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華々の飛躍  作者:
始まりの章
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第三話・とある財務官の遭遇

 シュヴス領の下級官吏、ライアン=ザウはわずか十八歳の少年だった。

 元は養蚕農家の跡取りだったが、幼い頃に経営不振で農場を手放し、十五で官吏になるまでは商家で下働きなどをしていた。

 十五歳で地方官吏とはいえ試験に合格したライアンは、優秀であることは確かだ。下働きしていた時も、頭の良さを雇い主に気に入られ、様々学問を学ばせてもらっていたほどだ。

 両親と弟妹(合わせて五人)の世話をしていくうえで、安定した給与をもらえる官吏の職を選び、試験を通過、シュヴス領の財務部に配属された。


 ただ、現実は年若いライアンに厳しかった。




「あっ――――――――!!腹立つ!!」


 政治区画から離れた倉庫が並ぶ一角、人気のない建物の陰で、ライアンは鬱憤を払うように声を上げる。

 それなりに響いたのか、遠く、鳥が慌てたように羽ばたく音が聞こえた。


「オレは雑用係じゃねぇっての!茶ぐらい自分でいれろ!!」


 官吏になって三年。下っ端であることは変わりないが、雑用ばかりをやらされる理由はない。

 新入りの官吏がことごとくライアンよりも年上であることも災いした。

 年下のライアンを上司として扱う者はおらず、中堅の官吏と一緒になって彼を蔑ろにする。

 下手に学問を知り、頭がいいのも災いしていた。

 自分よりも仕事のできる子供に、良い顔をする者は少ないだろう。つまりは嫉妬だ。


 ライアンは、優秀ではあるが、人付き合いは苦手な性格だった。下働きをしていた商家は、のんびりとした気性だったのが幸いだった。

 苦労していたからか大人びた態度と仏頂面が災いし、先輩官吏から目の敵にされるようになったのだ。

 若く優秀、愛嬌があればよかったが、それが欠けていたライアンは、自らの能力を発揮する場を失っていた。


 書類の作成を押し付けられる。そのくせ、作成者には他の先輩官吏や新入りの名前が載る。

 必要な手続きがあれば、全て押し付けられる。そのため、昼食を食べ損ねることが幾度となくあった。

 言葉にするのも面倒な子供じみた嫌がらせが多数。それに、精神がすり減っていく。


「良い大人が、恥ずかしくないのかよ?つまねぇことやってると、自分がつまんねぇ人間になるってのに…」


 欝憤がたまりにたまっているのに、ライアンは官吏を辞めない。

 呆れてしまうしかない嫌がらせの数々に、それでもここを出て行く気はない。

 それは、家族の生活がかかっているから。家族七人を養わなくてはならない長男は、そう簡単に今の立場を放棄することができなかった。

 もしかしたら、義務感以外に、願っていたからかもしれない。

 自分の声に気付いて、自分の信念を聞いてくれる、そんな理想の存在を願っていたのかもしれない。


 だから、いつも、人気のないここで腹立たしさを晴らすため、叫んでいた。

 当然、返事があるはずがない。


「その通りだな。つまらない奴らが多すぎる」


 頷きとともに落とされた呟きに、ライアンは固まる。

 誰もいないと思っていたからこそ、ため込んだ鬱憤を叫んでていたのに。

 やばい、と思うと同時に、聞こえた声が幼い物であるのに気付いて、振り返る。

 再び、固まる。

 まるで石像のように。


 倉庫の壁にもたれて、自分を見つめるエリーサを見たから。



※※※



 二日目、仕事を終えてから、エリーサは城内の散策に出かけた。

 昨日、盛られた毒物のせいで午後を潰すことになったが、今日は盛られることはなかった。

 威圧したのが良かったようだ。


 政治区画をぶらぶらするのは、興味があったものの、視線が痛すぎた。傍目には、仕事をさぼっているようにしか見えないだろう。

 今さら、蔑むような見下したような視線は気にしないが、まとわりつくような視線はやはり鬱陶しい。

 監視されているようで、気分も悪い。


 一通り見て回った後、人のいないところでのんびりしようと思ったエリーサは、政治区画から離れた倉庫の方で、叫び声を聞いた。

 目を丸くして声の方へ行くと、座り込んだ同年代の少年を見つけ、しばし観察して声をかけた。

 振り返った瞳が見開かれて固まったのに、微笑みを浮かべる。

 遭遇した官吏とは違う、理知的で現実を見すえる強い瞳に、好感が持てた。

 どこにでもいる平凡な容姿と平均的な体躯の少年ライアンの、所属を示す首元の徽章が財務を示すのに気付く。

 シュヴスにある不穏な影をつきとめようと思うのなら、財務は最も怪しく一番警戒する部署だ。何しろ経済豊かな土地だから、税収も他の直轄地と比べて破格なのだ。


(…ここで会ったのも何かの縁、かな…)


 エリーサには、知りたいことがある。

 王になる気はないが、父が知りたいことには興味があった。そして、そのせいで誰かが苦しんでいるのなら、何かをしたいと思った。

 純粋な善意ではない。

 単純な正義感ではない。

 表向きは後ろ盾も血筋もなく、実績もないエリーサは、自分が安堵して暮らせる自分の土地がほしかった。それがシュヴスであるのなら、その内側を知っておきたかった。

 結果、父にとって有益であり、王への道を踏み出すことになるのだとしても、エリーサは自分の安心のために、知るべきことを知りたかった。


「ちょうど良かった。話、聞きたいんだけど………良い?」


 問いに、固まっていた大きな瞳が冷たい光を宿したのを見る。

 知らず、口元に笑みが浮かぶ。

 まっすぐに見る瞳には信念があった。誇りがあった。

 そして、身分ある者への偏見と不信があった。


 市井の民ならば、誰もが持つ感情。それを、まっすぐにぶつけてくる者はまずいない。

 だから、エリーサは嬉しかった。

 自分の意志を曲げることを知らない存在と、出会えたことが…。



※※※



 壁に寄り添うように座り込み、向かい合うエリーサとライアンは、対極な表情を浮かべていた。

 にこにこと笑顔のエリーサ。

 疑わしげな視線を向ける仏頂面のライアン。


「ここ、ライアンの秘密の場所?まぁ、愚痴をこぼすにはちょうど良さそうだな」


 楽しそうに笑うエリーサに、ライアンは眉間のしわを増やす。


「……殿下は、何故こちらに?ここらへんは何もありませんが…」


 暇つぶしになる物は何もない、と突き放すように言えば、エリーサは笑みを崩さないままに視線を空に向ける。


「一人になりたかっただけだ。居住区も、人の目がありすぎる」


「…仕方ないでしょう。殿下のためにいる女官達です」


「それだけじゃないが……。まぁ、そうだな」


 一度、空を見上げる顔から感情が消える。それにビクッとライアンが反応したが、一切無視してまたエリーサはライアンを見る。


「話が聞きたい。この、シュヴスについて」


「…御調べには、ならなかったのですか?」


「私が知りたいのは、『書類上のシュヴス』ではなく、『現実に人が生きるシュヴス』だ。手の加えられた虚実に興味はない」


 笑みの消えた表情に、苛烈な光を宿した瞳に、ライアンの背筋が伸びる。

 声は柔らかいままだが、その言葉は辛辣だ。

 確かに、上にあげられる報告書には手が加えられているのが普通で、実情が知れないのが当たり前だ。

 知る事の出来ない実情を、自ら知ろうと動く領主はいない。それが現実だった。


 少なくとも、今までのライアンの中では、現実だった。


「一昨日、領境の町からこの城に到着するまで、街道を見てきた。村に立ち寄る余裕はなかったが、それでも見えるものがあった」


 ライアンの言葉を望まない声が、ゆったりと続く。

 エリーサがほしいのは、王女としての自分に告げられる言葉ではなく、一人の領主として信頼された上での言葉だ。だから、今は、ライアンの信頼を勝ち得る必要があった。全ては無理でも、可能性だけでも引き出したかった。

 ここで生きるために、ここで生きてきた者の信頼は、不可欠なものだった。


「経済的に豊かであるはずなのに、街道の整備が行き届いていない。傍目にはわからない。しっかりと整備されているように見える。だが、巧妙に、それとなく手を抜いてあった。養蚕業と絹織物が特産で、商人の出入りも多いはず。一番重要であるはずの街道が、何故手抜きになっている?」


 ライアンは息をのむ。そんなはずはない、と言いたかったが、エリーサの瞳が口を挟むことを認めなかった。


「領境の街で、年若い商人が足元を見られて通常の倍の高値で商品を買っていた。何故?商業ギルドの支部が、直轄地だったシュヴスにないはずがない。そこに訴え出ればいい。値段交渉は個人の自由だが、通常の倍は吹っかけすぎだ。訴えとしては妥当なのに、何故、ギルドに訴えることを駆け引きに出さなかった?訴えても無意味だと知っていたからではないか?何故そんなことになっている?」


 商業で得た利益の一部は税収になる。高額買取によって経営不振に至れば、税収が減る。ギルドへの納入金もなくなる。不利益しかないのに、何故、理不尽がまかり通るようになっているのか。


「私は、どこでもある事だと見逃したくはない。全てをなくせなくとも、素通りすることだけはしたくない。だから、知りたい。この城で、どんな政治がおこなわれているのか。それが、どうなって今の状況を作り出しているのか、私は知りたい。いや、知らなくてはならない」


 領主になった責任とかではなく、人としての義務のようにエリーサは思っていた。

 生きていくうえで、関わらなくてはならない全てを、知らないでいいことなんかない。

 エリーサは、自らが生きて行くこの土地で、妥協だけはしたくなかった。


 まっすぐに、射抜かれるように見つめられて、ライアンは喉を鳴らす。

 言い知れない高揚感があった。

 どういう種類の感情か、分からない。

 だが、今まで鬱屈としていた心に、わずかな炎がともる。


 ライアンは、知らない。


 自分が、今、笑みを浮かべていることを。

 この遭遇こそが、彼の待ち望んだ、『理想の現実』であることを……。






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