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4話:報告書という名の日記

 陽光が傾き始めた中庭には、昼の喧騒が嘘のような静けさが漂っていた。薄紅色のアネモネを通り過ぎた微風が、開け放たれた窓から入り込み、優しくカーテンを揺らす。

 午後の訓練を終えたミリアリアは、自室に戻り、応接間の窓辺で魔法書と向き合っていた。ユージーンの執務中に、少しでも予習と復習を進めるためだ。

 中庭から魔法書に視線を戻したところで、扉のノック音が聞こえてきた。

 静かに入室してきた執事に、ユージーンの指示で追加の魔法入門書を届けてくれた礼を述べると、モノクルの奥の瞳が不思議そうにこちらを見つめていた。


「いかがされましたか、奥様。何か気がかりなことでもありましたか?」

「……執事さんには隠し事はできないですね。実は魔力制御がうまくできなくて、閣下の足を引っ張ってばかりなのです。守護結界の構築も一人ではすぐに脆く崩れてしまい、閣下に手伝ってもらわねば維持ができない有様でして。一体、どうすれば早く習得できるのでしょう。一刻も早く、閣下のお役に立ちたいのに」


 このままでは、嫁いだ先でもお荷物になってしまう。

 せっかく彼に求めてもらったのに、役立たずのままで、のうのうと生きられるほどミリアリアの神経は図太くない。

 自分の不出来さで、政務の忙しいユージーンの時間を奪っている。彼の貴重な時間を削り、ミリアリアの特訓に付き合ってもらっている。すでに多大な迷惑をかけている。いくら「慣れるまではこんなものだ」と慰めてもらっているとはいえ、このままではいけない。

 真剣に悩むミリアリアに、執事がささやかな助言をする。


「……でしたら、記録を取られるのはいかがでしょう?」

「記録、ですか?」

「はい。今すぐは伸びしろが見えなくても、必ず伸びるときはやってきます。毎日記録を取っていれば、その兆候にもいち早くお気づきになるでしょう。簡単な日記でもいいと思いますよ。積み重ねた思い出の振り返りもできますし、一石二鳥では?」


 穏やかな笑みとともに言われ、ミリアリアはガーネットの瞳を輝かせた。

 ぽんと両手を重ね合わせる。


「なるほど! それはよいアイデアです。採用しましょう」

「それでは、記録を認めるのに適したノートを後ほどお持ちしますね」

「ありがとうございます」


 ◆◇◆


 翌朝、朝食の席に現れたユージーンに、ミリアリアは一冊のノートを恭しく差し出す。


「おはようございます、閣下。こちら、報告書です」

「……魔力制御の報告書?」

「はい。執事さんにアドバイスをもらったのです。魔力制御のコツを早く習得するには、毎日の記録が大切だと」

「ふむ、それは一理あるな。物事を客観的に見る目を養うのは重要だ。……どれどれ、『閣下の励ましの言葉にて心拍数が上昇。魔力同調の共鳴によるものかもしれない。再測定が必要』『閣下の微笑で空気が揺れる感覚あり。脈拍に乱れあり。魔力密度増加の兆候と推定』……どれも俺のことが書いてあるな」

「閣下はわたくしの守護結界のお師匠様なので、当然かと」


 きっぱりと言い切った後、妙な静寂が流れた。

 ユージーンは伏せ目がちになり、難題を前にしたような思い詰めた表情を浮かべた。左目の下の泣きぼくろが、どこかアンニュイな雰囲気を醸し出している。


(あら……? わたくし、何かおかしいことを言ったかしら?)


 弟子が師匠に報告するのは義務である。契約妻が夫に報告するのも義務である。

 脳内で確認するが、何もおかしいところはない。

 けれど、ユージーンはそうではなかったようで、重いため息が聞こえてきた。見れば、頭が痛いと言ったように額を押さえている。


「…………。ミリアリア。これは本当に俺が読んでいいものだったのか……?」

「え? はい、もちろんです」


 即答する。誓って、やましいことは何ひとつ書いていない。

 ユージーンはしばらくそのままの体勢で固まり、神妙な顔で報告書に目を落とす。しばらく黙読した後、ぱたんとノートを閉じた。


「すまない、ミリアリア。これは本当に報告書か? 間違って自分の日記を出していないか?」

「日記ではありません、閣下。正真正銘の報告書です」

「…………し、しかし。これではまるで、ら、ラブレターのようではないか」

「ラブレター? 一体、誰が誰に宛てたものでしょうか」

「まさか、おかしいのは俺のほうか…………?」


 ユージーンは愕然とした様子で微動だにしない。

 完全に思考停止してしまったようだ。


「あの。閣下に読まれて困ることは書いておりませんので、問題ありません」

「……だが、しかし……。これは個人的な日記、なのでは?」

「いいえ。報告書です」


 繰り返し報告書だと答えるが、なぜか懐疑的な瞳が向けられる。

 どこを失敗したのかはわからないが、この反応からして、何か大きな間違いをしてしまったのは確実だ。


「申し訳ございません。閣下のお気を悪くさせた元凶がその報告書であれば、これから責任を持って薪にくべて燃やして参ります。すべて消し炭にいたしますので、どうぞご安心ください」

「消し炭!? は、早まるな。そんなことまで望んでいない!」

「しかしながら、閣下のお心をこれ以上、乱すわけには参りませんので」

「問題ない。俺の気のせいだったようだ」

「……ですが、わたくしの報告書には、致命的な不備があったのですよね? 重ねてお詫び申し上げます。報告書すらまともに書けないなんて……。己の不甲斐なさに猛省しております」


 うつむき、声を絞り出すように言うのがやっとだった。

 短い沈黙の後、ユージーンが慌てて否定した。


「い、いや。そんなことはない。よく書けている。自分のことを客観的に見た、立派な報告書だ。……妻の動向を知るのも侯爵家当主の務めだ。君が嫌でないのなら、ちゃんと目を通す。今後も報告書は俺に直接提出してくれ」

「本当ですか! ありがとうございます、閣下。これからも鍛練を重ね、記録を続けて参りますね」

「……あ、ああ」


 彼の笑みが引きつっているように見えたが、気のせいだろう。

 契約妻としての責務を果たすため、寝る前も自主練を頑張ろう。ミリアリアは上機嫌で朝食を完食した。ユージーンも残さず食べていたが、その顔は終始、憂いを帯びていた。難しい案件に思いを巡らせているのかもしれない。

 仕事のことならば、ミリアリアが出しゃばるのはよくない。食堂を出て行く彼の後ろ姿をメイドとともに見送った。

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