第1夜 真夏の夜、俺は“先輩”と呼ばれた
その日は、正直言って最悪に蒸し暑かった。
アスファルトが昼の熱をいつまでも抱え込んでて、
夜だってのに息するだけでダルい。
俺はイヤホンを外し、信号待ちの横断歩道に突っ立ってた。
バイト終わり。
頭はもう回ってない。
考えてることと言えば、
「早く帰ってシャワー浴びてぇなぁ……」
それだけ。
信号が変わる。
「よし、行くかぁ」
俺は一歩、前に出た。
――その瞬間だった。
クラクション。
耳が死ぬレベルのブレーキ音。
視界の端で、ライトが変な動きする。
(……は? え? 何してんの?)
考える暇もなく、身体が宙に浮いた。
衝撃は――
思ったより、軽かった。
いや、軽く“感じただけ”かもしれない。
音が遠のく。
世界が、急にヌルっと遅くなる。
アスファルトが、
さっきまで立ってた地面が、
なんか……やけに柔らかそうに見えた。
(あー……)
(あ、これ……マズいっすねぇ……)
最後に浮かんだのは、
ほんとどうでもいい独り言だった。
――そして。
落ちる感覚。
――どれくらい経ったのか、正直わからない。
真っ暗な視界の奥で、
なぜか、夜風の音だけが聞こえた。
気がつくと、
俺は立っていた。
やけに澄んだ夜風の中に。
月は近く、
星はやたら多くて、
足元には――
「……あ? 草?」
舗装もされてない地面。
淡く光る石が、道みたいに並んでいる。
(……病院じゃねぇな)
(ていうか天国でもなさそうだし)
「……夢だろ、これ」
そう呟いた瞬間、
背後から、ざわっとした気配がした。
「おお……!」
「ま、まさか……!」
「伝承は本当だったのか……!」
(うるせぇな……)
振り返ると、
剣や杖を持った連中が、
全員ひざまずいてる。
「……は?」
一番前の白髪のジジイが、震え声で言う。
「間違いありません……
この夜、この場所……そしてその雰囲気……!」
(雰囲気ってなんだよ)
嫌な予感が、背中を這い上がる。
「あなた様こそ――
“あの夜を越えし先輩”!」
「先輩!? いや誰だよ」
反射でツッコんだ。
「ちょ、ちょっと待てって。
俺、ただの一般人だからな?
先輩とか言われる筋合いねぇし――」
「謙遜なさらず!」
今度は若い騎士っぽい男が、やたら感動した顔で言う。
さらにジジイが続ける。
「真夏の夜、
死の境を越え、
異界より現れし者……」
(死の境……)
その言葉で、
さっきの衝撃が、遅れて頭に戻ってきた。
(……あ)
(あー……そういうことか)
頭の中で、
現実と理解が、ようやく噛み合う。
(俺――)
(轢かれて、死んだのか?)
その瞬間、
なんか知らんが笑いが込み上げた。
「……あっ、そっかぁ」
ぽろっと出た、どうでもいい一言。
――ざわり、と空気が震えた。
「……!」
「今の言葉……!」
「悟り……!」
(違う違う、ただの諦めだっての)
でも、もう遅い。
連中は確信したみたいに、
深く、深く頭を下げる。
「ようこそ……
我らの世界へ、先輩」
俺は夜空を見上げた。
星が、妙にギラギラしてる。
(……帰れんのか、これ)
(いや、それ以前に――)
でっかいため息。
「……暴れんなよ、俺の人生」
ほぼ独り言のつもりだった。
夜風に溶けるような、力のない声。
――なのに。
「おお……!」
「今の言葉……!」
空気が、はっきり変わった。
ざわっ、と。
水面に石投げたみたいに、波紋が広がる。
「それはまさしく――」
白髪のジジイが、震える手で古びた護符を握る。
「“真夏の夜に現れ、圧倒的な存在感を残して去った男”の言葉……!」
(そんなこと一言も言ってねぇ)
心の中で叫ぶが、口を挟めない。
「それが数百年前……
語り継がれる“先輩伝承”と一致するとは……」
数百年。
その単語が、遅れて頭に落ちてくる。
「……待て待て待て」
俺はこめかみを押さえた。
「俺、さっきまで日本いたんだけど?
コンビニ寄るか迷ってたレベルなんだけど?」
「ニホン……?」
ジジイは少し考え、満足そうに頷く。
「ああ、異界の地名ですな」
(納得すんな)
異世界転生。
テンプレ。
頭では「ねぇよそんなの」って叫んでるのに、
状況だけが全部肯定してくる。
「そして先輩は再び、
真夏の夜に戻られた……!」
誰かが息を呑む。
誰かが拳を握る。
「我らを導いてくださるのですね!?」
「覚悟を……!」
(覚悟ってなんだよ)
(俺、今も状況整理でいっぱいいっぱいなんだけど)
俺は深く息を吐いた。
(……なんでこうなるんだよ)
現実逃避で、ステータスを確認する。
筋力:最低
魔力:最低
耐久:最低
器用:最低
「……知ってたわ」
乾いた声が漏れる。
だが、その下。
やたら主張の強い表示。
【スキル YAJU】
効果①:存在感常時発動(OFF不可)
・何もしなくても「意味がある」と解釈される
効果②:周囲の自動補完
・雑な発言ほど、周囲が勝手に盛る
「待て待て待て待て」
俺は頭を抱えた。
「これデバフだろ!!
特殊スキルってもっとこう……便利なのじゃねぇのかよ!!」
「とんでもない!」
賢者が即答する。
「何もしないで導く力……
最高のスキルです!」
「導いてねぇ!!
勝手に暴走してんのはそっちだろ!!」
俺は叫んだ。
「俺は何もしてねぇ!
考えてもねぇ!
勝手に盛ってんのはお前らだ!!」
――だが。
「……ああ」
「力を誇らぬ姿……」
「伝承通り……」
(ダメだ)
(この世界、会話が成立しねぇ)
こうして俺は、
何も成し遂げていないのに、
一言しゃべるたびに意味を盛られ、
黙ってても教え扱いされるという、
クッソ面倒なスキルを背負ったまま。
伝説扱いされる異世界生活を、
完全に不可避な形で――
スタートさせられてしまったのだった。




