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その二

お待たせしました、和製ランドルフ・カーター、真樹啓介久々の登場です。

「それじゃ、あの晩の放送は坂東先生のところでも受信できたんですね」

「じゃ、あれはやっぱり……いったい何があったんでしょう、詳しく教えてもらえますか」

「教えるもなにも、新聞沙汰になってましたよ。もちろん、スポーツ新聞だけですけど……」

 それから三日ばかり経ったある夕暮れ時。馴染みの古書店主・真樹啓介とゆきつけの個室居酒屋で一杯ひっかけていた坂東医師は、彼の口からもたらされた言葉に目を見張った。どうやら、あの奇妙な雑踏の正体は世間一般にも知られているようだった。

「――日本海側の一部だけだったらしいんですがね、なんかのはずみにテスト用の音源が放送回線に乗ってしまったらしいんです。ただそれだけ」

「なんだ、そんなことでしたか。――変なものを見たと思って損をしましたよ」

 空になった真樹の猪口へ、坂東医師はそっとぬる燗を注してやった。ところが、話はまだ終わっていなかったのである。

「ただ、ちょっとばかり気になる話を聞きましてね。付き合いのある埼玉の古本屋も、寝落ちてつけっぱなしだったラジオから、例の音が流れてきたのを聞いたそうですが……」

「なにか、おかしいことでもあったんですか……?」

 ひどく歯切れの悪い友人の様子に、坂東医師はロイド眼鏡を直しながら身を乗り出す。

「あちらさんは、関東ローカルの放送局を聞いてたそうなんですけどね。そこはいまどき珍しく、午前零時になると停波しちゃうんです。で、そのままになっていた周波数で、なぜか例の音声が聞こえたっていうんです」

「それじゃ……」

 不穏な終わりに、坂東医師も珍しく青い顔をする。

「電波ってやつは条件がそろうと、新潟辺りで福岡のラジオ局が受信出来たりするそうですからね。ずいぶん音の悪い感じだったようですから、おおかたそんなとこでしょう。――なにか霊的なものがあるとか、そんな話じゃないでしょうよ」

 といって、注いでもらったぬる燗をあおると、真樹は手の甲で口を拭い、再び刺身へ箸をつけだした。坂東医師はしばらく、猪口をもったままぼんやりと佇んでいたが、

 ――真樹さんがおかしいと思わないなら、きっとそういうことなんだろう。

 気の迷いを払しょくするように、一息に酒を飲み干すのだった。

 いつもなら酒は一軒限り、十時ごろにコーヒーを飲んでから解散となる二人だったが、その日はどうしたわけか、近くの中華料理店へと足が向かい、とうとう終電の時刻を過ぎてしまった。にぎやかだった大手通りのネオンサインは軒並み消えて、街灯と信号だけがぽつん、ぽつんと物憂げな輝きを放っているきりである。

「――ずいぶん飲みましたね、真樹さん、大丈夫ですか」

 わりに意識がはっきりしている坂東医師は、近くの自販機で買ったアイスコーヒーを、ベンチの上で伸びている真樹の手へと握らせた。ピッチの早かった真樹は、顔を真っ赤にして、座った両の目をのぞかせている。

「調子に乗り過ぎました……」

「真樹さん、戻すなら背中さすりますよ。無理にお腹にためとくとよくないですし……」

「なに、大丈夫です……ちょっと涼しいだけで、大丈夫ですから……」

 真樹の言葉に、坂東医師はやれやれ、と上着を脱いだ。夕方はあれほど暑かった往来も、今は放射冷却ですっかり涼しくなっている。酔いが招いた汗で冷えないよう、自分の背広を真樹へかけてやると、坂東医師は隣のベンチへ腰を下ろし、缶のタブを起こした。

「いつもなら、ぼちぼち寝てるくらいだなあ」

 缶の中身が半分ほどになったころ、横になっていた真樹がそんなことをつぶやき、のそりと起き上がった。いくらかましに放ったのか、顔色も平静に戻っている。

「――どうです真樹さん、よかったら今夜はうちに泊まりませんか。このまま家に帰って、戻したものが喉へつまらないとも限らないし……」

「いいんですか? どうも、申し訳ない……」

 まだ完全に調子が戻らないらしく、真樹がふらつく手で膝をついて頭を下げたのを見ると、坂東医師は彼に肩を貸し、傘岡駅のタクシーロータリーへゆっくりと歩きだした。

 運よく、入ってきた流しの車を拾うと、坂東医師はゆっくり走ってほしい、と注文を付け、真樹の様子へ気を遣いながら自宅へ戻った。そして、来客用の寝室へ洗面器やビニール袋、水差しを用意し、真樹を回復体位で寝かせてやると、坂東医師は様子見も兼ね、隅の籐椅子へ腰を下ろした。

 ――珍しいな、真樹さんがあんなに酔うなんて。

 窓辺に据え付けた、ガス灯風の常夜の下で、坂東医師は丸氷の浮かんだグラスへジャック・ダニエルを注いだ。半病人を運んで酔いが抜けたせいか、ひどく酒が欲しくなってしまったのだ。

 ……それにしても、ずいぶん涼しいな。

 服から寝間着に替えて、裸足にひっかけたスリッパをゆらしながら、坂東医師は窓から入り込むゆるい夜風に襟足を掻く。汗が冷えて気持ちの悪いわけではないのに、どうしたわけか、サッシの隙から漏れる風がひどく身に応える。

 ――疲れが出たかな?

 暖を取るように、丸氷のおさまったグラスへバーボンを入れると、坂東医師はあおるように、舌の上へ琥珀色の液体を流し込む。そしてその杯が重なるごとに視界がぼやけてゆくのを覚えながら、坂東医師は深い、眠りの谷へと身を投じてゆくのだった。



次回へ続く。

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