3. 証言
証言② 2年女子
「トイレの花子さん?……ああ、有名ですよね。誰もいないはずの個室に鍵がかかっていて、ノックすると返事が返ってくるってやつ。この学校にもいるって最近話題になってるみたいですよ。そんな人いるわけないのに」
証言③ 1年女子
「怖いですよねぇ。ノックをしたあとに振り返って個室向かいの鏡を見たら最後、花子さんに引き摺り込まれて殺されてしまう……って。噂の出処?誰だろう……私は友達から聞きましたけど。ハンドボール部の子じゃないですか?」
証言④ 3年女子
「花子さんの噂はここ最近の話だよね。私は先輩から聞いたことなんて一度もないよ。あそこのトイレ、古くて汚いし暗いから、1年生が怖がって冗談でも言ったんじゃない?」
証言⑤ 2年女子
「花子さんは失恋した女の子の呪いだって聞いたよ。なんでも、先生との子供を妊娠したからトイレでこっそり堕ろしたとか。その時に女の子も亡くなって地縛霊としてときどき現れるんだって」
証言⑥1年女子
「私、花子さんを見たんです。事件が起きる、3日前に――――」
―――――
■三日前
期末試験が終わり、生徒たちが早々と帰宅していく校庭を教室からぼんやりと眺めていた。特定の部活動に所属していない瑛都にとって、午後のこの時間は退屈なものだった。
甲子園に向けてボールを追いかける野球部の後方で、誰かが歩いているのが見えた。あれは……同じクラスの椎葉胡織だろうか。そこそこの進学率を誇るこの学校で、入学以来ずっと学年主席を維持し続けている、いわゆる優等生君だ。そんな彼が向かった先は、校庭の隅にひっそりと置かれている屋外トイレだ。なぜわざわざあんなところに行くのだろうか。彼は優等生らしく生徒会に所属しているから、用を足すなら校舎内の清潔なトイレを使用すればいいはずだ。瑛都は、胡織がトイレに入ったのを確認すると、すぐに教室を飛び出した。瑛都の直感が言っている。何かとんでもないことが起きるはずだと。
走って屋外トイレの入り口にたどり着くと、ちょうど胡織が男子トイレから出てくるところだった。遅かったか。そう思ったのもつかの間、彼は女子トイレの中に入っていった。
「おいおい……」
いくら使われていないからといっても、さすがにそれはまずいのではないのだろうか。まさかとんでもないことというのは、胡織の不法侵入趣味のことだったのか。しかし、瑛都にそんな卑しい趣味はない。どうするか悩んでいると、扉の向こうから微かに女性の声が聞こえた。
『ごめん……私のせいで』
「!」
一般的に考えれば、トイレを利用している誰かが胡織と話していると思うだろう。しかし、これは違う。この声の主は、すでに死んでいる。直後、中から大きな物音がした。躊躇っている場合ではない。瑛都はすぐさま扉に手をかけた。
その後の展開はあっという間で、そこらじゅうで事件の話題が持ちきりだった。報道曰く、先日起きた別の殺人事件と同一犯の可能性があると警察は睨んでいるらしい。しかし、どうも納得がいかない。根拠など何もない。ただ、瑛都の直感がそう言っているのだ。胡織からは首を突っ込むなと釘を刺されているが、この好奇心を抑えることはできそうになかった。
善は急げだ。トーストを突っ込み、玄関を飛び出し、学校へ向かう。まずは何か情報が欲しい。事件と同時期に突如流行した『トイレの花子さん』の噂とも何か関係があるはずだ。3学年が共通して利用する通路に行けば、学年問わず話が聞けるかもしれない。瑛都はそこで聞き込みをすることにした。
聞き込み調査は難航した。親しくもない男子生徒から突然話しかけられた女子生徒から迷惑そうにあしらわれ、ようやく得られた情報はどれも曖昧なものばかり。終いには胡織とも険悪になってしまった。
「どうしたものか……」
瑛都が頭を抱えていると、
「すみません、檜垣先輩ですか?」
後方から小さな声が聞こえてきた。振り向くと、小柄な女子生徒がこちらを見上げていた。2年の瑛都を先輩と呼んでいたことから、おそらく1年生だろうか。
「『トイレの花子さん』について、調べているんですよね……?」
正確には花子さんと殺人事件の関連性について調べていたのだが、貴重な協力者だ。そんなことにこだわっている場合じゃない。
「うん。何か知っていることはある?」
女子生徒は躊躇うように視線を泳がせると、意を決したようにこちらを見て告げた。
「私、花子さんを見たんです。事件が起きる、3日前に」
「本当?!」
思わず肩を掴む。驚きながらも「はい」と呟いた女子生徒にハッとして手を離すと、女子生徒は話をつづけた。
「と言っても、場所はこの学校じゃなくて、近くの公園なんですけど……」
「公園?」
「はい。月見野町の住宅街にある小さな公園です。事件の3日前、試験が近かったから塾で勉強していて、帰り道に公園のそばを通ったんです。そうしたら……」
「公園のトイレから小学生くらいの子供が出てきたんです。夜の8時くらいだから、こんな時間に一人でいたら危ないなと思って声をかけようと思ってトイレに近づいたんです。でも……あたりに誰もいなくて。怖いなあと思って冗談で友達に話したらこんなに尾ひれがついちゃったみたいで……」
「なるほど。『花子さん』の噂はそこからか……」
瑛都が一人納得していると、女子生徒は不安そうな表情を浮かべた。
「あの……こんな話でお役に立てたでしょうか?」
うん。十分だよ。ありがとう」
丁寧に一礼して去っていく女子生徒を見送ると、瑛都はさっそく『花子さん』の噂の出処に向かうことにした。
夏が近づき、日が伸びてきたからか閑静な住宅街に埋もれるようにある月見野公園には、18時だというのにまだまだ子供たちが遊んでいた。瑛都は放り出されたランドセルを避けるようにして適当なベンチに座ると、辺りを見渡した。特に変わったものは見当たらないが、念のために公園を一周まわってみるか。そんなことを考えていると、一人、ポツンとしゃがんでいる少年に目が留まった。
「なにしてんの?」
瑛都が声をかけると、少年は驚いた様子で顔を上げた。
「ああ、ごめんごめん。怖がらせるつもりはなかったんだ。ただ、何してるのかなって気になって」
「……花子さんにあげるお花を摘んでる」
「『花子さん』って、この公園のトイレに住んでるっていう?」
「うん」
「そうなんだ。俺も会ってみたいな」
「それはできない」
「え?」
少年は立ち上がると、瑛都の目をまっすぐに見つめた。
「花子さんは、もういないから」
「どういうこと?」
「……『花子さん』は殺されちゃったんだ。だから、もう花子さんには会えないよ」
「殺された……?」
「うん……」
「そうか……」
瑛都は少年に合わせて屈むと、その小さな肩を掴んだ。
「大丈夫。俺が絶対に『花子さん』を殺した悪い奴を見つけてやるから」
「事件に首を突っ込むなと何度言ったらわかるんだ」
声が聞こえてきた方を見上げると、胡織が見下ろしていた。
「おっ、胡織!いつからいたの?」
「今さっき」
「そっかあ……ていうか、どうしてここに?」
「帰り道だ」
胡織は瑛都の隣に腰を下ろすと、少年を一瞥する。すると、少年は先ほどまでとは打って変わって慌てた様子で後ずさった。
「……ほら、これ買ってきてやったから。暗くなる前にさっさと帰れ」
胡織は小さな仏花を少年に差し出した。
「あ、ありがとう」
少年はおずおずとそれを受け取ると、そのまま公園から走り去ってしまった。
「なんだ、もう帰っちゃうのか」
瑛都が残念そうに言うと、胡織は小さくため息を吐いた。
「当たり前だろ。ガキはもう寝る時間だ」
「いくらなんでも6時就寝は早すぎないか?」
「……それより、なんでまだ事件のことを調べているんだ」
「いや、だって気になるじゃん」
胡織は呆れたようにため息を吐くと、立ち上がった。
「俺は帰る。お前も早く帰れよ」
「え、ちょっと!待って!」
瑛都も慌てて立ち上がると、胡織の後を追った。
「『花子さん』を殺した犯人を捕まえるの手伝ってくれないか?」
「……なんで俺が」
胡織が足を止めて振り返った。
「だって、お前頭いいだろ?」
「それとこれとは関係ないだろ」
「でも、俺一人じゃ限界があるっていうか……」
胡織はまたため息を吐いた。
「一体この事件の何がそんなにお前を掻き立てるんだ。痛ましい事件だが、俺たち高校生にできることなんてない」
瑛都は言葉に詰まった。確かに、胡織の言う通りだ。高校生の自分にできることなんて限られているし、そもそもこの事件に首を突っ込むべきではないのかもしれない。しかし、どうしても気になるのだ。この胸騒ぎが収まらない。
瑛都が何も言えずにいると、胡織は呆れたように言った。
「それに……この事件、絶対に裏がある」
胡織はそれだけ言うと、背を向けて歩き出した。瑛都も慌ててその後を追う。
「それってどういう……」
「もう遅いから帰るぞ。さっさと歩け」
いつの間にか自宅の近くまで来ていたようだ。ここまで来ればあとは一人だ。瑛都がそれ以上追及することもできずに黙りこくっていると、思い出したかのように胡織が言った。
「そういえばお前、期末テストの結果はどうだった?」
「……3位だったよ」
瑛都がそう答えると、胡織は意外そうに目を見開いた。