6話:契約妻は贈り物に不慣れ(前編)
休日の昼下がり、ユージーンが珍しく自室を訪れた。
侯爵家当主である彼は休日であっても忙しい。彼が意味もなく、部屋を訪問するわけがない。何の用事だろうと彼を歓迎して迎え、メイドはティーセットを用意するとそのまま部屋を後にした。
二人きりになった室内で、ユージーンは咳払いをして持っていた包みを差し出した。赤いリボンをしゅるりとほどき、薄桃色の可愛い箱をそっと開ける。
「ミリアリア。市でこれを見つけたんだが、受け取ってくれるか?」
紫のガラス細工で形作られた小さなスミレの花が三輪、寄り添うように連なっている。ガラスは花弁は半透明で、光が当たるたびに虹色の光を帯び、ほのかに輝きを放つ。中央には極小の銀の粒があしらわれ、朝露が花弁に残っているような瑞々しさがあった。
華美ではないが、細やかな職人の技が光る一品だ。
「まあ、なんて可愛い髪飾りなのでしょう!」
「気に入ってくれたか?」
「ええ。とても! ガラスで作られたお花が透き通っていて、きらきらして素敵です!」
「……君に似合うと思ったんだ。よかったら、つけてみせてくれないか?」
手に取ってみると、細い銀の台座は蔓草のような曲線を描いていた。どうやら、耳元からこめかみにかけて沿わせる形で装着するタイプのようだ。
「ど、どうでしょうか。閣下」
「俺の見立て通りだ。よく似合っている。……なんというか、まるで春が来たと喜んでいる女神だな」
「め……女神様なんて恐れ多すぎます! わたくしは契約妻ですから、そのような社交辞令は必要ありません……っ」
「どうして照れながら怒るのだ? 社交辞令ではなく、思ったことを口にしたまでなんだが」
真顔で言われ、ミリアリアは火照った頬を両手で覆った。
(率直すぎます、閣下……! こんな風に褒められることなんて慣れていないから、どう反応していいか困るわ。でも、まずはちゃんと感謝を伝えなければ!)
意気込みのまま、大きく息を吸い込む。
まだ戸惑った様子のユージーンに微笑みかける。
「閣下、素敵な贈り物をありがとうございます。大事にしますね」
「あ、ああ」
「それにしても、最近は見た目もおしゃれなのですね。まさか監視用の魔術具が、これほど見事な装飾品になっているとは思いませんでした。美しさと実用性を兼ね備えた一品を見つけ出す審美眼、さすが閣下です」
「……うん? 監視用?」
「わたくしはお金と引き換えに売り飛ばされた契約妻です。勝手に逃げ出さないように監視するため、髪飾りを支給してくださったのでしょう? このような素晴らしい装飾品を贈られる日が来るなんて、本当に夢のようです」
ガーネットの瞳を輝かせて夢見心地で語っていると、ユージーンが胸を押さえて前屈みになっていることに気づく。
「ど、どうされましたか! 衣服をつかんで突然屈み込まれるなんて……はっ! い、息が苦しいのですね!? わかりました、主治医をすぐ呼んで参り──」
「呼ばなくていい。本当に大丈夫だ」
「で、ですが……閣下。無理をなさってはだめです。専門家に一度診てもらったほうが」
「原因はわかっている。これは医師に治してもらうような病気ではない。だから問題はないんだ」
それは、まるで自分に言い聞かせるような口調だった。
頑なな意思を感じ、ミリアリアは妥協案を提示した。
「わかりました。ではせめて、わたくしのベッドで少し休まれてください」
「いや、ベッドはまだ早い……」
力なく首を横に振られる。
拒まれた以上、違う場所をおすすめしなくてはいけない。他に休めるところはないか。
部屋中を見渡して、ミリアリアははっとする。
「でしたら、このままソファで休まれてください。横になれば、少しは楽になると思います」
「…………君が横に座ってくれるのなら、そうしよう」
「え? わたくしが隣に座ってしまうと、閣下が横になれませんが……」
「問題ない。君の膝を貸してほしいだけだ」
これは新手の冗談なのだろうか。
冗談に疎いミリアリアには判断ができない。
「ひ……膝……でございますか。……本当にわたくしの膝をご所望されるのですか?」
「なんだ。俺と触れあうのは、そんなに嫌か?」
「め、滅相もありません。枕代わりにと所望されるのなら、いくらでもお貸しします」
「恩に着る」
そうして、ソファに並んで座った。
ミリアリアはそのままの姿勢を保ち、ユージーンは横向きになって、膝に頭を預けてきた。後頭部が思っていた以上にずっと近くて、心臓が急に騒ぎ出す。
耳の奥で脈打つ音がどくどくと反響する。その異常なまでの速さに、「どうか気づかれませんように」と心の中で強く祈った。
けれどその直後、ミリアリアはある重大な問題に気づいた。
「閣下、誠に申し訳ありません」
「いきなりどうした?」
「たった今、気がつきました。わたくしの太ももは肉付きが悪くて、柔らかさはほとんど感じられないと思います。やはり、ちゃんとした枕を二つか三つ、取って参ります」
「だめだ。ここにいろ」
「で、でも……」
「俺は十分、満足している。少しの間だけでいい。このままでいさせてくれ」
「……閣下がそうお望みでしたら……」
しゅんと肩を落とすと、ぼそりと低い声がつぶやくように言った。
「俺は今、少々凹んでいる。妻として慰めてくれないか」
 





