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Foolish Mith  作者: 五島
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1-4 ある少女の苛立ち

以前投稿していた1-3ある二人の戯れを二分割したものです。内容的な変化は殆どありません。以前の内容が分かる方は飛ばしていただいて結構です。

【Side E 】


(「この人は、私を犬か何かと間違っているのではないか。」)


 暖かな陽光が差し込む、長い石造りの廊下で、人を小馬鹿にしたような笑みを湛える浅黒い肌の女性を見上げながら、少女、エルナは終いにはそんな事を考えていた。

 彼女が、第二部隊長であるグラシアルと遭遇して、早四半刻。何が楽しいのか、延々とエルナの頭を撫で繰り回す彼女に、エルナの眉間には、言外の抗議を表すような深いシワが寄っている。

 用件を聞いているにも関わらず、のらりくらりと話を逸らされ、撫でられ、用件を聞き、逸らされ、撫でられ、と言うループ状態。それはエルナの胸中に『いっそ目の前の女を引っ叩いてやれば、どんなに清々するだろう』という黒い妄想すら抱かせる。しかし悲しいかな、相手は上司。

 湧きあがる衝動を何とか抑えて、会話の進展を図るべく、エルナは何度目とも分らない質問を、この際不機嫌さを隠すことなく、目の前の上官の女に問いかけた。


「……いいですか、グラシアル隊長、最初の質問に戻りますよ。第二部隊長の貴女が、第一部隊舎に何の御用ですか?先日お渡しした、海上警護の資料に何か不備でも?此方も暇ではないのですからとっとと御用件を述べてください。」

「クククッ、いい加減に怒ったかな?悪かった、悪かった。資料のことなら心配いらないさ、完璧だ。そうではなくて、実は今日はお前のところの隊長に話が有ってな。」

「バスカーク隊長に、ですか。」


 不敬な態度が功を奏すというのも可笑しな話ではあるが。グラシアルは、自身の髪を気障な動作で掻き上げると、そこで漸く、今までの軽薄な笑みを改めた真面目顔でエルナと向き合った。凛としたその表情は、成程、隊長職に相応しいものである。

 それを見たエルナは、こんな人でも普通の仕事をするのか、などと思いながらも、ほっと胸を撫で下ろした。グラシアルがやっと用件を切り出した、と言う事も勿論大きいが、それ以上に、彼女が人をからかう為だけに他所の隊舎に出入りする人物でなかったことに。

 入隊以前からの、そこそこに長い付き合いながら、どうにもエルナは、この上官が大人しく事務仕事に精を出す姿が想像できなかった。元々、群を抜いた戦闘能力とカリスマ性、加えてある特殊な『異能』を持つ為に、士官学校出身ではないにも関わらず、異例の隊長任命を受けた人物だ。果たしてデスクワークが出来るのか、と問われれば、疑問符が残る。

 ここで少しエルナを擁護しておこう。先程から、目上の者に対し、果てし無く失礼な思考のオンパレードな彼女であるが、これはエルナなりに、グラシアルを大切に思うが故である。エルナの中で彼女は、『家族』の次に重要な項目にカテゴライズされる人物。そしてエルナの精神的支柱と成り得る数少ない存在だった。グラシアルが職務怠慢で軍内での立ち位置を悪くしないか、と内心、気が気ではなかったのである。

だがしかし、


「それに、第二はムサい男衆ばかりだ。第一は女性も適度にいて華がある。たまに遊びに来るのも良いものだ。」

「……。」


 グラシアルはからかいとも本気とも分からない発言をして、彼女はエルナの綺麗な朱い髪をクシャリ、と撫ぜた。白い歯を覗かせて笑うその顔には、先程の引き締まった表情など見る影もない。

 エルナは、貴女も女でしょう、とは口には出さずに飲み込んだ。口答えや迂闊な反応は、彼女に餌をやるようなものである。

 苦々しげな表情のエルナを見て、更に笑みを深くするグラシアル。どうやら、先の態度も、エルナをからかう為の布石だったらしい。この女性に対して、心配などするだけ無駄なのであるが、そう割り切れないのがエルナである。尤も、それがこの少女の美点でもあるのだが。

 手ごたえを感じただけに、猛烈な脱力感がエルナを襲う。だが、この際グダグダでも構わないから兎に角話を終わらせるべく、彼女は続く言葉を紡ぐ。


「……ならば、私に構わず早く隊長の所へ行ってください。」

「クククッ、可愛げの無い奴だ。」

「勤務中に可愛げが必要なのか、私は甚だ疑問ですね。」

「ふう、全く態度だけでなく頭もお堅い奴め。もう少し、あの方に対した時の愛想を、周りにも撒けば良いものを。」

「んなっ!?」


 予想外のカウンターに、さっ、とエルナの顔に赤がさし、動揺の色がありありと浮かぶ。頭が堅いと言われたことを気にしたわけではない。自分の、護衛対象へ態度を指摘されたことが恥ずかしかったのだ。


 いつか、この物語中でも語ることになるが、グラシアルの言う『あの方』に対するエルナの傾倒っぷりは、軍の中でもちょっとした話題になるほどに、何というか、そう、異常だ。エルナは当然のことだと自負しているが、人に指摘されると、流石に恥ずかしものである。


 ニヤニヤと笑うグラシアルは、口を酸欠の魚のように開閉し真っ赤になるエルナの様子に、漸く満足したようにクククッ、と短く喉を鳴らすように笑った。


「あぁ、まったく、愛い奴め。まあ、そんなことは兎も角、第一部隊長サマはどこに―――」

「ここだ。」


 グラシアルの後方から野太い声が聞こえたかと思うと、呆れ顔の男が、のしのし、とその巨体を揺らしながら歩いてきた。布越しでも鍛え上げられた筋肉が容易に幻視できる程に、張り詰めた隊服の上にはグラシアルと同じく銀の勲章と、肩当てには半透明の茶色の宝石。今朝、エルナと対面していた男、第一部隊長、アルデバラン・バスカークである。


「全く、人の隊舎、人の隊員でなに遊んでやがる。暇なのか、『女帝の』グラシアル殿。」

「お前なんかに用がある程度には暇だよ、『鉄壁の』バスカーク殿。」


 態々互いに通り名を使い、棘のある挨拶を投げつけあう。しかし二人の会話において、それは社交辞令のようなもので。気にする風も無くひょい、とグラシアルが、どこに持っていたのか紙の束をバスカークに放った。


「三日後の調査団派遣の資料だ。あの書類の山に埋もれないように、せいぜい気を付けることだ。」

「お前が人の心配をするとぁ、そんな殊勝な奴だったのか。只の人でなしドS女じゃ無かった訳だ。で、俺の酒が目的か?」

「クククッ、いやなに、自室のセラーに南京錠をかけられた哀れな奴から取る酒はないさ。」

「ああ、賢明だ。何せ、お前が素晴らしい酒癖を披露した暁にぁ、俺の部屋は氷漬けだからな。うちの副隊長の説教ぁ怖ぇぞ?」


 この二人の間に限り、会話という言葉は、嫌味をぶつけ皮肉を投げかけ、かつ、それらを受け流すという一連の動作のことを指す。彼らは、例えそれが導火線に火のついたダイナマイトでキャッチボールをする程に剣呑な会話であっても、呼吸をする程度の労力で済ませてしまうだろう。ただし、この二人の直ぐ傍で会話を聞いている少女はその限りではない。


(「嗚呼、これが針の筵と言うものなのか、逃げ出してしまいたい……。」)


 グラシアルとバスカークの会話に適応することを例えるとするならば、常人に肺呼吸とを止めて鰓呼吸をしてみろ、というようなモノなのだ。つまり、無理。近くにいるだけで、危なっかしい会話に冷や汗が滲む程だ。

 当然、エルナは最初に、その場から失礼のないように退席しようと試みていた。しかし、グラシアルの右手が、エルナの隊服の裾を、何気なく摘まんでいる。そしてエルナが見るに、グラシアルの肩は小刻みに揺れている。この女、この期に及んで、エルナの困った反応を楽しんでいるのだ。


 この鬼畜がっ、とエルナが心の中で悲鳴を上げた、正にその時。


「おっ、鐘が……と、エルナ。お前そろそろ護衛に戻る時間だろう。」


 正午を告げる鐘の音が、隊舎からほど近い時計塔から城中に響き渡ったのだ。エルナの勤務時間を覚えていた彼女の上司の言葉。逃がしてなるものか、と、内心追いつめられていた彼女は実に快活に、とてもいい笑顔でそれに答えた。


「あ、はい!失礼します!」

「……チッ。」


 舌打ちなんて聞こえない。慣れない雰囲気からの脱出に、内心ほっとし、この場と面倒な鬼畜女隊長から解放してくれた時計塔の鐘を、今度綺麗に磨いてやろうと心に決めながら、しっかりと上官に礼をしてエルナは走り去る。

 鬼畜ことグラシアルは、裾を握っていた右手を名残惜しそうに開閉しながら、無言で走り去る背中を見つめていた。

しばらく廊下には隊員の足音と、バスカークが資料をめくる音。


「そういやぁ前、磯臭いぞ。さてぁまた海から上がってそのまま来たな。」

「クククッ、お前に会うのにわざわざ体を洗う必要もあるまいて。」


グラシアルが、馬鹿にした顔をする。


「俺ぁ良いが、隊員に避けられるぞ。……お、今回の任務、ティンベルドに寄るのか?」

「ああ、視察を兼ねてな。ビロウドの調査が終わったら、駆竜車を借りて行く。土産に紅茶でも買ってきてやろう。薔薇なんてどうだ?」

「おいおい、俺ぁ紅茶ぁ好かんぞ?」


バスカークがおどけた顔をする。


「知っているし、私もだ。だが、あの子は好きだろう?」

「同行するエルナに土産買ってどうすんだ。」


 笑みを浮かべながら軽口を叩き笑う二人。そしてまたしばらく資料をめくる音と足音。不意に、グラシアルが口を開いた。


「なあ。」

「うん?どうした?」


それとなく返事をするバスカーク。




「あの子が姉を失って、もう何年になる?」




資料をめくる音がぴたり、と止まった。廊下には隊員の足音だけ。



「六年だ。」



 短く。そう答え、バスカークは顔を上げる。そして若すぎる女騎士が走り去った方を見やった。そこに、すでに彼女の姿は無く、石造りの廊下に、ただ窓から日の光が差し込んでいるだけで。目を閉じたグラシアルの瞼の裏に浮かんだのは、先ほどの朱の髪ではなく、燃え盛る炎のような鮮やかな紅と、静かに炎に付き添った灰。

 二人の顔に先程の笑みはない。

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