第29話 我に迎撃の準備アリ
倉橋よりこ その11
「あの......ちょっといいかな?」
私と翔ちゃん、そして私の弟とリリィちゃんとのわくわくドキドキのダブルデートを夢想してると、北澤が相変わらず不躾な声で邪魔をしてきた。
「はい。」
「相川君、君って倉橋さんと付き合ってるんだよね。」
「え、そ、その......。」
翔ちゃんは言い辛そうにしている。
……やっぱり恥ずかしいのかな?
「はい、そうですけど何か?」
だから私が胸を張って言い切った。
翔ちゃんの言葉を遮る形になっちゃったけど、でも、人前で堂々と翔ちゃんの彼女宣言......これってプライスレスだよっ!
――私の長年の夢が叶ったよ翔ちゃん。
「ぐっ......でもさっきそのアンダーソンさんが言ってた、結婚、って......。」
「あ、あの、それはその......。」
「それは私と翔太が結婚するからなんです。」
「え、ちょっと、リリィ?」
この子また言ってるよ!
「そう、なんだ......という事は、相川君、もしかして二股してるのか?」
「え? そういう事は......。」
「二股じゃ無いよね? リリィちゃんはアレだもんね?」
「何よアレって......。」
言いながら訝しそうに私を見るリリィちゃんに、にっこりと微笑を返した。
――アレはアレだよ。愛人の事だよ。もしくは友達。間違っても正妻の事では無いよ。
「何よ、その笑顔ムカつくわね。だから『アレ』って何? どういう意味なの?」
「それは言えないよ。」
「はあ? 何でよ?」
「それも言えない。」
「それも? どうして? じゃあヒント、ヒント頂戴……もしかしてそれも言えないの?」
「うん、ヒントも駄目。アレはアレとしか言えないの、そう、それ以上でもそれ以下でも無い物......さあ、なんだろうね? ウフフッ。」
ちょっと優越感。
「何? イラッとくるんだけど......以上でも以下でも無い? ……じゃあ、以上は?」
「え......以上? あ、え~と、あの、以上は......以上? えっ、以上とかあるの?」
「いや、それを聞いてるんだけど......。」
どうしよう......。
なんとなくでどこかで聞いた事のある台詞「それ以上でもそれ以下でも無い」とか格好つけて言ったのに、そこを突っ込まれた。
「え? もしかして無いの? え~!? 無いのに言ったの? そうなんだぁ~、倉橋さんいい加減~。テキトースギー、倉橋さんひ~ど~い~。」
――マズイッ! 何だか良くわからないけどマズイッ!
このままじゃリリィちゃんにいい加減で適当な女の子だと思われる。!
それってマイナスだ。凄くマイナスだ。
だってこれから始まるであろう、翔ちゃん争奪戦での大きなハンディキャップになりかねない。
折角お弁当で優位に立ったと思ったのに、このままでは......!
「や、あ、あるよ。ちゃんとある! あの、アレの以上は......。」
「以上は?」
「ええと......そうだ! お嫁さん! お嫁さんだよっ!」
そうだよ! 愛人以上はお嫁さんだよ。もう、こんな簡単な事わからないなんて私のお馬鹿さん(テヘペロッ
「…………」
しかし私がそう言うと、リリィちゃんは急に興味が無くなった様に冷めた表情になった。
呆れた様な、冷たい様な、見定める様な、そんな半目をこちらに向ける。
「……因みに以下は?」
今までのテンションとはかけ離れた冷えた声。
「え、えと、他人? ……じゃあ駄目だし、知り合い? かなぁ。」
私が言うと、リリィちゃんは、今度は完全に目を閉じて深い深いため息を吐いた。
「………………はぁ。もういいわ。」
言いながらあしらう様な仕草で手をぞんざい振った。
「もういいの? あ、もしかしてわかっちゃった?」
残念だ。内緒にしておきたかったのに。
「ええ、あんたが色んな意味で『アレ』だって事がね。」
え? 「アレ」? それってどういう意味?
「……まあ、いいわ。この話は終わりにしましょ。」
ちょっと、何でよ!? 「アレ」って何よ。
だけど私の心の叫びは届かず、私を無視して話を先に進められた。
「翔太、二股してるでしょ? 正直に言っちゃいなさい。」
「え?」
もう! リリィちゃんてば。だから二股じゃないよ。翔ちゃんは格好良いし優しいから女の子に大人気だから、だからきっとモテル男の嗜み的な何か的な感じ的な何かだよっ! 決して翔ちゃんがその......そういうんじゃないよ。
「先輩からも何か言ってやって下さいよ。こいつ豚でオタクの癖に、私という可愛い彼女がいる癖に、二股してるんですよ。」
「やっぱりそうか......。」
呟いて、何かを考える様に俯いた北澤。
「え、あの、ちょっと?」
翔ちゃんが一人であたふたしている。
「でもリリィちゃんとは結婚しないもんね~? 私と結婚するんだもんね~? ね~? 翔ちゃん♪」
言うと翔ちゃんは私を見据えて、小さく「はあ」と溜め息を吐いた。
呆れたような疲れたような目で見る。セクシーな目だ......見つめられるとゾクゾクするよ。
「はあ? 何言ってんのよ、よりこ。第一、お美しいあんたにはこんな豚、絶対に相応しく無いわよ『これ』なんかよりもっと格好良い人一杯いるじゃない?」
「ひどっ、酷いっ!……本当、口悪いなお前……それに格好良い人? 誰? 誰の事? そもそも翔ちゃん以上の人とか居ないし、どこにいるんだよ? 探して来いよ、あ? ま、いるわけ無いけどね。」
「お前やっぱり目、おかしいんじゃね? そこら中にいるだろうがよ? ほら、そこに居る北澤先輩とかどうよ? 無茶苦茶格好良いじゃん。」
言われた北澤は、しかし未だ黙って何かを考え込んでいるようで、こちらには意識を向けていなかった。
「てか、私が口悪いってんなら、あんた性格悪いでしょ? さっきも黙って何考えてたの? どうせロクでも無い事考えてたんだろ? 悪い顔してたぞ?」
「わ、悪い顔?……してた?」
悪い顔? さっきのわくわくどきどきダブルデートの時の事?
思わず顔に手を当てて確かめる私。
――あ、しまった。
「ばーか。騙されてやんの! してねぇよそんな顔。ていうかやっぱり悪い事考えてたの?……翔太ぁ、やっぱりこいつ性格悪いよ。きっと騙されてるよ。」
「騙すとかねぇし、私が翔ちゃん騙すとか無いよ! ありえないよ!」
「いや~、わかんないよ~? 口だけなんじゃないの~?」
「ぐっ......この子は本当に......なら、いいのね? そんな事言うならいいんだよね?」
「はい? 何がですか~?」
子憎たらしく茶化すように言うリリィちゃん。
いつもならここで黙ってしまう私だけれど、でも今回は「我に迎撃の準備アリ」
「お弁当......。」
静かに呟いた対空機関砲が火を噴く。
それまで勝手気ままに上空を飛んでいた流石のリリィ・アンダーソン号も、これには一たまりも無かったらしい。
苦渋に満ちた表情で見る見るその高度を落とし、そして遂には......。
「お、おべっ!……くっ! わかったわよ!」
撃墜と相成った訳だ。
「そうなの~? 何がわかったの~? それより言うべき事があるんじゃない?」
「ごめんなさい......。」
「ん~? 聞こえない~。」
「ごめんなさい!……これで良い?」
「よし! わかれば宜しい!」
先生、聞き分けのいい子は好きですよ。
「なら、私が翔ちゃんを騙すなんて?」
「……ありえない。」
「翔ちゃんは格好?」
「……良い。」
よしよし。いい子だ。
「うんうん、なら最後、翔ちゃんは私と結婚?」
「し......ないよ! 絶対しない、させない、許しません! そもそも、それとこれとは話が別でしょ!?」
なん......だと?
リリィちゃんまさかのカミカゼ戦法! 形勢逆転してしまった。
「そ、そんな! な、ならお弁当は?」
「それなら結構! 断食も辞さない覚悟です。」
言ってぷいとそっぽを向いたリリィちゃん。
「だ、断食!?」
え? 嘘でしょ!? あの食欲魔人のリリィちゃんが断食!? これが愛の力だとでもいうの!?
……というのは勿論冗談だ。
そんな事で翔ちゃんを諦めてくれるなら、毎日松坂牛のステーキだって作ってあげちゃうよ。
そっぽ向いたままのリリィちゃんのお腹がグウとなった。
顔を赤らめるリリィちゃん。
……さっき目一杯食べたばかりだけど、あれでもまだ足りなかったのだろうか?
一体この子の体はどうなってるの、て思いながらも、でも微笑ましくてついつい笑顔になってしまう。
「うふふ、嘘々。お弁当作ってきてあげるから。」
「う、嘘? 本当?……でも結婚は......。」
「それとこれとは別問題でしょ? 自分で言ってたじゃん。――そうじゃなくて、翔ちゃんの事悪く言っちゃ駄目だよ。そりゃあ少しくらいは翔ちゃんも気にしないんだろうけど、でもさっきのはちょっと言い過ぎだし、それに私が翔ちゃんの事騙すとか......。」
「う......わかったわよ。それは言わない様にする。……翔太の事は......努力します。」
「はい、取り敢えずはそれで宜しい。」
こんなやり取りが何だか嬉しい。
私がこんな風に自然に笑顔になれるなんて本当に珍しい。
私って変な子だって自分でも知ってるし、だから価値観の違う人と同じ風に笑う事って結構難しいんだけど、でもリリィちゃんとは翔ちゃんの事が好きだっていう同じ気持ちを共有している。
そりゃあ勿論こんなの絶対おかしい、異常だって思うけど、でも、私って変な子だもん。だからそういうのもいいかもしれないって思えるんだ。
「倉橋さん......。」
北澤がいつの間にか私をジッと見つめていた。
目を向けると、その切なそうな苦しいような顔をサッと逸らし、また考えるように俯いた。
だが北澤がそうしていたのは僅かな時間で、また直ぐに顔をあげて、私とリリィちゃんのやり取りを唯見ているだけだった翔ちゃんを見つめた。
翔ちゃんも北澤に見られているのを感じてそちらへ向く。
「……相川君。君が女装趣味の変態じゃ無い事はわかった。そんな噂が流れてるって事には同情するよ。知らなかったとは云え、勘違いで君を変態扱いした事は悪かったと思う。 ……済まなかった、この通りだ許してくれ。」
そう言って頭を下げる北澤。
……そんな安い頭下げても、お前が翔ちゃんの事変態扱いした罪は消えないよ。
第一、そんな事で許されると思っている北澤の浅ましい性根自体が腹立たしい。
あんたさっきから考え込んでいてそんな事考えていたの? さしあたって、先ずは土下座しろよ、土下座。
「え、先輩? 頭を上げて下さい。僕は気にしてませんから。」
慌てて両手を突き出し、手の平を北澤に向けて大きく振る翔ちゃん。
そんな翔ちゃんの言葉を受けてゆっくりと頭を上げる北澤。だけど、その北澤の顔の眉間には深い皺が刻まれていて、折角翔ちゃんが許してくれたのに少しも嬉しそうにも、申し訳無さそうにも見えない。
むしろ怒っている様に思える。
……怒ってる? 北澤、お前ごときが何を怒ってるんだ?
「……だけど、二股してるしてるなんて女装より酷いな。」
間を置いて翔ちゃんを強く睨んだ。
「君って奴は最低だ、軽蔑するよ。」
そして北澤は冷酷に言い放った。
――「あ......」と思わず漏れた声は誰の物だったのか、私達はその暴言を聞いて固まってしまった。
「そんな最低な奴と付き合ってるなんてやっぱり許せないよ。……倉橋さん、俺は諦めないから、きっと何か事情があるんだろう? だからこんな奴と付き合うなんて言わされているんだ。……俺は君を助ける、守るから......だから......。」
言い掛けて、それきり黙ってしまった北澤。
……「だから」何? いや、別にそんなのどうだっていいよ。
そんなどうでもいい事より、今は翔ちゃんが気になる。
翔ちゃんはさっきの言葉を聞いたきり、俯いてしまったまま動かない。
一体翔ちゃんは北澤の言葉をどう受け止めたのだろう。
――いや、決まってる。優しくて完璧な翔ちゃんが、人から最低だなんて言われたんだ、ショックに決まってるよ。
「じゃあ、今日はもう自分の教室に帰るよ。倉橋さん、良く考えてみてくれ、いつでも相談に乗るからね。 ……部活、君が来るのを待ってるから。」
そう言って北澤は足早に教室を去って行った。
北澤が去った後、あいつの告白にしか取れない言葉を受けてだろう、うわあと教室が爆発するかの如く沸いた。
相変わらずノリの良いクラスメートだ。
でも、それとは逆に私の心は、唯でさえ冷えていたのに更に更に冷えていくのを感じた。
もう絶対にサッカー部になんて行ってやるもんか。もう辞めてやる。サッカー部なんて辞めてやる。もう決めた。例え翔ちゃんに怒られても「サッカー部に行きなさい」って叱られても、これだけは絶対なんだからっ!
――だって翔ちゃんにこんなに酷い事を言う奴の事なんて、どうやっても良く思えないよ。そんな奴が部長のクラブなんて糞に決まってる。前から思ってたけど、我慢してたけど、でももう駄目だ。
最低だなんて、軽蔑するだなんて、翔ちゃんの事を悪者みたいに言うなんて、そんなの酷いよ。そんな事言うお前が最低だよ、軽蔑するよ北澤。
……もし私に言ったなら、それは別に構わない。そんなの全然平気だ。言いたければ言えば良い。
中学生になって、私は何度も何度もゴミ(男子)から告白を受けてきた。だからそれを妬む女の子の陰口は今まで一杯言われた。
最初は凄く嫌だったけど、段々気にしないで居れる様になって、今じゃ「言ってれば?」って感じだ。
「最低」だとか「調子に乗ってる」とか「ヤリマン」だとか散々言われてたけど、別にそんなのどうでもいい。所詮、不細工な女の子の自己肯定、つまり残念な自分自身の精神的な安定を得る為に、その矛先を私に向けているだけなんだから......。
そもそも私が「最低」かどうかは別として、私は調子に乗ってもいないし、翔ちゃん一途だから、だから翔ちゃん以外とそういう事はあり得ない。だから根も葉もない戯言だ。気にするだけ無駄だ。
でも翔ちゃんに言うなんて......そんなのは絶対許せない! どうしてそんな酷い事言えるの? そんな事言われた翔ちゃんはどう思ったの?
翔ちゃんの気持ちを考えると、心配と不安で胸が張り裂けそうになってしまう。
私は翔ちゃんに何をすればいいの? どうすれば翔ちゃんに元気を出してもらえるの? 私にはわからないよ。
北澤に言われた時だって、私が何か言い返してやれば良かった。
「お前が最低だよ、このクズ!」とか言ってやれば良かった。
だけど、私って昔から愚図だから、肝心な時に何も言えなくなってしまう。さっきもあまりの事に頭がテンパッてどうにもならなくなってしまった。
――そう、私は翔ちゃんに何も出来ない。
いつもそうだ。
それは小さな頃から変わらない。
小さな頃、私がイジメられた時や辛い時には一緒に居てくれた。優しい言葉を掛けてくれた。私をいつも元気付けてくれた。
でも翔ちゃんが辛い時や悲しい時、私は何も出来なかった。ただ遠くから見ているだけしか出来なかった。
――私は翔ちゃんに与えて貰うだけ、私からは何もあげられない。
根暗で変な子で愚図な翔ちゃんのお荷物。それが私。
だからそんな不甲斐無い自分を変えたくて、一杯一杯努力した。
勉強も沢山したし、翔ちゃんに心配掛けたく無くて、イジメられないように皆と仲良くなれるよう、あんまり得意じゃないお喋りの上達の為に皆が好きなテレビ番組を見たり、流行の音楽も聞いたし、周りに合わせて笑う事も覚えた。
変な事を言って、周りを白けさせるのがいけないと思い、出来るだけ喋らない様にもした。
だけど......俯いて落ち込む翔ちゃんに何か声を掛けたいけれど、掛ける言葉が見つからない。
あんなに頑張ったのに、あれからもう何年も経っているのに、私は結局何も翔ちゃんあげられないんだ。
――翔ちゃん。
リリィちゃんは、北澤が去った後も翔ちゃんと一緒に黙ったままオロオロとしている。彼を見つめる目は心配そうで、何か話しかけようとしているけれど、やはり結果的に、自分の言葉がきっかけで翔ちゃんの心を傷付けたのを気にしてだろう、中々上手く話しかけられないようだ。
そうこうしている内に、私達三人は黙ったままで気まずい雰囲気の中、そんな残りわずかのお昼休みすら終わらせる、非情なチャイムの音を聞いたのだった。
長かったよりこの1人称も一先ずの終わりを迎えました。
次はリリィアンダーソン。




