山の後ろに身を隠したのだが……。
「(そうか、寝ている間に船が出たのか。)」
レインは今漸く己の失態に気づき、回想を終了した。空を見る限りでは、少なくも、一日以上は眠っていたようだ、と彼は判断する。
しかし、と彼は考える。
「(腑に落ちん。……客船に乗ったはずの俺が、何故商船に乗っているんだ?)」
俯き、更に考えること時間にして五秒。導き出された答えは、単純明快に彼を納得させる物であった。
「船を間違えた、か。……面倒な。」
嗚呼、何と不幸なことか。飯屋で魚料理を食い逃し。スリに財布を盗まれて。間違えて乗った船は、意識のない間に出向し。揚句その船も魚に襲われる。自分は何か魚に恨まれる事でもしたのだろうか。そんなことを考え、彼は思わず天を仰ぐ。八割方、自業自得と言える気もするが、今、彼の便利な辞書にそんな熟語は見当たらない。
「(何故こんなことになったのか……。)」
自身の前方にある光景を彼は嘆いた。心の中は、今にも雨の降りだしそうな黒雲。だというのに、見上げて広がるのは、やはり、ただただ嫌味なほどに澄んだ蒼。
天気は快晴、殺気吹き荒れるここは船上。そして、周囲三百六十度、逃げ場などない海洋である。甲板後方、武器を構えないレインの周りに群がる赤黒い魚獣共。
やり場の無い疲れを溜息と変え、空腹をから来る気分の悪さに辟易しつつ、レインはこの場をどう切り抜けるか考えていた。