7話:契約妻は贈り物に不慣れ(後編)
衝撃的な言葉にミリアリアは頭が真っ白になった。
(……妻として!? お慰めすることを求められている!? って何をすればいいの!?)
夫婦関係の手引きすら知らずに嫁いできた身だ。
隠居中の彼の両親ともまだ顔合わせすらしていない中、相談できる相手などいない。だが、ユージーンはたった今、凹んでいるのだ。
妻としての正解がわからず、混乱したミリアリアは、考えるより先に言葉を発していた。
「え!? 何があったのですか!? 手紙にインク染みがついてしまったとか、名前の綴りを間違えてしまったとか、封をしてから手紙を入れ忘れていたとか、そういう失敗談が閣下にもおありなのですか!?」
「……ふっ、そのくらい誰でも経験しているだろう」
「で、では一体……」
「俺の妻は、贈り物を監視用の魔術具だと信じて疑わず、喜んでくれたが。その髪飾りに監視機能などない」
淡々と語られた真実に、素っ頓狂な声が出る。
「……そ、そうだったのですか!?」
ミリアリアの太ももに頭を乗せたまま、ユージーンはゆっくりと体の向きを変えた。仰向けの状態で、彼の瞳がまっすぐにこちらを見上げてくる。
「普通のプレゼントだ。君の髪に挿したら映えるのではないかと思って選んだ。それなのに、監視のために贈ったと誤解されたのだ。凹んで当然だろう?」
「す、すみません。わたくしは普段、贈り物をもらう習慣がなくて……。きっと意味のあるものだと勘違いしてしまったのです。逃亡防止用の魔術が組み込まれているものだと。でも、違ったのですね」
「なぜ君のほうが凹む?」
困った子を見るような目で、ユージーンはそっと苦笑した。
ミリアリアは恥じ入るようにうつむいた。責めるでもなく、純粋な疑問のように優しく尋ねられて、涙腺が刺激されるのがわかった。
「だって、閣下のお心を正確に推し量ることができなくて……。契約妻なのに、あなたの心を傷つけてしまいました」
こみ上げてくる感情を懸命に押しとどめながら言葉を重ねるうち、次第に声が震え、語尾はかすれていった。これでは完璧な契約妻にはほど遠い。
蒼紫の瞳は静かな湖面のように、眉を下げたミリアリアの姿を映し出す。
「そんな悲しげな顔をするな。こちらまで悲しくなってくるだろう。俺は君には笑っていてほしい。そもそもこれを買ってきたのは、円滑な夫婦関係を維持するためには、こまめな贈り物が大事だと言われたのがきっかけだ。俺は、君がこれを見て喜ぶ姿が見たかった。……ただ、それだけなんだ」
「閣下……」
感極まって呼ぶと、ユージーンは口元をふっとゆるませた。
「言っておくが、君を監視するつもりはない。実家で窮屈な思いをしてきた分、君にはゆっくり羽を伸ばしてもらいたい。侯爵夫人としての務めはあるが、領地内なら自由にしてもらって構わない。ただ、もし何の書き置きもなく突如姿を消したら、俺は心配になって探すだろう。大事な家族がいなくなったら誰だって心配するからな」
「……家族」
「契約婚とはいえ、俺は君の夫だ。それとも『悪魔に魅入られた子』と呼ばれた俺を、家族とは呼ぶのは抵抗があるか」
悪魔に魅入られた子という単語は、きっと彼の内面の傷に深く関わる言葉だ。けれど、彼はあえてその忌むべき言葉を使った。
自分が傷つかないためには、他人と距離を取るのが一番楽だ。似た境遇にいたからこそ、よく知っている。けれど、彼は契約妻を『家族』として内側に入れてくれた。
ミリアリアに歩み寄ってくれた、何よりの証拠だ。
「そんな……っ、そんなこと思うはずがありません。それをおっしゃるなら、わたくしだって『血塗られし瞳を持つ忌み子』と呼ばれてきました。人間の形をした化け物だと……ずっと虐げられてきました。差別される苦しさに耐えるのは、想像以上につらいことです。ですが、あなたの心は清らかなままです。悪魔に魂を売った人とは明確に違います」
「…………」
「閣下は気高いお方。強い志と優しい心をお持ちです。深海で揺らめくタンザナイトのようなその瞳には、確かな意志が宿っています。あなたに出会ってから、閣下の優しさを感じない日はありませんでした。あなたの黒髪は、まるで星々を包み込む夜空のよう。静かで、穏やかで……絹のような艶めきが美しくて、思わず触れてみたくなるほどです」
うっとりした様子で微笑むと、ユージーンが唇を引き結んだ。
そのまま無言のまま見つめ合う。無言の圧に、じわじわと余計なことを言っただろうかと脳内で反省する。そんな中、ぽつりと彼が言葉を小さく発した。
「触ってみるか?」
「……えっ」
「俺たちは夫婦だろう。髪ぐらい、好きに触れていい」
「よ……よろしいのですか?」
「ああ」
「で、では……失礼して…………うわぁ……」
震えそうになる指先を彼の髪に差し込んだ瞬間、つい心の声がそのまま出た。
「なんだ、その反応は。想像と真逆だったか」
「ちちちち、違います! その、あの、天女の羽衣ってこんな感じなのかなと。イメージしていたものよりも、数段柔らかくて手触りがよくて……ずっと撫でていたいぐらいです。閣下の髪ってさらさらで、とっても気持ちいいですね」
「…………」
「閣下? なんだか頬に赤みが差して……はっ! 発熱ですか!? 大変、すぐにお医者様を──」
ユージーンの武骨な手が、ミリアリアの細腕をつかむ。
ほとんど力が入っていないので痛くはないが、かといって簡単に逃げることもできない、絶妙な力加減だった。
「呼ばなくていい。頼むから、ここにいろ」
「……はい」
腕の拘束はすぐにほどかれ、明るい午後の日差しが差し込む部屋で、静かに笑い合った。ささやかな会話が心地よく、時間の流れさえ忘れてしまいそうになる。
その日、膝枕を長く続けると足が痺れるものなのだと、生まれて初めて知った。





