両想いの二人 ~ソフィ編~
おまけ編第一段です。
空から照るつける夏の暑さもようやく過ぎ去り、季節はすっかり秋である。そんな感傷に浸る小さな王宮の庭で、先程からせっせと庭の手入れをする女性が一人いる。
「ソフィア。」
そんな彼女の背後から、名を呼ぶ柔らかい声が聞こえた。
その声に気が付いた蜂蜜色の髪を持つ彼女は、顔を上げて背後に佇む男性を振り仰いだ。
「エリオット様…?」
彼女が頬を緩めて嬉しそうに名を呼んだ相手は、この国の宰相を務める青年。ラグアス宰相閣下である。
泥だらけの深緑の上着と手を慌てて払って、近付いてくる彼を迎えた。
「どうされたんですか?」
確か、彼は先週から仕事で東の国に出向いていたはずだ。帰ってくるのは、ひと月程かかるという彼に、しょんぼりと頷いたのは記憶に新しい。
「交渉が思ったより早く済んだので、無理を言って早く戻って来たのです。外務大臣殿が請け合って下さったものですから…。驚きましたか?」
肌寒くなった秋風を受けながら黒い防寒着をなびかせる彼を目に捉えて、ソフィアは嬉しそうに笑った。
「えぇ、驚きました。でも、嬉しい。」
近づいた距離も関係なく、ソフィアは彼の懐に飛び込んだ。小さな彼女を受け止めた宰相は、包み込むように抱きしめて言った。
「ソフィアに会いたくなってしまって…。馬車を飛ばして帰って来てしまいました。」
その言葉を聞いてさらに身を寄せた彼女に、囁くように言葉を続けた。
「…会いたかった。」
「…わたしも、です。」
離れていた時間を埋めるように抱きしめ合う二人に、護衛の騎士達はそっとその場を離れたのだった―――。
この国で有名な五年になる片思いを無事に実らせた、エリオット・ラグアス宰相。茶髪に月色の瞳を持ち、守ってあげたくなるようなか弱さが見え隠れする彼に、女性達から絶大なる人気を密かに持つのを本人は知らない。
そんな彼のお相手が、王宮庭師の娘、ソフィア・ナトリー。
蜂蜜色の柔らかな髪に空色の瞳を持つ彼女は、父顔負けの優秀な庭師であると有名だ。
そんな二人が両想いになって、もうすぐ一年。何とも微笑ましい恋人同士の二人は、互いの家族にも挨拶を済ませて、無事に婚約を交わした。しかし、婚約者という立場になっても相変わらず奥手な彼を押しているのは、城の皆であった。
「…あ、陛下に報告をしなければ。」
実に真面目な彼。甘い一時に酔うこともなく、宰相はソフィアから体を離して思い出したように呟いた。しまったとばかりに顔をしかめる彼を見上げて、ソフィアはぷっと笑った。
「何で笑っているの?」
クスクスと笑うソフィアを不思議そうに覗き込んで、宰相は困ったように聞いた。
「だって…。」
キスの一つでもする雰囲気の中で言った言葉が、あまりに彼らしくて。
不思議そうな彼を見ていたら、益々可笑しくなってしまった。
「こらぁ、エリー!僕には挨拶なしで、ソフィアちゃんに会うなんて、一体どういうことっ!?」
そんな時、どこらからか叫ぶ男性の声が庭先に響いた。
「陛下、どこから身を乗り出して…。危ないですよ!」
顔を向ければ、簡素な青い服と真っ白な外套を身に包む、容姿だけは王である癖毛の男性。窓に足を掛けて、キャンキャンと吠える姿は、世話が掛かる弟のようだ。
そんな姿の国王に、呆れたように注意して叫んだ…が。
「今すぐ、僕んとこに報告に来なさい!ソフィアちゃんもだよ!エリーは僕の弟なんだから…うおぅっと。」
先程の威勢はどこへやら、不安定な場所で叫んでいたために体制がふらつき、ヨロヨロとふらつき始めた。
「行きましょう、ソフィア。陛下が窓から落ちない内に。」
護衛の騎士達が慌てる中、その様子を見上げていた宰相がため息をついて、彼女の手を取り歩き始めた。
「あ、あの!わたし、こんな身なりですし、エリオット様だけ…。」
慌てて言うソフィアに、宰相は足を止めて振り返った。
「そんな事、陛下は気にされ…。」
「どうされました?」
途中で言葉を切った宰相に、ソフィアは首を傾げて尋ねた。そんな彼女の問いかけには答えず、宰相はそっと自分の額とソフィアの額をぴったりくっつけた。
「あっあっ、あの!」
真っ赤になって恥ずかしがる彼女を置いて、宰相は唸るように呟いた。
「…やっぱり、熱がありますね。」
「えっ?」
「ずっと外にいらしたのですか?」
眉を寄せて尋ねる宰相に、首を捻って考えた。
彼が留守にしている間、寂しくてほとんど庭にいたように思う。体を動かしていれば、気が紛れるから。それに、もうすぐ冬籠もりだ。雪が積もる前にしなくてはいけない事が、山のようにあった。
「えぇ、冬が来る前にしなくてはいけない事があったので。」
「…そうですか。」
そう聞いて、宰相はしばし思案するように顔を逸らした。
「熱なら、大したことありません。一日中寝ていればすぐ治ります、体だけは丈夫ですから!」
「駄目です。」
元気よく言った言葉はあっさり却下され、手を引かれて国王が待つ建物とは反対の建物、後宮に向かって引っ張られた。
「エリオット様?」
「エリーっ!どこ行くの、僕はこっちでしょう!?」
ソフィアの言葉の後から叫ぶ国王の言葉も無視して、宰相はずんずんと先を進んで行く。
「女性が身体を冷やしてはいけません。それに、風邪を甘くみては後から酷い目に合いますよ。姉上付きの医師が後宮に居ますから、見て貰いましょう。」
「いえ、そんなっ!」
いいです!と叫び拒否したが、結局無理やり後宮へと連れて行かれてしまった。
「あらあら、なぁに?外からライアンの叫び声が聞こえたと思ったら、今度はソフィ?…エリー、帰って来てたの。おかえりなさい。」
そこへ現れたのは、後宮の主、現王妃である。腕には生まれてもう直ぐ一年になる王子が、にこにことご機嫌でいる。
「只今戻りました。姉上、すみませんが、医師を一人貸して頂けますか?」
用件だけを簡潔に言う宰相に、王妃は何を勘違いしたのか、目を輝かせて二人を見やった。
「まぁ!結婚前に子供!?エリーったら、案外手が早いのね。」
きゃーと声を上げる王妃を真似て、王妃そっくりな王子も嬉しいそうにきゃーと声を上げた。
「違いますよ!」
「誤解ですっ!」
目を点にして佇んでいた二人は、話を理解した瞬間、顔を赤らめ同時に否定した。
「照れなくたって良いじゃないの。生まれてくるのはどっちかしらね、やっぱりエリーにそっくりな女の子でしょう?性格は勿論ソフィに似て…。」
きゃっきゃっとはしゃぐ王妃に、宰相はぴしゃりと言い放った。
「風邪ですよ。移ったらいけませんから、部屋に近づかないようにしてください。」
「あーら、残念。」
あからさまに落胆した王妃は、医者を呼ぶ為に息子を連れて部屋に戻って行った。
「行きましょう。」
戸惑いながら後に続き、通された先は、後宮の一室。
「陛下に報告を済ませて来ますね。」
王妃に言われてやってきた侍女と入れ替わりに、部屋を出て行った宰相を見送り、ソフィアは何とも言えぬ気分で佇んでいた。
「ソフィア様。お医者様がいらっしゃる前に、お召し物をこちらにお着替えくださいませ。」
そんなソフィアに声をにっこりと微笑む侍女の手には、桃色の寝着が。嫌な予感がして、ソフィアはじりじりと侍女と距離をあけた。
「お手伝い致します。」
「一人できますから…。」
「いいえ、いけません。お手伝いするのは、私の仕事ですので。」
遠慮するソフィアに、侍女はきっぱりと言い、足早に近づいてソフィアの服を問答無用で剥ぎ取った。
後に一人の侍女の証言に寄って、宰相閣下の婚約者殿はそれはそれは愛らしい方だと城中に広まるのは、そう時間は掛かりはしないのだと本人は知らない…。
さて、廊下まで響くソフィアの叫び声が静まった頃、年を召した医者がやって来て、寝台に潜り込んだ彼女を診察した。
熱はあるが薬を飲んで安静にしていれば、すぐに治ると言い残して帰って行った。
「わたし、ただの庭師なのに…。」
医者を見送ってポツリと呟いた言葉は、近くで窓掛けを閉めていた侍女に聞こえたようで、彼女は目を見開いて驚いた顔をした。
「何を仰います、ソフィア様は閣下の想い人でらっしゃいます。閣下は、それはそれはソフィア様に惚れ込んでらっしゃいますのに。」
あなたは大切な方なのですよ。
そう言う彼女に、ソフィアは真っ赤になって俯き、寝台に潜り込んだ。侍女のおやすみなさいませと静かな声が聞こえてから、熱のせいかすぐに眠りへとついた―――。
ふと額に触れた、冷たい布。その後に、ぼんやりとする頭に聞こえてきたのは、愛しい人の声だった。
誰かに声を潜めて話しかけていた彼は、そっとその場を離れようと身を動かした。
「…エリオット様?」
「あぁ、すみません。起こしてしまいましたか?」
小さな小さな声だったけれど、確かに彼の耳には届いたようで、そばに腰を下ろす気配がした。
「よく眠っていたので、起こさないようにしていたのですが…。気分はどうですか?」
目を開けて彼の姿を伺い見れば、ちょうど真正面に彼の顔があった。
「お仕事は…?」
「大丈夫です、ここで片付けてしまいますから。」
多忙な彼、こんな所で見舞いをしている暇はないだろうに。
にこやかに微笑んだ宰相は、熱は下がりましたね、とソフィアの額に手を当ててほっと一息ついた。
「…すいません、ご迷惑をお掛けして。わたしは一人でも大丈夫です。だから、エリオット様もお休み下さい。」
「私がいては迷惑ですか?」
気を使って言えば、宰相は少し寂しそうにそう言い返してきた。
「い、いえ。そうじゃないんです…。」
慌てて否定すれば、良かったと宰相は微笑んだ。そのまま近くにある書類が乗った机に移動した宰相に、ソフィアは思い切って声をかけた。
「エリオット様…。」
「はい?」
直ぐに返事を返して、近くに来た宰相は不思議そうにソフィアを覗き込んだ。
「わがまま…、言ってもいいですか?」
顔を半分隠して顔を真っ赤にさせているのは、きっと熱だけのせいではないと思う。
「えぇ、もちろん。」
そんなソフィアを宰相は愛おしそうに見てから、くすりと笑って先を促した。
「あの、そばに…いて下さい。」
「わかりました、ソフィアが眠るまでそばにいます。」
そばにある椅子に座り、彼女の左手をとると、空いている左手でぽんぽんと軽く布団を叩いた。小さな子供を寝かしつけるようなその行動に、ますます恥ずかしくなったソフィアだったが、そばに居てくれるその安心感が心地良くて、再び眠りへとついた。
庭師である父と親子二人で育ったソフィア。
病気をしても、仕事がある父はずっとそばに居てくれるわけもなく、大抵家で一人寝台に潜り込むのが当たり前だった。
愛しい人に言ったわがまま。
多忙だとわかっていながら、今だけはそばにいて欲しかったのだろう。
幸せに浸って眠りについたソフィアの寝顔を眺めながら、宰相もまた、穏やかな眠りに誘われていった。
穏やかに眠る二人。
そっと部屋の様子を覗いていた王妃は、くすりと笑って扉をそっと閉めた。
「さぁさぁ、ライアン。そういつまでも、ふてくされていないで。」
振り返った先には、廊下に座り込んでいじける夫、ライアンの姿があった。
「だって、さ。せっかくエリーが早く帰って来たのに、ソフィーちゃんの看病とかでちっとも構ってくれないんだよっ!いじけもするよ。」
念の為に言っておこう、今、子供のように口を尖らして言っている彼は、国を担う国王陛下だ。更に言えば、子供も生まれて父親にもなった。そんな立場でありながら、廊下で座り込んで脚を抱える姿は、到底威厳があるように見えない。
全くもって情けない。
そんな言葉が、聞こえて来そうな表情の彼女だが、溜め息をつくまでに留めて口を開いた。
「私だって、面白くありません。ですから…。」
「…だから?」
にっこり笑った彼女は、今でこそ優しい国母そのものであるが、その昔は手の着けられないほどであった。その面影を垣間見たライアンは、顔を引きつらせながら問いかけた。
「私達が暇を持て余さないよう、あの子達似の可愛い子供達を作ってもらいましょう?」
カチャリと響いた音に、蒼白になったライアン。しかし、彼女はうふふと笑っている。ほんの少し、可愛い弟に同情した彼だったが、すぐに二人似の可愛い子供達を想像して、顔が綻んだ。
「…楽しみだなぁ。」
「…楽しみねぇ。」
立ち上がったライアンと仲良く歩き出した彼女。その手には、先程の部屋の鍵が。
まだ婚約者同士の彼らに関係なく、「女の子であれば、息子のお嫁さんに」などと呑気に二人は話している。
王妃の思惑により、5日間も部屋から出して貰えなかった二人は、特に何事もなく仲良く日々を過ごしたという。しかし、後からライアン、リザ夫婦が宰相にこってり怒られたのは言うまでもなく。
宰相の怒りと王妃の恐ろしさが、後々語られることにもなった。
これはその小さな国の、小さなおまけの物語。