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君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜  作者: 屠龍
第十六章 フミンの少女

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第百二十五話 クヌートの微笑み

第百二十五話 クヌートの微笑み


 クヌートが酒場の老人に、湯浴みと食事の用意を頼みに行った。


 しばらくして、奥の湯場が使えることになった。


 もちろん、付き添うのはミレーヌとフェリシアだ。


 僕とクヌートは、少女が安心して身体を洗えるように、湯場から離れた部屋で待つことにした。今のあの子にとって、男である僕達が近くにいるだけでも怖いかもしれない。


 ミレーヌは少女の手を握り、フェリシアは柔らかな声で何かを語りかけながら、奥へと連れて行った。


 少女は何度もこちらを振り返っていた。


 まだ怯えている。


 けれど、さっきまでのように逃げ出そうとはしなかった。


 湯場の扉が閉まる。


 しばらくすると、石鹸の良い香りがかすかに漂ってきた。


 薄暗い酒場の奥にいるはずなのに、その香りだけは少し場違いなほど清潔だった。


 「……よかった」


 僕は思わず呟いた。


 湯場の方から、ミレーヌの明るい声が聞こえる。


 フェリシアの穏やかな声も続いた。


 少女の声はまだ小さい。


 けれど、さっきまでの泣き声とは違う。驚いたような、戸惑ったような、それでも少しだけ安心したような声だった。


 たったそれだけのことで、胸の奥の強張りが少し解けた。


 隣に立つクヌートは、黙ったままだった。


 いつものクヌートなら、厄介ごとを持ち込むなとか、後先を考えろとか、きっと小言の一つも言っていたはずだ。


 けれど今日は、何も言わない。


 むしろ、湯場の方から聞こえる声に耳を澄ませているようにも見えた。


 僕は少し不思議になって、彼に話しかけた。


 「今日は静かなんだね」


 「何がだ?」


 「いつものクヌートなら、余計なことをするな、とか言いそうなのにさ」


 僕がそう言うと、クヌートは少しだけ目を伏せた。


 そして、珍しく優しい微笑みを浮かべた。


 クヌートが微笑むところなんて、滅多に見ない。


 その笑みは、皮肉でも冷笑でもなかった。


 遠い昔の誰かを思い出すような、穏やかな表情だった。


 「俺とフェリシアを救ってくれた師匠を思い出したのさ」


 「師匠……」


 クヌートは古びた壁にもたれ、懐かしそうに天井を見上げた。


 「俺達も昔は、あの子と似たようなものだった。ハーフエルフとして親に捨てられ、森からも追われ、町でも相手にされなかった。食うものにも困っていた」


 その声には、怒りよりも静かな痛みがあった。


 「そんな時、師匠が俺達を拾った。変わり者だったがな。普通は、ハーフエルフの子供なんて養ったりしない」


 「いい人だったんだね」


 「変わり者だと言っただろう」


 クヌートはそう言って、ほんの少し笑った。


 「俺達が最初に風呂へ入れられた時も、あの子と似たようなものだった。フェリシアは怯えて泣いていたし、俺は師匠に噛みつこうとした」


 「噛みつこうとしたの?」


 「本気でな」


 クヌートは淡々と言った。


 その顔が少しだけ苦笑に変わる。


 「だが師匠は怒らなかった。『噛む元気があるなら、生きる気もあるということだ』と言って、俺の頭を押さえて湯に放り込んだ」


 それは少し乱暴な話のはずなのに、不思議と温かく聞こえた。


 きっと、その魔法使いは本気で二人を助けようとしていたのだろう。


 「その人が、魔法を教えてくれたんだね」


 「ああ。魔法だけではない。文字も、計算も、言葉も、世の中の汚さも教えられた」


 「世の中の汚さも?」


 「知らなければ食い物にされるからな」


 クヌートの言葉には、実感があった。


 「師匠は善人ではあったが、甘い人間ではなかった。人に助けを求める方法も、信用してはいけない相手の見分け方も、金の使い方も教えた。フェリシアが他国の言葉を覚えたのも、師匠のおかげだ」


 僕は、湯場の方から聞こえるフェリシアの声に耳を傾けた。


 言葉そのものは分からない。


 けれど、相手を怖がらせないように、ゆっくりと、優しく語りかけていることは分かった。


 フェリシアは、あの師匠から受け取ったものを、今度はあの少女へ渡そうとしているのかもしれない。


 救われた人が、今度は誰かを救う側に回る。


 それはきっと、師匠が二人に残したものなのだと思った。


 「ユキナ」


 クヌートが僕を見る。


 「この件は、面倒になるぞ」


 「うん」


 「市場で人を眠らせた。兵士にも顔を見られている。フミンの子を連れ去ったと思われるかもしれない」


 「分かってる」


 軽い気持ちで済む話ではない。


 この街の法も、フミンへの扱いも、僕達はまだ何も知らない。


 フミンという人達が、なぜここまで嫌われているのか。


 どれだけの人数がいるのか。


 どこで暮らしているのか。


 あの少女に、他に頼れる人がいるのか。


 分からないことだらけだった。


 それでも。


 「あの子を見捨てることはできなかった」


 僕がそう言うと、クヌートは小さく息を吐いた。


 「それは俺も同じだ」


 その言葉に、僕は少し驚いた。


 クヌートは湯場の方へ視線を向ける。


 「師匠が俺達を見捨てなかったように、俺もあの子を見捨てる気はない」


 その言葉は、静かだった。


 けれど、確かな重みがあった。


 湯場の方から、ミレーヌの明るい声が聞こえた。


 それに続いて、少女の小さな笑い声のようなものが聞こえた気がした。


 本当に笑ったのかどうかは分からない。


 でも、少なくとも泣き声ではなかった。


 僕とクヌートは、しばらく何も言わずにその声を聞いていた。


 やがて老人が、木の盆に料理を載せて運んできた。


 薄いパン。


 豆の煮込み。


 羊肉の串焼き。


 それに、湯気の立つ甘い茶。


 クヌートは老人に追加の銀貨を渡す。


 「できれば、あの子が食べやすいものをもう少し用意してくれ。香辛料は控えめでいい」


 老人は無言で頷き、また奥へ消えていった。


 「優しいね」


 僕が言うと、クヌートは不機嫌そうに眉をひそめた。


 「必要だから頼んだだけだ。痩せた子供にいきなり香辛料の強い飯を食わせれば、腹を壊す」


 「そういうところだよ」


 「何がだ」


 クヌートは少し不満そうに言った。


 僕は小さく笑った。


 この人は、素直ではない。


 けれど、冷たい人ではない。


 むしろ、誰かを助ける時に何が必要なのかを、ちゃんと考えられる人だった。


 「クヌート」


 「何だ」


 「ありがとう。さっき眠りの魔法を使ってくれて」


 「礼を言うならフェリシアにも言え。あいつがいなければ、巻き込む範囲を絞れなかった」


 「うん。あとで言う」


 「それに、次からは飛び出す前に少しは考えろ。お前とミレーヌは、善意だけで危険に突っ込みすぎる」


 やっぱり小言は出た。


 けれど、その声はいつもより少し柔らかかった。


 「……気をつける」


 「本当に分かっているのか怪しいな」


 クヌートは呆れたように言った。


 その時、湯場の扉が開く音がした。


 僕とクヌートはすぐに視線をそちらへ向けないようにした。


 少しして、ミレーヌの声が聞こえる。


 「もう大丈夫だよ。こっち来ていいよ」


 僕達が戻ると、少女は清潔な布服を身にまとい、フェリシアの隣に座っていた。


 髪はまだ湿っていたけれど、顔の汚れは落ち、痣も薄くなっている。


 それでも、細い肩は不安そうに縮こまっていた。


 彼女は僕達を見ると、一瞬身を硬くした。


 けれど、フェリシアがそっと背中に手を添えると、小さく頭を下げた。


 意味は分からない。


 でも、きっと礼を言ってくれたのだと思った。


 あのフミンの女の子を、これからどうするのか。


 僕達にはまだ分からない。


 少なくとも、見捨てるという選択肢はなかった。


 僕にも。


 ミレーヌにも。


 クヌートにも、フェリシアにも。


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