終わらない夜と止まない雨
どんどん冷たくなってくる。
どんどん冷たくなっている。
十二月二十四日午後十一時十七分。クリスマス・イブにはふさわしくない、豪雨の中。
僕――梔子一時は、ただ呆然とただ悄然と、一人の少女を抱いていた。
体を僕に預け、ぐったりとしている少女。
その腹部からは、今もまだ命の雫が落ちていっている。
「一時は――幸せだった?」
と、不意に少女が声をかけてきた。
その声は僕の耳と脳にしっかりと刻まれている声色で、しかし、記憶のそれと比べると遥かに弱々しかった。
彼女の問い。
一時は、幸せだった?
僕は、幸せだったか。
「……分からないよ」
少なくとも分かることは。
彼女は、間違いなく不幸であっただろうこと。
ヤンキー上がりの生活力皆無のチンピラとそいつの同類の女の間に出来たのが彼女だった。当然そんな奴らが娘の世話など真面目にするわけもない。日給で得た安い給料はパチンコで食い潰され、白米すらもまともに食べられなく、幼少時には何度も餓死しかけたという。
恐らく、小学生の頃僕が匿っていなければ、彼女は死んでいた。
彼女は小学校三年の頃から今まで僕の家で生活していた。
けれど、今になってそのことも不幸だったのだと気付く。
良家で豪邸の僕の家に彼女が馴染めていたとは到底思えない。家には多数のメイドや執事が居たが、彼らも良い顔して彼女を向かえはしなかっただろう。
その証拠に、彼女は――僕の家に居ることを許してもらうために、執事達の慰め物になっていた。
だから僕は、彼女を連れて逃げた。
何処までも、何処までも。
何時までも永遠に、何処までも悠久に、逃げ続けるつもりだった。
けれど。
それは甘い考えで。
すぐに――連れ戻された。
「――いや、分からないわけでも、ないのかな。迷ってるだけだ、幸福か、不幸か」
「どうして?」
「……分からないよ」
また最初の答えに戻る。
分からない。
分からない。分からない。
全て、分からないんだ。
雨が少し強くなる。
違う。僕が泣いているからだ。
いつまでも――止まない。
「私は、幸せだったよ」
「……え?」
「一時と出会えて、嬉しかった。どんなことがあっても、一時だけは私を助けてくれた」
「……けど、守れなかった」
「ううん」
彼女の右手がゆっくりと持ち上がって、僕の頬を撫でる。
嬉しかった――と。彼女は、どれだけの苦難を乗り越えて言ったのだろう。
「私の最後の願い――聞き入れてくれたんだもん。それはつまり守ってくれたってことでしょ?」
「違うよ――守ることと壊すことは、全く違うよ」
守る対象がいなければ、守ることは出来ない。
守る対象を壊してしまっては、守ることは出来ない。
なのに。
なのに。
僕は――彼女を壊して。
けれど彼女は、そんなことないよ、と言った。
「もう終わるんだから――ずっと一緒だよ」
「ああ――ああ、そうだな」
ゆっくりと彼女の右手が落ちて、力なく垂れた。
その時、屋敷が俄かに騒がしくなった。
僕が寝室に居ないのに気付いたのだろう。
彼女の体を地面に倒して、最後の口付けをする。
彼女は――死んだ。
しばらくの、瞑目。
「僕も――幸せだったよ。お前が幸せで、僕も幸せで――はっきりそう言えるよ。最後くらい、迷わないさ」
瞳を開くと同時に、傍らに転がっていたナイフを手に取り、立ち上がる。
付いていた血は雨で拭われていた。
執事やメイドの声が聞こえる。どうやら、中庭に居ることに気付いたらしい。
けれど、もう遅い。
僕は両手でナイフを握り――――
狂気で彩られた君と僕。
幸福で彩られた君と僕。
不幸で彩られた君と僕。
雨は未だ降り止まず、
君と僕の夜は永劫に終わらない。
こういったものを、たまに書きたくなります。
というわけでこんにちは、天風御伽です。
文字数は約1600字、原稿用紙で四枚分。
かなり短かった……;
この小説がハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか、それは読者にもよると思います。彼らは幸せだと最後に言いましたが、普通に考えれば不幸な生き方死に方ですよね。それでも幸せといえる彼ら。
それは強いのか、弱いのか。
曖昧な境界線を描いた物語、と思ってくだされば幸いです。