ひとつの愛の墓場
ミシュアルがフッサム拠点支部の住民達と共に、廃ビルを脱出してから数分後。サーラブはバシャルと共に、街中へと避難していた。
侵入者は粗方始末してはいたものの、優先すべきはフッサムの住民達の安全だ。惜しくはあるが建物を捨ててでも、彼らを逃さねばならないと判断したのだ。
しばらくして、二人が殺しそびれた、緋色の比翼の構成員が顔を出した。手に銃を持ち、辺りに銃口を向け始める。廃ビルでの騒乱を、遠巻きに眺めていた野次馬が逃げ出したのは、言うまでもない。
その混乱の中にまんまと紛れた二人は、ミシュアルが辿った道とはまた別の路地へと駆け込んだ。遠ざかっていく騒音に、サーラブはグッと拳を握り締める。
「よっし、離脱成功。なんだかんだ言って、ちゃっかり近道できちゃいやしたねえ。後はジグリスであいつらを待てば……」
サーラブの言葉を遮るように、突然バシャルが立ち止まった。
どうしたんですかい? とサーラブ声をかける間もなく、バシャルは路地の向こう側を顎でしゃくって示す。
その視線の先に居たのは、黒いローブに身を包んだ女であった。西日に金糸の刺繍が輝いていることから、彼女がトゥラーゾ教徒であることは明白だ。
だが、問題なのはそこではない。彼女が手にしているのは、明らかにロングウィップである。手の中で折り畳まれてこそいるものの、はみ出た先端が揺れている。
こんな目に見えて武器を携帯している、トゥラーゾ教の聖職者など、知る限りでは彼らしかいない。
(愛育の師じゃねえか! こンのすっとこどっこい、おたんちん共め! バレねえように動けなかったのかい!?)
サーラブが内心毒づく中、バシャルは彼女に気づかれないよう、そろりと歩き出す。不注意にも、ミシュアル達が彼女に見つかった会話を、遠巻きに聴きながら。
「どちらに?」
「分かっているくせに、一々聞くな。いいからついてこい」
慌てて呼び止めるも、バシャルは歩みを止めない。仕方なくサーラブもそれに従う。そして、二人が向かった先は……ミシュアル達の背後、民家の影であった。
(ああ、成程。ありゃあ、ナムゥのなりたてが相手取っていい奴じゃねえな)
鞭からひしひしと感じる魔力は研ぎ澄まされ、今にも放たれようとしている矢のようだ。まあ、放たれているのは蜘蛛のものにも似た、粘性のある糸なのだが。
その糸を覚えたての固有魔術で受け流し、掻い潜りながら、ミシュアルは彼女の猛攻を凌ぐ。
一見すれば彼が押しているように見えるが、バシャルとサーラブは気付いていた。二人の魔力の残存量の差が、どんどん広がってきていることを。
恐らく、愛育の師たる彼女は、わざとやられた振りでもして、彼を糸で絡め取る算段なのだろう。
(まずいな。このままだと、あいつの魔術の方が持たねえぞ)
サーラブは焦る気持ちを抑えつつ、状況を見守る。
このまま助けに行くべきだろうか。しかし、彼はまだ参入してから一日も経っていない。助けに行くメリットは無いが、彼が倒れれば、フッサムの住民達はどうなるだろうか。まず間違いなく、ナムゥに手を貸した罪で、ナムゥ同様に聖罰という名の虐殺を喰らう羽目になるであろう。
「サーラブ」
「へ、へい親方。なんでしょう?」
「頃合いを見て、あの女に化けておけ。服は後で寄越すからよ」
「は……はぁ? 了解でさ」
「任せたぞ」
路地裏から悠々と抜け出して行くバシャルを見送って、サーラブはガシガシと頭を搔いた。
(ったく、あの親方は無茶ばかり言いやがるぜ。惚れ惚れするくらいなぁ)
高々とミシュアルを吊り上げる愛育の師に、バシャルが迫る。彼の手には、今さっき引っこ抜いたのであろう、モリツサボテンのトゲが。指パッチンの軽快な音と共に、バシャルが放った魔術は、愛育の師の手を瞬く間に血で染め上げた。
「いっ痛い、痛いぃい……っ!! ひぃっ、ぅ、ぅぐぁああああっ!!」
途端、彼女の表情から余裕が消え失せる。痛みで視野が狭まっているのか、彼女は落とした鞭を拾われた事すら気付いていない。やがて彼女が、バシャルの手にした鞭に気付く頃には、国道一帯の空気は彼に支配されていると言ってもいい状態であった。
焦った愛育の師が、糸の魔術で彼を包むも、バシャルは固有魔術……入れ替えの魔術を行使して、自らの身体と、近くで群れていたラクダのうち一頭と入れ替えてしまう。
呆然とする愛育の師の様子に、堪らずサーラブは吹き出した。
(そりゃあそうだ、そんな顔になるのは当然だぜ! あっしは親方の固有魔術が『モノとモノの位置を入れ替えるヤツ』って知っているけどよ。傍から見たら一瞬で、何が起こったか分かるはずがねえ!)
ニッと笑ったサーラブの目の前で、轟々と火の手が上がる。バシャルが鞭を燃やしているのだ。いい匂いとは到底言えない臭いが、こちらへと飛んできて、サーラブは顔をしかめる。
だがそれよりも、立ち上る炎の存在に彼は感謝していた。
(今だっ!)
サーラブの瞳から、黄緑色の光が跳ねた油のようにぴん、と飛び出す。視線は愛育の師へと注がれ、右手の人差し指だけを空へと向ける。やがて彼がくるくると人差し指を回すと、根元に輪状の光が現れた。傍から見れば、サーラブが黄緑色に光る指輪を嵌めたかのように見える。
だが当然、これはただのオシャレではない。この光の輪こそが、固有魔術である変化の魔術を、行使する為の触媒なのだ。
「よしよし、バレてねえな。デカイ魔術に気を取られてやがる」
そう呟いて、サーラブは輪状の光が嵌った指で、トン、と右のこめかみを小突く。すると間もなくして、指の付いた所から、じわじわと姿が変わっていくではないか。
髪が長く亜麻色へと染まり、瞳は若緑色へと変わっていく。同時に目は垂れ気味になり始め、鼻筋が通り、頬がふっくらとなり始めた。
「よし」
発した声もまた、女のものへ変わっている。はたから見たら、肩のずり落ちた白いシャツに、サイズのあっていない黒ジャケットと黒いスラックスを纏う美女といったところ変化した己の姿を確認し、サーラブは満足げに微笑む。
「これで後は、服を待つだけか」
ふう、と息を吐くと、足元にバサリと布が落ちる音。バシャルの魔術で、服飾品とその辺の石ころが入れ替えられたのだ。
「さーて、お楽しみのお時間ですよぉ~っと」
着替えを始めるサーラブだったが、悠長に着込んでいられるような状況ではなかった。静まり返った国道の様子を見に、あちこちから町民が顔を出し始めたのだ。
サーラブは慌ててローブの袖を通しながら、辺りを見渡す。
幸いにも、ミシュアル達は町民達の視線から逃げられたらしい。加えて、肉のやける臭いと立ち上る炎からして、バシャルが愛育の師の死体を燃やしたようだ。
ならばこちらも覚悟を決めねばならない。集まった町民の元へと歩み寄り、自分の体で炎と死体を隠す。
「悪魔の死体など、見てはなりません」
「え? 愛育の師?」
「まさか私が悪魔を残して、トゥラーゾ神の元へと旅立ったとお思いですか?」
「いえ……それは」
「この通り、私は生きています。貴方達が無事で良かった」
「愛育の師よ! 我々も同じ思い――」
「ああ、お待ちなさい!」
駆け寄ろうとする町民を制し、サーラブは両手を広げ、声を張り上げる。
「いいですか、この時より明日の朝日が昇るまで、家から出てはなりませんよ。ナムゥの魔術が残っていないか、念入りに調べますので」
「それが師の、ご意志とあらば!」
サーラブの言葉に、素直に従う町民達。彼等が去って行くのを見届けると、サーラブは踵を返し、燃えている愛育の師の死体へと向かう。
(やれやれ、こんな面倒事を押し付けやがって。戻ったら覚えてやがれ)
心中で悪態をつくサーラブであったが、その表情はどこか嬉しそうだ。
やがて死体の前に辿り着くと、サーラブはしゃがみ込み、砂をかけて火を消した。頃合いを見て、微かに残った髪の毛を複数本抜き取る。これがあれば、魔術で愛育の師の情報を吸い出すことで、焼死体になる前の彼女に化けることが出来るのだ。
「一本につき一日分だ。念の為、皮膚ごと削いで、十本以上は確保しておくか」
真っ黒になった彼女の亡骸を担ぐと、サーラブはマウレト砂漠の奥へ奥へと歩き出す。やがて辺りから家という家が消え、植物すらもまばらになってきたところで、サーラブは足を止めた。
小高いオレンジ色の砂山のもとに、そっと彼女を横たえる。そしてその山の頂を蹴り壊し、彼女を埋めた。
「……これで良し、と」
西日で赤く染まった地平線の向こうを眺めつつ、サーラブは目を細める。今からジグリスに向かうとなれば、日が落ちるまでには到着するだろう。
(親方、バシャルになったあんたが望むなら、あっしはどんなヤツだって演じ切ってやるよ)
人差し指で再びこめかみを突けば、変化は解けて元の男の姿に戻る。サーラブは砂山を振り返る事なく、夕陽に背を向けて、ゆっくりと歩を進めたのだった。
2023/08/11をもって、罪果てのアルカは一周年を迎えました。皆様これまでの閲覧並びに評価のほど、ありがとうございます。今後も執筆活動に励んでまいりますので、是非本編共々よろしくお願いいたします。




