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第48話 インサニティー・セルフピストンジェネレーター

倉橋よりこ その15


 私達が辿りついた先は、握手会場でもライブ会場でも芸能事務所でも無く、そこは以前毎日通っていた汗臭いサッカー部の部室であった。


 相変わらず汚い所だ、そして臭い。


 この耐え難い男の臭いが不快感を煽る。

 この場所に座っているだけで望まぬ妊娠をしてしまうかも知れない。

 だけど、以前とは違い、今日は翔ちゃんが居る。

 翔ちゃんから常時出る翔ちゃん分が、この死肉に這いずる蛆虫にも劣る男どもの臭いを中和してくれる。

 空気の中に漂う、ゴミの瑣末な遺伝子に戦々恐々としていたあの辛い日々にはもう別れを告げたのだ。


「倉橋さん」


 部室の扉が開き、現れた誰かから声を掛けられた。


 ああ、こいつは確か……。


「北澤先輩」


 翔ちゃんが声を掛けた。


 そうだった。そういやこいつの名前は確か北澤だった。

 あの思い出すのも忌々しいこいつの恋の告白とやらで、すっかり私の中で「右腕音速の貴公子プリンスオブライトアームソニック」とか「擦り切れ御免、狂気インサニティー自家発電機セルフピストンジェネレーター」とか「朝からずっしりスペ〇マタンク」とかのあだ名が定着していたので、どうにも思い出す事が出来なかったのだ。

 その後何度か会った様な気がするが、どうにも良く思い出せない。

 もしかしたら耐え難い何かがあって、自分の心を守る為に忘れたのかも知れないが、どうでもいい、所詮瑣末なこいつの存在なんて記憶の遥か彼方あなた遠くだ。本当にどうでもいい。

 しかし残念だ。

 アイドル声優では無かったのか。

 翔ちゃんをして「才能がある」と言わしめたその面を拝んでやりたかったのだが、とんだ勘違いだったみたいだ。

 こんな奴は才能なんて、どうせ玉蹴りくらいしか無いだろう。

 本当、可哀想な奴だ。


「あの、北澤先輩」


 再度翔ちゃんが言った。


「倉橋さん今日は一体、急にどうしたの?」


 しかし北澤はそれを無視して私に話しかけた。


 うん? 何? 翔ちゃんが話しかけてるのに、どうして私に聞くの?

 失礼な奴だ。お前の好きな玉蹴りの代わりに、私がその玉蹴ってやろうか。とはいえその劣悪な遺伝子を無駄に製造する穢れた巾着袋を蹴った日には、足が腐汁を撒き散らして肉が剥がれ落ちる。止めておこう。

 というか、どうしたのって聞かれても困るんだけど。話があるのはミカちゃんであって私では無い。……待てよ。という事はミカちゃん、こいつが好きだって言うの!?

 そうだったのか、ミカちゃんが言っていたきたざわ先輩ってス〇ルマ北澤の事だったのだ。

 だけどミカちゃん! 考え直して! だって自家発電機セルフピストンジェネレーターだよ? シリンダーの潤滑油はそのきったない白濁だよ!?

 それに何故?

 ミカちゃんが北澤を好きだというのなら、どうして私と北澤の事をあんなに気にしてたの?

 やっぱり黒幕な北澤に、いいように惑わされて、泣く泣く翔ちゃんに悪口を言っていたのか。

……ううん、そうじゃないかも。冷静に考えればいくらミカちゃんが北澤を好きだとしても、そんな事するはずない。

 とするともしかして。



自分の好きな人が幸せになるように、それから友達の私がミカちゃん的にはいい人な北澤とくっつけば幸せになるとか思って私と北澤をくっ付けようとしてたのかな? それであの翔ちゃんバッシング?


 降って湧いたような突飛ともいえる思いつきであったが、私は逆にミカちゃんの性格からすれば、それ以外考えられないと思った。


 だとしたら頓珍漢で迷惑千万、とんだお節介だ。

 私は北澤と付き合うつもりは一マイクログラムも無いし、それに身の毛もよだつ想像だが、もし仮に私と北澤が付き合ったとして、あんな盆暗ぼんくらのどこにでも居るような男と私が釣り合うはずもない。熱した油に水を加えたら爆発するように、付き合った瞬間破局してしまうであろう。

 私と釣り合うのは世界で唯一翔ちゃんだけだというのに――私如きが翔ちゃんと釣り合うはずもないのだが、彼以上の男が居ないという意味で――全く馬鹿馬鹿しい発想だ。


 等と色々不満に思うものの、それでも私を想ってくれたミカちゃんの好きな人を足蹴にする事も出来ず、私は北澤に返答した。


「わかりません。翔ちゃんが用事があるからって付いてきただけです。それで翔ちゃん、御用事はなあに? 早く終わらせて、私翔ちゃんのお家に行きたいよ」


 小さい頃にやっていた遊びで、最近になってまたやり始めた芋虫という遊びをしたいのだ。


「あ、うん、えっとですね。北澤先輩、よりちゃ……倉橋さんの退部届って受理されたんですか?」

「……いや、されていないよ。そもそも退部届すら受け取っていないからね」


 北澤は翔ちゃんでは無く、私だけを見て話した。

 こいつはあくまで翔ちゃんでは無く私と話をしたいようだ。


「そうだったんですか、それは失礼しました。では退部届を書いて来ますから、部の皆には倉橋部活辞めたってよ、って言って下さい。長い間お世話になりました。今日、私は寿退部ことぶきたいぶします」


 私は座ったまま深々とお辞儀をした。


「それは……困るよ。部の皆には倉橋さんはまた来るって言ってあるから」


 だが北澤は、私の誠心誠意の言葉も通じず頭ごなしに拒否をした。

 どうしてだか困った顔をして、口をもごもごさせてこちらに言いたい事があるような、しかしそれを口には出来ない様な、そんなもどかしさを内包した顔だった。


「どうしてですか? というか私、恥ずかしながらこのクラブに入ってから何もしてませんよね。いつもベンチで携帯いじってるだけで、何の役にも立って無い」

「そんな事はない!」


 北澤が生意気にも大声を出して否定した。


 煩い。

 耳障りな声だ。


「そんな事無いはず無いです。だって私がこの部活に居る間に携帯小説書きまくって百話越えしてるんですよ? 二十万文字ですよ? それに他のマネージャーの子だって頑張ってて、正直私なんて居ても居なくても何の問題も無いはずですよね」

「倉橋さん、携帯でそんな事してたんだ……だけど、それでも良い。君が居てくれるだけで十分なんだ」

「お断りします」

「聞いてくれ。俺が君にあんな事言ったのは忘れて欲しい。君の気持ちを勘違いしていたのも。だけどそれとは別に、君は俺達の部に必要な存在なんだ」

「あんな事?」


 なんて言いつつ、本当はわかっている。

 少しずつ思い出してきた。

 翔ちゃんに最低って言った事を、こいつ如きが何を勘違いしたのか、恥ずかしげも無く自分を矮小さを棚に上げて言ったあの暴言を。

 だからこそこいつの存在を私の中から消し去ろうとしたんだった。


「それは、その……君の事が好きだって、それに、君も俺の事が好きだって勘違いしてた……」


 北澤はいっちょ前に顔を赤くして、たどたどしく言った。


 あ~気持ち悪い、死んでくれないかな本当に、そういえばそんなのあったなぁ~。それは覚えてるよ自家発電機セルフピストンジェネレーター君。

 というよりも、そんな些細な事気にしてないで翔ちゃんにあんな暴言吐いたの気にしろよ。根っからの屑野郎だなこいつ。


「あっ、そんなの別に気にして無いです。あれは不幸な事故、それで良いじゃ無いですか。私何とも思ってませんし」


 優しい私は、こんなカスゴミにも気遣って、にっこりと微笑みかけてやった。


 どうだ。

 翔ちゃんが居なかったらこんな大盤振る舞い絶対にしなかった。

 せいぜい翔ちゃんに感謝するんだな、お前にもきっと翔ちゃんの素晴らしさがわかるだろう。


 しかしそんな私の思惑とは裏腹に、北澤は顔を青くして「あ」とか「う」とか言ってる。

 しかも、今まで顔を赤くして俯いて座っているだけだったミカちゃんが血相を変えて怒っている。


 そっか、逆にトドメを刺した感じになっちゃったか。


「酷い、リコちゃん酷い! そんな子だとは思わなかった!」


 え、そうかな。酷い? そうは思わないけれど。

 仮に酷かったとして、そんなのは過去に何度もあった事だ。告白してきた勘違いの糞野朗共を振った時、ミカちゃんも近くに居た時もあったし、その時はもっと酷い言葉を言ってたはずなんだけども。

 ああそうか、ミカちゃん北澤を好きだもんね。好きな人が傷ついたら悲しいよね。


「だけどね。ミカちゃん。もし好きな人が居たとするよね、しかもその人が近くに居たとしてね? なのに何とも思っていない人に勘違いさせるのは違うと思うの。気持ちをそのまま伝えるべきだと思うの。じゃないと好きな人に対しても、その人に対しても良く無いと思うの」


 そう。

 私は優しい。

 だからこそ北澤なんかに、適当にあしらう事もせずに真正面から気持ちを伝えたのだ。


「何それ、そんなの偽善じゃん」

「偽善だって良いよ。これが私なの、嫌い?」

「そんな言い方……」

「あの、すみません。いいですか」


 口論になりかけた私達を見かねた様に、ミカちゃんの言いよどんだ隙をついて翔ちゃんが北澤に言った。


「あの……これでわかってくれたかも知れませんが、倉橋さんてこんな子です。しかも辞めたがってます。これでも……辞めて欲しく無いっていうんですか」

「うん……それは勿論だよ」

「何故ですか」

「実は、倉橋さんは部員から人気があって。……ううん、そうじゃない、はっきり言おう。倉橋さんはうちの部の精神的支柱なんだ」

「そんな大げさな」


 これは私だ。

 いや、部員あいつらが私に尽くしてくれたりして慕ってくれたのは知っているが、精神的支柱とは、まさか言い過ぎだろう。


 だけど、北澤はそんな私の考えをあっさりと否定した。


「確かに大げさだ。だけど事実だよ。倉橋さんが居る時と居ない時では皆の練習の身の入り方が全然違うんだ」

「そう、なんですか」


 これは翔ちゃん。

 北澤の発言に驚いている。

 それは私だって同じだ。


「ああ、嘘みたいだろ? でも本当だ。それに倉橋さんって唯座っているだけに見えて、意外と色々見てるみたいで、アドバイスとか、後輩に対する気配りとか、他のマネージャーにも頼りにされてたみたいで、しかしだけどさっき倉橋さんが言ったとおり、手は殆ど貸さないけどね」


 そう言って苦笑する北澤。


 そうだったのか、実は私って役に立っていたんだ。

 あの汗臭い野朗共はどうでもいいけれど、マネージャーの達にもそう思われていたとは知らなかった。てっきり嫌われているものだとも思っていた。


「そうだったんですか……ならよりちゃん。やっぱり辞めるべきじゃないよ。今辞めちゃうと絶対後悔するよ」

「翔ちゃん……」


 何でそんな事言うの翔ちゃん。

 だって私がまたサッカー部に顔を出すようになれば、翔ちゃんに逢える時間が減っちゃうんだよ?私が後悔するとすれば寧ろそっちだよ。

 そうは思っても、そんな事を口にすれば、私が周りの迷惑も気にせず翔ちゃんといちゃいちゃしたいだけのいやしんぼの様に見られてしまうかも。

 さっきミカちゃんに偽善だって言われても、そんなの別に気にならなかったけれど、翔ちゃんから自己中だって思われるのは絶対絶対駄目だ。


 だから私は叱られた犬みたいに黙って、翔ちゃんを上目遣いで見るしか出来なかった。


「よりちゃんの言いたい事はわかるよ。 ……それは凄く嬉しい」


 翔ちゃんは頬をポリポリと掻いて照れくさそうに言った。


 嬉しい翔ちゃん。私の事何でもわかってくれる。


「だからさ、僕も学校に残ってよりちゃんを待ってるよ。図書室とかで本とか読んで待ってる。あっ、勉強もしとくし、それで帰りは一緒に帰ろうよ、ね?」


 うーん。

 翔ちゃん。だけどそれって結局私にとってはマイナスにしかならないじゃ無いですか。


「あのさ、いいかな?」


 隣のミカちゃんが、先ほどとは違い、遠慮がちに話に割って入った。


「ていうかりこちゃんってサッカー部辞めたいんでしょ? だったら別にいいじゃん、本人の自由でしょ?」


 さっすがミカちゃん。わかってるぅ!

 でもいいの? ミカちゃん。それって貴女の恋する北澤と真逆の意見だよ。

……いいんでしょうね、だってミカちゃんは我が道を行く女性ひと。好きな人に好かれる為に自分を曲げようだなんて決して思わない人なのだ。

 お陰で周りは敵だらけ、友達も沢山いるけど、その性格が災いして本当に仲の良い友達は私くらいだろうね、きっと。


「うん、そうなんだけどね。だけど辞めるにしてももうちょっとちゃんとして欲しいって思うんだ」

「はあ? それってお前の我侭じゃん。お前本当に何様だよ、りこちゃんはお前の所有物じゃねえぞ」

「うん、そうなんだけど……」


 翔ちゃんはシュンと落ちこんでしまった。


 そうなんだ……翔ちゃんの我侭、所有物……か。


「待って!」

「えっ?」

「さっきの本当!? 私が翔ちゃんの所有物っていうの」

「いやっ、違う、違うよ! 僕はそんな風には思って無い」

「嘘吐け」

「嘘じゃないよ」

「いいや、絶対嘘だね。じゃなかったらそんな本人の意思を無視したみたいな言い方しないだろうし」

「それはっ! ……そうかも、そうかも知れないね」


 翔ちゃんは一瞬反発しかけたが、思い直してミカちゃんの言葉を受け入れた。


「そうだね。そうだったのかも。僕はよりちゃんの事、自分の持ち物みたいに思っていたのかも知れない」


 そんな、本当にそうだったの!

 翔ちゃんは、私の事をそんな風に思っていたのか。

 言われてみれば、思いあたる節がある。

 さっきもミカちゃんに「よりちゃんてこんな子だよ」って言っていた。私にとっては何も気にならない台詞だったけれど、ミカちゃんからすれば「彼氏面」だったし、他人から見れば「何様」だったのだ。

 それからサッカー部の話になると翔ちゃんは私の主張を全部聞いてくれない。嫌だって言っても聞いてくれない。

 あの優しい翔ちゃんがどうして? って思ったけれど、これで全ての謎が解けた。

 翔ちゃんは私を自分の持ち物だと思っていたんだ。

 一人の女の子としてでは無く、唯の物として……。


「ほれみろ! りこちゃんショック受けてるだろ? お前の事こんな奴だって気付かなかったんだよ」


 ミカちゃんは私の表情を読み取ってそう言った。

 私は、そのミカちゃんの言った言葉はその通りだと思った。

 そう、私は知らなかったのだ。


 ああ、何という事だろう。まさか翔ちゃんがそんな人だったなんて、私は今まで思い違いをしていたのだ。


「りこちゃん可哀想」


 肩に手を置いて憐れみの表情で私を見つめるミカちゃん。


「私、翔ちゃんがそんな人だったなんて思わなかった」

「うん……ごめん。僕、そんなつもりじゃ無かったけれど、でも結果的にそういう事になっちゃうね」

「そっか、そうなんだね。私の事、前からそう思ってたんだ」

「前から……って訳じゃない。きっとよりちゃんが僕の事好きだって知ってからだと思う」

「そう……」

「うん、正直に言うよ。ちょっとこの子ちょろいって思ってた」


 翔ちゃんの声が震えていた。

 そして少し手も震えている。


 そうだったんだ。

 私の事そんな風に、簡単な女だと思ってたんだ。


「ちょろいってお前な……」


 ミカちゃんは呆れ顔だ。


「私……翔ちゃんはもっと思いやりがあって、私の事もっと尊重してくれて、絶対そんな風に思わないって勘違いしてたみたい。私、翔ちゃんの事勘違いしてた」

「よりちゃん……」

「だからね、ごめんね翔ちゃん。私やめる」


 私がそう言ってから一瞬、私以外の三人に空白が生じた。


「やめる?」

「うん、やめるね。ごめんね翔ちゃん」

「それは部を……って事?」


 乾いて張り付いた喉から搾り出すような翔ちゃんの声。


「ううん、違うよ」


 私は首を振って否定した。


 そうだ。もうやめるんだ、こんな関係。


「こんな関係はもう終わりにしよ? ね? それがお互いの為だよ」

「そんな、よりちゃん!」

「ごめんね翔ちゃん、駄目な子で。ずっと翔ちゃんの事知らないでいたみたい」

「りこちゃん、本当に……」


 気持ちを高ぶらせたようなミカちゃんの声。


「ありがとうミカちゃん。ミカちゃんのお陰で私は気付く事が出来たよ。一人じゃ絶対気付けなかったよ。流石はミカちゃん。流石大親友だね。一生友達でいようね」


 心からの感謝。

 だけどミカちゃんはどうしてだかあまり嬉しそうではなかった。


「うん……でも……これで良かったの?」

「うん。良かったんだよきっと、翔ちゃんにとっても私にとってもこれが……」

「よりちゃん駄目だ。それは絶対駄目だから」

「翔ちゃん……ごめんなさい。でもわかって」

「いいや、僕は嫌だからね。そんなの絶対認められないよ」


 珍しく語気を荒くして言う翔ちゃんが、私の肩を掴んで続けた。


「ごめん、僕が悪かったよ。よりちゃんの事、物だなんて思わない様に直す、絶対ちょろいって思わない様にする。だからそんな事言わないでよ」

「翔ちゃん」


 翔ちゃんの力の篭った指が食い込んで痛い。


 やっぱり翔ちゃんってこんな人だったんだ。

 それに、物だとかちょろいだとか思っていたのを直すって、どうするつもりなの。そんなの出来る訳無いよ。

 だって、例えば鞄、便利で色々凝りたくなるけど、それを人としては扱えない。当たり前だよね。

 それが仮に言葉を発する様になったって、それは言葉を話せる鞄であるだけで、けして人とは同じ様に扱えない。

 ペットにしてもそう、どれだけ人間と同格に扱おうとしても難しくて、もしそれが可能な人がいたら頭のおかしい人だって周りから思われるよ。私だって思っちゃう。

 そして、翔ちゃん君人形。

 彼がいくら話してくれるからと言っても、その声は私だけにしか聞こえない。それがどういう事かは私にだってわかってる。人形は所詮人形。もしピノキオみたいに生命を宿しても、元は唯の木彫りの人形だ。最後は人間にしてもらう彼だけど、それは果たして真っ当な人間と云えるのだろうか。そんな彼を自分の子供として扱ったゼペットが、精神に異常をきたしていなかったと断言出来るだろうか。

 私は翔ちゃんにそんな風になって貰いたくない。

 こんな結末悲しいけれど、これが一番正しいのだ。


「おい、相川。りこちゃん嫌がってるだろ、未練たらしいなお前」

「煩い! ほっといてよ! これは僕とよりちゃんの問題なんだ」


 いつもとは大きく異なり、荒々しい翔ちゃん。


 翔ちゃん、そこまで私の事を……だけどごめん、やっぱり駄目だよ。


「はあ? 諦めろよ。それにお前にはリリィがいるだろ?」

「それはそうだけど、でも僕はよりちゃんだって好きなんだ」

「それがおかしいっての! ねえ、そうですよね北澤先輩?」


 ミカちゃんはそれまで傍観者然としていた北澤に話を振った。


「う、うん。そうなるね」

「ほれみろ! 今までが異常だっただけでこれが普通なんだよ。大体お前如きがあのリリィのみならず、りこちゃんにまで手を出すのがおかしいんだ。これでいいんだよ」

「そんな! 僕は認められないよ」

「何が認められないよ、だ。キモイんだよ」

「キモくて結構。だけどよりちゃんだけは絶対なんだからね」

「はあ……マジでお前終わってるな、頭が。ねえりこちゃん。りこちゃんからも何か言ってやってよ」

「えっ、そうだね……えっと、ごめんね翔ちゃん。そういう訳だから、今までの関係は終わり。これからは新しい関係になるから」

「新しい関係って何だよ。そんなの知らないよ! 僕は絶対認めないからな、よりちゃんは僕の彼女だ」

「ありがとう翔ちゃん。だけどもう駄目だよ、終わりだよ」

「駄目だ! 絶対に駄目だ! 僕はよりちゃんを愛してるんだ。だから絶対に駄目なんだ!」

「ごめんなさい翔ちゃん。私達の恋人関係は終わりです」

「駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ! 僕は認め無いぞ」

「おい、相川! いい加減にしろ!」


 ヒートアップする翔ちゃんを、北澤が割って入るようにたしなめた。


「倉橋さんがこう言ってるんだ。そんな無理を言っても無駄だ」

「そんな……こんな事で……」


 翔ちゃんは崩れる様に私に掛けていた手を離した。


「ごめんね翔ちゃん、こればっかりは、いくら翔ちゃんの頼みでも聞けないよ」


 これが私の、正真正銘最後の我侭だった。


 私は呆然としている翔ちゃんを尻目に北澤に向いた。


「北澤先輩、私、サッカー部辞めません」

「倉橋さん、勿論それは嬉しいけど……でも……」


 北澤は憐れむ様な目で、放心状態の翔ちゃんをちらりと見た。


「りこちゃん……そんな当て付けみたいに」

「当て付け? 何それ、意味わかんないけど。そうだ、ミカちゃんも一緒にマネージャーやろうよ」


 私がそう提案すると、ミカちゃんは面白いくらいに動揺した。


「ふぇっ!? 私? 何で私?」

「だって友達と一緒に部活動したいじゃん。ミカちゃん、何の部にも入ってないんだし、別にいいでしょ?」

「い、や、でも、私なんて入っても迷惑なだけだろうし、それに家には母さんが買ってくれたプリンが待ってるから……」


 プリンって、相変わらず北澤が関わってくると無茶苦茶だなこの娘。


「そんな、迷惑だなんて事は無いよ。マネージャーは多い方が言いからね。負担が減るから助かるよ」


 北澤は、自覚があるのか無いのか、そう言ってミカちゃんの言い訳を潰した。


「そ、そうですか……でも私ドジだし、おっちょこちょいだから、北澤先輩に失望されちゃうかも」


 最後の方は小さくなって、北澤には聞こえなかったみたいで、首を傾げている。


 何を言うのミカちゃん。

 貴女がドジでおっちょこちょいだなんて聞いた事も見た事も無いよ。

 どちらかというと、ドジでおっちょこちょいは私でしょ? いつもがんがんつっこんでくるじゃん。


「い~い?ミカちゃん。プリンとサッカー部、どちらが大切かわかってるよね?」


 言外に勇気を出して恋と向き合うか、それともプリンだなんて下手な言い訳をして逃げるのかと聞いている。


「それは……」

「わかってるでしょ? だったらサッカー部のジャーマネやってみればいいじゃん」


 あっ、ちょっとそれっぽい言い方だったかな。


「ジャーマネって……でも、うん。 ……ありがとう、わかった! 私、サッカー部に入ってみる」


 ちゃんと私の意図を理解してくれたみたいだ。

 流石はミカちゃん。

 そして私の知るいつもの凛々しい、でもそれでいて可愛らしい顔で決意を表したのだ。彼女の、彼女だけの恋と真剣に向き合うという。


「よかった」


 私は親友が、やっぱり敬愛すべき勇気ある親友であったのが嬉しかった。

 だから自然に笑い、ミカちゃんも素敵な笑顔で返してくれた。


「じゃあ北澤先輩、また明日」

「ああ、また明日」


 私は立ち上がり、未だしょぼんとしている翔ちゃんに声を掛けた。


「じゃ、行こっか?」


 言って、翔ちゃんの目の前に行き、両手を取って立ち上がらせようとした。

 すると何故だか驚いた様子の翔ちゃんが私を見つめ、声を発した。


「え?」


 その短い驚きの声は、三人同時に発せられたのだった。


「え?」


 私はどうして驚かれるのかわからなくて、それに驚き、同じ様に声を出した。

 三人を見ると、三人とも口をぽっかり開けて、時間が止まったかの様に私を見つめたまま止まっていた。

 だが、そうしていたのは僅かの間であった。そして一番初めに時間停止のくび木から逃れたのはミカちゃんだった。


「りこちゃん。あんまりこんな事言いたくないけど、それはちょっと無いんじゃない?」

「なにが?」

「何がって……それは……」


 ミカちゃんは助けを求めるように北澤に顔を向けた。

 北澤はそのミカちゃんに代わり答えた。


「その、つまり……俺が相川君だったら、だけど。そんな風に今まで通りされたら勘違いしてしまうんじゃ無いかな」


 ミカちゃんは北澤の言葉にうんうんと頷いている。


「勘違い? 何を?」


 まるで意味のわからない言葉。


「だからその……今まで通りの関係に戻れるんじゃ無いかって思ってしまうという……」

「あっ」


 そうか。

 北澤にそこまで言われて初めて自分が犯した過ちに気付いた。


「ご、ごめんなさい……」


 私は翔ちゃんの手を離して慌てて頭を下げた。


「いや、良いよよりちゃん」


 翔ちゃんは弱々しく笑い、手を振って許してくれた。


「だけど、僕は絶対に諦め無いから、よりちゃんが嫌だって言っても、僕は絶対に諦め無いから」

「翔ちゃん……」

「ストーカーかよ……」

「何だって良いよ。だけど僕は絶対諦め無いからね」

「はいはい。警察に通報しときましょうか先輩」

「いや、それは……」


 ああ、何だかミカちゃんと北澤が普通に会話出来てるよ。

 とっても喜ばしい事なのだけれど、一つ気になる事がある。

 というか許せない事が。


「ふざけないでっ!!! 翔ちゃんがストーカーとかするはず無いじゃん! あまつさえ通報するとか……いくら親友でも許せないよ!」


 私は翔ちゃんの腕にしがみ付いた。


「よりちゃん!?」


 驚く翔ちゃん。


「ごめんなさい翔ちゃん、だけど言わせて、だって好きな人をここまで馬鹿にされて許せる女がいるもんですか!」

「は?」


 またしても三人同時だった。


「何が『は?』だよ! 恍けても許さないんだからね! 折角応援してあげてるのにこの仕打ち! ね!? 翔ちゃん、ね!? そうだよね、許せないよね!?」


 聖人君子な翔ちゃんといえど、許される事とそうで無い事がある。

 同意を求める為翔ちゃんを仰ぎ見ると、翔ちゃんもまた先ほどと同じ表情で、いや、それ以上の驚愕で私を見つめていた。

 そうだった「は?」って言ったのは三人で、翔ちゃんもその中に入っていたのだ。


「私の聞き間違いかな? りこさん今相川の事好きって言った?」

「うん? うん、そうだよ。それが?」


 何を言っているのだこの子は。


「あれ? でも新しい関係になるとか言ってなかったっけ? だったらどうしてそんな……」


 あっ、そういう意味か。

 それならば翔ちゃんが驚いているのも無理は無い。


「そういう事……ごめんなさい翔ちゃん。ううん、ご主人様」


 そうだよね。

 私は翔ちゃんとの恋人関係を辞め、新たに主従関係に、奴隷という立場になったのだ。それを今まで通り「翔ちゃんが好き」だなんておかしいよね。


 そうだ。翔ちゃんの望む私、それは物であった。

 すなわち、それは奴隷であると解釈していいだろう。

 そして奴隷とはつまり物であるのだ。その物が翔ちゃんを好きだなんて大それた事、思っていても口に出してはいけないのだった。


 でも――。


「ああ、すみませんご主人様。私の、よりこめの如きが大それた事を、だけど、この抑えられない気持ちを表現せずにはいられないのです。 ……ですから、どうか、どうか御慈悲おしかりを下さいませ……」

「え、っと、よ、りちゃん?」


 愕然として、混乱の極みにいるかの様な様子で私を見る翔ちゃん。


 あれ? どうしてかな。


「ご主人様一体どうしたのですか?」

「ごめん、そのご主人様って何!? ……いやいいんだ。それよりも僕と別れるって話じゃなかったの?」

「はい? 別れる? 何で? 私が? 翔ちゃ、ご主人様と? 何で?」

「いや、だからそれは僕が聞きたいんだけど……」


 そんな事言われても訳がわからないよ。

 何で、どうして、いつの間にそんな話になったの?


「嫌! 私、翔ちゃんと別れたく無いよ!」

「それは僕もだよ!」

「だったらどうしてそんな話になって、そうか! わかった」


 私は北澤を殺意を込めて睨みつけた。


「きーたーざーわー!!! お前! あの時だけならず今回も! お前よくも翔ちゃんをかどわかしてくれたな!」

「ひっ!」

「だけどその手には乗らないからな! 翔ちゃんと私は永遠なんだから! 覚えとけ!」

「ひぃ!」


 私の顔がそれ程怖かったのか、情けない声を出して尻餅を突いた北澤。

 するとそこへミカちゃんが間に入ってきた。


「ちょっと! 落ち着いてりこちゃん! ……って顔怖かおこわっ! 一体何があったの!? 相川と別れるって言ってたじゃない!?」

「はあ!? 私が!? 何時、どこで、どうして!? そんな事絶対に言って無いよ! 命だって掛けられるよ!」

「何言ってんの!? はっきり言ったでしょ、新しい関係になるって、今までの関係は終わりだって」

「はあ? ……はあぁっ!? それがどうして別れるになるの!? 意味わかんない! 私は翔ちゃんの所有物になるから、主従関係になるから、だから恋人関係は終わりっていったんです!」

「へぅ?」


 ミカちゃんが変な顔で変な声を出した。

 そうされて、私は自分がとんでもない事言ってるって気が付いた。


「あぅ、勿論それはそういうプレイだよ? か、勘違いしないでね?」


 何が勿論だか、私は本心を偽ってそう言った。


 だって私が変態だって思われたら、翔ちゃんにまで迷惑かけちゃうから。


「そう、なんだ……」


 声を発したのは尻餅突いたまんまの北澤だった。

 何故だかとても残念そうだ。


「やだぁ、翔ちゃんそんな勘違いしちゃったの? もう! おっちょこちょいさんなんだからぁ」


 私はおどけて言った。


 やれやれ、勘違いしちゃったんだね、本当にもう! 私が別れるだなんて言うはず無いじゃんか。


 そう思ってた、だから私はてっきり「もうしょうがないなぁよりちゃんは」っていつものように返されると思っていた。だけど今回は違っていたようだ。


「よりちゃん……」


 座ったままでいる翔ちゃんの顔は、とても怒っていた。

 私がこんなに怒った顔をした翔ちゃんを見たのは、正真正銘生まれて初めてだ。


「どうしたの、翔ちゃん……」


 怖い。

 翔ちゃんがこんなに怒るなんて、恐ろしい。


 私は恐怖から声が震える。


「この! 本当に君は、君って子は! 今度ばっかりは許さないからね!」

「ご、ごめんなさい、許して……」


 私はしゃがみ翔ちゃんの手をそっと握った。

 だけど翔ちゃんは乱暴に振りほどいた。。


「いいや、許さない! 絶対に許さない!」

「そんな! じゃあ私はどうすればいいの?」

「ちょっと相川、りこちゃん別に悪気があっての事じゃ無いんだから」

「駄目だ! 寧ろ悪気があった方がまだましだよ! いいかい? 僕がどんなに悲しかったか、驚いたか、寂しかったか、わかるかい?」

「それは、その……ごめんなさい」


 私はもう一度手を握ったが、またしても振りほどかれてしまった。


「ごめんなさいで済まないよ! もういい! もういいよ!」


 そうぶっきら棒に言い放つと、翔ちゃんはそっぽ向いた。


「もういい? ……ってどういう意味」


 そんなまさか……。


「どういう意味だと思う? よりちゃんわかるでしょ?」


 嘘だよね、嘘でしょ?


「わ、から、ないよ……」


 震えが全身に周り、呂律が回らなくなってしまった。


「わからない? もういいって、本当にわからない?」


 翔ちゃんが語気を荒げて聞き返す。


 本当は、わかってる。

 本当はわかってる。

 でも、わかりたくない。だってそれを理解してしまったら、取り返しのつかない事になってしまうと、私の本能が訴えかけているからだ。


 すると翔ちゃんは、今度は逆に私の手を握り返した。

 はっと翔ちゃんを見ると、翔ちゃんは私を痛いほど真剣な眼差しで見つめていた。

 心臓が、縮んで潰れてしまいそうになる。翔ちゃんのその目を見ることが恐ろしくなり、つい目を逸らした。


「ごめんなさい許して」


 もう、私にはそれ以外の言葉は無かった。

 どれだけ取り繕うとしても無意味に思える、恐怖から私は思考停止に陥ってしまっていた。翔ちゃんの怒りはそれ程に衝撃的だったのだ。


「いいや、許さない。だからもういいんだ」

「そんな! 待って翔ちゃん。私が悪かったから! お願い! そんな事言わないで」

「いいや、駄目だ」

「翔ちゃん!」

「この話はもうお終い。わかった?」


 本当に悲しい時、辛い時、人は涙を流さないのだと初めて知った。

 良く小説なんかである、心が張り裂けたり、絶望の深淵に沈んだり、そんな表現達はここでは大げさであり、しかし陳腐だった。私が感じたのは呼吸の出来ない宇宙空間に一人置き去りにされたような強烈な息苦しさと寂しさ、その一つだけ。しかしそれはつまるところ死を意味するのだ。

 気が付けば眩暈と頭痛と吐き気が同時に襲ってきた。それでも、今の孤独感からすれば大したことの無い辛さだった。


「そんな……嘘、だよね? こんな事で終わるなんて……」

「終わる? うん、終わりだね。さ、じゃあ、よりちゃん、帰ろうか」


 言うと、翔ちゃんは私の手を掴んでそのまま部室の扉に向かって歩き出そうとした。


「えっ?」


 だけど私はその翔ちゃんの行動の意味がわからず、立ち呆けてしまい、翔ちゃんについていけずにグンと手を引っ張られた。そこで翔ちゃんは無理に進もうとせずに足を止めて私をまた見つめた。

 今度は先ほどとは違い、優しい、いつもの翔ちゃんの素敵な笑顔だった。


「驚いたでしょ? ね? 同じ事だよ、だから僕が怒ったのわかってくれた?」

「あっ」


 そこで初めて私は理解した。

 そうだったのか。

 翔ちゃんは愚かな私に、自分の罪の重さを理解させる為に、あえて先ほどと同じ様なやりとりをして、自分がどれほど驚いたか、どれほど悲しかったかを伝えたかったのだ。


 ここで私も「そうだったんだ、ごめんなさい」とでも言えば良かったのだろう。それでこの悪夢の様なお話は終わる筈であった。

 だけど私の悪夢は終わらない。

 安堵と緊張からの解放でそんな軽い台詞を言える状態では無く、それどころか、糸が切れた操り人形みたくペタリと地面にお尻をつけてヘタリこんでしまった。

 そして更に、私自身に何かしらの開放を知らせる様に、その場に居る全員が聞こえただろう音量でもって、ホースから水が吹き出る様な音がシャーと部室に響いた。


「あっ、ああ、あぁ……」


 私は自分がどんな顔をしているのかわからない。既に多い日用の許容量を越えお尻を濡らし広がっていく水溜りには、だけど私は何も思わなかった。代わりに虚脱感から思わず漏れた自分の声、それを「情けない声だなぁ」と、他人事みたいに思っているだけだった。

 現実感を見失い、脳裏が真っ白に塗りつぶされていくなかでその自分の感想が何だかおかしく思えて思わずクスクスと笑ってしまった。


「りこさん、嘘……」

「倉橋さん……」


 親友がショックを受けた表情で目を大きく見開いて私を見つめ、北澤は唯無意味に愕然としている。

 その視線を受け、私は次第に自分が仕出かしてしまった事の重大性を薄っすらと、やがて強く認識した。もう笑ってはいられなかった。


「あぁ……もう、もうやだ、もうやだぁ」


 北澤は当然として、あの優しい親友ですら今の私には近づこうとしない。

 両手の平で目を覆い、穢れた水溜りに沈む私は、一人惨めで滑稽であった。


「ああ、やっちゃったね……」


 しかし翔ちゃんは違った。

 しゃがみ込んで心配そうに私の顔を覗き込んでそう言った。


「あぁ……ああぅ……」


 さっきと似たようなうめき声、しかしそこに内包させた物は、虚脱感では無く絶望感であった。

 こんな風に言ってくれてはいるが、聖人君子の翔ちゃんと云えど今回ばかりは失望してしまったであろう。 「ドン引き」されたに違いない。


「ごめんねよりちゃん、僕があんな事いわなければ……ごめんね」


 申し訳なさそうに謝ってくれる彼に、私はだけどそれについてはどうでも良いと思っていた。

 それよりもひたすら翔ちゃんの心が離れていく事が恐かった。


「しょ、しょう、しょう……」


「翔ちゃん」と言いたくて、何か言い繕わなくてはいけないと思いどうにか声を出そうとするが、それは適わない。


「怒ってるよね、ごめんね、本当にごめんね」


 翔ちゃんは謝りながら彼のいつも持ってきてる汗拭き用のタオルで私のそれを拭き取っていった。

 私はその翔ちゃんの様子をボーッと見ながら、ふと気が付いて言った。


「翔ちゃん、ドン引きしないの?」


 素直な私の疑問であった。すると声まで自然と出せていた。


「は? する訳無いよ。何言ってんのよりちゃん?」


 驚いた様に言いながら翔ちゃんは私の顔を確かめるように、そして不安そうにじっと見つめた。


「もしかして……もし間違ってたらごめんね、その……さ、怒って無い?」


 こちらこそ「は?」だ。

 何を言っているのだこの人は。


「怒る訳無いじゃん、何言ってるの?」


 この人は本当に自分のせいだとでも思っているのか。だとしたら……。


「馬鹿じゃない? そんなはず無いじゃん」


 リリィちゃんみたく口悪くそう言ってしまった。言ってからしまったと思ったけれど、翔ちゃんは怒るでは無く、安心した様にホッと破顔して一言。


「良かった」


 私は全ての悪夢が終わるのを感じた。






 その後、我に返ったミカちゃんが翔ちゃんと北澤を追い出して後始末を手伝ってくれた。スカートがビチャビチャになってしまったからジャージに着替えた。下着は持ってたし。

 こんな事手伝わせて嫌われてしまったかなとも思ったけれど、ミカちゃんは全然そんな様子を見せず、寧ろめちゃくちゃ謝られた……曰くミカちゃんのせいでここに連れて来られたから結果的にこうなってしまったんだとか。

 そんな出来の悪いラノベ主人公ばりの謎責任感を発揮されても困るので「んな訳あるか」ってリリィちゃんみたく怒ったら今度は泣かれた。それだけ私がしてしまったのがショックだったらしい。


 それから翔ちゃんと一緒に帰宅した。

 ミカちゃんも自然と一緒に帰宅する流れになっていた。だけど翔ちゃんの「咲島さんは北澤先輩と明日の打ち合わせするんでしょ?」という、何の打ち合わせなのって思っちゃうようなわかりやすい口添えが、北澤と一緒に居る事を再認識してあわあわするミカちゃんと、無駄に生真面目な北澤には効果があったみたいで、二人で部室に残って何かお話をするみたい。流石は翔ちゃん、どこで何が一番効果的な言葉か良く知っている。

 それなのに今日の翔ちゃんの心配は馬鹿馬鹿しい物だった。

 だって私から別れるだなんて言うはずないし、粗相をしてしまった逆恨みで怒るなんて論外。

 何でそれがわからないのか翔ちゃんに言ってやろうと思ったけれど、私が口を開く前に「ごめんね」って頭を撫でてくれたから何も言えなくなってしまった。


「よおぉし! 帰ったら芋虫だね!」


 先を歩く翔ちゃんが私の手を引きながら振り返り言った。

 夕日が低く横から差し込み翔ちゃんの顔を照らし、そして私の頬を染める。


「はいご主人様!」

「へっ?」


 家々の窓ガラスが夕日を反射して、二人だけの帰路をキラキラ茜色に煌く素敵で幻想的な空間へと変貌させた、そう、まるで私達の関係の様に、夕日が新たに生まれた主従を祝福してくれるかの様だ。


「えっ、あのっ? えっ? あの話まだ続いてるの?」

「はいご主人様」

「いや、ほんとそれはちょっと勘弁して……」


 60ヵ年計画を大幅に変更しなくてはならない。結婚では無く、妻としてでは無く彼の所有物としての一生の計画をだ。

 大変な大仕事だ。

 それなのに私はその大仕事を前にわくわくしていたのだった。


「ねえ、よりちゃんさん? 聞いてる?」

「はいご主人様」


 これから続いていく私達の関係、幼馴染から恋人へ、そして恋人から主従関係へと発展した私達のこれからに、この先一体どんな困難ごほうびが待ち受けているのか不安きたいが拭えないけれど、きっと今日みたいな素敵な夕日が私達の行く末を照らしてくれるだろう。




 この後無茶苦茶芋虫した(予定通り)

 インサニティー・セルフピストンジェネレーターってなんだか格好良いです。それに強そう。


 おう誰か、使っていいぞ。


 よもうの機能が増えてますねぇ……簡単に縦書きしたり、文字の大きさ変えたり行間を空けたりとか、すんげっす。

 でも基本的に皆、横書き横読み前提で書いているので縦書きにしてもあんまよくないです。

 ネット小説最高! 紙媒体の小説なんていらんかったんや! ……いや、流石にそれは言い過ぎか。


 次回は少し空くかもです。わかんねぇけど。

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