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片思いの末に ~後編~

このお話で完結です。ありがとうございました。

しんと静まり返った、白くだだっ広い庭先。その庭では、一組の男女が佇むだけで、風の音さえ聞こえない。

そんな沈黙を破ったのは、少女の方だった。


「うっ、うわぁーん。」


静かな庭に、少女の泣き声が響く。その声に驚いたのは、他でもない宰相だ。


「…そんなにお嫌なら。」


無理には言いません。だから、泣かないで。と悲しそうに言う宰相に、庭師の娘は必死に首を横に振った。


「い、いいえっ。違うんです。」


涙をごしごしと擦って、再びその大きな空色の瞳を彼に向けると、泣きそうな笑顔を浮かべて言った。


「嬉しいんです。わたし、ずっとエリオット様の事をお慕いしてましたっ。」


少女の思いも寄らぬ告白に、その月色の瞳が驚きで見開いている。


「…エリオット様よりずっと前から。わたしが九つの頃、一人で家に取り残されるのが嫌で、父に我が儘を言って城に連れてきてもらったのです。その時、お庭でライアン様とリザ様が仲良くおられる日だまりから少し離れた木陰で、エリオット様を見かけました。穏やかに微笑まれているお顔に目を奪われて、うっかり足元にあった小石に躓いてしまいました。べそをかくわたしに、エリオット様は近くにいらして、手を差し出して下さったのです。」


ほんのり頬を桃色に染めて、一気に喋った彼女は、閣下は覚えてらっしゃらないかも知れませんと締めくくった。


そんな彼女とは対象に、宰相は昔の記憶を頭の隅から引き出していた。


あの頃は、次期国王の自覚が無いやんちゃな兄と好奇心が強い姉の二人に振り回されて、病気をしがちだった身体は悲鳴を上げていた。そんな自分が嫌で、ひっそり影に隠れるように日々を過ごしていた。そんなあの頃に、自分より小さな少女を見つけて、思わず手を差し伸べた。あの時の小さな――。


「…あの時のお嬢さん?」


「はいっ!…ただの庭師の娘が、閣下にお声を掛けるなんてそんな事は許される筈がなくて。わたしは、少しでもお側に居れればと。」


瞳から零れる涙を優しげな宰相が、指でそっと掬った。


「貴女が、成人されるまで…。気持ちを伝えるのは待とうと。アズウェルさんから、たった一人の家族を奪うのは気が引けて…。」


「わたし、来年成人するんですよ。」


「えぇ、知ってます。」


「…来年まで待てません。」


そっとすがりついて来た彼女を優しく抱きしめて、私もですと宰相も呟いた。


「愛しています、エリオット様。」


「私も。ソフィア、愛しています。結婚を前提に、お付き合いをしていただけますか?」


先程よりも、より近くで向かい二人は熱っぽい瞳を互いに向けて、微笑んだ。


「はい。」


その言葉が合図だったように、宰相はそっと彼女にキスをした。しかし、彼女はそれだけでは物足りないと言うように、背を伸ばして自らキスをした。宰相も彼女を抱きよせてそれに答えた。そんな優しいキスを止めて離れ、互いの口から白い息を逃がすと、どちらとなくもう一度キスをした。今度は今まで募らしてきた思いを確かめるように、長く、熱烈なキスを。


しばし時が経って、互いを見やって笑いあっていたとき、不意にソフィアが彼の首に巻かれている藍色の襟巻きに気が付いて、不愉快そうに眉をひそめた。


「…これ。」


「あぁ、姉から頂いたんです。」


いびつなその贈り物を見て笑った彼を見て、ソフィアは更にムッとして言った。


「良くお似合いだから、ちょっと。いいえ、凄く嫉妬してしまいます。」


頬を膨らまして告げるソフィアに、エリオットは笑ってその頬にキスして言った。


「では。今度はソフィアが、私の為に編んでくれますか?」


「…勿論です!王妃様より早く編んでみせます!」


途端に笑顔になった愛しの人に、エリオットは同じように笑顔を向けた。そして、自身の首に巻いていた襟巻きを解いて彼女に巻いてやった。


「…あの、今お時間はありますか?エリオット様に見せたい場所があって。」


「仕事が残ってますが、少しぐらいサボっても、いいでしょう…。どこですか?」


小さく礼を言ったソフィアは、背を伸ばしたエリオットを見上げて彼の袖を控えめに引っ張った。


「温室なのですが。わたしが育てた花達がいて、今ちょうど満開なのです。エリオット様にお見せしたくって。光を浴びると、月色に輝くんです。」


エリオット様の瞳みたいに。


真っ赤になってしまったソフィアに、エリオットも少なからず照れながら、距離が空いた彼女との歩幅を合わせて隣に並んだ。

その時に触れた彼女の手が、自分と同じように冷たくなっているのに気が付いて、ソフィアの左手を自分の右手で包み込むと、黒い防寒着の外ポケットへと導いた。


「…冷えてきましたね。」


エリオットの右ポケットに手を入れて、握られたことに驚いた様子のソフィアだったが、近づいた距離に嬉しそうに微笑んだ。

温室に仲良く向かう、そんな二人の後ろ姿をひっそりと眺める人々の姿があった。草陰の隅からは、城の兵士達が。城の扉の隙間からは、侍女達が。柱の陰からは、号泣するソフィアの父の姿。城の窓からは、国王夫妻の顔があった。


「うー、僕の可愛いエリーがっ。他の者達に、キスシーンなんて見せるなんて。」


窓にへばりついて泣く陛下の後ろ、お気に入りの揺り椅子に戻った妻は、呆れたようではあるがどこか嬉しそうだ。


「あら、良いじゃない。エリーの念願叶った恋だもの。城の者達も、飛び跳ねて喜んでるでしょうよ。第一、あなたが仕掛けたことでしょう?」


「そうだけどー。」


ソフィアの父親であるアズウェルに、エリオットをけしかけて欲しいと言ったのは、兄であるライアン。

警備兵達に協力してもらう案は、リザの発案。


そんな皆の協力のおかげで、可愛い弟は愛しの人を手に入れた。


いまだ拗ねる夫に、彼女は手を叩いてせき立てた。


「さっ。気が済んだら部屋にお戻りになって?エリーの分まで頑張って頂かないと。可愛い弟の逢瀬を邪魔するほど、無粋な真似はされませんでしょ。ね、ライアン兄上?」


その言葉に何かを悟ったのか、真っ青になって駆け出したライアンを妹であるリザは、愉快そうにころころ笑って見送ったのだった。


ようやく片思いを実らしたエリオット。


そんな彼に後日、何故か一週間の休暇が与えられた。宰相である彼は、あの兄に仕事を一任することを大層渋っていたが、大臣達に進められて、ソフィアと共に久しぶりに穏やかな休暇を過ごすことになった。勿論、優秀な彼がいない仕事場はたいそう荒れ、大臣は頭を抱えて走り回っていたが。

陛下といえば、慣れない作業を徹夜でしていたために、終いには疲労で倒れてしまった。

陛下でありながら、なんとも情けないことではあるが、休暇を終えた弟が溜まっているはずの仕事がないことにいたく感動し、何十年振りに兄を抱きしめたのだから、まぁ…よしとしようか。


城の者達から、公認の中となったラグアス宰相と庭師の娘。


彼女の父親にエリオットが挨拶するのも、彼の兄と姉にソフィアが会うのも、彼の兄夫婦の子供が生まれて間も空けずのこと。


春が来た頃には、その小さな国でささやかな祝福の宴が上がることだろう。


それから少し経って、宰相がもう一度、彼女に求婚プロポーズする頃には、彼らの恋の話は有名になりすぎて、二人は人に会う度にその話が出て、赤面することになってしまった。


仲がよく、お似合いな二人。きっと式を上げるときには羨ましいぐらい、国一番の祝福を受けるだろうから。

それもまた、小さな国に伝わる宰相閣下の有名な片思いのお話の一部分。



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