第6話 ちゃんと聞いてよっ!忘れないで
相川翔太 その3
誰かが階段を上がる音がする。
誰かというのは勿論彼女の事、よりこちゃんだ。
昨日一睡も出来なかった僕は、彼女が来るのを待っていた。
伝えたい事を伝えなくちゃいけないからだ。
僕は、彼女が僕の部屋の前に来るまで待ちきれず、扉を開けて廊下を覗き込んだ。
突然の出来事に、驚いた表情の彼女がいる。
当然だろう、だってこんな事って本当に珍しい。というより、中学1年生の時以来じゃないかな?
「よりこちゃん、おはよう。」
少し声が沈んでしまったのは責めないで欲しい。
だって仕方が無いんだ。
「話があるんだ。部屋で話そう。」
伝えなくちゃいけないんだから。
「・・・・・・うん。」
少し考えてから短く答えたよりこちゃんは、機械の様にぎこちなく笑った。
その事に少しショックを受ける。
でも仕方ないよね。僕みたいな奴から部屋で話があると言われたら、普通身構える。変に思うだろう。だけどこれで最後だから、今回だけ我慢して欲しい。
いつも部屋の前に置いてあった、ピンクの座布団を勧める。彼女は何も言わずに正座で座った。
こうしてあらためて見ても、やっぱり彼女は可憐だ。
静かな水面にひっそりと、涼しげに咲く睡蓮の様だ。
一輪だけの儚くも美しい孤高の大輪だ。
それに比べて僕は何だろう。
例えるならば、植え込みの隅に忘れられながらも生えている、育ち過ぎのアロエ様な物か。
そんな彼女が、僕の様な者の部屋に居ると思うと、凄く違和感がある。
物凄くミスマッチだ。
俯いて、そんな風にぼんやり思っていると、僕はふと、じっとこちらを見つめる彼女に気づき目を向けた。
そうだった。
話さなくては
「あの......、よりこちゃん。話っていうのは......。」
僕が声を出すと、彼女はハッとしたような顔をした。
そして目を逸らして俯いてしまった。
それでも僕は無理矢理続ける。
「話っていうのは、その......、よりこちゃん毎朝来てくれるよね? その......、起こしに。」
「う......、うん。」
「いつも......、いつも、本当にありがとう。でも、もう、いいんだ。そんな事もうしなくて、いいんだよ。これからは来なくて良いからね。良いからねっていうか、その......、僕一人だけでも起きられるし......、あの、その......、そういうのって悪いと思うんだ。先輩に......。あの、そのだから......。」
僕は一旦言葉を切った。
一思いに言ってしまえば良かったんだろうけど、それは弱い僕には余りに辛すぎた。
身を切るような切なさに、苦しい胸が跳ねる。
初恋の女の子というのもそうだけど、それ以上に、疎遠になったものの、生まれた時からの幼馴染と、友達と、ある意味唯一の縁を切ってしまう様なものなのだ。
繋がりを自ら絶ってしまう。
今から言おうとしている言葉の意味を、実感を伴って知った僕の心は、予想を遥かに上まって僕を苦しめた。
そうして言葉を詰まらせた僕を、不思議そうに見ていたよりこちゃんであったが、僕の言った言葉をゆっくりと、そうゆっくりと理解するにつれて、段々、段々と表情を変えていった。
不思議そうな顔はスローモーションの様に、大きく目を見開いた驚愕の表情へと変わっていく。
そしてまるで、餌を待つ魚の様に口をパクパクとさせて
「あ......、えっ? あ、え? わ......、悪い? なっ......何っ何っがっ、わ......る、い? の、って、それって......、どういう......どういう意味? コ......コ、コナクテイイって、っどうっ、いう、意味? 先輩って......何?」
よりこちゃんは、信じられないくらいしどろもどろになっていた。
彼女がこんな焦って言葉を詰まらせながら喋っているのを初めて見る。
でも、どうして彼女がこんな風に取り乱しているのかは理解出来ない。
少なくとも僕の言葉が原因なのだという事はわかるのだけど、僕には彼女の心がわからないんだ。
そんな彼女の様子に少し冷静さを取り戻した僕は、言葉を続ける事にした。言わなくちゃいけない事なんだから。
「そう。先輩。付き合ってるんだよね? 北澤先輩と。知ってるんだ。僕だけじゃ無いよ。学校の皆が知ってるんだ。・・・・・・だから、普通は付き合ってる人がいるのに、こ、こんな風に他の男の部屋に来たりとか......、って、おかしいと思うんだ。」
言えた。ちゃんと言えた。
でも、凄く辛い。
「先輩? 先輩って、北澤? あいつ? 3年の、サッカー部の北澤? えっ? え~、えぇ~っ! ち、違う、違うよっ! あっ、あいつとは......、違うよっ! ってもしかして、昨日の事? 昨日のあれ? 翔ちゃん見てたの?」
見てたって、校門での事か。でもあの時目があったじゃないか。
って忘れているのか......、酷いよ。
それでも僕はかろうじて首を縦に振り「うん......。」とだけ返事した。
するとよりこちゃんは物凄く慌てた様子で、
「えっ、え~!? や、だなぁ。声掛けて、よ。もうっ。でもっ、違うの、あれは北澤が勝手に、キスしようとか言ってただけで、私、そんなんじゃ......。」
「えっ?」
「え?」
「え? そう、なの? キス? したの? へ、へぇ~。そうなんだ。へぇ~。だよねぇ~、するよねぇ。恋人だもんねぇ~。へえ~。凄いね。」
何が凄いか分からないけど
「で、でも僕が言ってたのは、それじゃないし。昨日見たのは校門での事だし。それは......見てないし......。」
僕が言うと、よりこちゃんは見るからに「しまった」って顔をした。普段表情を崩さない彼女からすれば、無茶苦茶珍しい事だ。顔も心なしか青ざめている。そしてオロオロしながら力なくこちらに両手を伸ばし「あの」とか「その」とか言っている。図星を突かれて言葉にならないようだ。
そうか、やっぱりそうだったんだ。キス......したんだ。
そう、だよね。付き合ってるんだもの。僕らももう子供じゃ無いんだし、当たり前だよね。
だから
「だから、さ。あの、こういう事は、その、これからは無しにしよう。僕の方から母さんにも言っておくし、これからは僕の事なんて気にしないで......。」
ここまで言って急に
「違うのっ!!!」
僕の声を遮って、勢い良く立ち上がったよりこちゃんの大声が響き渡る。物凄い声量だ。三軒隣まで聞こえたんじゃないだろうか。いつも物静かな彼女がこんな大声を出すなんて。
僕は話を遮られたのも気にならない程驚いた。目を丸くして彼女を見上げた。
「違うのっ! 聞いてっ! 違うっ! 違うのっ!」
よりこちゃんは仁王立ちになり、顔を真っ赤にして両拳を握り締めている。もう今にも泣き出しそうだ。というかすでに少し涙が出ている。
そして尚も大声で
「北澤とは違うのっ! あいつとはっ、そんなんじゃ全然無いしっ!」
えっ? 違うのか?
でもそれじゃあ、キスも?
「キスとかも違うし。」
やっぱり違うの?
「それはあいつが......、キスって......キス? キスなら......私。」
そういうと、よりこちゃんは急に静かになり、自分の唇に指を当てて惚けだした。
潤んだ瞳は「こちら」を見ている。
そして、その仕草を見た僕は、急に理解出来てしまった。
彼女は「僕」を見ているようで「僕」なんか見ていないって。
僕の目に、妖艶に映る彼女の瞳は、ここに居ない北澤先輩を見ているのだろうって。
そんな、そんな彼女をみれば、いくらバカで鈍感な僕でも分かってしまう。
つまり、結局。
何だよっ!
やっぱりキスしたんじゃないかっ!
そう理解すると同時に、頭に血が上ってきた。
「なんだよっ! 何が『違う』だ! 違わないじゃないかっ! そんなに僕に知られるのが嫌だったのか!? 折角、辛いけど、でも祝おうって、思ってたのにっ!」
急に立ち上がり怒り出した僕に、よりこちゃんは心底驚いたという風に目を丸くした。
そんな彼女の表情を認めた僕だけど、でも止まらない。
「もういいよっ! もういい! 二人でお幸せにねっ! 何だよっ、こう言っちゃ何だろうけど、幼馴染だろ? そんなに僕の事が嫌い? そんなに嫌なの? ああ、わかったよ! それならそれでいいよ。もう来なくていいよ。こんな奴の家なんてっ。母さん達には僕から言っておくしっ。」
一気に捲し立てた僕を見て、
よりこちゃんは「にへら」と表情を崩した。
えっ?
「しょ、翔ちゃん? な、何をいって、いるの?」
尚もへらへらとしている。
不思議な事に、言葉と表情が噛み合っていない。
なんで?
「翔ちゃん。嘘、だよね?」
何が?
「もう。やだぁ。翔ちゃんったら、ふふふ。」
何が?
「冗談ばっかりぃ~、ふふふ、可笑しいの~。」
何が、そんなにおかしいんだっ!
「うるさいっ! もう出て行けっ! お前の顔なんてみたくないっ!」
僕はありったけの大声で叫んだ。
彼女の両肩を掴んで体を反転させ扉へ押しやる。
そしてそのまま扉を開けて部屋から追い出した。
勢い余って彼女が尻餅をつくが、構うものか。
それでも、そんな事をされても、僕を見上げた彼女は尚も笑っていた。
尻餅をついてかなり痛いのかもしれない。顔を歪めて泣いているようにも見える。
でも、笑っていた。
更に頭に血が上るのがわかる。それと同時に、不思議な事に頭が冷えてくるのも感じる。
「何がそんなに面白いんだ!? そんなに僕が面白い? 悪かったねっ、面白くってさ。僕だって好きでこんなになったんじゃ無いよ。でも、馬鹿にしたければすればいいよ。だって僕にはもう関係無いし、もう他人だもんね。じゃあね、「倉橋さん」さようなら。」
最後の方は、自分でもびっくりするくらい冷めた口調だった。
そして勢い良く扉を閉めた。バタンッと大きな音がした。
「翔ちゃ~ん、なんで~、ねぇ~。怒らないで~。」
「うるさいっ!もう出てけ!向こう行けっ!」
「!?」
扉の向こうから、僕を馬鹿にする声を、大声で遮った。
すると声は止み、暫くしてからゆっくりと、廊下を移動する音が聞こえた。
下の階からは、先ほどの大声と物音を聞いた母親の呼ぶ声が聞こえている。
出来るだけ穏便にと思っていたのに......。
両親には何て説明しよう。
僕は途方に暮れるのだった。