【再掲】花を売る少女の恋
短編新人賞に応募しましたが、箸にも棒にもかかりませんでした。
ただ、個人的にはとても気に入っている可愛い作品です。
※下品な表現がありますので苦手な方はご注意ください。
私は「デート」のために、いつものように支度を整える。今日は特に指定はなかったからナチュラルメイクで、服は落ち着いたブラウンのニットワンピース、ロングの黒髪は軽く巻いて、オフホワイトの薄手のアウターを羽織れば完成だ。どんな人間でも粉を塗して衣を纏えばあら不思議、唐揚げみたいに美味しく……はならないけど、マトモな人間に見えるようになる。あ、女として食べてもらうという意味では美味しくなるのかも。
支度を終えると外に出た。空が高い秋晴れの昼下がり、街中はハロウィンが終わって早々とクリスマスに鞍替えしてる。雪の結晶、ツリー、トナカイにサンタさん、どの飾りも凝ってて可愛い。街往く人たちも忙しないけどどこか楽し気で、ドラマのワンシーンのようにキラキラしてる。この世界の端っこでコソコソ生きている私はそれを、ショーウィンドウみたいにガラス越しに眺めてる。
「君が里莉?」
待ち合わせ場所には既に今日のお客様である一ノ瀬さんがいた。
「そうです、はじめまして」
「画像加工してないんだな」
相手は目を丸くしていたが、それはこっちも同じだった。大体の人が盛りに盛りまくって最早原形を留めていないというのに、一ノ瀬さんは画像の通り細面で、涼やかな目元にはセクシーな泣きぼくろまでついている。背も高いしシンプルなジーンズとグレーのニットと黒いジャケットは素材の味を引き出してるって感じ。情報が確かなら二十五歳のはず。
「君、高校生だよね?」
「知らない方が幸せなこともありますよ」
「……それもそうだな」
私の格好があまりにも大人びて見えたのか確認されてしまった。お客様に罪悪感があったら可哀想だと思ってこのコーデで来たけど、年相応の方が良かっただろうか。
「子供っぽい方がタイプでした?」
「いや、この方が歩きやすくて良いよ」
「良かった。それじゃ行きましょうか」
私は安堵の笑みを浮かべて彼の手を取った。今日のオーダーはオーソドックスなデートだ。ひとまず街中を歩き始める。
「一ノ瀬さんはなんて呼ばれたいですか?」
「じゃあ朔也で」
「了解です、敬語は?」
「タメ口で良いよ」
「分かった」
「君はいつからこんなことをしてるの?」
「さぁ、忘れちゃった」と私は惚けた。きっとそんな現実的な話はこの楽しい一時には相応しくない。夢を見せるのが私の仕事で、その夢の時間にお客様はお金を落とす。エンコーやパパ活は犯罪だって言うけど、労働力を売るのも身体を売るのも同じだと私は思う。そりゃ強姦は犯罪だけど私は合意の上だから。お客様にありがとうって感謝されるのは嬉しいし、下手なお店よりサービスが良いってリピしてくれる人も多かったりする。
私たちは気になるお店を見かけたら入ることにした。カフェ風の本屋さんや洒落たアクセサリー店、男物の多い香水店にも寄った。朔也さんは最初はクールな印象だったけど、徐々に慣れてきて自然と話せるようになった。
「朔也にはこの香水が合ってると思う」
「良い匂いだけど、普段つけないからなぁ」
「じゃあこの良い匂いは洗濯洗剤の香り?」
近付いてすんすんと匂いを嗅ぐと、朔也さんは少し狼狽えた。
「恥ずかしいから」
「良い匂いだよ?」と私が悪戯っぽく笑うと、彼は手で顔を隠した。可愛い。
香水店を出たところで朔也さんが尋ねて来た。
「君は物をねだったりしないんだね」
「基本的にねだらないよ」
「どうして?」
「……ねだられたら困るでしょ? 買ってあげるって言われたら買ってもらうけど」
この人はよっぽど私やこの仕事のことが気になるみたいだから、ニーズに応えて当たり障りのない範囲で答えていくことにした。きっと私みたいな人間が物珍しいのだろう。
お次はデート定番の映画館に入った。
「朔也は何か見たいものある?」
「特にない。君が見たいもので良いよ」
「それなら最近流行りのあれ、朔也もまだ見てないなら見たいな」
今ノリにノッてる純愛もののラブストーリーだ。まだ見てなくてずっと気になってた。
「……分かった」
「あ、別の作品でも良いよ。何なら映画じゃなくてカフェにする?」
「いや、いい。あれにしよう」
朔也さんは渋い顔をしながらチケットと飲み物を買ってくれた。せっかく私を買ってデートしてるのに、私に付き合ってくれるなんて何とも優しい人である。
席に着くとすぐに上映が始まり、二時間後、私は大号泣しながら映画を見終えていた。
「そんな感動した?」
「めっぢゃよがっだじゃないでずが」
こんなことをしているせいか、純愛ものは私の憧れだ。今回は切ないラブストーリーだったから余計にグッときた。
「ふふっ、そうか。良かったな」
朔也さんは柔らかく笑った。映画の後のせいか、その笑みにちょっとクラッとする。
「お手洗い行ってくる」
私はそそくさとトイレに駆け込み、メイクと変な気持ちを整えた。いやいや、今更お客様にときめいたりなんかしないよ。
映画館を出ると今度は美味しいと評判のイタリアンに入って夕食を摂ることになった。
「君のご両親はどうしてるの?」
「私のこと色々聞くけど楽しい?」
「楽しいよ。少なくとも中身のない世間話をされるよりずっと良い」
私は幼い時に両親が離婚してママに引き取られたこと、小五の時にママが亡くなったこと、その後は親戚の家に居候させてもらっていることを簡単に話した。
「なるほど。悪いことを聞いたね」
朔也さんの目には憐憫の情が籠っていた。ほらね、私の話なんて聞いても楽しくないでしょ。美味しいパスタに失礼だよ。
ご飯を食べ終わって、さぁホテル行きますかってなった時、朔也さんは拒んできた。たまーにある。冷静に振り返って本番はヤバいって思うんだろうね。それなら本番代はいらないと伝えると、彼は驚いていた。
「お金が欲しいんじゃないの?」
「んー、はじめはそうだったけど、今は別にお金には困ってないから」
目の前の人はますます困惑してる。
「なら今は何でこんなことを?」
「……皆一時でも私を見てくれるから」
朔也さんのペースに巻き込まれて、私はついうっかり本心を口に出してしまっていた。
「ってゆうのは冗談でぇ、本当はえっちが大好きだからやってる~」
精一杯お道化て見せる。だけど朔也さんは一拍置いた後、真剣な表情で私にこう言った。
「里莉、俺と付き合ってくれ」
「あれ、ホテル行く気になったの?」
「そうじゃない。俺と本当の恋人になって」
え、何がどうなったらそうなんの? あ、恋人同士になったら本番代浮くと思ったのかな。お金に困ってないって言っちゃったし。
「えっと、そういうのはちょっと困る。営業妨害っていうか…」
「営業妨害?」
「恋人になったらタダでヤリ放題って思われても困る」
朔也さんは目をぱちくりさせて、しばらく押し黙った。どうやら私が思いついたようなことは考えてなかったらしい。じゃあ本当に何でそう言ってきたのか分からない。
少しして、彼は小さく溜息を吐いた。
「こんなことをしても満たされないだろう」
不意のその言葉は私の核心を突いてきた。それだけに私の心は激しく揺れて、気が付いたら道端でお客様に向かって怒鳴っていた。
「朔也さんに私の何が分かるんですか!」
「少なくとも君があの純愛の映画を見て衒いもなく泣けるほどピュアな少女だってことは知ってる。それに馬鹿じゃないってことも」
朔也さんは私の肩に手を置いてきた。流石に私よりも年上なだけあって落ち着いている。
「君自身、こんなことをしても満たされないって分かっているから、今こうして怒ってるんだろう?」
私は気付いたらポロポロ泣いてた。そうだ、小五まではこんなんじゃなかった。ママが死んで親戚の家にご厄介になることになって、実の子供との待遇の差を感じた時に、もう誰も私を見てくれる人はいないんだって悟った。そこから私の人生はずっとどん底だ。だけど、男の人が私に乗っかってる時だけは少しは満足できた。私にもまだ存在価値があるような気がしたから。でもそれも気のせいだって本当は気付いてる。皆私を見てるんじゃなくて、私の穴を見てる。ドーナツとかけて女と説く。どちらも穴が魅力的ってね。悲しいね。
「な、何で私なんですか。同情ですか。可哀想な女の子に優しく手を差し伸べたら簡単に落ちるとでも思ったんですか?」
「そうだな、そうかもしれない。正直もっとがっつかれると思ってたし、オツムの弱い子が来ると思ってた。でも君は人を慮れる優しい良い子で、そのくせ自分の傷と寂しさに上手く向き合えてない孤独で純真無垢な少女だった。俺は今日一日君と一緒にいて、もっと君のことを知りたいって思ったよ」
なんだこれ、なんだこのメロドラマ。私の身に一体何が起きている?
私が戸惑っていると朔也さんは急に財布を取り出して、入ってた紙幣を無造作に抜いて私の上着のポケットにねじ込んだ。
「これ今日のデート代、通院費と治療費に充てて。足りなかったら後で請求して。身綺麗になって、答えがイエスなら連絡が欲しい」
矢継ぎ早に捲し立てると、彼は私の顔を両手で包み込み、上を向かせた。真剣な眼差しに射竦められる。そのまま顔が近づいて来たのに、唇はいつまでも触れないままだった。
「連絡、待ってる」
そう言い残して朔也さんは去っていった。
それから一週間、私は言いつけを守り、全ての仕事をキャンセルして産婦人科を受診した。ちょっとした病気は見つかったけど、すぐに完治して、その後はどう返事をすべきかをずっと迷っていた。
散々男性と肉体関係を結んできたけれど、交際の申し込みを受けるのは初めてだった。大体交際ってなんだ。客を取るのと何が違う? 金が発生するかどうか? 相手が一人かどうか? 違う、違う違う違う。
お互いを好いているかどうか、だ。
朔也さんは少なからず私に好意を持ったからこそ付き合ってほしいと言ってきた。じゃあ私はどうなんだ。分からない。そりゃ1日しか会ってないんだから分かるわけもない。でも、朔也さんとのデートは嫌じゃなかった。それにこんなに長期間彼のことを真剣に考えている自分がいることにも気が付いた。
私ももっと朔也さんのことが知りたいんだ。
ある日すとんと答えが落ちてきた。でも、もしかしたら答えは最初から出ていて、覚悟が決まっていなかっただけかもしれない。
一か月ぶりに電話をした時、朔也さんはこう言った。
「連絡待ってた、ありがとう」
この一言に私は感激してしまった。こんな私の連絡を待っててくれる人がいるという奇跡が、信じられなかった。
それから何度かデートしたけど、私はまだ朔也さんに手を出されていない。でも今日はクリスマスだから流石にするでしょと思って勝負下着で来たのに、ホテルに入っても二人でゆっくり本当の休憩をするばかりだった。
「もしかして私に興味がないの?」
「違う。君も知ってるだろ? 未成年と成人の淫らな行為は法律で禁止されている」
「同意してるよ?」
「同意していてもだ」
「私五月で十八になるから後半年くらい?」
「俺にもけじめってもんがある。君が乳臭い制服を着ている限りは手を出さない」
「乳臭いって」
「だから早く卒業しろ」
そう言われると我慢するしかない。でも、好きな人とすぐに愛を確かめ合うことができないのはちょっとじれったい。
朔也さんは卒業という言葉で何か思い出したようだった。
「そういえば、里莉は卒業後の進路は決まってるの?」
「肉体関係を伴わない健全な夜の仕事?」
しかめ面をしながら、彼は首を横に振った。
「学費は俺が払うから進学すると良い」
「え?でも」
「勉強は仕事が休みの日に俺が見る。里莉は地頭良いから後一年で十分巻き返せるよ。もし駄目でも浪人すれば良い」
「な、んで、何でそこまでしてくれるの?」
「何でって好きだからだよ。エゴだけど他にも職の選択肢を広げてほしいと思うし、学生の時間ってその時だけしか味わえない特別なものだから、君にももっと楽しんでほしい」
「でも、返せないよ。少しずつ返したとしてもいつになるか」
朔也さんはふっと破顔した。
「もう返してもらってる。里莉とこうしているのは俺にとっても凄く幸せなことだから」
私は自然と涙が零れていた。里莉は泣き虫だなと言って、優しい彼は子供にするようにそっと頭を撫でてくれる。
「あ、でも年の近い男と浮気なんて絶対許さないから」
「しないよ!私一途だから!」
「どうだろうなぁ? 高校卒業したら毎日首元に齧りつかないと安心できないかもなぁ」
「それなら今だってそうかもよ?」
「うーん、否めない。が、流石に高校生に所有印は残せない。よし、こうしよう」
朔也さんは鞄から小さな可愛いラッピングを取り出した。クリスマスプレゼントだ。開けるとオープンハートの洒落たネックレスが入っていた。彼は私の手からそれを取ると、首の後ろに手を回してつけてくれた。いつもより顔が近い。
「所有印代わりの首輪」
「あ、ありがとう。嬉しい」
「どういたしまして」
至近距離で朔也さんが艶やかに笑ったから、私はこそばゆくて顔を赤らめた。何だか自分が乙女になったみたいにドキドキしてる。
こんな日が来るとは思わなかった。
胸がいっぱいになる。世界もクリスマスももう、ガラス越しのものではなくなっていた。
いつしか私は完全に朔也さんに心を奪われていた。
「ここ、分かんない」
「ん?これはxにさっきの答えを代入して」
「あ、そっか」
桜の開花がもうすぐの頃、私たちは交際四か月目を迎えていた。
「できた」
「ん、合ってる」
「朔也は教えるのが上手だね」
「家庭教師してたこともあるからな」
「へぇ、そうなんだ」
今日も朔也さんの整頓された部屋で勉強を見てもらっていた。今は十九時を少し回ったところ。彼は律儀に約束を果たしてくれていて、せっかくの休日なのに申し訳ない気持ちになる。ちなみに何の仕事をしているのかは知らない。ただ私と初めてデートをした後すぐに転職したとは聞いていた。
勉強を終えたところで、朔也さんの携帯が鳴った。どうやら仕事の電話のようだ。
「送っていくから帰る支度してて」
そう言って彼は外に出て行った。仕事の話は聞かれたくないらしい。何の仕事をしてるんだろうといつも疑問に思うけど、これまで深く考えたことはなかった。だけど今日は違った。珍しくパソコンがロックされていない状態で放置されていたからだ。
……これは朔也さんが悪いよね?
誘惑には勝てず、私は朔也さんのパソコンを触っていた。デスクトップにはフォルダがいくつかあり、その中の一つに「取材」とタイトルのついたものがあった。ライターとかなのだろうか。私は何気なくそのフォルダを開いた。その中にも細かくフォルダが入っていたが、一際目を引くタイトルがあった。
『花を売る少女とピグマリオン効果の実証』
私は嫌な予感がしてそのフォルダをクリックした。中には女性の人名のフォルダがいくつかあって、その一つは私の名前だった。他の子の中身をチェックするとデート日時とその内容が細かくまとめられていた。どの子ともホテルまでは行かず終了している。私のフォルダも見たけれど何故か空だった。だけど状況は理解した。なんだ、そういうことか。
ピグマリオン効果とは確か、他人から期待を受けた人がその期待に沿った成果を出すという心理効果のことだったはず。
つまり、朔也さんにとって私はモルモットだったわけだ。花を売る少女に期待をかけて、最終的に更生できるかどうか記事にでもするつもりなのだろう。まぁそうだよね、じゃないとこんな美味い話あるわけないじゃんね。はは、私ってば夢見ちゃってバカみたい。
ちょうどその時、朔也さんが帰ってきた。
「何して」
「良いですよぉ、別に。私の存在なんてフリー素材みたいなもんですから、好きに使ってください」
すぐに事態を把握した彼は血相を変えて否定した。
「違うんだ、里莉」
「でももう実験には付き合えません!」
鼻の奥がツンとして、視界がぼやけた。
「……身体を弄ばれるよりも、心を弄ばれる方がずっと辛いです」
そう言ってずかずかと朔也さんの横を通って玄関に向かう。
「里莉待って。俺の話を聞いて」
「いや! 触らないでください!」
朔也さんの腕を振り払うと部屋を飛び出した。それでも彼は追いかけてくる。
「待てって、里莉! おい! 話を聞け!」
話なんて聞いてやるもんか。何だって私はこんな仕打ちを受けないといけないんだろう? こんな、こんな惨めな気持ちになるくらいなら連絡なんてしなかった。返してくれよ、私の純情ってやつをよぉ。
「里莉!!」
その時、私は全く周囲に気が向いていなかった。
ドン!!
気が付いたら朔也さんに抱き締められて、道路に一緒に倒れていた。
「さ、朔也?」
「ああ、クソ!」とタクシーの運転手が悪態をつきながらスマホでどこかに連絡している。それでようやく車に轢かれたのだと理解した。
「朔也、朔也さん! 朔也さん!!」
血は出てないし息もしてるけど、いくら呼んでも返事がなかった。頭を強く打っているのかもしれない。こういう時はあんまり動かしちゃいけないんだっけ? 気が動転して何をしたら良いのか分からない。どうして私を庇ったりなんかしたの、朔也さん。
頭が真っ白になって、その後のことはあんまり覚えてない。救急車が来て朔也さんが搬送されたのは覚えている。私は救急隊員に乗るかどうか聞かれて乗らないと答えていた。私には乗る資格がない。その後の警察の事情聴取も、どうやって帰ったのかも曖昧だ。ただこの日、こうやって唐突に私たちの関係が終わったことだけははっきりと記憶している。
それから私は高三になって、十八歳の誕生日も先日過ぎた。朔也さんとは連絡を取っていない。というか連絡を取りたくなくて電話番号もメールアドレスも変えてしまった。ただ彼の安否だけはどうしても気になって、家の周囲をコソコソ徘徊して遠目から生きてることは確認してる。ポストには事故のことを謝る手紙を投函しておいた。朔也さんのやったことは許せないけど、事故については深く反省してる。それで本当に終わり。
あれから私はまたお客様を取り始めた。心にぽっかりと空いた穴を埋めるように下の穴をパコパコ埋めてもらってる。だけど全然満たされない。たまに言い様もなく胸を掻き立てられて、一人で夜に泣いちゃうこともある。それに、前にも増して高校にも全然行ってない。卒業できないかも。まぁもうどうでも良いや。学がなくても身体は売れるでしょ。
陽だまりの世界は遠く眩しく、日陰者に戻った私は前よりもずっとひもじく感じた。
今日のお客様はご新規さんで最初からホテル希望。欲望に忠実で却って潔い。よぉし、受けて立とう。お客様から仕事で遅れるから先にホテル入っててと連絡を受けたので、一人でチェックイン。シャワーと歯磨きを済ませ、後はダラダラとスマホをいじってた。
ドアが開く音がして、私はスマホをしまい、営業スマイルでお客様をお迎えする。だけどその笑顔は一瞬にして強張ってしまった。
「朔也さん……」
「随分と探したよ」
朔也さんは後ろ手にドアの鍵を閉めた。
「電話もメールも通じなくなってて、家の場所知らないから学校の前にも行ったけど、三年になってから全然登校してないらしいな」
つかつかと私に近づいてくる。私は後ずさった。朔也さんは本気で怒ってるみたい。
「まぁでも、お客様のために画像加工しない精神だけは褒めてやる。髪も短くして化粧の仕方も変えて、別人みたいにガラッと雰囲気違うけど、俺の目は誤魔化せない」
「な、何でそんなに怒ってるんですか? あ、事故の件ですね? あれは本当にごめんなさい。慰謝料でも何でも払いますよ」
「お前それ本気で言ってんのか? 俺がわざわざ慰謝料請求するためにこんなまどろっこしいことしてまでお前を探すとでも?」
気付いたら部屋の隅に追い詰められていた。私は恐怖と混乱でまた泣いてしまった。
「分かんない、分かんないよ。何で朔也がそんなに怒ってんの?」
私の涙を見て、朔也さんは目を見開いた。それから横を向いて一つ大きな溜息を吐いたかと思うと、慰めるようにポンと私の頭を叩き、身体を引き寄せた。抱き締めてくれたのは事故を除けばこれが初めてだった。
「怖がらせてごめん。ようやく里莉を見つけて興奮してた。そうだよな、困惑するよな。それに、怒るのは君で、責め苦を負うべきは俺なんだ。ごめん、ごめん里莉」
「な、何で」
「怒ったのは里莉が俺の話を聞かないまま関係を終わらせたから。それからまた客を取り始めたから。俺がどれだけ我慢してたと思ってる」
朔也さんが一層強く抱きしめてきた。
「凄く嫉妬してる。俺が大事にして触れられなかったものを、他の男が何の躊躇いもなく汚してるんだから。でも君をこんなに傷つけて自暴自棄にさせてしまったのは全部俺のせいなんだ。本当にすまない」
「何でそんなこと言うの? 私はただの実験台だったんでしょ?」
「違う! 俺は本気だった。頼むから話を聞いてくれないか?」
「……分かった」
「ありがとう。座ろう」
朔也さんが近くにあったソファに私を座らせ、自分も隣に座った。そして少し躊躇いながらも、ゆっくりと話し始めた。
「確かに俺は君が考えているような、ロクでもないフリーライターだった」
ある日知り合いの編集者と酒の席で盛り上がり、あの記事が上手く書けたら高く買ってくれるということで取材を始めたのだという。
「一番簡単そうな子をターゲットにするつもりで、里莉の前に既に三人の子に会ってた。……そしてあの日、君と出会った」
朔也さんは言葉を切った。あの日を思い出しているのだろう。私も自然とその時のことが頭に浮かぶ。その会話、仕草、視線。今でも鮮明に覚えている。
「君は前の三人とは全く違っていた。家庭環境は皆似たようなもんだったけど、何だろう、他の三人は境遇に対する憎しみや不満を、自分を買う客にぶつけてるみたいだった。自分が満足することだけを考えていて、客を満足させたり喜ばせようなんて微塵も考えていなかったと思う。取材とはいえ幼稚な対応に正直辟易してた。だけど君は本当に優しい子で、客である俺のことを終始考えてくれていた」
「認めてほしいから優しくしてるだけ。仲良くなりたくて飴を差し出すのと同じ」
「なら君はそれを隠すのが上手過ぎたんだ。デート中とても楽しそうに笑ったり、映画であんなに泣いたり、自然で、俺は本当の恋人とデートしてるような錯覚に陥ってた。それくらい、君とのデートが楽しかったんだ」
「その割には随分と私のこととか仕事について質問してましたけど」
「たまにああやって現実を挟まないと本当に勘違いしそうだったんだ。……何とか夕飯を終えて、俺は理性を保ったまま帰れると思ってほっとした。だけど、そうはいかなかった。『皆一時でも私を見てくれるから』って呟いたの、覚えてる?」
私は頷いた。勿論覚えてるとも。
「あれで完全にやられた。それまで里莉という少女の明るい部分ばかりを見ていたのに、突然深い孤独を垣間見た。健気な少女は金のためではなく、ただ己の存在を見てほしいがためにこんなことをしているのだと唐突に理解した。しかも君はそれを取り繕おうとまでした。なんていじらしいんだろう」
朔也さんは真っ直ぐに私を見つめてきた。
「俺はあの時、君に心を奪われたんだ」
ああ、私がこの人に心を奪われたように、私もまたこの人の心を奪っていたんだ。
私はわだかまりが解けていくのを感じた。
ここまで話すと朔也さんは自分のスマホの画面を私に見せてきた。
「あの後、あの記事は書かないと件の編集者に連絡をした。これがその時のやりとり」
確かに断りを入れている。流石に未成年に恋をしたからとは書いてないけど。
「私のフォルダに何も入ってなかったのは記事を書くつもりがなくなったから?」
「そう。それから己を省みた。大人として今の自分は君に胸を張れるだろうかって。答えは否。恥ずかしかったよ。人を食いものにするという点ではあの少女たちとやってることが大して変わらなかったんだから」
「あ、それで転職」
「まぁ、フリーを辞めて真っ当な会社のウェブライターになっただけだけど。里莉に見せても恥ずかしくない記事を書きたかったし、貯金がないわけじゃないけど給料安定させて、君の学費とか生活費に充てたかったから」
「……朔也、ごめん、私」
どうやらとんでもない勘違いをしていたらしい。彼の強張っていた顔がようやく緩んだ。
「俺が本気だってこと、伝わったな?」
私は首を縦に振った。
すると朔也さんはゆっくりと顔を近づけてきた。これはもしやと思って私は緊張しながら目を閉じる。彼の息遣いを間近で感じた。
「っと、いけない。キスするところだった」
すんでのところで彼の顔が急に遠ざかる。
「もう! 今のは絶対するとこ!」
「いや、高校卒業するまでは手出さないって決めたから」
「やだやだ、キスくらいしたーい!」
「あっ、おいこら、止めろっ」
私は納得がいかなくて朔也さんに飛びついた。不意打ちだったからすんなりソファに押し倒すことに成功する。後は唇を奪うだけと思ったら下腹部に怪しいものが触れていた。
「朔也、もしかして」
「言うな。身体は正直なんだよ」
彼は横を向いて罰の悪そうな顔をしている。私は自分に欲情してくれていることが嬉しかった。それってちゃんと私を女として見てくれてるってことでしょ?
「絶対触んな」
「何で? 私もう十八だよ。卒業云々は朔也の自分ルールだし。我慢は良くないと思う」
「駄目、俺の意志を尊重してくれ」
そう言うと朔也さんは指で淫靡に私の唇をなぞった。
「里莉は待てができる優秀な雌犬だろ?」
「……うん、分かった」
物凄く不服だったが、そんな言い方をされたら大人しく従うしかない。里莉はお利口でちゃんと待てができる雌犬です。ワンワン。
「良い子だ。さっ、避けて」
「うう」
私が渋々避けてソファに座り直すと、朔也さんも先ほどと同じように座った。
「里莉、これからのことだけど」
「分かってる。こういうことはもうしない」
「うん。病院にも行くこと。それから高校もちゃんと通って勉強して、進学するんだ」
「分かった。朔也」
私は彼の手を握った。
「私を見てくれて、ありがとう」
「好きだ、里莉。自分の人生を変えたいって思うほど、お前に惚れてる」
朔也さんは私の手を握り返すと、その指にそっと口づけをした。
「大事にしたいんだ。今はこれで我慢して」
「うん」
自然と顔が綻んだ。そっか、私を大事にしてるから今は抱かないんだ。心がポカポカ温かい。どうやら空いてた穴は塞がったみたい。
羨望していた明るく温かな世界が、再びここにあった。
私は朔也さんの肩にしな垂れた。朔也さんも頭をこちらに預けてくる。そうしてしばらくは無言でこの幸せを噛み締め合うのだった。
最後までお付き合いくださりありがとうございました!
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