番外 その1 「芋虫」
ストーリーだけを追ってこられている方は読み飛ばして次話に飛んでもらって問題ありません。
しかし「読み飛ばしたいけど、何となく気になる~」という神経質な方は、あとがきに大筋を書きましたのでそちらをご覧下されば概ね大丈夫です。
土曜の昼前の事であった。
三人は翔太の部屋のベッドの上で、まったりとした時間の中で取り留めの無い話に華を咲かせていた。
三人と言っても実際話をしているのは翔太とよりこだけで、リリィは翔太に後から抱かれる様に座って、愛する人の抱擁を受けて安心しきり、うつらうつらと船を漕いでいた。よりこはよりこでそんなリリィを羨ましく思いながらも、態々眠っているリリィを強引に退かせて自分が替わる事は流石に横暴だと感じ、仕方なく翔太の腕にしがみつくだけであった。
だがそれでもよりこは翔太との会話や彼の関心の大部分が自分に向けられているだけでも良しとし、概ね満足であったが、ふと、翔太が起きた時のまま整えられていないベッドを見て、思い出した様に言った。
「翔ちゃん、そう言えば芋虫って覚えてる?」
「芋虫? ……ああ、それってあれだよね、懐かしいね。好きだったよねよりちゃん、もしかして今でもやってる?」
「ううん、まさか。もうする訳無いよ。だって相手が居ないもん」
「そっかぁ、そうだよね。そっかぁ……」
昔を懐かしむ様に、翔太は遠い目をした。
リリィが転校してくるよりも昔、彼がまだまだ幼かった時分、あの楽しかった時間。何も恐れず、将来に何の不安も無かった頃。無邪気に日が暮れるまでおしゃべりしたり遊びまわったりゲームしたり、何かに夢中になったあの日々……あの時間はもう返ってこないのかも知れないなと、一人感慨にふけるのであったが、よりこの続く言葉にそれを中断した。
「でも今は翔ちゃんが居るから出来るよ、する?」
「えっ? でも……あれは小さかったから出来ただけで……もう、僕達高校生だし、いくらなんでもあんな事、出来っこないよ」
「そう?」
「そうだよ、やだなぁよりちゃん、からかわないでよ」
「からかってなんか無いよ、けど、しないならいいよ」
「あ……うん……じゃ……」
翔太は自身で思っていた以上の落胆を感じている事に驚いた。
彼は彼が思っている以上に期待していたのだ、そのよりこの提案に。
だがそれは、彼自身の虚栄心と倫理観によってその機会を失ってしまった。
「翔ちゃん……もしかして、したいの?」
しかし、よりこはすかさずそんな翔太の反応を敏感に感じ取った。
「あっ」
そのよりこの言葉に思わず笑顔になる翔太であったが……。
「うーん……翔太ぁごはん……」
(寝言か……って僕は今、何を喜んでいたんだ……!)
抱えられて眠っているリリィの身じろぎに、今現在おかれている状況をはっと思い出した。
(そうだよ! 今はリリィだっているし、出来るわけ無いじゃないか)
「いや、別に、したくはないかな? そんな風に言うなんて、本当はよりちゃんがしたいんじゃないのぉ~?」
邪な心をひた隠し、更にふてぶてしさを装って口角を吊り上げて言い、翔太は自らにその機会を捨てた。
(これでいい、これでいいんだ。そうだ、だって見ろよ翔太、あのよりちゃんだぞ? 昔とは違うんだ、あの楽しかった日々は終わりを告げたんだ。何を血迷っているんだ、大人になれよ!)
少年はやがて大人になる。
翔太の場合、今がその時であった。
ましてや彼は、この先よりことリリィという女性二人と共にこれからの人生を歩んでいこうと真剣に考えているのだ。
(こんな僕の事を二人とも好きだって言ってくれてる、僕も二人の事大好きだ、ずっと、一緒に居たいと思ってる。だけど、こんなの普通じゃ無いってわかってる。もしかしたら誰も理解してくれないかも知れないのだから、恐らく様々な障害が立ち塞がるだろう。だけど僕はやるんだ、そう決めたんだ。 ……なのに、こんな些細な誘惑に勝てないで、そんな男に二人を幸せに出来るのか? 二人を守れるのか? 答えは否だ。だから相川翔太、耐えるんだ!)
その想いが彼をまた一段、大人にしたのであった……。
――しかしながら、世界は、そんな彼のささやかな成長をも許さないとばかりに残酷であった。
「うん、えへへ~ばれちゃったか~だって~好きなんだもん(テヘペロ」
そう言ってよりこはいつもお決まりの仕草をした。
「へ?」
「翔ちゃんはしたくないの? ……じゃあ、しょうがないから一人でやってるね」
「あの、ちょっと?」
「駄目?」
「いや……えっとあの、そ、それは、べ、別に構わない……よ」
「ありがとう」
よりこはいささか狼狽する翔太の許しを得ると、そそくさとベッドの上の掛け布団をかぶり、うつ伏せに丸まった。
――そして
「い~も~む~し~だぞ~」
と言いながらもぞもぞと愛らしく蠢いた。
加えて。
「い~も~む~し~だ~ぞ~、た~べ~ちゃ~うぅぞぉ~」
と言い、またもぞもぞと動いた。
それだけである。
――そうなのだ、これが「芋虫」という遊びの全貌。
つまるところ芋虫とは、よりこが布団にくるまり「芋虫だぞ」と言うだけのごっこ遊び……とも言えない単純な遊びなのであった。
しかしこの芋虫という遊び。殆ど多くの人間にとっては彼女が何をしているのか、また何が楽しいのか皆目わからないだろう。されど、仲の良い幼馴染同士の遊びであれば、当人だけにしかわからない楽しさという物が、思い出も加味されて存在する。
だがそれでは第三者に理解を得るのは難しいだろう。
そこで敢えて例えるとすれば、きぐるみやそういったキャラクターパジャマを着た女の子が発する可愛らしさという物がある。よりこにとって、そんなキャラクターになりきる感覚の延長線上にある何かを感じていると言える。ロールプレイン、コスプレにも似た感覚。しかし、ともすればごっこ遊びとはそういったものではなかろうか。
そして翔太にとって、なにより好きな女の子が自分の布団をかぶり愛らしく振舞っているのである。よりこの幼馴染にして、彼女を幼少の頃から心より恋し焦がれた翔太という少年の瞳には、その彼女の姿は何よりもいとおしく可愛く映るのだ。
(待て、落ち着け翔太、そうだ、よりちゃんは布団に包まるのが昔から好きだったじゃないか、そうだ、そうだよ、だから決して僕を誘っている訳では無いんだ。僕は、僕らはもう高校生なんだ、して良い事と悪い事の区別はつけられる。もう子供じゃないんだから……!)
どうにか心を落ち着けて、平然を装う。
「あ、あああ、あは、あははは、やだなぁよりちゃん、子供なんだからぁ、昔からちっとも変わらないや」
「えへへ~、そ~だ~ぞ~よ~り~こ~は~こ~ど~も~な~ん~だ~ぞ~、な~ぜ~な~ら~ば~い~も~む~し~だ~か~ら~」
そしてまたもぞもぞと蠢く。
(……そうか、芋虫だもんなぁ、蝶々に成る前だもんな、子供だよな)
葛藤むなしく、既にもう翔太の目には、よりこの姿は本当の愛らしい芋虫にしか見えなくなってしまっていた。
しかし、翔太はまだ「もって」いた、最後のたがが外れるのを、何とかその精神のギリギリで防いでいたのであった。
それでも、悲しいかなよりこの振る舞いは翔太に対して、いっそ残忍であったとさえ云える。
「あー! 美味しそうなご飯はっけ~ん、た~べ~ちゃ~う~ぞ~」
よりこ……いや、芋虫がのそのそと向かった先は翔太の枕。それを食べる、といった体で芋虫の頭に当たる部分から丸まった布団の中に入れてしまった。
「もぐもぐもぐ、美味し~翔ちゃんの枕はい~た~だ~い~た~」
「あ……このっ……!」
彼が今朝起きるまで使っていた枕、彼の自分にとっては不快であろうとしか思えない匂いや、恐らく涎も付いている事だろう、それを食べて、あまつさえ美味しい等とのたまうとは……。
翔太は芋虫にこれまで以上に言葉では言い表せないいとおしさと愛くるしさを感じた。
そこから発生するムラムラと湧き上がる衝動を押さえつける事の難しさと辛さは筆舌に尽くしがたい。
それを知っているのかいないのか、芋虫の暢気にお尻をふりふりする様に、翔太はもはや可愛さ余って憤りすら感じてしまう。
翔太はそんな芋虫の暴挙を止めるべく、リリィを起こさないようにゆっくりと丁寧に床に寝かせてから、芋虫の、よりこの肩に徐に手を置いた。
「やめるんだ、それは僕の枕だ、さあ返すんだ」
「や~だ~、こ~の~ま~く~ら~は~よ~り~こ~の~だ~ぞ~、も~ぐもぐもぐ」
「あぁ! ……やめろ、取り返しの付く前に止めるんだ、お願いだから……」
さもなければどうなるかわからないぞ、という事実上の最終勧告であった。
だが、芋虫は翔太の懇願に気にする素振りすら見せず、勝手気ままに振舞い、あまつさえ……。
「あっ、パジャマはっけ~ん! い~た~だ~い~た~」
朝のゴタゴタでベッドの上に脱ぎ散らかされたままになっていたパジャマを、また枕と同じように「食べた」のである。
「あ……」
その時である、翔太のたがが外れたのは。
プツンと、もしかしたら彼はそんな音を聞いたかも知れない。
「こ、この~! よくも、よくも僕の枕を! パジャマを! あれほど駄目だって言ったのに……許さないぞ、この芋虫め! どうなったって知らないからな!」
翔太はそう言い放ち、がばっと芋虫に抱きついた。
そして芋虫を、布団に包まったよりこの体を、しがみつきつつ頭を背中を尻を乱暴に撫でまくる。
そう! そうなのだっ! これが芋虫ごっこの本来あるべき姿、これぞ芋虫の本懐!
そして翔太がこの芋虫という遊びを恐れていた理由でもあった。
幼少の頃に続けられていたこの「芋虫」は、可愛らしい芋虫に扮するよりこを愛で撫でる事を目的とした遊びであった。
しかしそれは子供だけに許された遊び。
ある程度物事の分別が付く年齢であるとされる、高校生となった彼らが決してして良い遊びではなかった。
男の翔太が女のよりこの体を、布団越しとはいえ撫で回すなどといかにいけない遊びであるか、翔太は勿論知っていた、知ってはいたのであるが、よりこの芋虫が余りにも愛らしく天真爛漫で、そんな倫理観など吹き飛んでしまったのだ。
(きたー! 翔ちゃんきたー! うへ、うへへへ、うひー!)
いつもと違う様子の翔太に、よりこは戸惑うよりもむしろ歓喜した。
そして当然の事ながら、よりこはこうなるのを期待していた。
自分に向かっている関心をより強く求め、また「それ以上」を求めた結果。
自分を撫で回して貰いたいが為に、ベッドの上に置いてある枕とパジャマを見つけ、咄嗟に思い出し実行したのである。
「や~め~ろ~は~な~せ~」
「放すもんか、くそっ、このっ! 暴れるんじゃない!」
形ばかりにクネクネと身を捩り抵抗している振りをして、よりこは心にも無い事を言った。
そしてそれは更に翔太を過激にさせる。
ゴシゴシと更に強く乱暴に撫でられるも布団越しである為その刺激は軽減され、よりこにとっては丁度良い塩梅であり、そこにはこそばゆさも伴った。
「あ、あははっはぁ、はぁ、はぁ、や~め~ろ~た~す~け~て~」
「ならっ、枕とパジャマを返せ!」
「や~だ~、うぇひひっ」
「ならやめる訳にはいかないな、観念するんだな」
「エヒッ、お~た~す~け~エヒヒッ」
暫くそうやっていた二人だったが、少しずつ翔太の息が上がって来た為、翔太はそろそろ終わりにするべく動いた。
「はぁ、はぁ、じゃあ、こうしてやる」
翔太はよりことベッドの隙間に手を入れて、彼女が抱えている枕を掴むと強引に引っ張った。
だが、よりこも負けてはいない。
枕を取られまいと強く掴み抵抗した。
しかしながら、体重の軽いよりこであった為、ゴロンと簡単に枕ごとひっくりかえる事となった。
同時に布団も剥がれ、芋虫の中身である彼女自身が顕となる。
翔太の乱暴な撫でにより、綺麗にセットでされていた長い髪はぐちゃぐちゃになり、服も皺だらけ。翔太はそのよりこの姿を見て漸く正気に戻ったのであった。
「あっ……」
言葉が出ない。
それも仕方あるまい、彼は自分の犯してしまった行いに、どう申し開きをすれば良いのやら、皆目見当も付かなかった。
(やってしまった)
翔太の頭は真っ白になった。
しかし、ふと翔太は満足気な笑顔でいるよりこに気が付いた。
彼女の表情からは翔太を責める気配は微塵も感じさせられない。
「はぁ、はぁ、翔ちゃん……」
長時間布団に包まっていたせいもあり暑かったのであろうか、よりこの頬はほんのり色付いており、髪は汗で顔に張り付いていた。ふと視線を下に向ければ、彼女の持つ大きな頂が重力により形を変えながらも尚存在感を発揮し、荒い呼吸に合わせてたゆたい、それらが相まって翔太に堪らないものを感じさせた。
よりこはそれを感じ取ってなのか、或いは違うのかは翔太にとって定かでないが、よりこはいきなり翔太の服の胸元を掴み、しかし優しく引き寄せた。
翔太はそんなよりこの予想外の行動にバランスを崩し、彼女に倒れこみそうになるも慌ててベッドに手を着き事無きを得た。
そして近く見詰め合う形となった二人。
互いの荒い呼吸だけが聞こえる。
よりこの潤んだ瞳は、少し怯えている様にも見えた、唇が微かに震えている緊張でもしているのだろうか。そのよりこの面持ちに翔太の庇護欲が掻き立てられる。
すると、よりこは唇をきゅっと引き締め、緩やかに目を瞑った。
これが何を意味するのか、鈍い翔太にでもわかり過ぎた。
もう彼女には何度かキスをしているのに、未だ初々しい。
一度として翔太との口付けを疎かに出来ないと感じているのだろうか、ああ恐らくそうに違いない。
よりこの汗ばんだ髪と体から、女の子特有の良い香りがする。
その香りに誘われるまま、翔太はよりこにそっと唇を落とした……。
「そいっ!」
かに思えたが、突如として現れた毛布が翔太とよりこの間に入り、勢い余った翔太は静止する間もなく思いがけず毛布とキスする事となった。
驚いた翔太はパチクリと瞬きをし、続けて翔太を邪魔した毛布の中身は誰かの腕であろうと思い、毛布の本体を探した。
といっても、探すまでも無く、眼前にある毛布を目で辿ればすぐに見つけられた。
そこに居たのは先ほどの芋虫同様、毛布に包まったリリィの姿、芋虫リリィだった。
「ねえ、何してんの」
責めるような目つき、その瞳には薄っすら涙が滲んで見える。怒っているようにも見えるし、拗ねている様にも見える。
違うな、その両方だろうと翔太は思った。
芋虫リリィは芋虫よりことは違い、顔が毛布から出ており、その表情がありありと見て取れた。
彼女は二人の乱痴気騒ぎで目を覚まし、二人の気づかぬ間にクローゼットに入っていた毛布を取り出しかぶり、そのまま音も無く近づいたのだった。
「あの……芋虫……」
翔太はきまりの悪さを感じながらリリィの質問に答えた。
「芋虫?」
「うん、芋虫」
「何それ?」
「えっと……何て言えばいいか……」
「いや、もういい」
軽く手(毛布)を振り、興味が無いとして翔太の言葉を遮り、リリィはその姿のままベッドに上がり、空いた僅かなスペースに仰向けで丸まった。
何をするのかとそこへ向き直る翔太。
芋虫リリィは翔太の視線が向けられている事を確認すると。
「いーもーむーしーだーぞー」
にわかにそう言った。
「えっと……リリィ?」
戸惑う翔太にだが返事は無い、代わりに。
「いーもーむーしーだーぞー」
リリィの「芋虫」コールが続くのみであった。
更に戸惑う翔太。
しかし続く芋虫コール。
それでも上目遣いのリリィの瞳にみるみる涙が溜まってくると、漸く翔太もリリィが何をしたいのか、いや、何を求めているのかを悟った。
その後、翔太の母親から昼餉の呼び出しが続くまで、翔太は芋虫リリィを抱きかかえて、彼女が満足いくまで優しく、時に荒々しく撫で回す事となった。
そして、リリィが邪魔してからよりその間中、よりこは顔を真っ赤にして両手で顔を覆い、羞恥に悶え続けたのであった。
芋虫……これは流行るっ!!!!!!
(*´ω`*)




