幕引きは偉い方が最適です
カシャーン…
銀色の小さなそれが、大理石の床に軽い音を立てて転がっていきました。
「レティ!」
最初に聞こえたのはリシャール様が私を呼ぶ声でした。それを機に、私は周りの音が一気に戻るのを感じました。どうやら私の目的は達成出来たようです。
「レティ、貴女と言う人は…!」
リシャール様が困ったような、でも少し怒ったような声で私を見下ろしています。怪我がないかを確認していらっしゃるのでしょう。でも…
「大丈夫ですわ、リシャール様。私、弱くないんですよ?」
「…知っていますよ。でも、それとこれとは別です」
呆れたように、少し困ったようにそう答えるリシャール様でしたが、私の答えでどこも怪我がない事はわかって下さったようです。はぁ、心配して貰えるなんて僥倖ですわ。って、今はそれどころじゃありませんわね。
「な…」
私がアドリエンヌ様に視線を向けると、彼女は落ちたナイフを呆然としながら眺めていました。彼女の表情から、本気で死ぬ気だったのでしょう。でも、それを邪魔された今は、凄く戸惑っているようです。
「第三王子殿下!」
「な、何だ…」
私が名を呼ぶと、エルネスト様が我に返ってそう答えましたが…
(えっと…?何だか私の事、怖がっている…?)
ずっと私を下に見て馬鹿にしていたエルネスト様でしたが、今は何だか私を恐れているようにも見えます。何ですか、一体…そうは思うのですが、今はそれどころじゃありませんわね。
「殿下、王女殿下はお疲れのようですわ。お部屋にお戻りになられては?」
ここまで言わなきゃいけないのかしら?しかも私が?とは思いますが、誰も動かないので仕方ありません。そりゃあ、あんなとんでもない話を聞かされた上、武器の持ち込みは厳禁の舞踏会にナイフを隠し持っていたとなれば、固まってしまうのも仕方がないのかもしれませんけど…騎士は何をしているのでしょう。これはお父様に相談する案件ですわね。
「あ…ああ。そう、だな…」
何とも間抜けな表情のエルネスト様ですが、シャキッとして下さいと思うのは私だけではないと思いたいですわ。もうさっさとアドリエンヌ様を連れて下がって下さい!と怒鳴りたいのをぐっと抑えました。
「何事だ?」
その時です、落ち着きのある威厳を含んだ声が響きました。このお声は…声のした方に視線を向けると、予想通り妃殿下をエスコートした王太子殿下がいらっしゃいました。
「あ、あの…兄上…」
「僭越ながら申し上げます。第三王子殿下とエストレ国の王女殿下はご気分がお悪いご様子。お部屋にお戻りになるようお勧め致しました」
しどろもどろで要領を得なさそうなエルネスト様に任せては話が進みませんし、我に返ったアドリエンヌ様が何かしでかさないとも限りません。ここはスピード勝負、さっさと下がって頂くのが最善でしょう。そう思った私は、エルネスト様の言葉を遮って王太子殿下にそう申し上げました。
「ラフォン侯爵令嬢…そうか、承知した」
一瞬怪訝な表情を見せた殿下でしたが、場の空気を感じ取られたのでしょう、そう言うと殿下はあのお二人の元に向かうと、あっという間に騎士や侍従達に命じてお二人を下がらせてしまいました。
「…何とか、なったかしら?」
「勿論です」
お二人がドアの向こうに消えた後、私がそう呟くと、リシャール様が短くもはっきりと、そう仰って下さいました。
「皆の者、どうやらアドリエンヌ王女殿下は気分が悪くなったらしい。王女殿下の名誉のため、また両国の友好のため、ここであった事は皆の胸の内に秘めて貰いたい」
そう仰ると、その場にいた者達が総じて頭を下げ、殿下の言葉を受け入れる意思を表しました。聡明で威厳があり、早くも賢王におなりだろうと言われている王太子殿下のお言葉に否を唱えられる者などいないでしょう。こうしてこの日の舞踏会は、幕を閉じたのでした。




