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華々の飛躍  作者:
始まりの章
7/61

第五話・法と財の会合

 領主としてエリーサがシュヴスに来てから、五日。

 その間、エリーサが行ったことは少ない。

 朝は、渡された書類に目を通して認可の印を押す(却下の印を押したものはない)。

 その後は適当に散策、昼食を取って書庫や各部署を見回る。


 見回っている中で、エリーサがしたのは、ライアンとイウリアを口説いたことだ。


 イウリアを口説いてからの二日、エリーサは過去の事例とここ半年ほどの政治情勢を調べつくしていた。

 もちろん、簡単に調べられはしなかった。知られたくないこと、まして、王に直結する王女に知られたくないことを、目に触れる形で残しておくとは考えられない。

 エリーサは元からそれを理解していた。だが、隙間を縫って真実の欠片を拾い集める作業を、エリーサは得意にしていた。


 歴史上の王達の本来の姿に興味を持ち、書庫の主(エリーサ命名)の機嫌が悪くない限り、王宮書庫に入り浸っていた。王宮を抜け出していると思われていた時間の三割は、書庫の中だった。

 同じ題材の本を何冊も読み比べ、その中から真実を拾っていき、それをひたすら書き記していた時期があった。

 その記述した文書は冊子にして持ち込んでいる。


 学者ばりに研究した過程で、いつの間にか古文書まで解読するに至っていた。

 書庫の主に、人外の魔物を見るような目を向けられた上に距離をとられ、エリーサは初めて自分が少々(あくまで)人間離れした集中力を持っていることを知った。


 黒歴史のようなかつての経験が生きるとは思ってなかったが、その集中力と経験はエリーサが知りたいことを調べるのに大いに役立った。


 そして、今日、ライアンと会った倉庫裏にエリーサ達は集まっていた。



※※※



 笑顔のエリーサは、何故か人数分のカップとティーポットを持っている。

 若干眉間にしわを寄せたイウリアは、持って来た書類に目を通している。

 そして、ライアンはどこか怯えたようにして、二人から心持ち距離を置いている。


「…ライアン、遠いな」


「お気になさらないで下さい。少し、気後れしてるだけです」


「ここには三人しかいないから敬語は無し。何に対して気後れしてるんだ?」


「じゃぁ、遠慮なく。いや、ちょっと…」


 二つの話題を同時進行にこなし、ライアンはちらっとイウリアを一瞥する。

 誰に気後れしているのか容易にわかり、エリーサは首を傾げた。


 エリーサにとって、イウリアの印象は外見を裏切る性格をしている、ぐらいだ。

 だが、わずか三年とは言え官吏として経験を積んでいるライアンは、イウリアの逸話を聞いている。部署は違っても、下級官吏は雑用として各部署を駆け回るから自然と耳に入ってくる。


「別に、とって食いやしねぇよ」


 書類から目線を上げないままイウリアはどうでもよさげに言葉を投げる。

 それに、びくっと肩をはねさせたライアンに、エリーサは純粋な疑問を抱いて質問した。


「どうして気後れしてるんだ?」


「入ったばかりの頃に、法務部のイウリア=ハーヴェイに気をつけろ、と言われて…」


「何故」


「女神の皮をかぶった悪魔だから…」


「誰が女神だっ!!」


「いや、怒るところが違うだろう」


 恐る恐るのライアンに、被り気味にイウリアが突っ込む。それにエリーサが突っ込む。

 人目を気にするように集まっているのだから、もっと緊張感を持つべきなのだろう。

 だが、エリーサは平然としているし、イウリアもちょっとずれたことに怒り心頭だ。ライアンはそれどころではなかっただけだ。


 一国の王女と優秀であるために煙たがれる法務官。

 身分もキャリアも自分とは違いすぎる二人に、ライアンはちょっと遠い眼をする。


(オレ、場違いだよなぁ…)


 一方的に疎外感を感じていれば、わずかに漫才じみていたエリーサとイウリアの会話は決着を見たらしい。


「どうした?」


「いや、ちょっと自分の立ち位置について…」


 返答を求めているわけでもない茫洋とした声に、エリーサは首を傾げて頷く。

 触れないでおくことにしたようだ。


「つーか、とっとと本題に入れ」


 真っ先に脱線したのはそっちだ、とは言えないがライアンは、エリーサを見る。


「少し、気になる事が見つかったんだ。だが、まずは話が聞きたい。二人が見た、シュヴスの現状を」


 言いながら、エリーサの笑みに二人はそれぞれに反応した。

 イウリアは何か企むような笑みを浮かべ。

 ライアンは緊張に体をこわばらせて。

 いまだ、三人の間にあるのは疑心。

 エリーサが信頼を向けても、ライアンとイウリアは同じ物を同じようには返せない。

 それだけのものをエリーサに見いだせてはいない。



 エリーサと出会って芽吹いた感情を自覚しながら、それでも疑念を消せない。


 信頼の相互関係を築くための第一歩が、この会合だった。



※※※



 最初に話し始めたのは、ライアンだった。


 イウリアが先に話すものだと思っていたライアンは、じっと見つめられてしばし固まった。その視線が、先に話せ、と言っているのを察して、深く息をついた。


「…オレが官吏になったのは三年前だから、ここ三年分のことしかわからない」


 言いながら、ポケットから取り出されたのは四つ折りにされた紙が三枚。

 広げれれば、細かい文字と数字がびっしりと書かれていた。

 それに、イウリアは目を見張る。


「…四五一年…一昨年の予算割り当てを決めた書類か…」


「四五二年、これは去年だな」


 現在、四五三年。今年の書類だけは半分ほど空白になっている。

 熟読していたイウリアが、ライアンに視線を向ける。


「これ、正規の書類じゃないな。お前が書いたものか」


「記憶している限りのことを書いた。正規書類はオレみたいな雑用係が触れるのは、運ぶ時くらいだ」


 用紙一枚、片面だけとはいえ膨大な数字が書かれている。

 雑用係が目に触れる時間だけで覚えきれるものではない。


(ずいぶん、財務部は人材の無駄遣いをしてるな…)


 ただ覚えるだけなら、やろうと思えばできるだろう。だが、それを整理して要点を書きだし、おそらくは正確であろう計算もしている。それは、記憶力だけではどうにもならない。

 優秀であることをたった三枚の紙切れが証明している。

 それを目の当たりにして、イウリアは内心でため息をつく。

 エリーサも、財務部の人間に対してちょっと呆れた。

 二人の自分への高評価に気付かず、ライアンは四五一年と四五二年の書類を示す。


「一昨年と去年は、特に変動がない。でも、だからこそ、おかしい」


 枠で囲まれた数字の羅列をそれぞれ指す。

 税収の合計と支出の合計を見て、エリーサは眉間にしわを寄せる。


「どちらも、余分がない」


「赤字も黒字もねぇ。きれいに使いきってんな」


「ああ、だが…」


 ありえない。


 それがエリーサとイウリアの感想だった。ライアンも同感だ。

 だからこそ、持ち出した。


 領地経営を家計に置き換えれば、わかりやすい。

 どれだけ綿密に計画を立て、金額を割り振り、これ以上使わない、と決めたところで、どうしても誤差は出るものだ。割り振った中であまりが出ることや突発事態で計画外な出費が強いられることがある。計画通りに事が運ぶことなど、あるはずがない。

 一日の予算ではない。一年を通した予算だ。波風立たず平凡に時が過ぎることはあるだろうが、それが数年続けばおかしい。まして、去年は第五王子が王太子に選定される式典や第五王子の葬儀があった。前者は計画的でも、後者は突発事態だ。王の直轄地であったシュヴスの財政が、何かしらの影響を受けないでいることはあり得ない。


 突発事態の当事者であるだけに複雑だが、エリーサはきれいすぎると思った。


「毎年、書類は写しを保管しているらしいけど、オレの立場ではその閲覧ができない。一昨年より前のことは調べられなかった」


 閲覧許可を求めれば、怪訝けげんそうにされるのは目に見えていた。疑われて身動きとれなくなるかもしれない。


「シュヴスは豊かな土地。余分が出るのは当然だ」


 誰にともなく呟くエリーサに、ライアンとイウリアの視線が集まる。

 口元を手で覆って、エリーサは書類を見比べる。


「…どれも割合が同じ」


 その年によっては、街の整備費用が増えたりするはずなのに、三年分の書類では、全てが同じ割合で予算が組まれている。


「横領、か…」


「おそらく」


 余った分は上層部の何人かの懐に入っているのだろう。

 そうでなければ、収入と支出がぴったり合うことなどありえない。

 頷いたライアンを見て、エリーサは瞳を細める。


「これは、ライアンが見た物、で良いんだな?」


「ああ」


「なら、上に上がった書類は書き換えられている可能性がある」


「え?」


「予算の計上は各部署に回される。中には不審に思う者も出てくるだろう。まして、予算会議は各部署の上層部で行うもの。こんな使い回しのような書類が通用するか」


「…なるほど」


「まぁ、上層部の全員が横領しているのなら通用するだろうが…。多分、ないだろうな」


「なんでだ?」


 エリーサとライアンの応酬を静観していたイウリアが、ふいに割って入る。

 真面目そうな表情をしていながら、鋭い光が宿る瞳がエリーサを射抜く。


「横領と言う罪を犯す者が、自分の取り分が減るような真似をしないだろう。自身の欲望から来ているのならなおさらに」


「そうか」


「それに、いくら豊かであっても、ここは王の直轄地だったんだ。一度に大金を横領することはできない。そんなことをしたら、即座にばれる。一定の少額に留めるしかない。だからこそ、各部署で複数人が行っているとは考えにくい」


「なるほどな」


 イウリアは口元を手で隠し、考えるように視線を斜め下に向ける。

 エリーサは小さく眉を動かしたが、イウリアの考えが読めずにため息をつく。ライアンは二人のやり取りに何の違和感も抱かず、渋い顔をしている。

 年若いエリーサとライアンは気付いていない。



 隠されたイウリアの口元が、楽しそうに笑っていることに…。



※※※



 イウリアは、エリーサとライアンの話を聞いて、ある事を考えていた。

 それを実行するかどうかは、自分の話をした後に決めようと思っている。だが、内心では、ほとんど実行することに意欲的な自分がいることに、イウリアは気付いていた。

 自分自身に苦笑しつつ、イウリアはおもむろに口を開く。


「法務部は、俺としたらいつも通りだ」


 わずかな怒りをにじませる静かな声に、ライアンが少し身を引く。

 エリーサは眉を寄せる。


「基本、税に関する訴状と陳情が多い。申請しても納税延期や免除が認められねぇ場合が多い。結果、子供を売ったり土地や家屋を手放すことになる」


 それによって生まれるのは、流民だ。そして、奴隷同然にこき使われる小作人になる。最悪の場合、犯罪者になるか野垂れ死にする。

 このシュヴスで最悪の場合が現実になる事は滅多にないが、奴隷同然の立ち位置に置かれることは珍しいことではない。


「申請制度の意味が全くないな」


「バウズ補佐官が赴任されてから作られた制度だが、まともに機能したことはない」


 まるで吐き捨てるようなライアンの声に、エリーサとイウリアの視線が集中する。


「…どうした?」


「認可を受けられず、潰れた農場や商家はいくつもある。その中の一つが、オレの家だ」


 なるほど、とエリーサは頷く。

 それは怒りを感じてもおかしくない。それどころか正常な反応だ。

 イウリアもそう感じたのか、頷いてから一枚の紙を取り出す。


「申請の件数は月ごとに増えている。そのどれもが、個人経営をしている商家や農場だ。…はなから諦めてるところもあるらしい」


「諦めたところは、金貸しに頼るのか…」


「ああ。で、借金に首が回らなくなって、結局は同じ道をたどる」


「救いがないな…」


 話している間に、ライアンの眉間のしわが深くなっていく。


「大規模な商会や連携して経営している農場は、賄賂を渡してるんだろう。ギルドか、官吏か。どっちかはしらねぇけどな」


「だろうな。でなければ、これだけの数が経営不振で税金未納状態が続くはずがない」


 紙に書かれているのは、月別に出された申請数と商家や農場の割合。

 商家の方が多いのは、大規模な商会にとってライバルをつぶす目的があるからだろう。農場の方は、どちらにしても働き手は必要だからつぶそうとはしていないのだろう。


「…実際、父は賄賂を要求された。個人経営の商家と契約していたから」


 大規模な商会にとっては、ライアンの家を潰すことでその商家を潰したかったのだろう。だが、ライアンの父は賄賂を渡さなかった。おそらく、それを予測していたからこその要求なのだろう。


「潰された農場は、個人経営の商家と契約していたり生産から製造までを一貫して行っているところに限られている。結局は、商会のライバル潰しが主目的で、農場はとばっちりをくらっただけだ」


 契約相手を乗り換えることをした農場も多いだろう。そうしなければ家族を守れないと判断して。結果、潰れた商家は多い。

 ライアンの父のように、古くからの付き合いを優先する者は契約を続け、潰された。


「ギルドが賄賂を受け取っていても、結局はそれが官吏に流れてんだろうな。じゃなけりゃぁ、ギルドの不正に気付かないわけがねぇ。二ヶ月に一度は監査が入るし、これだけの訴えがある以上、賄賂でも貰ってなきゃ黙ってる理由がねぇ」


「そうだろうな。…なるほど、ギルドも、か」


 考え込むように黙り込んだエリーサを、ライアンは横目で見る。

 イウリアが出した話は、ライアンが直に経験したことだ。正確には父だが。

 だからこそ、気になった。エリーサがどんな考えの下、どういった結論を出すのか。


 イウリアは、現実に忌々しさを感じながら、エリーサを見つめる。

 世間知らずな王女様、という印象は消えない。綺麗事や理想を掲げるのはその証拠のように思っていた。

 だからこそ、聞きたかった。忌々しい現実の下、エリーサはどういった方策を取ろうとするのか。



 二人の視線を受け止めて、エリーサはただ考える。

 自分がすべきことをするために、二人の信頼を得るために、今、何が必要であるのかを…。



※※※



 財政の不可解な書類。

 司法によって作られた機能していない申請制度。


(…もしかして、繋がっているのか?)


 財務の書類に関しては、何年前から今の状態なのかは分からない。

 だが、どちらも共通しているのは税金だ。


(情報が足りない、か)


 司法も財政も、現場の話ではない。

 実際に、機能していない制度や不可解な財政状況によるしわ寄せをくらっているのは、商人や農場の市井で暮らす人々だ。

 現場を見てきた者の情報がほしかった。


「…今の、ギルド長は誰なんだ?」


 エリーサの問いかけに、イウリアとライアンは虚を突かれたようにわずか沈黙した。

 二人が話した内容とは違う質問に、答えたのはライアンだった。


「…モーリス商団の代表、マウリシオ=モーリスだ」


「そのモーリス商団は、どのくらいの規模なんだ?」


「シュヴスでは最大、だな。たいていの商会が加入してる」


「…ライアンの家が契約していた商家は?」


「入っていない。マウリシオ=モーリスとは、折り合いが悪かったんだ。ギルド長になる前からだから、真っ先に目の敵にされたんだ」


「それは…?」


「マウリシオ=モーリスがギルド長になったのは十一年前で、その一年後、オレの家は潰れた」


「なるほどな。折り合いの悪い商家を潰すために、契約農場を先に潰したってわけか」


 エリーサとライアンの会話に、イウリアが遮るように割りこんだ。

 ライアンが恨みに思うのは当然で、まだ少年であるから感情的になりやすいのも理解できる。だから、恨み事が出始めたあたりで、イウリアは容赦なく遮った。

 話が進まないし、私情を挟むために設けた場所ではないからだ。


「その契約してた商家はどうなってんだ?」


「まだある。自分の農場も持っていたし、特に古い商家でつても広かったから」


「結局、潰すことはできなかったのか」


「アホだな」


 イウリアに遮断され、モーリス商団から話題がそれたことで怒りが納まった。だが、イウリアの容赦ない一言に思わず、憎んでいる相手をライアンは同情してしまった。

 エリーサはイウリアが遮断した理由に気付き、ライアンが怒りを納めたことに内心で安堵していた。だが、手厳しい一言に思わず視線が遠くなる。


 確かに、真っ先に潰そうとして一年かけて契約農場を潰したのに、十年かかっても目的が未達成なのは、アホとしか言いようがないが。


「ま、アホなギルド長はおいといて」


(アホ、て…)


(大規模な商団をまとめてるんだからそれなりに有能なんだろうが…。というか、イウリアの中ではアホで確定してるのか)


 善良とは言い難い人間だろうが、見も知らぬ相手をアホと確定するイウリアの口の悪さに、エリーサとライアンは押し黙る。

 言っても無駄だろうし、そもそも相手をかばう理由も意味も義務もなかったからだ。


「どうしてギルド長のことを聞いた?」


 それはライアンの疑問でもあった。

 イウリアとライアンが話した内容には、ギルド長個人のことは一切なかった。


「現場の声が聞きたい。二人の話も、十分に有益だ。だが、実際に、それらを体験している者の意見が聞きたい。だが、ギルドが賄賂をもらっている可能性があるのなら、その長は最有力候補だろう」


 腕を組み、眉間にしわを刻むエリーサを、二人は見つめる。


「私の身分…王族と言うのは何よりもの盾となるから身の安全は保障されるが、ちゃんとした情報は得られないだろう。だが、身分を隠し、一般人として行っても、門前払いを食らうだけだ。だから、長に阻まれない、情報源がほしい」


 そのために、まずギルド長マウリシオ=モーリスの情報を望んだ。

 警戒すべき存在を知る事。それを優先しての問いかけに、ライアンが深く頷く。

 イウリアは、探るような視線を向けたまま、動かない。


「だから、ライアン」


 呼びかけられ、背筋を伸ばす。次に続く言葉を予想する。

 ライアンは言われるだろう言葉を待ち、イウリアはその言葉が言われないことを望んだ。






「行ってくるから、契約していた商家の名前と所在を教えてくれ」






 結果として、ライアンの予想は外れ、イウリアの望みは叶った。

 二人は、その商家で話を聞いてきてくれ、と言われると思っていた。

 何より、顔見知りだろうライアンの方が話を聞きやすい。だからこそ、予想していたのに、それは見事に外れた。


「…殿下」


「何だ? というか、別にエリーサで良いぞ?」


「それだけは断固拒絶する」


 敬語は外せても、さすがに名前で呼び捨てはできない。エリーサが無理を言っている。それを語尾に重なるように速攻で拒絶することで示したライアンに、イウリアも頷く。

 王族を呼び捨てるなんて、不敬罪で投獄か処刑だ。エリーサが許可していれば処罰は免れても、エリーサ自身の評判と立場を悪くするだけで、良いことは何もない。まして、まだそこまで親しくはない。

 強く拒絶されて、無理があったか、と思い至ったエリーサは、ただ頷いた。


「で、何だ?」


「…行く、ということは一人で?」


「当然だろう。そうでなくては、意味がない」


「オレも、行こうか…?」


 断られる、と思いながらだから声が弱弱しい。


「いや、いい。ギルド長は官吏とつながっている可能性があるから、下手をすれば怪しまれて危ない」


 速攻で断られ、しかも、理由がそこそこに納得がいく。


「だが、古馴染みの家に休暇を利用して訪ねることは不思議じゃねぇだろう」


「マウリシオ=モーリスは、イウリアの言うとおり、少し抜けていると思う。だから、危ない」


 返答を予測していたのか、イウリアは特に反論せず、肩をすくめて黙る。

 ライアンは、イウリアの言葉にそういえばそうだ、と頷きかけていた。即座に返答したエリーサの言葉があまりピンとこないのか、首を傾げている。

 それに、イウリアが苦笑をこぼして口を開く。


「契約農場を潰すのは有効だけど、自営農場を持っている相手を潰したいなら、そのつてを真っ先に潰すべきだ。つてがあれば、シュヴスでの商売が狭められても何とかやっていけるからな。つてを潰す方に、頭が回ってねぇのが、抜けてる証拠だ。つまり、目に見えるもので判断しちまってんだよ。マウリシオっておっさんはな」


 目に見える形の農場。目に見えない形のつてと言う名の人間関係。

 情報収集能力の欠落か、自分が力をつければ簡単に綻びるほどの人間関係だと高をくくっていたのか。

 おそらくは両方だろう、とイウリアは考える。


 競争の激しい商人同士では、負けた方から勝った方へと顧客が乗り換えるのは当然だ。実際、そうやって顧客を奪ったのだろう。モーリス商団は。

 だが、目に見えないつてと言う人間関係は、シュヴス内だけではないという思考が働かなかったのだろう。だから、十年たっても潰せない。

 そして、目に見える、自分にとって都合のいい理解をするのなら、ライアンが訪ねることを邪推する可能性がある。


 理解したのか、ライアンは頷く。

 憎んでいる相手が妙に抜けている事実に、ちょっと脱力した。

 そして、自分の身を案じてくれたエリーサを見れば、メモ帳と携帯用筆記具を取り出していた。


「意味がない、と思ったのは何でだ?」


 ライアンの問いに、エリーサは目を丸くしてしばし考える。


「自分の足で歩いて、手で触れて、目で見て、耳で聞いて、そうしないと意味がない。だって、誰かを介した言葉は、そっくりそのまま伝えられても、その人本人の言葉ではないだろう。誰かを介した時点で、誰かの言葉になってしまう。それに、自分の考えや知りたいことは、自分の口から、自分自身の言葉で語らなければちゃんと伝わらない。そう思うから」


 好きにして良い、と言ってくれた従兄と異母兄の言葉に、背を押された日を思い出す。

 だから、今回も自分が正しいと思ったことを行おうと、エリーサは思った。

 目の前の、真実と理想を抱いた二人から、否定が来ない限りは行おう、と。



 現状に甘んじるのではなく、憤り無力を感じて打ちひしがれていたライアンに。

 正論を貫いて、不正を見逃せずにいたがために悔しい思いをしていたイウリアに。

 この二人に否定されないのなら、それは認められるべき行動だとエリーサは自信が持てた。




 真実を知る為に必要な物は、自分自身が動くこと。

 それを知ってはいても行う王族や貴族はいない。

 信頼する者を派遣する。それですべてを終わらせてしまう。

 だが、エリーサは王族としての教養を受けながらも、思考の主軸となっているのはガルビオン子爵家で学んだことだ。そして、それを当然だと思い、行動にあらわす。


 エリーサが受け止めている当然が、市井で生きた二人には、嬉しかった。

 雲上人である王族が、一人一人の国民の姿を見つめるのが当たり前だと言ってくれる現実は、腐敗と不正の中で生きる者にとっては希望となる。






 エリーサが、その行動が、このシュヴスにとって希望となりえる、と二人は半ば確信していた。

 だから、その背を押すように、心を乗せて微笑んで頷いた。



 乗せられた心が、信頼、と呼ばれることをエリーサは知らない。


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