第18話 門前に咲く白い花
リリィ・アンダーソン その8
ちょっと短いよ。
大声で呼び捨てられた倉橋は、素早く身構えた。
――でも、もう遅いっ!
私は彼女に近づくと、
手に持っていたカバンを投げ渡した。
倉橋は驚く間も無く咄嗟に受け取る。
――きっと彼女は私の行動に驚くだろう。
思わずニヤケ顔になってしまう。
そして私は、両手の塞がった倉橋の
……脇をすり抜けた。
「え?」
倉橋は突然の事に頭が付いていかないのか、困惑した声を上げる。
だけど、そんな彼女に構わずそのまま走り続け、私達の周囲を囲んでいた生徒達の輪の中に強引に押し入り、その中を掻き分ける様に進んだ。そしてその輪を抜けて、更にそのまま走り続ける。
目の前には疎らに、登校中の生徒が見える。突然人の輪から出てきた私に驚いているようだ。
そんな彼らの驚きが可笑しくなり、私は悪戯が成功した時の様な笑みを浮かべた。
そして倉橋がやってきた道へと駆け抜ける。
「倉橋さーん! 悪いけど、そのカバンよろしくねー!」
タッタッタと軽快に走る私の、その背にいる生徒の輪の中にいる、倉橋に大声で叫ぶ。
聞こえたかどうかは確認出来ないが、これだけ大声を出したのだ、きっと聞こえた事だろう。
「ええ~っ!?」
あ、聞こえたみたいだ。
じゃあ、大丈夫ね。
安心した私はそのまま走り続けた。
……所で、私は一体どこへ向かっているのか?
それは何を隠そう翔太の家だ。
そして何故、翔太の家に向かっているのかというと、答えは簡単。
彼と「キス」をする為だ。
翔太は昨日、しんどそうにしてたから、きっと今日はお休みのはず、家に居るに違いない。
だから私は彼の家に行き、そこで彼とキスをする。
――では何故、私は翔太とキスをするのか。
倉橋が、今朝翔太にキスをした。
キスをされた翔太は、その責任感から倉橋の愛を拒めない。もしかしたら、考えたくは無いけれど、翔太はそのまま倉橋と付き合っても良いなんて思っているかもしれない。だけどそんなの私が絶対許さない。
何度もいうが、私は翔太と付き合いたい。
毎日「好きだよ」「愛してるよ」って言って貰いたいし、キスだってしたい。
ううん。それは毎日じゃ無くても良い。奥手の翔太の事だから、毎日は難しいかもしれないし。でも今まで通り、日曜日には一緒に居たいし、遊びに行ったり、彼の買ってくれた服を着て見せて「可愛い」って言って貰いたい。
でもその為には、倉橋の存在は邪魔なのだ。当たり前だ、倉橋という彼女がいるのに、私とそんな事出来る訳が無い。だって誠実な彼の事だもん、少し考えれば......いいえ、考えなくてもわかる事だ。
――ならばどうするか?
そこで私との「キス」が必要になってくる。
私がキスをする事により、倉橋だけの「キスをした」という優位性を無くし、私は彼女と同じ条件に、立場になるのだ。
倉橋とキスした事によって翔太が付き合わないといけないという状況になっている今、覆せるのはこの方法しかない。
しかも、翔太は私が好き。ならばむしろ優位性がこちらに移るだろう。
……ただし、この方法には欠点がある。
それは翔太と倉橋が、もう正式に付き合ってしまっていた場合だ。それなら唯の横恋慕になってしまう。
だが、キスをした倉橋は翔太から返事を聞いていないはずだ。
なぜなら私の「返事は聞いたの?」という問いに「はぁ? 馬鹿じゃない? 翔ちゃんはキスでいいんだよ? キスしたら私の物。」と言っていたからだ。
普通、彼から返事を聞いていたらこんな事は言わない。もし聞いていたら「うん、聞いたよ」とでも言っただろう。
つまり、まだ大丈夫って事だ。
――そうだっ! まだいけるっ!
「ハァ、ハァ......。」
それにしてもかなり息が上がってきた。
あれから5分くらい結構本気で走り続けたから当たり前だ。
でももう少しで翔太の家に辿り着く。それまでの辛抱だ......。
そんな風に考えていた私の耳に信じられない声が聞こえた。
「待って~!」
――突然の声に驚き後を振り返ると、そこには何と倉橋の姿が......!
律儀に私のカバンを抱えて、走ってくる倉橋、もちろん自分のカバンも持っている。
そして走る彼女の大きなメロンが、我が物顔で上下している。 ……嘘でしょっ!? ブラ着けてるはずでしょ!? 何でそんなに......。
チッ!
――これだから富裕層って奴は罪深い! 成功に向かって日々切磋琢磨する、私達、労働者階級の尊厳を無作為に傷つけ続けるっ!――
……ていうか、何でその格好でそんなに早くに私に追いつけるの?
「待って~リリィちゃ~ん! どこ行くの~!?」
でも流石に「はぁはぁ」と、かなり息が上がっている倉橋。
だが答える義理は無い。
あんたみたいな富裕層に掛ける情けは無い。
私は後ろを振り返るのを止め、また走る事に専念する。
しかし、段々と声が近くなってきている。
そして。
「ねぇってば~。もしかして、翔ちゃんの、家に行くの!?」
息も切れ切れだが、それでも私の直ぐ後ろまで来た倉橋。
ヤバイッ! 無茶苦茶足速いよこの子っ!?
富裕層唯一の弱点である、足の遅さまで克服したというのかっ!? 倉橋よりこっ!
私は限界に近い体に鞭打って、それでも尚速度を上げた。
そして少しだけ、差が開いた様だ。
もうすぐ、もうすぐで翔太の家に辿り着けるというのに、ここまで来て邪魔されるなんてっ!
でも彼女も大分息が上がっている様だ。何とかこのまま――!
「リリィちゃんっ! まさかっ! 翔ちゃんと『キス』するつもりじゃ......?」
ようやくわかったのか!? 倉橋よりこ。 ……ていうか、今までわからずに追いかけてきたの?
やはり彼女の動物的な嗅覚で危険を察知したのね......倉橋よりこ......恐ろしい女......。
…………そういうやり取りをしつつ、しばらく走ってきた私達だけど、もう私も彼女もヘロヘロになってきて、走っているのか歩いているのか、わからないくらいの速度になってしまっている。
でも、翔太の家まで後もう少し、ホンの少し。もう門が見えている。
そうだ、後20メートル......15メートル......。
あぁ、段々と門に近づいている。10メートル......5メートル......。
もうすぐ、もうすぐ。
そして......。
――ゴール......!
やっと......やっと門まで辿り着いた......後は翔太の......。
――と、
そこで突然急に腰の辺りをグッと掴まれ、前に進む事が出来なくなった。
って、え?
「リ、リィちゃ~ん~? つ~か~、ま~え~た~。」
こいつっ!?
ついに私に追いついた倉橋は、持っていたカバンを放り出し、私の後ろから倒れこむ様にして、私の腰に抱きついていた。
クソッ! これでは身動きが取れない!
「ええいっ! 離しなさいっ!」
「嫌っよっ! 翔ちゃんにっ! キスするんでしょっ!?」
「ええっ! そうよっ! だから離しなさいっ!」
「駄目よっ! だって私まだ、翔ちゃんに! 返事を聞いてな......?」
「?」
何? 途中で言葉を切って......。
「う゛っ!」
倉橋は、突然自分の口を手で押さえた。
何? 何なの?
……でも、何かよくわからないけど――今がチャンスッ!
私はそんな倉橋の隙をついて拘束から逃れ、素早く距離を取った。
逃げた私を気にする事も出来ず、口を押さえていた両手の平と、両膝を地に付け、頭を垂れる倉橋。
そして四つん這いになりながら、彼女は鳴くような、唸るような野太い声を発した。
そうか......。
寝不足だって言ってたもんね......。
それであれだけ走ればそうなるよね......。
良く頑張ったよね。褒めてあげたいよ......。
それにしても......今朝はうどんだったのね、倉橋よりこ。
いつもあんなにすましたお嬢様って感じなのに、意外と庶民的なのね、倉橋よりこ。
彼女の口から発せられる、その声ともつかない独特な「音」が響く。
――翔太の家の門前に、つんと香る、白い華が咲いた――。
白いお花が咲きました~。
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