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華々の飛躍  作者:
始まりの章
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第二話・ささやかな影

 領主としての第一日目、エリーサは疲れ切ったように遠い眼をした。

 居住区画には、個人のダイニングとリビング、書斎が併設されている。それは当然だから特に違和感はないが、その風景が問題だった。

 おそらく、誰よりも早く起きている自覚がエリーサにはあった。だから、身支度は自分でした。しかし、朝食は用意できない。料理に関して、ルクエラ達に教わったことが一度だけあったが、それ以降、キッチンに入ることを禁じられた。料理音痴の自覚があったので、申し訳なく思っても特に不満はなかった。

 だが、今、何が何でも料理ができるようになっておくべきだった、と後悔していた。


「いかがなさいました? 殿下」


 冷ややかな表情のまま、言葉だけは疑問形でマリファが問いかける。

 それにため息をついて、テーブルを指先でたたく。


「…私は、よほどの大食漢に見えたのだろうか?」


「いいえ。殿下は細身でいらっしゃるように思いますが?」


「なら、これらは何だ?」


 これら、と示したそこには、テーブルの半分を埋め尽くす料理の数々。

 十皿以上は軽くある。エリーサ一人分として、厨房が作った『朝食』である。

 おそらく、一般的な大人五人前にはなるだろう。


「全て召し上がられる必要はございません。お残しになられたものは、処分いたしますので」


 つまりは捨てると言うこと。

 エリーサは自分の表情が不快気に歪んでいることを自覚した。


「次から、適当な量にしてくれ」


「何故でしょう? お気に召しませんでしたか?」


「まだ一口も食べていない。だが、もったいないだろう」


「豊かな食事を体現なさることは、地位を示すこととなります。倹約は結構ですが、過ぎれば侮られることになります」


「いや、示すも何も、それなら晩餐会とか客がいる時だけで良くないか? 今、ここにはマリファ達しかいないんだし」


 エリーサとマリファ以外には、給仕係が数名隅で控えている。

 彼らは、よほどエリーサの言葉が意外だったのだろう。ぽかんと口を開けたまま呆けている。


「それに、領民の税金で仕入れた食材だろう? もったいないじゃないか。わざわざ捨てるために作るなんて、費用の無駄だ」


 エリーサの言葉に、マリファは表情を崩さないままに、小さく息をついた。


「わかりました。厨房に伝えておきます」


「ん、よろしく」


 にっこりと笑い、ようやく手前の一皿に手を伸ばす。

 いまだ呆けている給仕係は、冷やかな無表情のままにエリーサを見つめるマリファを伺いながら、黙って立っている。

 感情の読めないマリファを視界の端に収めつつ、口に運んだ料理に、エリーサは瞳を細める。


「美味しい」


「…料理長に伝えておきます」


 素朴な賛辞に、マリファは機械的に答える。

 笑顔のエリーサと無表情なマリファ。

 対照的な二人を見守る給仕係は、言い知れぬ寒気を感じながら表情を動かさないように必死だった。




 開き直って料理を楽しみ、領主の執務室へと向かったエリーサは、首をかしげた。


「…ずいぶん、仕事が少ないな」


 執務机の上に置かれていた決済書類は、わずか十数枚。

 サイハラで伯父の執務を見ていたエリーサは、その量があまりにも少なすぎることに待機していたドナルドを見る。


「殿下は着任されたばかりでいらっしゃいます。不慣れなことばかりでございましょうから、重要なものを選別して持ってまいりました。徐々に数を増やしていくつもりでございますので…」


 穏やかな笑みを浮かべ、もっともなことを言うドナルドに頷いて、書類に目を通す。

 重要書類であることは一目でわかる。それに頷いて、認可の印をテンポ良く押していく。


「で、これで終わり?」


「はい。これから出る分は、選別して明日お持ちいたします」


 年若く経験の足りない主を思いやるじいやの姿勢を崩さない彼に、エリーサは嬉しそうな笑みを浮かべる。


「じゃぁ、自由に過ごさせてもらう」


 執務室を後にすれば、仕事に励む官吏たちが行きかっている。

 彼らの見下したような視線を受け流して、居住区画の方へと足を向ける。

 わずかな喉の渇きを感じて、エリーサは厨房をのぞく。

 昼まで時間があるためか、のんびりと料理人達がくつろぎつつ下準備を始めていた。


「悪いが、水をもらえるか?」


「はい、ただいま…っ殿下?!」


 官吏かと思って振り返った若い料理人が、入口に立つエリーサを見て後ずさる。他の料理人や下女達も慌てて立ち上がり、礼をとる。


「仕事を中断させて悪い。水を一杯もらえれば、すぐに戻るから」


「は、はい。今、お持ちいたします」


 請け負った料理人があわあわと動揺しながらコップを取り出す姿を、視線で追う。


「おっしゃっていただければ、お部屋までお持ちいたしますのに…」


 恐縮したような表情だが、迷惑だ、と瞳は語っている。

 表情を隠すのは得意ではないようだと内心で笑い、瞳を細める。


「…作業工程が見えないのは、やはり(・・・)不安なんだ」


「は…?」


「なぁ?」


 にっこりと笑うエリーサと視線を合わせた料理人が、顔色を蒼白にさせて小さく震えた。


「朝食は、美味しかった。厨房の心意気が伝わってきて、嬉しかったよ。色々な意味で…」


「で、殿下」


「私は独裁者ではないから、安心していい。ただ…」


 受け取った水を一気に飲み干して、空のコップを差し出す。


「自分の害になるものを、好んで食べる趣味はない」


 言いたいことは言い終えた。

 鋭い一瞥を向けて、エリーサは背を向ける。

 残されたのは、重い沈黙と蒼白になった料理人や下女達。

 彼らは知っている。

 エリーサに対して行われていること。彼女に対する様々な感情を。

 そして、彼らはそれに答えた。

 同じ感情を抱いていたからだ。共感できたからだ。

 だが、それが間違いだったと彼らは悟った。




 何も知らない庶出の王女。

 そんな固定観念で相対すれば、痛い目を見る。


 眼差しで、声で、言葉で、威圧し圧伏させる気迫。

 それを受けた彼らは、もうエリーサを軽んじることはできない。


 彼らに命じた者など、比べ物にならぬ王者の威圧を知ったから…。



※※※



 自室へと向かう傍ら、エリーサは腹部を抑えて自嘲するように笑う。


(久々すぎて、ちょっと気分悪いなぁ…)


 朝食が祟っていると理解しているだけに、量を少なくしておけばよかったと後悔する。


「まさか、いきなり毒を盛られるとは…」


 一口食べただけで、違和感を感じていた。

 誰も気付かないだろう程、微量で無味無臭の物。だが、皿ごとに違う毒が盛られていたのが、エリーサに打撃を与えていた。

 毒の中には、別の毒と一緒に服用することで無効化されるものがある。だが、その逆ももちろん存在する。

 今日の朝食は、全てが後者の毒でそろえられていた。

 極めて微量だったから、即死には至らない。その上、体調にもさほどの変化はない。だが、毎食続けていれば、徐々に体調を崩し、床に伏すことになるだろう。


(違和感なく、病気に見立てて排除するためか。中々に賢明な方法だ)


 標的にされたにも関わらず、エリーサは思わず首謀者を褒める。

 巧妙でわかりにくい。

 いきなり体調を崩せば、王宮から医師が派遣され、企みが露見するだろう。だが、徐々に体調を崩して病がちになったのなら、王宮からの使者に介入されることはない。

 いつまでも回復しないのなら介入があるかもしれないが、回復に向かいつつも弱っていれば、怪しまれることはない。

 そして、いずれは体の弱さを要因に、それとなく王に奏上すればいい。


 土地が合わずに体調を崩されるのなら、別の領地へ移すべきだ、と。


 そうすれば、エリーサを気遣った発言ととられるだけで、特に問題はない。裏にある思惑を、ロナードが見逃すとはエリーサには思えないが。


(この状況を考えれば、王宮での日々は無駄ではなかったんだな。フォーラ殿に感謝すべきか?)


 ルクエラが聞けば激怒しそうなことを思いつつ、王宮での日々を思い出す。

 エリーサが毒物に耐えていられるのは、彼女を疎んじていたフォーラが、厨房を買収して毒物を盛り、それによって発熱した後、自ら毒に耐えるためにルクエラ達の協力を得て訓練を重ねたからだ。

 たいていの毒と致死量に耐えられるようにしているため、大事に至る事はない。だが、全ての毒物に慣れているわけではないから、物によっては今のように体調を崩す。


(ひとまず、解毒剤…)


 自室には、様々な薬品が収納されている箱がある。王宮での一件から、薬剤に関してはあらゆる知識を自らに叩き込んだ。そのため、服毒した毒物の種類はすでに判明している。


(持ってるので、間に合えばいいけど…)


 解毒できるだろう薬はあるが、どこまで効くか分からない。

 一縷の希望にすがるしかない。

 完全に解毒できずとも、釘はさしておいたから、次から盛られることはないだろう。おそらく。


 そこにだけはひとまず安堵して、エリーサは一度止まれば動けなくなりそうな足を必死で動かした。





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