1-2 ある少女の過程
【Side E】
「どういうことですか!」
早朝、空にはまだ僅かに星が残る時間帯。一人の騎士が、大きな執務机を挟んで上司と思しき男性に詰め寄っている。
レーゼ王国。その強行的な外交姿勢と容赦のない他国への侵攻から、黒い噂の絶えない北半球中最大の王国である。
第一要人警護部隊、
第二海上戦闘部隊、
第三特殊補佐部隊、
第四陸上戦闘部隊、
第五市街戦闘部隊、
第六竜騎士空戦部隊。
この全六部隊からなる国軍は、その規模、錬度ともに、世界最強と謳われている。
さて、勤務時間前にも関わらず上司に突っかかっている、この国で騎士を務めている女性、いや、まだ少女か。独特のクセのある、紅とは違う朱の髪。国軍採用の騎士の制服をキッチリ着こなし、背丈は平均的である。彼女は声を荒げて続けた。
「第一部隊は王族直属の護衛部隊です! 調査に出るのは第三部隊か第六部隊でしょう!! そもそも私には今も警護をしている方がいます!!! あの方を置いて遠方になど出向けるわけが無いでしょう!!!! あの方に何かあったら私はぁ―――」
「分った、わーかったから!取りあえずぁ落ち着け、な?」
「これが落ち着いていられますか!?」
肩で息をしながら少女が怒鳴る。意志の強さと生真面目さを感じさせる、海の青さを持った彼女の瞳は、興奮のためにギラギラと光っていた。段々と強くなる語調は、少女がいかに憤慨しているかを物語っている。
「んなこと言っても仕方ぁねえだろう。」
しかし、上司の男はその剣幕にも動じず、無精ひげの生えた顎をさすりながら、椅子に腰かけたまま、机の上に山の様に机に積み上げられた書類を探り、その中の一枚を引っ張り出した。
「『エルナ・セラン・フローズ。今回壊滅したと伝えられた、レーゼ領ビロウド地方トルネオの調査団に護衛兼調査員として御同行されたし。』だとよ。俺も上に掛け合ってぁ見るが、変更は無理だろう。」
「ぐっ・・・。」
聞き分けのない子供をなだめるような口調。その落ち着き払った態度に、自分の目の前にいる人物が上司であるとことを、今更ながらに思い出した少女、エルナ。彼女は、先ほどの自身のヒステリックな様相を思い出してそれを恥じ、俯いて少し声を抑えた。
「……っ何故、私なのですか?」
「何で第一から出なきゃならんのかぁ腑に落ちんが、新人の中じゃあお前ぁ頭一つどころか胴体まで抜きん出てやがる。お呼びがかかったのぁそのせいだろうよ。」
思い当たる節のあるエルナは、苦い顔をしてうつむいた。確かにエルナは実技も座学も首席で学校を卒業した。一新入隊員に過ぎない彼女がすでに要人の警護についているのも、その類まれな実力のためである。
「私が力を磨いたのは、あのお方の護衛のためで……、外部で手柄を立てるためでは……。」
「そいつぁよく分かってる。だがま、従軍している以上、新兵があまり我儘を言うもんじゃないな。まあともかく、だ。お前の護衛対象にぁベテランの、そうだな……ウースリー辺りで良いだろう。ちゃんとした代わりをつけるぞ。」
ジロリ、とエルナは相手を睨み付けた。この上司は信頼できる。が、信用はできない。形の良い眉が上がり、生来の吊り目のせいで、お世辞にも良いとは言えない目つきが更に鋭くなる。
「……お願いしますよ?」
「おいおい、仮にも隊長を睨むな。俺ぁそんなに信用ないか?」
「我々の、隊舎を、破壊したのは、どこの、どなたですか?」
「あれぁまあ、その、なんだ、あー……すまん。」
「こともあろうに酒の勢いなどと……。」
何を隠そうこの男、エルナが所属する第一部隊の隊長である。温厚で気さくな人柄で、隊員たちからも親しまれている。しかし、この男ともう一人、第二部隊長が合わさった時の異常な酒癖の悪さには、隊員一同閉口していた。飲酒の勢いで隊舎の壁を破壊したのは、記憶に新しい。そのために、人望と信用が比例しない、少し残念な男である。
「と、とにかくぁそういうことだ。くれぐれも無茶だけぁするなよ。」
「……はい。勤務時間外に、申し訳ありませんでした。失礼しました。」
不服を絵にかいたかのような顔ながら頭をさげ、渋々とエルナは部屋を後にした。
――――――
僅かに残った星も消え、太陽が高く上り、時刻は正午の少し前。廊下を歩くエルナの心は未だに暗かった。
今年十七になった彼女は養成学校を卒業後、晴れて国軍所属の騎士となり、既にある人物の護衛を務めている。しかしいかに優秀な彼女といえども、たかだか一兵卒の申し出で方針が変わるほど軍隊は甘くない。自身の努力と実力が裏目に出てしまった、何とも皮肉な結果である。
エリート街道を順調に歩いている彼女は今、重い足取りで長い廊下を歩いていた。
「あ、エルナ君」
そこに、彼女の先輩隊員が背後から声をかけて来た。憂鬱な気分ではあるが、エルナという少女は、わざわざ自分へ話しかけて来た者を無視できる人間ではない。
振り返りながらではあるが、姿勢を正しつつ返事をする。
「はい、何の御用でしょうか?」
「今度の第三部隊との合同訓練のことなんだけど、ランスブ……いや、また今度にしよう。」
「……?時間はありますし、問題は有りませんが。」
エルナは疑問に思った。何故、目を逸らされるのだろうか?
「(この方とは先日も同じように会話をしたがその時は異変なかった。はて?)」
さて、先輩隊員のこの反応、エルナの表情を説明しておく必要がある。彼女はいたって普段通りの顔をしているつもりであるが、その実、眉間にはしわが寄り、目は半開き、口は閉じるたびに真一文字に引き結ばれる。彼女にその気がなくとも、その表情は「不機嫌」の一言。
「は、はは、いや何でもないんだ本当に。」
「……?そうですか。」
エルナは生真面目な人間である。話をする時は必ず相手の顔を見て話す。果たしてそれが睨みにしか見えなかったとしても、彼女は顔を見て話す。
そして前述の彼女の表情合わせて考えると、これを一般的には、
「と、とにかく、この話はまたこんど。」
ガン付けと呼ぶ。
「分りました。ではまた明日にでも。」
「ああ、それじゃあ。」
正面からガンを付けられたようなものである先輩隊員は、結局一度もエルナと目を合わせず、と言うか合わせることができずにその場を後にした。
結局何だったのか、先輩隊員の異変の理由は分からないまま、ふう、と息をつき、呼び止められる前と同じように歩き出そうとするエルナ。しかし、
「おやおや、かわいそうに。」
「っ!?」
突然気配もなく耳元で発せられた言葉によってその行為は中断させられた。
予期せぬ事態に思わず目を見開き、肩がびくりと跳ねる。しかし、声の中の面白がるような響きに気づくと、エルナの見開かれた目はすぐにジト目となった。
クククッという笑い声のする方に顔を向けると、上等な軍服を着た褐色の肌の女性がいる。胸元についている銀の勲章は、各部隊の隊長が付けるもの。肩当の水色の宝石は、第二部隊長の証で。
「第一部隊舎に何の御用ですか、グラシアル隊長。そして気配を消して背後に立たないで下さいと、何度も言ったはずですが……。」
「クククッ。睨むな睨むな。お前が一々面白い反応を見せてくれるものでな。」
拗ねたように文句を言うエルナの頭を、さも愉快だ、とでも言いたげな顔でなでながら、意地の悪い女隊長は笑う。
ドラド・グラシアル。第二部隊の隊長であるこの女性は、エルナとの初対面以来、何が気に入ったのか彼女のことを甚く可愛がるようになった。そのためエルナは、遭遇のたびにこうして彼女に遊ばれているのだ。
「睨んでなどいません。あと、頭をなでないでください。」
「いいや、確実に睨んでいたぞ。そうでなければ相手が逃げることもあるまい。あと、スキンシップは大切だ。」
尚も喉の奥を鳴らすように笑い続け、グラシアルは飄々とした口調で答える。その様子にエルナは自分の眉間のしわが更に深まるのが分かった。それから同じような問答を繰り返すも、暖簾に腕押し、状況は変わらず。気づけば時計の針はもう頂点で重なろうとしていた。
8月21日、冒頭の部隊名を修正