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第33話 決意を形に

相川翔太 その11


揺れる乙男心おとこごころパート2





 机の硬い感触、無理な体勢からくる体の節々の痛みで僕は眠りから醒めた。


 学校から逃げる様に帰って来て、気晴らしにと、ここ数日書いていなかった小説を書いている途中で腕を枕に机に突っ伏して眠ってしまっていた。


 疲れていたのだろうか、昨日あんな事があって、色々想像が膨らんで頑張り過ぎたのが原因かも知れない。

 

 体勢をそのままに、首だけを回して部屋の中を見る。

 月明かりに照らされてぼんやりとだけ辺りが見えるが部屋の中はもうとっくに真っ暗だった、ベッドに据え置きしている目覚まし時計の針の蛍光部位を見ると角度的に7時を回っているようだ。


……あんな回数は、流石の僕でも初めてだった。まさかあの二人と付き合えるなんて事になるなんて今まで予想も出来なかった事に理性というタガが外れてしまったのか、自分でも驚くほどであった。


 でもこんなの最低だ。つくづく自分が嫌になる。二人同時とか、不誠実にも程があるよ。


『二股するなんて、女装より酷いな』


 そして今日の昼に先輩から言われた言葉を思い出した。その言葉は僕を突き刺して、寝ぼけていた頭が急速に覚醒していく。


 もし、先輩の言った事が嘘だったり的外れであったりしたら、僕はこんなに苦しまなかったであろう。


『君って奴は最低だ、軽蔑するよ』


 そうだ僕って最低だ。

 二人の可愛い子を侍らせて、そんなつもりはなかったけれど、やはり良い気になっていたのかも、調子に乗っていたのかもしれない、先輩に言われるまでも無く僕って奴は最低だよ。

 不可抗力とはいえ、流されるままに二人と付き合う事になるくらいなら、やっぱり一人を選んで付き合えば良かったのか、だけどやっぱりどちらか一人だけを選ぶ何て僕には無理だ。二人とも好きなんだ大好きなんだ、例え一人だけを選んだとしてもそれはもう一人の事も想いながら付き合う事になる、それって僕にとっては何よりも許せない裏切りに思えてしまうんだ。


――こんなのは駄目だ。今のままじゃ絶対に駄目だ。そもそもこんな関係絶対に駄目に決まってるじゃないか。

 やっぱり二人とは一度話しあってみよう。結論はもう出てる、だけど、せめて最後くらいは誠実に、彼女達から罵倒されたとしても甘んじて受けよう。


 リリィは今頃アルバイトだろうか、確か仕事が終わるのはいつも9時くらいだ。だから今日会うのは諦めて明日にしようか。でも土曜日はリリィは一日アルバイトだろうから、明日の朝、電話で予定を聞いてみるか......。

……こんな時に携帯電話があれば便利なんだろうけど、今まで特に必要無かったからね。予定を聞くだけでも一苦労だよ。

 だけど僕の友達はリリィだけで、その彼女には携帯電話が無くて、だから必要なかった。

 それにもしかしたら、これからする話次第では彼女はもう僕の傍から離れていくかもしれないのだ、友達に戻る事も難しくなるかもしれない、だから今更携帯電話を買っても意味の無い事かもしれないし......。


 嫌な考えが頭を占める。


 これって僕の悪い癖だ。何事も始める前からマイナスに物事を考えてしまうんだ。

 けど、今回ばかりは妙にリアルに起こりそうな事だな。強ち間違っていないかも知れない。

 少女漫画やアメリカドラマなんかじゃ、恋人から友達になる、なんてのは良くある事だし、実際にそういうカップルも居るんだろうけど、きっと僕には無理だろうな。だってもし別れ話なんてした後に、どういう風に彼女達に声を掛けて良いか、皆目検討もつかないよ。


 だけど、そんな事は今考えても仕方が無いので置いておこう。


 では、リリィは明日にするとして、先によりちゃんから話してみるか。

 もう真っ暗だし。昔は、といっても小学生の頃の事だけど、よりちゃんちは門限が早かった。今でもそうなのかはわからないけど、第一こんな時間に女の子を外に連れ出すなんて出来ないし、取り敢えず彼女には電話してみよう。


 僕は一頻り考えを纏めると、おもむろに頭を上げた。

 外から入ってくる街路灯の光で全くの真っ暗闇では無いのだけれど、いざ立ち上がり電気を点けようとするには足元が暗くて良く見えない。


「暗闇が俺を......いや、俺が暗闇を支配する。どうだ......付いて来れるか?」


 何と無く、ふとそんなフレーズが口を衝いて出た。

 こういう風に暗い所に居るとついつい自分が異能バトルの主人公みたいになった様な錯覚に陥る事って良くあるよね。

 あ、これってきっと暗闇あるあるだよね、うん、きっとそうだ。


 それにしてもこのフレーズ、僕が書いている小説の主人公の台詞にピッタリかも知れない。


……実は僕って趣味で小説を書いている。って事は云ったと思うけど、実は二つ書いていて、一つはリリィが僕に音読させたがる方、ひょんな事から異世界に迷い込んでしまった源氏の末裔で祖父から剣術を無理矢理覚えさせられた少年と、その世界で冒険者家業を営む少女との、笑いあり涙ありのラブストーリー。

 そしてもう一つは、ちょっと鬼畜で無敵な主人公と、知的で勇ましいけどどこか抜けてる少女との少し......いや、かなりエッチな官能小説だ。こればっかりはリリィにも見せるわけにはいかない。

 で、今言ったフレーズはその後者、つまり官能小説の方の主人公の台詞に良いかも知れないと思ったんだ。さっきまで書いていた小説もその小説だったし、今日の僕は「ノッてる」なと思う。我ながら良いフレーズだ。


 だけど、もう一捻り欲しいかな。やっぱり......。


「だが......それもタナトスに魅入られてしまっては意味を成さない。それでもお前は恐れずに俺を信じる事が出来るのか? 宵仔?」


……うん。


 やっぱり駄目だ。


 というか、さっきのフレーズも駄目だ。

 そもそもこの台詞の意味もわかんないし、何で良いと思ったのかも自分でも良く分からない。

 何だよ「暗闇が俺を......いや俺が暗闇を支配する」って、どういう事なの? それに何処に連れてくつもりだよ。タナトスってのも一体何なんだよ......。


……あ、そっか、寝起きだからだ。目が覚めたとか思ってたけど、全然そんな事無くって、まだ寝ぼけてたからだ。そうだ、そうに違い無いよ。


……まあそんな事、どうでもいいんだけどね。うん、わかってるよ。これが現実逃避だって事。

 だけどそういう風にして、この重い気持ちを誤魔化さないと僕は彼女達に......。


「翔ちゃん起きたの?」


 何故だか足元からよりちゃんの声が聞こえた。


……まだ寝ぼけているのかな。

 それとも、僕のよりちゃんを求める気持ちが大きすぎて幻聴を聞いたのかも知れない。

 明日にでももしかしたら別れ話をしなくてはいけないかもしれないというのに、僕は何と滑稽なのだろう。

 それかもしかしたら、別れ話なんて気の重い話をしなくてはいけない為にストレスが圧し掛かっての幻聴かもしれない。

 え? 大げさかな? でも僕みたいな思春期の少年には十分起こりうる事だってネットに書いてあったよ。……書いてあった気がする。……だからきっとそうなんだ。


「翔ちゃん?」


 ってそんなわけは無いよね。


「よりちゃん!? どうしてここに?」


 月明かりが淡くぼんやりと照らす部屋に確かによりちゃんは座っていた。

 今まで全く動かなかったので気配が無く、声を掛けられるまで気が付かなかった。


 ていうかさっきの聞かれた!?


「どうしてって......か、彼女が彼氏の部屋に来るのは当たり前でしょ? ……もしかして、嫌だった?」


「いや、そんな事は無いけど......。」


「じゃ、じゃあいいじゃないっ!」


 こんなやり取り確か朝にもした様な気がする......。

 でもよりちゃんの声が震えているのはなんでなんだろう。もしかしてさっきので笑いを堪えてるとかかな。


……最悪だ! ……だけど、笑いを堪えてくれてるって事はつまり。


「よりちゃん、来たんなら起こしてくれたら良かったのに。」


 スルーに限る。

 折角よりちゃんが無かった事にしてくれてるんだ。その気持ち、大切にしたいよ。


「翔ちゃんは起こしても起きないよ。」


「いや、起きるよ、いくらなんでも。」


「ううん、起きないよ。」


「起きるって絶対。」


「絶対起きないよ。」


 む。

 そんな風に断言されると何だかな。

 そりゃあ僕は朝目が覚めるのがギリギリだから、寝起きに自信がある、ってわけでは無い、それどころか寧ろその逆だけれど、流石に起こしてくれたらいくらなんでも起きると思うんだよね。


……けどまあ、今はその事は置いておこう。


「よりちゃん、ありがとう。」


「う、うん。その、どういたしまし......て?」


 こんなやり取りでうやむやにしてくれた彼女に感謝だ。

 こんな不思議そうな返事も彼女の演技だと思うと愛しい気持ちで胸が一杯になるよ。


「じゃ、明かり点けるよ。」


 僕は暗い中、彼女にぶつからない様慎重に歩いて彼女を通り過ぎ、どうにか部屋の明かりを点けた。


 パッと明るくなる室内。僕は目が痛くなり顔をしかめた。


 明かりで姿を現したよりちゃんは、僕の座っていた椅子の斜め後ろで、あのピンク色の座布団の上に正座で座っており、何故だか僕の枕を膝の上に乗せていた……丁度よりちゃんにあってリリィには無い彼女の重荷を乗せる形で。


……やっぱり重いのかな? 肩こりの原因にもなるっていうよね。大きい人は大変だともいうよね。


 こちらに向けて座り直した彼女の顔はやはり眩しいのか、僕同様にしかめられていた。


「所でよりちゃん、家の方はいいの?」


「い、家? 何が?」


「門限とか、大丈夫なの? それとも昔と違って無くなったりしたの?」


「あ、も、門限......はあるよ。今でも全然あるよっ。」


 何故だか大きな声で答えるよりちゃん、一体どうしちゃったんだろう?

 もしかしてさっきのって、そんなに酷かったかな? 引き過ぎてこうなっちゃったとか?


 僕を見つめるその顔も心なしか青く見える。

 それに何か思い詰めた様な表情だ。


 そんなに?


 だけど僕にはどうする事も出来ない。一度彼女が聞かなかった事にしてくれたんだ、もう引き返す事等出来ないよ。

 僕は唯、何も無かったかの様に振舞う事しか出来ない。


「そうなんだ。じゃあ、時間大丈夫なの?」


 そう言って僕は目覚まし時計を指差した。

 そこにはやはり暗闇で見たとおり、7時を回って、7時30分に差し掛かっていた。


「あ、全然平気。大丈夫だから気にしないで。」


「ならいいけど......所でよりちゃん、門限って何時?」


 ふと気になったので聞いてみる。

 昔は5時が門限だったよりちゃん、この時間でも平気って事は9時とか10時とかかな。もしかしたら12時とかかも、高校生だしその位でも当たり前だよね。リリィだって彼女の母さんである雪絵さん(余りにも若く見えるためにおばさんって呼び辛いのでリリィと同じ様に下の名前で呼ぶ事にしている)は厳格な人だけど、それでも高校生になってアルバイトをする様になってからは門限を10時にしたくらいだもんね。


「門限? なら6時......あ、今日クラブ辞めたってお母さんに言ったら5時にされちゃった(テヘペロ」


 可愛らしくお決まりのポーズをとって、彼女のお気に入りである(と今日知った)テヘペロをする。

 すると青ざめていた彼女の気色もいくらか良くなった様に思える。


 凄いなテヘペロ。

 今日の昼休みの時は「何言ってんだろこの」って思ったけど、もしかしたらテヘペロはよりちゃんにとって、僕の想像を超える物凄い力を持っているのかも知れない。


「よりちゃんはテヘペロが好きなんだね。」


「うん! 大好き! 私、テヘペロ初段なんだよ、凄いでしょ~」


「う、うん、凄い......ね。」


「えへへー褒められちゃった~。」


 テヘペロ初段? 何だそれ? という事はテヘペロ二段とか三段とかあるの? 最高位は? そもそもそれって一体どこから認定されるの?


 そんな疑問が胸中に湧き上がる。だけど嘘偽り無く無茶苦茶嬉しそうにしているよりちゃんを見れば、そんな僕の小さな疑問などどうでも良くなってくる。


……まあいいや、喜んでくれたようで何よりです。

 それにそもそもそんな顔色にさせていたのは僕のせいなんだし、とやかく言う筋合いは僕には無い。


「ところで門限が5時って早いね、というかもうとっくに過ぎてるよね、全然大丈夫じゃないよね?」


「あ、うん。だけど、翔ちゃんちに行くから今日遅くなるからねって言ったから大丈夫だよ。」


「ああそうか、それなら大丈夫か、そうだよね。」


 だよね。すっかり忘れていたけれど、両親同士が仲が良いんだから別に心配する事も無いよね。

 だけど僕も男なんだし、やっぱり心配した方が良いよ。よりちゃんの母さん父さん、男は狼ですよ、気を付けなさいね。


「でもクラブは辞めちゃ駄目だよ、今朝言ったでしょ。」


「だってそれは......。」


「ね、来週先輩としっかり話し合ってからでも遅く無いんだし、ね? わかった?」


 自分の言った「先輩」という言葉に胸がチクリとした。自分で言った言葉で、勝手に一人で傷付いてる、全く僕って奴は情けない。


「でも。」


「でもじゃない。」


「だって。」


「だってじゃ無いでしょ?」


「しかし。」


「しかしもかかしもありません。」


「だけど。」


……しつこいな。


「もう。よりちゃん。はあ......僕、聞き分けない子は嫌いだなぁ、よりちゃんそんな子なの?」


 僕は心底失望した風を装って言った。


 いつもの手だ。安易で申し訳ないけれど、これでわかってくれると嬉しい......。


「…………」


 だけど、そんな僕の期待は虚しく。今度は機嫌良さ気な表情から一転してだんまりしてしまったよりちゃん、

 頬を膨らまして「私知りません」って顔してる。


 こうなっちゃったか。失敗しちゃったよ。


 こういう所は昔から変わらないな。こうなっちゃうともうどんなに言っても聞いてくれなくなる。もう小学校から数えて6年くらいまともに話す事は無かったけれど、こういう所、ちっとも変わってないや。

 

「そんな顔しても駄目だよ。来週ちゃんと先輩に話さないと。」


 頬を膨らましたまま首を振るよりちゃん。

 頑なだ。


「ねえ、よりちゃん。もしかしたら......いや、やっぱり、僕が原因なの? もしそうだとしたら僕は別に......。」


 だとしたら僕は皆に迷惑を掛けた事になる。

 いや、だとしたらじゃなくてきっとそうなんだろう、申し訳無い気持ちが溢れてくる。


「翔ちゃんは! 悪くないよ......。悪いのは全部あいつなんだから。」


「よりちゃん......そう言ってくれるのはほんと嬉しいけど、でも先輩にあいつだなんて言っちゃ駄目だよ。それに先輩は悪く無いよ。だって実際悪いのは僕じゃないか。僕が二人の事好きだなんて最低な事言ったからこんな事になったんだし。」


「最低じゃないよ! 翔ちゃんは......そんな事言わないで翔ちゃん。自分で自分の事最低だなんて言わないで。」


 言いながらゆっくりと近づき、そのまま僕のお腹に抱きついた。


「よ、よりちゃん?」


「私はね。翔ちゃんに好きだって言って貰えて凄く嬉しかった。凄くすっごく嬉しかったんだよ。本当だよ? それはね、リリィちゃんも、って聞いたらね、それはね、嫌だったよ。でもね、翔ちゃんが私の事好きだって言ってくれた嬉しさの方がね、凄くすっごく大きかったの......。」


 僕のお腹に顔を埋めてくぐもった声で言うよりちゃん。言ってて恥ずかしいのか耳まで真っ赤だ。


――何ていじらしい子なんだ、よりちゃん。

 こんな僕なんかに好きだって言われただけでこんなに喜んでくれるなんて。


 こんな風に言われて嬉しく無い男なんているだろうか。いや、もしかしたらいるかもしれないけれど、でもきっとそんな男は最低だ。僕以上に最低な男、いいや、人として最低に違いない。


……だけど、だからこそ。僕が今以上に最低にならない為にも言わなくちゃいけない。

 本当は、もっと後にするつもりだったけど、きっと優柔不断な僕の事だ、こんな嫌な事、後回しにしてしまうかもしれない。

 だから今言うしかない。


「よりちゃん、そう言ってくれて凄く嬉しいよ。僕だってよりちゃんが好きだって言ってくれて本当に嬉しい。だけどねよりちゃん、僕にはそんな資格無いよ。」


「あるよ!」


 無いよ。僕が君と、君みたいな素敵な女の子と付き合う資格なんて無い。


「ねえ、よりちゃん、実は聞いて欲しい話があるんだ。」


「いやっ! 聞きたく無い!」


 僕がこれからする話の結論を機敏に感じ取って、話を遮り僕のお腹に顔をこすり付けてイヤイヤするよりちゃん。


「だよね。聞きたく無いよね。 ……ねえでも、聞いてよりちゃん。僕はやっぱりリリィも好きなんだ。だからね。こんなどっちも好きだなんて事言う最低な男なんかと付き合う事なんて無いんだ。」


 よりちゃんはもう、唯黙って首を振り、僕のお腹に顔を擦り付けてる。

 だけど......それでも尚、僕は言葉を続ける。


「だから、さ、僕達......別れよう。」


 そして遂に......遂に言った。

 とうとう言う事が出来た。

 いや、言ってしまった。と云う方が正しいのか。


 よりちゃんはビクッと体を一瞬震わせた。

 そしてそのまま微動だにせず、何も言い返してこない。

 そんなよりちゃんを見つめながら、僕は彼女のショックの大きさをつぶさに感じ取り、早くも後悔を始めていた。


 だってそうでしょ? こんな可愛くて僕の事大好きな女の子を、僕が大好きな女の子を自分から振るなんて事、後悔しないわけ無いよ。

 これは絶対に言わなくちゃいけない事だった。だけど言ったら絶対後悔するって、言う前からだってわかってたんだ。


……つらい。物凄く辛い。後悔が、よりちゃんを失う事による喪失感が、彼女を傷つけてしまった罪悪感が、体中にぶわりと広がって堪らない気分だ。様々な感情が、まるで物理的な作用でもあるかの如く、僕の体の力を奪っていく。

 こんな事をまたリリィにも言わないといけないだなんて最悪だよ......。


「よりちゃん......いいね? じゃあ離れようか?」


 彼女の両肩に手を置いて軽く押す、だけど彼女は僕から離れようとしない。


「よりちゃん。」


 今度はもう少し力を込めて押す、だけどそれでも離れない。


「よりちゃん、良い子だから、ね?」


 返事は無い。そして僕から離れようとしない。


「ねえ、よりちゃん......わかってよ。」


 少し声が震えてしまった。


「あれ?」


 また震えた。

 おかしいと思い、顔に触れると濡れていた。


 あ、僕今泣いてるよ。

 情けないな、メンタル弱過ぎだよ僕。

 しかも僕から振ってるってのに自分が泣いてどうするんだよ。

 いや、悲しいのは当たり前だけど、よりちゃんはもっと辛いはずなんだ、自分で言って自分で泣くとかとんだ偽善者だな、僕って。


 こんな自分が嫌になって、僕は一言「ごめん」と呟いた。

 誰に対しての「ごめん」なのか自分でもわからない。

 するとよりちゃんがギュッと抱きしめる力を更に強くした。きっと目一杯の力なんだろう、抱きしめる腕がブルブルと震えている。


「翔ちゃんは、よりちゃんの事好きなんでしょ?」


「す、好きだよ。」


「じゃあ、良いよ。問題無いよ。だって翔ちゃんはよりちゃんの事好きで、嫌いじゃ無いんでしょ?」


「そりゃそうだよ、嫌いになんてなるわけ無いじゃない、そんな事有り得ないよ。」


 そうだ僕がよりちゃんを嫌いになるなんて有り得ない。

 一昨日学校で僕がよりちゃんに言った事だ。あの時改めて思ったんだ。

 いや、これからの未来、僕らに何があるかわからない、だから絶対なんてもしかしたら無いのかもしれないけれど、でも、今の僕には有り得ない事なんだ。

 それに僕がよりちゃんの事を嫌いになる事なんて、どうやったって想像出来ない。

 だけど逆。つまりよりちゃんが僕を嫌いになるなんて事は簡単に想像出来てしまうけどね。

 でも、僕がよりちゃんを嫌う? こんなに可愛くて甘えん坊で優しい彼女を? そんな事、それこそ有り得ないよ。


 そんな僕の言葉を聞くと、よりちゃんは突然跳ねる様にバッと顔を上げて僕を見つめた。


「あ、有り得ないの? 私の事嫌いになるの、有り得ないの?」


 目を見開き、勢い良く僕に顔を近付けるよりちゃん。その顔は既にもう涙でグチャグチャになっていた。

 そんな彼女にたじろぐ僕。


「う、うん。あの、だけど僕はやっぱりリリィの事も......。」


「それは知ってるよ。そんな事よりそれって本当なの? 翔ちゃん!」


 そんな事って。一番重要な問題だと思うけど。


「いや、だからそれは前にも言ったし本当だよ、でもねよりちゃ......。」


「絶対?」


 僕の話を聞いてくれないよりちゃん。


「う......うん、絶対......だけど......よりちゃん? どうしたの?」



 その僕の「絶対」を聞いた直後、よりちゃんはまた僕のお腹に顔を埋めブルブルと震えだした。

 そして。


「ファァァァー!」


 という謎の奇声......というか雄叫びの様な物を上げた。


……ファー?


 するとそこからまた一転して今度は。


「絶対......グヘヘェ~。」


 今までのよりちゃんからは想像も出来無い声が聞こえた。


 僕はそんな彼女の一連の行動に驚いてしまって目を見張って見つめていた。

 そしてよりちゃんは正に蕩けた、といった表情で僕の顔を仰ぎ見た。

 未だ涙でグチャグチャだけど、心底嬉しそうなにやけた目、半開きの口からは涎を垂らしてる。

 だけど、驚く僕の視線に気が付いて、ハッと表情を取り繕い満面の笑みを湛えて僕に言った。


「だよね、そうだよね! 翔ちゃんが私の事嫌いになるわけ無いよね。そうだよね!? 言ってたもんね、当然覚えてるよ! だって翔ちゃんが言った事だもん! だけど......翔ちゃんが! わ......わか、わかれ......何て言うんだもん!」


 言いながら、その笑みを崩さないままで更に涙を流すよりちゃん。


「う、うん。ごめん。」


「ううん、いいの! いいの! 謝らないで翔ちゃん。だったらいいの。私も同じだもん。私は翔ちゃんの事、何があっても好きなんだもん! あ、愛してるんだもん!」


 よりちゃんは僕の体をよじ登るようにして、今度は顔に抱き付いた。丁度胸が僕の顔に当る。


……だけどよりちゃん、僕は。


「だから、ね? 翔ちゃんも私の事好きで、私は翔ちゃんの事が好きでしょ? だからね、そんな、ね? リリィちゃんの事もね、好きだって知ってるけど、ね? そんな事で、私の事を、ね?」


 たどたどしく紡いだ言葉を一旦止めて、ズズーッと鼻を啜った。

 そして最後に。


「捨てないで......。」


――え?


 強烈にその言葉が心臓に突き刺さった。


 今よりちゃんは「捨てないで」って言ったの?


 弱々しくも物悲しく、それだけ言うとそのまま僕の顔に縋りついてしくしくと泣いているよりちゃんを頭上に感じて、打たれた様に僕は考える。



 いや、聞き間違えはないよ。間違える方がどうかしてるよ。

 今よりちゃんは確かに「捨てないで」って言ったんだよ。

「捨てないで」って、何だよそれ? そんな台詞、今時ドラマでも言わないよ。

 そもそもそんなの普通は言わないよ。

 だってそうでしょ? そんな自分を物みたいに言う言葉なんて普段使わないし、それにそんな言葉、言ってから絶対に後悔するよ。


(どうして後悔するの? よりちゃんは本当に後悔してると思う?)


 言語として成立していない様な、無思考に近い感覚的で胸の奥から沸き上がる様な声が聞こえる。

 その声は僕の内なる声。自分の欲求に忠実な存在。大げさに聞こえるだろうけどそうでは無い、それは誰しもが必ず持っている、理性を超えたもう一人の自分。

 その声が「僕」にそう問う。


 そんなの決まってるよ。だって「捨てないで」なんて、まるで「貴方が居ないと生きていけない」って言っているのと同じじゃないか、そんなプライドをかなぐり捨てた台詞......。


(だったらよりちゃんはそれだけ僕の事が好きだって事なだけじゃないの?)


……そうだよ。よりちゃんは僕の事好きなんだ。きっと、いや絶対に凄く好きなんだ。

 だけどそれは僕も同じだよ。

 僕だってよりちゃんの事凄く好きなんだ。


(じゃあ、どうしてそんな凄く好きな人にそんな事言わせるの? 言わせたままにしておくの?)


 だってしょうが無いじゃないか、僕はリリィも好きなんだから。僕が彼女の気持ちに向き合う資格なんて無いよ。


(でもよりちゃんは問題無いよって言ってたじゃない。だから問題無いんじゃないの?)


 そんなの詭弁だ。彼女の尊厳を無視した言い訳だよ。そんな事言える訳無いだろう!?


(詭弁でも何でも。彼女は一体何を望んでいるの? そして僕は何を望んでいるの?)


 僕は......。


(ほらね? そんなの考えるまでも無いじゃない)


 だけど!!!


(建前はもういいって、そんな事より、よりちゃんが何か言ってるよ)


「翔ちゃぁん、だからお願い......お願いだから別れる何て言わないで......。」


 よりちゃんの声で我に返った。内なる、声にならない声はもう聞こえない。


 見上げるとよりちゃんは、そう繰り返し言いながら泣いている。

 僕はそんな彼女に居た堪れ無くなった。


――もう駄目だ。


 抗い難い衝動が僕を突き動かす。

 僕はよりちゃんの抱擁を無理矢理解き彼女の両腕を掴んだ。


「え? 翔ちゃ......ん。」


 突然の僕の行動に戸惑うよりちゃん。


 決意と云うには唐突で不純かも知れない。それに未だ揺ら揺らしているこの衝動を決意というには正しく無いだろう。


 だけど、僕はもう決めたんだ。

 この気持ちを、衝動を決意と呼ぶって。


 そして僕は、優柔不断なこの感情を形にする為に。



 よりちゃんを、彼女の存在自体を奪うかの如く、激しく、貪る様にキスをした。





 蛇足かもですが、翔太に対するよりこのプライドは初めからありません。元々ゼロです。

 なのでこれは翔太君の過大評価? です。


 それから修正はまた後ほど

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