第32話 ある雪の日の思い出
リリィ・アンダーソン その11
あの後、また暫く店長と話し合った。
……いや、話し合ったというよりは、唯店長の惚気話を聞かされていたと言った方が良いだろう。
どうやら最初に聞いたママとの話は、店長的には惚気話等では無かったらしく、今度はいよいよ本格的な惚気話を聞かされた。
しかし始めは黙って聞いていたが、余りにも長く痛々しいその話に我慢が出来なくなり、仕事を理由に店長の返事を待たず、逃げる様に出てきてしまった。
その店長の惚気話のお陰で翔太との事をあれ以上聞かれなくて済んだけど、あんな話あれ以上聞いていられなかった。
でも、それはそうかもしれない、というのはそもそも惚気話というのは云わば恋愛事における自慢話だったり武勇伝であったりする。そして聞き手には関係の無い他人事だ。
……よしんばそれが仲の良い、それこそ大親友の話であったとしてもだ。と言っても、私には親友と呼べる存在は翔太しか居ないんだから、私の想像での話だけれども。
それに惚気話って、それがどんな話でも例え誰がしても、大抵誇張や聞きたくも無い、その時の自分の気持ち、それに伴うご都合主義なんて物まで合わさって、とても楽しく聞けた物では無い。だからこそ惚気話という物は、存在その物が痛々しいものであると思うし、ましてや自分の母親との恋愛話なんだからあまり聞いていても気持ちの良い物では無いと思う。
だけど店長の話の痛々しさというのはそういう類の物では無かった。 ……もし、そういう物であれば、きっと私は店長のお話(説教)と言う名目で仕事もサボれる事もあるし、今でも聞き続けていた事だろう。
ではその店長の話とはどういう物なのかというと、実はその話の殆どが、ママに告白出来ずそしてそのままその機会を失った店長の、今日に至るまでの失意と絶望の話だったからだ。
だからママと付き合えている現在までの、幸せに至るまでの辛いプロセスというか、失恋話というのが正確な表現だろうし、実際私はその辺りまでしか聞いていなかったので、惚気話というには違うかもしれない。
でもママも幸せよね。こんなに愛してくれる人がいるなんて、同じ女として憧れちゃうわ。
それに店長も私が思ってたロリコンじゃなくて良かった。
私の事を変な目で見ていたのは私が学生時代のママにそっくりだからって言ってたもんね。それじゃあ仕方ないよね。好きな人にそっくりな、こんな可愛い子が近くにいるんだもん。ウン、ワカルワカル。
――だけど。
そんな「私が思ってたロリコン」じゃない店長が好きだった大学生のママは、写真で見た事あるけど本当に私にそっくりなの。
いいえ、それどころか今の私より幼く見えるのよね。
もう二十歳になろうとしていたにも関わらず......。
……え?
それは何のミステリーだって? 私のママに何の秘密があるのかだって?
あ、ごめんなさい。そういうつもりで云ったんじゃないの。それに私達の容姿の話なんていとも簡単に説明出来ちゃうわ。
ではそれは何なのかというと、話は単純で、そんなの遺伝よ遺伝、それ以外に何も無いわ。
だって、もう17歳になる私がこんな子供みたいな容姿なのに、その母親がそうじゃ無い訳無いもん、ご飯だって沢山食べてるのにこんな子供みたいな姿なのは遺伝なの、それ以外に説明しようが無いし、ママのおばあちゃんもそうだったらしい、これって日本の神秘よね。それに今40代のはずのママは誰がどう見ても10代後半か20代前半にしか見えない。だから今でも並んで歩いていると、しょっちゅう姉妹に間違われるわ。つまり私達母娘の、この幼い見た目はミステリーでも何でも無いママの家系からの遺伝なの。
……と、
ごめんね、話が逸れちゃった。
なので結局、私が言いたかった事は、そんな幼く見えた当時のママの事が好きな店長は「合法ロリ好き」だって事。
店長がロリコンじゃなくて合法ロリコンで本当に良かったわ。
……うん、分かってる。言いたい事はこうよね? 「合法ロリコンとロリコンは同じなんじゃ無いのか」って事よね。
そう、分かってるわ。
結局ロリが好きな人は異常性愛者、変態性欲の代表者格よね。良くテレビ何かで騒がれている犯罪者予備軍よね。勿論私だって知ってるわ。
だから私も以前まではそう思っていた、ロリコンは分け隔てなく犯罪者だって......。
だけど翔太が以前言ったわ。
「いいかいリリィ、良く聞いて。ロリコンは法律違反の犯罪者かもしれないけど、合法ロリコンは違法じゃ無いんだ。だから......もし、そんな人を見かけても白い目で見ないであげて欲しいんだ」
って。
その日は雪が降っていた。
翔太が思い出したように私にそう言って聞かせた時は、私は暖かい翔太の部屋の窓から見える静かな雪景色を楽しみながら、彼の膝に座ってウトウトしていたの。
折角良い気持ちでいたのに邪魔されて、私は憎たらしくなって得意げにそう言う翔太の顔を眠い目を擦りながら憎々しげに見上げたわ。
そして何か言ってやるつもりだった。
だけど、徐々に眠りから醒めて頭がはっきりしてきていた私はそんな事より「それってどういう意味?」って思ってしまい、疑問が先に来て黙ってしまった。
だってそうでしょ?
確かに合法って言うくらいだし、年齢的な、法律的な意味では犯罪者では無いかもしれないけれど、でも合法ロリコンだって本を糾せば唯のロリコンよね?
小さい女の子が好きだけれど、でも犯罪者にはなりたくない、だから合法......つまり紛い物で誤魔化そうとしている性根の腐った奴の事よね?
そりゃあ勿論、合法ロリのその年上なのに幼い外見ってのが良いって人もいるだろうけど、そもそもそんな人見た事無いわ。 ……私とママ以外は、だけど。
だから合法ロリなんてオタクの幻想よ。現実に居るわけも無い空想上の人物に対して性愛を感じるなんてやっぱり変態だわ、異常よ異常。白い目で見られるなんて当然じゃない。
だからそう言うつもりだったけど、でもそう言ってやるつもりで合わせた翔太の目はとても良く澄んでいて、何故だかその顔は慈愛に満ちていた。それに何かを確信しているかの如く自信に溢れていたわ。
そしてその瞬間、私はある事を思い出し、それと同時に理解したの。
――翔太もまた「そう」であるという事に、そして何故「こんな事」を態々私に言ったのかを......。
翔太が私に伝えたかった事。
それはつまりその唯一の例外である「私」空想上の人物では無い、実在する合法ロリである「私」を愛する事に罪は無いという事。
そしてそんな私を愛している自分をどうか許して欲しいという言外の懇願。
それからあの自信ありげな顔は、絶対に私がそれを許すだろうと云う確信、信頼の表れだ。
……ふふっ、卑怯な男よね翔太って......。
そんな風に言えば私が頷くのを知っていて、そうやって姑息な言い回しで許されようとしている心の弱い男。
翔太って、そんな弱虫で情けない、本当どうしようもない男性
だけど、そうと知っていてもやっぱり許してしまう。
だって翔太がそんな事するのって、つまり私の事を愛する故によね。
だから卑怯で姑息で弱虫で情けない男性だってわかっていても、それでも嫌いになれない、いいえ、それどころかそんな所が可愛く思えてしまう、愛しく思ってしまうの。
そしてそう思ってしまう程翔太にいかれてる私は、翔太以上にどうしようも無い女......。
「フヒヒッ。」
――はっ。いけない! ついつい妄想が膨らみ過ぎて声に出してしまった。それに
静まれ、静まれ私の表情筋! にやにやするんじゃないっ! 今はバイト中だぞっ!
……というわけで、今までのは私の妄想だったわけだ。
でも、翔太が私にああ言ったのは本当だ。けれど、果たしてあの時の目や表情は私の妄想通り、そんなつもりで言ったのかはわからない。
いや、そんな事は無いだろう、あの時は多分翔太は自分の持っているショウモナイ知識、薀蓄を何と無く披露したかっただけだろう。そしてそういう事は今までも良くあった。だからきっとそうなんだと思う。
全く、人騒がせな男よね、翔太って......。
だけども、あのいつもは自信無さそうな気が弱そうで情けない顔が、そういう時だけは不思議と得意げになるのが私はわりと好きで、そのショウモナイ知識や薀蓄に突っ込みどころがあったとしても黙って聞いててあげるのが私のお気に入り。
だからやっぱりさっきまでの妄想は、そうだったらいいなーという私の願望で、全く事実の歪曲に過ぎないのだろうと思う。
でもこれっていつもは夜寝る前の布団の中でする妄想なんだけれど、今日は色々あり過ぎて疲れてか、仕事中にまで妄想してしまった。
唯でさえ普段から失敗ばっかりしているというのに、勤務態度まで不真面目だと思われたら、流石にもう店長も私の事を庇いきれないかもしれない。それに邪な理由で私を庇っているのでは無いという事実が判明した今、店長に負担を掛けさせたくない。
私はキョロキョロと周りを見回して、今の笑い声が誰かに聞かれていないか確認してみた。
店内では穏やかなBGMが流れ、お客は疎らに座り、ある者は友人との談笑を、ある者は本を片手に不味そうなコーヒーを啜っている。誰も私に注目していなかった。つまり私の笑い声は誰にも聞かれてはいないという事だ。
「ふう......。」
どうやら大丈夫みたいで、私はほっと息を吐いた。
そして念押しの確認の為また改めて店内を見渡し、ふと、店内に備え付けられている掛時計を見た。
するとそこには無常な現実があった。
それはまだ、5時前である事を指し示す長針と短針。
でもそんなの当たり前だ。バイトが開始してから少ししか経っていない。店長の話は長かったが、それでも時間にすれば数十分といった所だったのだろう。
バイト終了の9時まで後4時間と少し。まだまだ先は長い......。
それが分かった私はがっくりと肩を落としてしまった。
というのも、今日は金曜日だ。
そして明日が土曜日で明後日が日曜日。
何をそんな当たり前の事を、と思うかもしれないが、私にとってはとても重要な事。
私が高校生になってから、というよりもアルバイトをする様になってからは唯一翔太と二人で過ごせる貴重な日曜日。
そんな大切で待ち遠しい日まで後一日過ごさなければいけないのだ。
しかも明日、土曜日は朝から一日バイト。今日のバイトもまだ始まったばかりだというのに憂鬱になってしまう。
……あ、そういえば、よりこと日曜日約束しているのよね。
という事はこの苦難を乗り越えたとしても、翔太と二人きりで休日を楽しむという事さえ出来ないのか......現実とは、何て残酷なんだ......。
それはさておき、今日のシフトは4人。金曜日の夕方は大抵込むのでこの位の人数で回す事になる。
普通は、いくら店が込むと言っても4人は多すぎるくらいなんだけれど、そこはそれ、私が戦力外なので実質3人で回すのと変わらない。
……云ってて情けなくなる。
ところで、今日のメンバーである私とお局様、そしてその側近、それと後もう一人な訳なんだが、それを一人一人紹介していこうと思う。
先ず始めに、お局様というのはさっき挨拶しても返してくれなかった先輩で、店長の事もあるし、私の事をきっと嫌い。
そしてその側近はお局様と仲が良く、あんまり自己主張しない人で彼女のイエスマンみたいな人だ。だから文字通り「側近」みたいな印象を受ける。この人は直接私とどう、という訳では別に無いのだけれど、それでもお局様と仲良しなので率先して私と仲良くするという事は無い。
そもそも、この二人には仕事の事で迷惑をかけまくっているので、私は嫌われていて当然なのである。
それはそうと、このお局様と側近というあだ名なんだけど、これは私が勝手に付けたあだ名で、当たり前だが他の誰からも呼ばれていない。特にお局様というのは、唯単にホールの中で一番年上の女の人であるという事と、仕事の諸々を取り仕切っているので、何と無く、お局様、という呼び名がしっくり来るような気がしてそう心の中で呼んでいるだけだ。
それに年だって20代の後半くらいらしい。側近は、それより少し若いくらいらしいし、それに二人とも顔が結構可愛くて、この店の看板娘達、だそうだ。最初に紹介された時店長がそう言ってた。
……そう、だからこの二人は結構可愛いんだと思う、思うんだけど、でもお局様って私の前ではキツイ顔しかしないのよね。だからきっと可愛いんだろうけど良くわからないんだ。
そして最後の一人。
私の唯一の後輩にして、当店一番人気の男子。倉橋祐一だ。
年は16歳くらい、私の一つ年下。高校1年生でここいらでは一番の進学校に通っている。身長は翔太と同じ位で、だけど、翔太と違って細くて筋肉質。そして無造作っぽい髪型が似合う、母性本能を刺激するらしい幼い様な、それでいてワイルドな印象を受けると云われている、目鼻顔立ちの整った……つまり簡単に言うとイケメンだ。それもアイドル顔負けの超イケメン。私が知ってるイケメンの店長や北澤先輩よりも更にイケメンだ。
言うなればイケメンインフレの最終地点だ。
そして駄目押しの、良いとこのボンボンらしいと言う噂。 ……じゃあ何でそんな良いとこのお坊ちゃんがこんなしがないファミレスでバイトしてんのよ、っていう突っ込みは、残念ながら私以外はしないみたい。
店内では店長と祐一とで人気を二分していて、最近では祐一派が徐々に勢力を伸ばし、いずれはこの店を乗っ取ってしまうかもしれない、と云われている……マジどうでも良い話なんだけども。
でもそんな人気者な祐一なんだけども、はっきり言って私はあんまりだ。
というのは、例えば私の事を先輩なのに「リリィちゃん」って呼ぶし、タメ口で話すし。仕事始めの挨拶だって「おはようございます」って言わなくちゃいけないのに「ちょりーっす」で済ますし、しかも、その「ちょりーっす」に対して誰も注意しないし、それに祐一が入ってきたばっかりの時には私が教えていたここの仕事も、僅か半日で私より出来る様になるし......最後のは唯の嫉みだけど......。
――それから倉橋祐一は......。
「もうっ! 祐一君ったら、また遅刻ギリギリだぞ!」
おや?
噂をすればお局様。
普段側近とかと話している声より1オクターブ高い彼女の声が聞こえる。
私以外の3人は、私から少し離れた所で固まってお喋りをしている。
お局様は漫画なんかで良くある「ぷんぷん」という擬音が聞こえてきそうな感じで、頬を膨らませて「私怒ってます」というアピールをしている。古い言葉ではあるが「かわい子ぶりっ子」という表現が丁度合う。
声も普段より高くして、もういい大人なのに必死で大分年下である男子高生に可愛さアピールするその姿は、痛ましいを越えていっそ清々しく、尊敬の念すら覚える。
そういう所は本当勉強になるわ、私も見習わなくちゃいけない。
「あ、すんません......。」
「え......? あ、うん......。」
あれ? だけど何だか今日は様子がおかしい。
というのも、いつもは祐一が「わりぃっす、いごきをつけまーす」みたいな軽いノリで返して、それをまたお局様が超王道幼馴染宜しく頬を膨らませて「もうっ! そんな事言って、祐一君てば全然反省してないでしょっ!」の様な、20代後半行き遅れ女とチャラ男高校生との身の毛もよだつやり取りが繰り広げられるのだが、今日はどうやら違うようだ。
俯いて元気が無く心ここにあらずな感じの祐一に、桃色な気勢を削がれた形のお局様は、当てが外れてポカンとしている。
やり取りもそれだけで終了し、祐一は夢遊病患者の様にというには大げさだけれども、それでもフラフラと歩いて、こちらに向かって歩いてきた。
しかし、こちらに歩いて来ているのは、私に用があるわけでは無く、唯何と無く歩いてきているのでは無いだろうか。だって祐一は俯いていて、視線がこちらに向いていないから。
いつもの私ならそんな事気にもしないし、それがどうしたと思うだろう。
だからいつもの私なら、彼がこんな風にフラフラ歩いてきても気にしないし、それか元気にこちらに歩いて話し掛けて来ても、仕事に関係無い事は無視するかもしれないし、よしんば応じてもほんの少し会話しただけで終わってしまう。
そんな物だ。
そう、いつもの私なら。
――だけど、今日の私は彼に用がある。
私は向かってくる彼に向かって歩いて、彼の目の前で止まった。
俯いていた祐一だけども、身長差があるので丁度視界に私が入り、そこで漸く私の存在に気が付き足を止めた。
「あ、リリィちゃん。ちょりーっす......。」
元気の無い挨拶。
……でも「ちょりーっす」なんだ。
「ちょりーっすは止めなさい、それからリリィちゃんっていうのも! 一応先輩なんだからねっ!」
普段ならこれだけ言えば、何かしら私の事を小馬鹿にしてからかって言い返してきたりするのだけれど、やはり元気が無く何も言い返して来ない。
「……まあ、いいわ。今日の所は勘弁してあげる。そんな事より、あんた仕事終わってから時間ある?」
「……え、何? 何か用?」
これも普段なら「え~!? リリィちゃん愛の告白~? 困るな~」ぐらいは言いそうだけど、これまたやはり言って来ない。
何があったか知らないけど、相当参っているようだ。
だけどそんな事、私には、今日の私には関係無い。
「ええ、用ね。用ならあるわ。」
悪いけど、話を聞かせてもらうわ。
「倉橋よりこの弟である、あんた、倉橋祐一にねっ!」
ネ右一




