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Foolish Mith  作者: 五島
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1-1 ある男の過程

【Side R】


朝日がもうすぐ顔を出し、夜が明ける。

インクをぶちまけたような濃紺の空には、そこだけ切り抜いたかのように、月が浮かんでいる。冬が去り、比較的暖かな地域とはいえ、この時期の夜明けは、未だ寒く、長く。

枯れた木々すら転々としか見えない広大な荒野が、空気を一層に寒々しいものに変えていた。そんな荒野の一角、とある岩場から、むせ返るような血の匂いが漂ってくる。


爽やかな朝とは、程遠い光景がそこにあった。


夜行性の獰猛なケモノ。夜のうちに群で獲物を襲い、血祭りにあげるそれらが、残らず絶命していた。それも一匹や二匹ではない。十数匹はいようかというケモノが、である。

この赤茶けた大地を、白み始めた地平線を背負い、人間が一人、ふらふらと歩いている。

裾の擦切れた黒い外套。頭巾から覗く髪は艶のない灰銀色。

 しかし、背は低くなく腰も伸び、怪しい足取りも、着実に体を前へ運んでいる。この者、まだ若いらしい。


「・・・見えた、ティンベルド。」


そう呟いた灰髪黒マントの視線の先には、黒々とした海を背後に、まだ暗い西の空に映える白い街。


「あそこに着けば・・・。」


もう一言口に出して、先ほどよりもほんの少し力強く、彼は歩き出した。



______




白い外壁、伝わる活気、料理の香り、溢れ出るヨダレ。

臨海都市ティンベルド。この白亜の街は、近海を流れる暖流の影響もあり、近隣の都市に比べ暖かい。またその海流に乗って、古くから人と物が集まり、一国家に匹敵するほどの影響力を持つといわれる都市である。

 そのティンベルドの東。怪しげな黒マントは、あまりに長く危険なため、かつては『あの世』へ続いていると信じられた大地を超えて来た。

 護衛付きの馬車で最短四日、それでも危険な道のりを、護衛に逃げられ、馬は死に、揚句三日前にケモノに食料を奪われて以来飲まず食わず。斬ったケモノの血を嗅ぎ付けて、またケモノが寄ってくる。そんな道のりを、飢えて乾いて死にかけて、なんだかんだで僅かに六日、それも一人で踏破したのだ。彼の疲労の度合いは、わざわざ語るべくもないだろう。


「あのー、街に入るのであれば、此方にサインをお願いしまッヒイ!?」


だから、話しかけてきた役人を反射的に睨み付けた黒マントに罪はない。極度の疲労と空腹状態にある人間は、どうしても気が立ってしまうもの。

目深に被った頭巾のせいで表情は窺えないが、それでも分るほどに、不機嫌のオーラを出しまくっている。彼は役員を睨み付けたまま適当にサインを書き、ついでに舌打ちもつけ、半ば投げつけるように書類を返却した。


「れ、レイン・クォーツ様ですね。よ、ようこそティンベルドへ」


書類を手にした不幸な役員は、何とか笑顔を保っているものの、その口元は完全に引き攣っている。


「(随分と気の弱い奴だ。)」


 自分の行為を棚に上げ、胸中そんなことを考えながら、キリキリと空腹を訴える腹を押さえて街の入り口を跨ぐ怪人黒マント、レインだった。そんな状態であるわけで、碌に身形も整えず、兎にも角にも早々に、飯屋を探したレインを責められる人間はいないはずだ。

 さて、街に入った彼は早々に人通りの多い表通りから外れ、少し込み入った路地に入る。これは彼に後ろ暗い事情があるからではない。単に金がないのだ。

表に面する店や屋台は観光客向けで、そこそこに値が張る。地元の人間や、商売のためにここを訪れる者たちは、少し奥まった場所に立地する手軽な店で要件を済ませた方がお財布には優しいのだ。

レインは以前にもこの町を訪れたことがあったため、そのことを考慮して路地に入ったのだ、が。


「む・・・。」


彼は一つ読み違えていた。彼が以前この街に訪れたのは随分と昔のこと。つまるところが、道に迷ったのである。決して彼が方向音痴だからではない。決してない。


「(・・・どうするか、果てし無く面倒な。)」


 歩き回れば飲食店の一つや二つ、簡単に見つけることができるだろうが、余計な体力は使いたくない。こんな時旧友がいれば完璧な道案内役を務めてくれるのだが、無いものねだりをしたところで始まらない。さてどうするか、と少し考えて、彼は一つの答えに行き着いた。

即ち、こんな時に頼るべくは、己の勘と、


「・・・潮の匂いが強すぎるな。」


鼻であると。

空腹で頭のネジも行くとこまで行ったらしい彼は、目まで瞑って嗅覚に全神経を集中させ、本気で匂いだけを頼りに飯屋を捜索するという荒業に出たのだった。

 かくして数分後。


「・・・ままならんもんだ。」


見上げる看板には、剥がれかけたペンキの字で店名が記されている。

『ロブ爺の珍魚な厨房』

外れ臭を漂わせる看板の下に、レインは導かれた。




________




 ティンベルドでは日が一番高くなる前には、殆どの住人が昼食を取り終える。今、時間は正午より少しばかり前。賑わっていた店内も、今では人も疎らである。

 そんな中、レインは数日ぶりのまともな食事を前にしていた。しかしその姿は、店内において、果てし無く浮いている。

汚らしく、見るからに不審な怪人黒マント。身にまとう黒の外套は砂にまみれて擦り切れて。フードこそ外しているものの、手入れもされていない灰色の髪は伸び放題であちこちに跳ねている。そんな浮浪者の如き様相の男が、何とも幸せそうに食事を眺めているのだ。正直不信極まりない。

 しかし当の本人はそんなことなぞどこ吹く風よ。喜色満面、辺りも察せられるほどの幸福感に浸りながら、フォークを片手に握り締め、魚の切り身を標的に定めていた。

確かにゲテモノである。所見の客ならばまず見た目でリタイアする代物である。ではあるのだが、


「(・・・なんと美味そうな香りだ。)」


空っぽの胃袋を直撃するスパイシーな香りに、見た目の悪さなど頭から吹き飛んだ。店内の連中を見渡せば、中には目をつぶりながら料理を口に運んでいる者さえいる。否が応でも味への期待は高まろうというものである。


「よう若造、よくもまあ、ワシの料理を見てそんなに上機嫌になれるもんだの?お?」


そこに一人の老人が近寄ってきた。潮焼けした肌の、逞しい体つきの老人である。恐らく若いころは、船に乗っていたのだろう。


「・・・どちらさんで?」

「ワシはロバートってなもんでな、ここで店を構えてるもんだ。」

「ロバート・・・ロブ、あぁ、ここの店主か。」

「おうともさ。どっこいしょぅっ、と。」


何がそんなに嬉しいのか、深いしわが幾本も刻まれた黒い顔を、更にしわくちゃにしてレインの隣の席に腰かける。


「ワシの料理に初見でビビらなかった奴は両手の指で足りる。最後に見たのは・・・そうさなぁ、十年近く前か。嬉しくてなあ、けっけっけ。

あの時の兄ちゃん・・・ん?姉ちゃんだったか?お前さんに似てたなぁ。姿形が似た奴は、味の趣味も似てるのかね?」

「空似だろ」

「けっけっけ、違えねえ、それじゃあワシは厨房に戻るでな、金がなくなるまで食ってくといいぞ、灰髪の兄さんよ。どぅっこいしょ。」


そういってケラケラ笑いながら翁は店の奥に引っ込んでいく。翁の最後の一言に、苦虫を十匹まとめて噛み潰したような顔をしたレインだったが、きゅう、と食事を催促する腹の虫に、彼の視線は再び食事の方へと戻った。


「いただきま・・・」


律儀に行う食前の挨拶。しかし続く「す」、が発せられることは無かった。

盛大に物が破壊される音。

レインの目の前から、食事が、いや机が消えた。

ズズン、と振動の後、埃が朦々と立つ店内。蝶番の外れた扉。ざわめく客。力無く佇む黒マント。吹き飛んだ机のすぐ傍にいたのはこのレインである。動かないところを見ると、怪我でもしたのだろうか?


「さ・・・魚が・・・三日ぶり・・・飯・・・魚」


無駄な心配だった。

レインは無傷、大惨事なのは、彼の視線を独占している無残に床に飛び散った食事だったモノである。空きっ腹には受け入れがたい現実に、レインは膝からその場に、がくりと崩れ落ちた。

その目の前で、料理だったモノが、汚い革靴に踏みつぶされる。驚愕するレインの頭上から、しゃがれた汚い声が降ってきた。


「げ、靴が汚れちまったじゃねえか。」


レインが生気のない目で見上げると、彼の前を通り過ぎてゆく、見るからにチンピラ、といった風体の男が三人。その中のリーダー格であろうハゲ頭が、店内の端の方でうずくまっていた一人の子供に近付き、その襟首を掴み上げた。片やガタイの良い成人男性、片や年の頃十二、三程度の子供。身長差故に、子供はほぼ宙吊りである。

穏やかでない状況に、店内にいた少ない客たちは、身を縮めるようにすみの方で事の成り行きを静観していた。


「このクソガキが。手間取らせやがって。」

「あの依頼人、何がガキ一匹捕まえるだけの簡単な仕事、だよ。魔法は使うわ足は速いわ。」

「まったくだ・・・お、よく見れば顔はいいじゃねぇか。おい、こいつ売り飛ばしちまおう。」

「ッ!?」


『売り飛ばす』という言葉がでた瞬間、子供の表情が強張る。恐らくは、非合法の人身売買のことを言っているのだろう。

事情が分からないだけに、客達は何もできない。と言うか、明らかに真っ当でない話をしている人物達となど、誰も関わりたくないのだ。

 と、そこに、店長が駆けつけた。荒れきった店内を見て顔を青くした後、この状態を作り出した犯人に目を向け、顔を真っ赤にして食って掛かる。


「おいそこのクソ砂利共!いい歳した男共がよってたかってそんなお子様に何しとるんじゃ!」

「あぁん?」


ハゲが店長の方向へ顔を・・・


「なんだこの白髪坊主は?」


・・・向けない。

店長とは逆。いつの間にかそこには、さっきまでうなだれていたレインが、ハゲの腕をしっかり掴んで立っている。

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