5. 囚われの身
俺はまず立ち上ってみることにする。手が使えないので、立ち上がる前の座ることから一苦労だ。
肩や頭を使って態勢を整え、腹筋で座る体制にまで持っていく。
「くっ‥‥ふぅ」
第一歩、クリア。
もうこの時点で、お腹の筋肉がプルプルしていてつりそう‥‥‥。
そこでふと思い付く。
あーそうだ! 筋力増強すれば、こんな事しなくてもこの拘束を破れるかもしれない!
筋力強化の魔法は ———
『(ターフェン)』
‥‥‥何も起きない。
ダメだ。
あまり使ったことのない魔法なので、声無しでは上手くイメージできず、発動しなかった。
これは、この華奢な身体の全身の筋肉を総動員して、どうにか立ち上がるしかない‥‥‥。
「ツァッ!‥‥イヤ、これつらっ!」
「だぁ~~~、ま、まじかっ‥‥‥」
絶対この後筋肉痛になる! っていうぐらい筋肉を酷使して、どうにか立ち上がるところまでたどり着いた。
この身体って、半端なく、弱いかもしれない‥‥‥。
「ハー、ハー、ハーー」
立ち上がってからも、呼吸が落ち着くのをしばらく待つ。
視界の無い世界では、こんな自分の呼吸音ですら「俺はまだ生きている!」って実感する。
せっかく助けられた命だ。どうにかしてやる!
ボロボロになりながらも、沸々と自分の中から責任感にも似た、熱い思いが湧き出してくる。
落ち着いたところで俺はまず、足のつま先で少しずつ床を探りながら、自分が囚われている空間の間取りを確認し始めた。
ここは部屋だ。
大体ベッド4つ半ぐらいの広さで、周りは壁に囲まれている。
部屋の中に机や椅子、なんでもいい、何か道具があるかと期待したが、どうやら何もないガランとした空間のようだった。
次に壁がどういう造りになっているか、腕の肌感覚で探りを入れる。
壁はほとんどのっぺらとなっていて、残念ながら窓らしきものは存在しなかった。
一か所だけ、取っ手のような突起物があったので、そこがドアだと思われる。
ご丁寧に、手も何かで覆われてしまっているため、その取っ手を掴むことは出来ない。
少なくとも身体全体で押しただけでは、そのドア? もしかして壁? は動かなかった。
とにかく視界を確保したい!
壁に顔を押し当て、目を覆っている布を取り除こうとする。
ダメだ‥‥‥。
相当堅く、何重にも結んでいるようで、外れる気配はまるでなかった。
「ギシッ‥‥‥」
そのとき、天井がきしむ音がする!
全ての動きを止める!
息すら止める!
‥‥‥‥。
‥‥‥‥。
「プハッ、ハーーッハーーーッ!」
先に息が限界に達した。どうやら俺の動きに反応したものじゃなかったらしい。
その後しばらく様子をうかがっていたが、それ以上、物音は聞こえてこなかった。
一通りやれることを全てやりつくして、俺が出した結論は、ここは普通の部屋でなくて監禁用に使われている部屋ということだ。
普通の家でこの広さの部屋で、何も家具が置いていないなんて見たことがない。
明らかに、誰かを閉じ込めるように用意された部屋だ。
監禁部屋となると、拷問や殺害を連想してしまう‥‥‥。
幼いころに読み聞かされた、魔女狩りの数々の拷問、爪剥ぎ‥‥指の捩り上げ‥‥身体裂き‥‥‥。
ぶるっ!
も、もしここで拷問をしていたら、血とか体液の匂いがつくはずだ。
でも、そのような生々しい匂いはしてこなかった。
この部屋からは、木材のよく嗅ぎ慣れた香りしかしない。
きっと安心していいはずっ!
と、とにかく!
他にも謎なことがある。
どうやら持ち物や衣類が剥ぎ取られていない。
普通最初に持ち物確認するだろうに‥‥‥なぜか、腰に付けているダガーですら奪い取られていない。
腰のあたりに、いまだにその安心感を感じさせる重みがある。
なにか想定外が発生したんじゃなかろうか‥‥‥。
ただ、それが俺にとって ”良い想定外” なのか ”悪い想定外” なのかは分からない。
そして結局、誰かがここに来ない限り、俺は何もできない。
それはこの状況のまま、いつか来る、良いかも悪いかもしれないその時を、待ち続けなければいけないってことだった。
俺はそれから、ひたすら不安と緊張と焦りのなか、待ち続けている‥‥‥。
――――――
それからどれぐらい時間が経ったか分からない。十数時間にも、ほんの数十分だったようにも感じる。
それは突然だった。
扉の外の方から音が聞こえる。
「ギシッ、ギシッ、ギシッ」
階段を人が下りてくる音だ!
俺はすばやく扉がある方の壁に背中をつけ、その様子をうかがう。
歩いてきた音はドアの前で止まり、何やら鍵束から鍵を探しているような音がしてくる。
こいつが敵か味方か分からない。
そもそも俺の味方はここにいないから、可能性としては敵か第三者のどちらかだ。
正直良くない可能性の方が高い。
だから俺は、このままおとなしく様子をみるつもりはなかった。
相当分が悪い賭けかもしれない。
それでもこの機会を活かして、脱出を試みる!
これまでの間、必死で考えて出した答えがこれだった。
この間使ったばかりの『ヘイスン』ならまだ頭の中にイメージが残っている!
あの魔法なら声を出さなくても発動できるはず。
俺はやる! やってやる!!
『(ヘイスン)』
自分の魔力回路の中に四肢に向かって光の渦が伸びていくイメージを固定化する!
今度はうまくいった! そのまま魔力を流し込んで魔法を発動させる。
――― 途端に世界がゆっくりになったように感じる。
ドアのカギが、ゆっくりガチャって開くのが、聞こえた。
いまか! いや、まだだ!
相手が部屋の中に入ってきた瞬間を狙う!
「ぎぃぃぃぃ‥‥‥。」
ドアが開く音がきこえる。
外開きかっ!? 多分!
「あーれっ?」
間延びした声が真横から聞こえる。
聞いたことない男の声、強盗二人の声じゃない。
そして俺とその男の間に扉はない!
男が部屋に一歩踏み込んだ瞬間、俺は壁から身を翻し、ぶつかる勢いで飛び出した!
男には ――― ぶつからない!
「んっ!?」
とにかく今は駆け抜けるしかない。
歩いてきた音からするとドア出てすぐ左に階段がある!
右肩をぶつける様に飛び出す!
「ドン」
案の定、すぐに右肩が木の壁にぶつかった!
俺はすぐにドアの左に方向転換して、勢いよく走りだす!
さっき降りて来た音からすると、すぐに階段だ!
ここは、いちかばちか!
視界がなく手を使えない俺が、今階段を素早く上がるには、ジャンプするしかない!
『ヘイスン』には動きを大きくする効果もある。
2mぐらいならどうにか飛ぶことが出来るはず。
正直、怖いっ! 怖すぎるっ!!
天井に頭からぶつかるかもしれない!
階段の先に壁があって、顔から突っ込むかもしれない!
ジャンプが足りなくて、階段の角に顔をぶつけるかもしれない!
それでも俺は、思いっきり、やりきってやる!
俺は妙なハイテンションで、恐怖を忘れ去ろうとしていた。
2歩、3歩、ここだっ!
思いっきり、両足で、床を踏み切る!!
身体が宙を飛ぶ!
天井は ――― ない!
身体がすごい勢いで、上へ上へと押し上げられていく!
素早くなっているはずなのに、自分の動きまでスローモーションになったかのよう。
思考が高速回転している。
脚を胸に引き寄せ、抱え込むような体勢になり、次の衝撃に備える!
次は着地できるか!
いけるか!! 届くか!
「あっ」
と、その瞬間、足先になにかがぶつかる!
勢いよく飛びあがっていたその勢いのまま!
足先を支点にして、上半身が前のめりに顔から突っ込んでいく!!
顔からぶつかる!!
すべてが凍りつくような感覚!
俺は必死に頭を下げ顔を守ろうとした。
「ゴロゴロゴロ、ドガーーーン」
階段の角や壁にぶつかるわけでもなく、鉛筆が床を転げていくように、平らな床の上を全身を回転させながら転がっていく!
そのまましばらく転がり続けたあと、なにか壁の様なものにぶつかって、止まった。
痛ーーーーっ!!
身体全体に強い衝撃を受けたせいで、魔力回路のイメージが大きく乱れる。
ヤバイッ!
痛みを感じている場合じゃない!このままだと魔力が逆流する!!
逆流した先に待つのは、良くても魔力を失った人生! 事故の二の舞だ!
俺はどうにか魔力を絞って、魔力の流れを抑え込んでいく。
魔力回路は徐々に元の非活性状態に戻っていく‥‥‥。
ふぅっ、切り抜けた!
でも、まだこれで終りじゃない、次は出口だ!
外に出れば、きっと誰かが見つけてくれるはず。
素早く立ち上がり、とにかくあてずっぽうに走り出す!
っと、足元の物体に足を取られ、今度こそ顔から床に突っ込んでいく。
痛ってぇぇ~~~~。
俺は派手に転げる。
鼻の奥がジーンっと痛む。
何も見えないのだから、すべてが運任せだった‥‥‥。
もう少し自分でもどうにかならないのかと思ったけど、本当にこれ以上の良い案が思いつかなかったのだった。
きっと傍から見ればコントにしか見えないと思う。
両手が後ろに縛られ、口をふさがれ両目を隠された子供が、どこか分からないところから逃げ出すなんて、どう考えても不可能だ。
それでも俺はどうにかできると信じたかったし、最初から諦めるなんてしたくなかった。
「無謀な奴だな~ 笑」
その時、後ろの方からさっきの男の声がしてきた。
もう追いつかれた!
俺はとにかく、その声から遠ざかるため、芋虫状態で逃げようとする。
「まてまてって! 俺は敵じゃねーぞ 笑」
正体不明の男の話を信じている余裕は、俺にはない。
とにかく逃げなきゃというその一心で、とにかく後ろにずり下がる。
ただその先もまた壁で、行き止まりだった‥‥‥。
「まー落ち着けって」
壁に背中を付けて、声の方を向きなおる。
最後の最後まで、あきらめるつもりはないっ。
「とりあえず目隠し外してやるから、話はそれからなっ!」
そいつはそのまま飄々と近づいてくる気配がする、無警戒過ぎる。
俺はそいつが近づいてきていると思われる方向へ、思いっきり頭突きをくらわせようとする!
「おっと、死に急ぐなよ」
それは空を切り、思いっきり飛び込んだ俺の身体を、その男はひょいっと上から押さえ込んだ。
「ん~~~~~~~っ」
言葉にならない声が口から出る。
力もスピードも何もかも違いすぎる‥‥‥。
暴れる俺の身体を、さほど力もかけずに押さえつけている。
「だから待てって 笑」
細い金属音が耳元を通りすぎ、頬をかすめた ――— 目に久しぶりの光が差しこむ。
視界が追い付いていかない。
俺はようやく暴れるのを止め、目を慣らして辺りをどうにか確認しようとする。
まだ視界がぼやけていて周りの状況がよく分からないが、どこからか低い柔らかな日の光が差し込んでいるのを感じていた。
もう1日以上経った気がしていたが、実際は、ようやく朝を迎えたぐらいみたいだった。
あの時間はなんだったのか‥‥‥。
そしてその見知らぬ精悍な顔の男は、呆れた顔で笑いながら、俺を見下ろしているのだった。