【短編版】悪食鑑定リィナの平和な食事
【読む前のお願い】
・漫画の読み切り感覚でお読みください。
・恋愛はそんなにありません。
・設定ガバガバ
・何でも許せる人向け
ちーんっ!
サラダを口にした時、頭の中で卓上ベルを叩くような音がし、少女は慌てて立ち上がった。
「そ、それを口にしてはいけません!」
孤児院の食堂で彼女の声が響き渡り、皆の目が少女に集中する。
その少女はまだ十代半ばだろう。銀髪を三つ編みにして一つにまとめ、青い瞳は目の前にいる青年に向けられていた。
上質な生地で作られた衣装に身を包んでいる青年は、この国の第三王子。名をユリウスという。
彼の隣に控えていた従者が眉間に皺を寄せ、何かを言いかけたが、それをユリウスが制し、にこやかに微笑んだ。
「なぜかな? この食事はすでに毒見も済ませているものだけど? 何かあるのかい?」
優しい口調だが、どこか尋問めいている。こちらに向ける笑顔も胡散臭いことこの上なかった。
「な、なぜって…………それは…………」
少女は答えられず言葉尻が弱くなるが、その心は大荒れだった。
(アンタが食べようとしてるサラダにヤバい菌が潜んでるからよーーーーーーーっ!)
孤児院の少女、リィナ。彼女はいわゆる異世界転生者だった。
前世の記憶があるものの、特筆すべき能力があるわけでも専門知識があるわけでもない普通の少女だった。
ただ、生れ落ちたこの世界には祝福と呼ばれる神秘が存在した。子どもは七歳までは女神の子であると信じられ、女神の子でなくなる七つの年に女神から祝福を授かる。
祝福とは、前世の言葉を借りるなら超能力や魔法、ゲームでいうならスキルと呼ばれる特殊能力に近い。その祝福を目当てに孤児院の子どもを引き取る大人が多かった。
しかし、祝福は必ずしも目に見える形で授かるものではなく、どんな祝福を持つか分からないまま人生を終える人間もいる。リィナもその一人とされ、適材適所の職につくことが当たり前の世の中であるがゆえに、孤児院の院長は彼女の将来を心配した。しかし、リィナはそれでよかったのだ。
なぜなら、リィナの祝福内容が世間に知られれば、彼女に平穏というものは一切訪れなくなるのだから。
リィナの祝福。それは摂食分析──口に含んだものを分析し、情報を得る能力だった。口に入れたもの名称だけでなく、成分、効能、性質まで分かってしまう。
(この祝福を誰かに知られて貴族なんかに引き取られでもしたら、毎日毎食毒見三昧! 精度を上げるためとか言って食事に毒を入れられるのに決まってる! 私はご飯を安心して食べたい!)
なんとしても隠し通さねばとこれまで生きてきたのに、今回ばかりは避けられなかった。
年に一度、孤児院に王族が訪問し、会食を行う行事があった。王都にはいくつも孤児院があるのにかかわらず、リィナの孤児院に白羽の矢が立ったのだ。
(能無しって噂の第三王子が来るって聞いたから安心してたのに、よりにもよって生野菜に菌が潜んでるなんて!)
菌の名前は分からないが、リィナの祝福は警鐘の如く分析結果を叩き出した。それは、俗にいう食中毒というやつだ。症状の予測には、腹痛、嘔吐ならまだかわいい。悪化した際の症状として列挙された内容にリィナは内心で悲鳴を上げた。幸い、王子も野菜を口にしていない。子ども達も普段食べられない肉に気を取られていた為、まだ野菜は食べていないようだった。
「どうしたんだい?」
答えないリィナに変わらずユリウスは胡散臭い笑みを向けてくる。
「会食の食材は訪問する王族が用意して、食事の準備だって私も手伝った。毒見をした私の部下も無事だ。何か問題でも?」
言外で「ここまでしてやって、ケチをつけるのか」と宣うこの男。
内心で拳を握りしめるが、ここでリィナが待ったをかけなければ、数日後、孤児院の子どもだけでなく、ユリウスも食中毒で倒れる。それに、この時代に食中毒で倒れて治療が謎なところだ。ついでに言うと、リィナは自分の祝福を周囲にバレたくなかった。
「め、滅相もございま……」
そこでリィナは一芝居打つことにした。
「あ、アイタタタ~……みんなより先につまみ食いしたせいで、お腹が痛いな~……なんでだろう~……サラダのせいかな~?」
自分でもびっくりするぐらい棒読みの芝居に、ユリウスの笑みが若干崩れた。
「……やけに説明臭いな」
(ほっとけ!)
「ガジェット、こちらへ」
ユリウスが後ろに控えていた従者を呼び、皿を彼に渡す。
「この場にある食事を全て検めろ。厨房にあるものも全てだ。それから早急に毒味をしたシャルマを馬車へ放り込め」
「御意」
ガジェットと呼ばれた従者は恭しく礼をすると、その場から離れる。
護衛達へてきぱきと指示を出していき、気づけば目の前にあった皿があっという間に下げられた。
卓を囲っていた子ども達は怯えた様子で院長やリィナを見つめ、院長も困惑し一言も発せられずにいた。
そんな院長に向かってユリウスは落ち着いた様子で声を掛けた。
「院長、彼女が腹痛を訴えた以上、食事に何かあったことが考えられます」
「ま、まさか! 調理をする前、子ども達は身体検査もして、さらには毒見もして、殿下も大丈夫だとおっしゃっていたではありませんか!」
「もちろん、子ども達が食事に何かを仕込んだとは考えていません。しかし、我々が用意した野菜で腹痛を訴えているなら、問題点は絞れます。幸いサラダを口にしているのは彼女と私の毒見係です。原因はすぐに判明します」
胡散臭い笑みを貼り付けたまま彼はそう答えると、ガジェットと呼ばれていた従者が戻ってきた。
「シャルマの様子は?」
「今のところ何も症状はありません。念のため、吐かせておきました」
「対処が早くて助かる。王宮に早馬を出せ。食事と馬車の手配をしろと伝えろ。食数はこの場にいる人数分だ。馬車の準備ができ次第、彼らを王宮へ」
王宮という言葉を聞いて院長がぎょっと目を剥く。リィナもさっきの猿芝居で処断されるのではと、頭から血の気が引く音がした。
そんな二人の様子から察したのだろうユリウスは、苦笑いを浮かべる。
「用意した食事が食べられなくなってしまったので、場所を移しましょう。王宮の食事なら子ども達にもいい経験となるでしょう。ただし応接間ではなく、少し離れた離宮での食事になりそうですが」
「し、しかし、いきなり王宮へと言われても……!」
「ご安心ください。これは会食です。それ以上でもそれ以下でもありません。しかし……」
口元がにやりと持ち上がり、こちらを見るユリウスの緑色の瞳が楽し気に歪んだ。それを合図に控えていた護衛がリィナを取り囲む。
「彼女は別の馬車へ案内してやれ」
「えっ⁉ ちょ、ちょっと⁉」
「念のため、彼女にもシャルマと同じ処置を。一応、相手はレディだ。丁重にな」
(ひぇええええええええええええええっ!)
リィナは有無言わせず薬で吐かされ、グロッキー状態のまま馬車へ放り込まれた。そして行きたくもない王宮へ連れて行かれるのだった。
◇
あれからリィナは一人だけ離宮の傍にある別棟に隔離された。そう、隔離されていたのだ。寝室と居間が扉続きになっている客室から決して出してもらえず、給仕や掃除に来てくれた侍女達は口と鼻を布で覆い、手には手袋。リィナは食事前に石鹸を贅沢に使って手洗いをさせられ、食後は使ったテーブルを念入りに拭かれた。食後や室内の掃除が終わった後の室内にはつんと鼻を突くようなアルコール臭が残されており、消毒されているのが分かる。特にリィナが触るだろう椅子や窓辺といった場所は念入りにしている所を見て、その徹底された衛生管理にリィナは舌を巻いた。まるで感染症の病人に対する対応だ。これを隔離と言わずになんというのだ。リィナが腹痛を訴えたことから予想したのだろうか。それにしては判断が適格過ぎる。ユリウスに得体の知れないものを感じながら、リィナは別棟で過ごした。
ユリウスと再会したのは、九日後のことだった。給仕や掃除をしてくれていた侍女達は鼻と口を覆っていた布を外し、リィナの身なりを整えた。そして、離宮の応接間で待っていたユリウスの下へ案内されたのである。
「やあ、九日も不自由をさせて悪かったね」
リィナに座るように促したあと、彼は綺麗な笑顔を浮かべてそう言った。
「まずは君の孤児院の現状を語ろう。彼らはこの離宮で会食を行ったあと、昨日まで滞在をしてもらい、今朝孤児院へ帰ったよ」
それを聞いてリィナがホッと胸を撫で下ろす。自分が不敬な態度を取ったせいで彼らが罰せられないかとびくびくしていたのだ。そんなリィナの様子を見て、彼は片眉を上げる。
「なぜ彼らがここに滞在していたかを聞かないんだね?」
「えーっと、きっと殿下は私が病気にかかっていると察していたのではないかと思いまして……」
「ご名答、まったくのその通りだ」
彼はぱちぱちと手を叩いたあと、テーブルに肘をついた。
「まず、君が腹痛を訴えた事から、下痢や嘔吐などの症状がでないか見させてもらった。過去に吐しゃ物や排泄物を処理した者が同じ症状を訴える事例があったと記憶していた為、侍女の人数も限定させ、別棟に閉じ込めていたわけだ。それに今回の食事以外が原因で腹痛を起こしているなら、そのうち孤児院の者達にも症状が出る恐れがあるため、彼らも昨日まで滞在してもらっていたというわけだ」
病気の中には潜伏期間というものがあるとリィナも耳にしたことがある。これだけ長く症状が出なければ大丈夫だろう。しかし、まだ疑問点がある。
「もし、そうであれば、離宮とはいえ王宮に病を連れ込むようなことをしない方がよかったのでは?」
「それでも、病かもしれないと分かっていて見捨てるわけにもいかない。私の訪問は孤児院の視察も兼ねているからね。それに私が用意した食材でそう言った病気が流行ったと吹聴されても困る。シャルマ、こちらへ」
彼はそういうと、後ろに控えていた青年を呼んだ。
癖の強い黒髪に、柔らかな薄紫色の瞳をした青年。それほど顔彫りが深くなく、少年にも見える。髪色や顔立ちから異国の血が混じっているのだろうとリィナには分かった。
(こんな人、孤児院に来てたかしら……?)
彼がリィナに向かってしっかりと頭を下げると、ユリウスは続ける。
「彼は当時あの食事を毒見した者でね。君達と会食をした三日後に吐き気と腹痛で倒れたんだ」
「え……」
「そろそろ孤児院の人達を帰してもいいかなって考えていた頃だった。幸い対応が早かったから周囲に広まることもなく助かった」
「そ、そうだったんですね」
言われてみれば、隔離されてから数日後、消毒の回数が増えていた気がする。それは彼が倒れたのが原因だったのだろう。
(それにしても、これだけ素早い判断ができるなんて……)
あの時、リィナが腹痛を訴えたとしても、ユリウスが隔離を命じなければ、感染が広がっていただろう。彼のおかげで最小限に食い止めたといっても過言ではない。
「元気になってよかったです」
これでリィナも解放される。リィナが安堵を漏らした時、ユリウスの瞳が冷たく光った。
「ところで、真っ先に腹痛を訴えたはずの君が、こうして元気なのは、どうしてなのかな?」
さーっと音を立てて頭から血の気が引いていくのが分かった。リィナの様子を見て、ユリウスの笑みはさらに深くなる。
「君が口にしたサラダを鑑定の祝福を持つものに見せたが毒は入ってなかった。何らかの病だろうと推測し、私は会食以前に摂った食事が原因だろうと思った。しかし、孤児院の者達も君も元気だったのに対して倒れたのは毒見役の彼だけ。君と同じサラダを口にした彼がね」
リィナの心を探るように緑色の瞳が真っすぐと向けられる。彼の目を逸らすことが出来ず、必死に思考を巡らせた。
彼はリィナが毒、もしくは病に関する何かしらの祝福を得ていると確信している。でなければ、腹痛を訴えたはずのリィナが元気でいることがおかしい。
何より、勘違いされて困るのは……
「祝福で私の食事に何かを仕込んだことへの罪悪感に耐えかねて、下手な芝居をうったとか?」
「ち、違います! 命に代えても違うと誓えます!」
祝福は能力の種類も様々でまだわからない部分も多いのだ。変な言い掛かりをつけられて罰を与えられることだって考えられる。
「じゃあ、教えてもらおうか。一体、君の祝福はなんだい?」
有無言わせない笑みを浮かべたユリウスを見て、リィナは心の中で十字を切った。
グッバイ、私の平和な食生活。ハロー、毒見の満漢全席。
前世のことを省いた自身の祝福について白状すると、ユリウスは興味深そうにうなずいた。
「ふーん、口にしたものを詳細に調べられる祝福ねぇ……君はそれを摂食分析って呼ぶんだ?」
「はい……主に、食べ物専門ですけど……」
「なるほど、それで病が潜んでいたのが分かったというわけか。たしか、食中毒というんだったな? 毒とつく名前なら鑑定でも分かりそうだがな……」
「腹痛の原因になったのは、毒物ではなく菌なんです。見つけるのは難しいと思いますよ」
鑑定の祝福は万能ではなく欠点がある。それは自身が知らないものは鑑定できないのだ。知識を蓄える、もしくは何度も鑑定を繰り返し、経験を積むことでより精度を上げることができる。そのため、鑑定の祝福を持つ者の多くは美術品や宝石専門とする。なぜなら鑑定の精度を上げやすい上にお金になるからだ。おそらく、毒専門の鑑定は毒となるものやわざと毒を仕込んだ食事を何度も鑑定させて精度を上げるのだろう。
ユリウスが一瞬眉をひそめたような気がしたが、すぐに感心そうに頷いた。
「なるほど、鑑定は知識と経験が物をいう。知らなければ鑑定が不可能というわけか。となると、君は何度もその食中毒に侵されていることになるが?」
ぎくーっ!
リィナの場合、何度も口にすることで経験を積む。祝福の能力が分かってから、口に入れても大丈夫そうなものはどんどん口に入れていった。その間に傷んだ食べ物や毒があると知らずに食べてしまったものもある。リィナの祝福のいいところは嚥下までは必要ないということだが、残念なことに今回はしっかりと食べてしまっていた。
「どうなんだい? 吐いたとはいえ、毒見をした彼は相当苦しんだよ? それなのに君はピンピンしてるよね?」
「あ、いや、その……」
にこにこと笑いながら問いかけてくるユリウスに、リィナはしどろもどろになる。
答えたくない。しかし、もう黙ってはいられない状況だ。意を決してリィナは口を開いた。
「私……その、いわゆる……二つ持ちってやつみたいで……」
ユリウスの目が大きく見開かれる。彼の後ろに控えていた従者や護衛も息を呑んだのが分かった。
「食べた毒や感染した病気は全部無力化するみたい……です」
女神の祝福は誰もが持っているとされている。しかし、稀に二つの祝福をその身に宿す者がいた。世には気づいてない人もいるだろうが、リィナはたまたま摂食分析と噛み合って気づいてしまっただけなのだ。
ユリウスの様子をちらりと窺うと、彼は額に手を当てたまま俯いていた。
「あ、あの……殿下?」
「二つ持ち……それも、毒や病に造詣が深い上に、耐性持ち…………ふふ……ふふふふ」
ユリウスの口から不気味な笑いが漏れ出る。そして、その笑いが止まったかと思えば、青年らしい爽やかな笑みを浮かべた。
「採用」
「嫌です!」
間髪入れずにリィナはそう叫んだ。
「おや、私はまだ何が採用か言っていないが?」
「言わなくても分かります! 私を毒見役にしようと思っているのでしょう? 何か勘違いをされていますが、私は毒見の経験がありません。今回だってたまたま分かっただけなんですから!」
毒や病の耐性がある上に、人よりも毒を見つける精度は高い。王族からすれば、喉から手が出るほどの人材だろう。しかし、リィナは決して毒に対して知識が豊富なわけではない。興味本位で孤児院の子ども達が誤って収穫してきた毒性のあるキノコや野草を口にしたことがあるが、それでも圧倒的に経験が足りないのだ。
(食べることに関しては経験豊富だから、身体に悪いものは感知できるけど。原因まではきっちり分析結果してくれるわけじゃないからな……)
摂食分析はリィナが便宜上そう呼んでいるだけで、実態はつかめていない。鑑定と同じように経験や知識が必要であり、知識がないまま毒を食べれば「有毒」と危険信号を出すだけなのである。彼がこれだけでは退くとは思えないが、言っておかねばならない。
「大丈夫。知識や経験は時間をかけて養えばいい。それに聞いた話では、あと三年もすれば、君は孤児院を出て行かなければならないんだろう?」
「そ、そうですけど……?」
「自分の祝福を隠したままでは、安定した職を得られない。この国では適材適所の職につくのが当たり前だからね」
「うっ……」
祝福は即戦力として優遇される。職につけたとしても専門系の祝福持ちとそうでない者では賃金の差もあるし、転職もしにくい。
「それなら、主の身元もはっきりとしていて、お給金も高く、住み込みも可能で、寝食に困らない職というのは、孤児院出身の君には厚待遇ではないかな?」
「うぐっ!」
王子の毒見となれば、それなりの手当もつくだろう。普段の食事よりいいものを食べられるし、住み込みも可能なら寝る場所にも困らない。孤児院の子どもの引き取り手は基本的に職人や商家が多く、それに比べればかなり優遇されている。
「ガジェット、例の物を」
「はい」
すぐ隣に控えていた従者。彼は会食の場にいた青年である。ブロンドの長い髪を一つに結わい、眼鏡を押し上げる姿はいかにも神経質そうだ。
ガジェットは、リィナに一枚の紙を渡す。
「うわっ……」
それは、リィナが働いた時にもらえる給料の想定額と雇用形態が書かれたものだ。
基本給、危険手当、残業手当、賞与、有給、勤務時間、かなり手厚い福利厚生をしている。よく見ると、毒見だけではなく侍女の仕事も行うことになっている。
「侍女とは……?」
「主人の身の回りなどを世話する女性のことだ。君は専属の侍女になってもらう。もちろん、しばらくの間は君に教育係をつけて仕事の勉強をしてもらう」
「そ、そうですか……」
にこにこと微笑みかけてくるユリウス。その隣にいるガジェットは品定めをするような目付きでこちらを睨みつけている。
(なんだろう、このお姑さんみたいな目……仕事に余念がないんだろうな)
破格の申し出だが、身丈に合わない好条件は己を滅ぼしかねない。仕事をする以上、慣れるまでは仕事と毒見の勉強もしないとならない。
(これからバンバン毒を食べさせられるのか……身体に害はないとはいえ、食べる気が失せるんだよね)
食べられないことはないが、精神が摩耗するのだ。何も考えず食事ができていたあの頃が懐かしい。
リィナが遠い目をしていると、ユリウスが咳払いをする。
「リィナ。何か心配事があるなら聞かせてくれ。働くにしても働かないにしても、相互理解は深めるべきだと思う。なるべく君の意見を尊重しよう。心配なのは侍女業務? それとも給金?」
「そ、その……しょ、食事って……」
「ん?」
「どのくらいの頻度で毒が仕込まれてるものなんですか……?」
流石に毎回毒が仕込まれているわけではないだろう。民から人気のないという噂が本当なら彼は勢力争いから外れているはずだ。
彼は「そうだな」と自分の顎を撫でながら考えると、静かに頷く。
「昔、一度だけ仕込まれて以来、私の食事はこの離宮で専属の者に作らせている。危険があるとすれば、外部との会食くらいか。腐っても王宮だからね。食事の質は保障する」
それを聞いてほっと胸を撫で下ろした。
(良かった。それならあまり肩肘張らずに毒見ができそう……)
「ただ、君には祝福の精度を上げてもらうため、通常の食事に毒を入れた物を用意するつもりだ」
「えっ⁉」
「もちろん、毎食ではないさ。決められた日に勉強で得た知識を補完し、実践で経験を積んでもらう。父上達が君を欲しがることも考えて、君にはちゃんとした毒見の方法も勉強してもらうつもりだ」
「毒見の方法……? それに欲しがるって引き抜かれるってことですか?」
毒見というのはただ食べるだけではないのだろうか。
「君の祝福は稀な上に、かなり利便性がある。国王はもちろん、他の妃や兄上が私から君を取り上げることも考えられないことじゃない。だから、毒見の仕方を覚え、君の祝福が有能過ぎるものではない印象を与える必要がある」
(なるほどー……)
十分にあり得ることだ。前世の歴史の中でも暗殺される権力者は多かった。この世界でもそうなのだろう。弟の毒見役を引き抜こうと思うほど、人材確保に逼迫しているのかもしれない。
「まあ、やり方はおいおい覚えてくれ。じゃあ、これが契約書ね」
そう言って手渡された契約書を見て浮かない顔をするリィナを見て、彼はガジェットにペンを持ってこさせた。そして、ユリウスは契約書に直筆で条件を追加する。
「え、これは……っ!」
「いい条件だろう?」
ユリウスの手で追加された内容。それは『食べたい食事があれば、毒見なしで優先する』というもの。
「やります!」
平和な食事を望んでいるリィナにとって、もっとも優先される事項だった。リィナは契約書にサインをするとユリウスがガジェットに契約書を預けた。そして静かに後ろで控えていた男を呼び寄せた。
たしか、シャルマという男だ。
「彼女を部屋まで送ってくれ」
「御意。それではご案内します」
「は、はい」
立ち上がり、部屋がある別棟まで案内される。
(別に一人でも大丈夫なんだけど……)
離宮を出れば、すぐそこが別棟だ。応接室も出口からそう遠くない。迷うはずがないのだが、逃げられると思われているのだろうか。
別棟の部屋の前まで来ると、リィナにずっと背を向けて歩いていた彼がようやくこちらに振り返った。品定めするようなユリウスやガジェットの目とは違い、薄紫色の瞳は優しく見下ろしていた。
「リィナ嬢、改めてご挨拶をさせてください。オレはシャルマと申します。従者としてガジェット様とともにユリウス殿下に仕えています」
「あ、はい。リィナです。これからよろしくお願いしま……」
彼はリィナに向かって深々と頭を下げた。
「あの時は、自らを顧みず殿下の危機を救ってくださりありがとうございます」
「そ、そんな、大したことでは! 確かに自分の祝福がバレるのは嫌でしたが、あれは当然のことですから!」
王族の一大事だ。自分や孤児院の保身の為でもあったが、隠していられなかった。しかし、シャルマは小さく首を振る。
「いえ、自分の祝福を知られたくない気持ちは分かります。この王宮には色んな思惑が交錯していますから。それに貴方のおかげでオレも救われました」
「あ……」
そうだ。あの時の毒見役は彼だった。とても苦しんでいたとユリウスが言っていた。
「あの時、本当の毒見役はオレじゃありませんでした。偶然だったとはいえ、感謝しています」
真摯な言葉と向けられた薄紫色の瞳に、リィナは恥ずかしくなる。
「あ……どういたしまして……?」
素直に受け取ってよかったものかと思いながら彼に目を向けると、彼がやんわりと微笑んだ。その素朴な印象を与える笑みに、リィナは頬が熱くなるのを感じた。
「では明日の仕事に入る前に、ざっと離宮を案内しますね。また午後にあなたの教育に関わる侍女を連れてきますので、よろしくお願いいたします」
「は、はい!」
シャルマと別れ、リィナは部屋のベッドに身を預けた。
「これからどうなるんだろう……」
この部屋は一介の使用人が使うには豪華すぎる。すぐに別の部屋に移ることになるだろう。そうなれば誰かと相部屋になったり、仕事だけでなくユリウスと関わる人間の顔も覚える努力が必要だ。
「はぁ……憂鬱だな」
◇
「まあっ⁉」
午後、約束通りにシャルマとやってきた女性は、驚愕な顔でリィナを見ていた。
歳はリィナの少し上の女性だ。乱れなく整えられたブロンドに、元々整っている顔立ちは化粧が施されていてより隙がない。仕事の出来る女性というのがリィナの印象だった。
シャルマに紹介された女性の名はアイリーン。ユリウス付きの侍女であり、リィナの先輩だ。
リィナはアイリーンに挨拶をすると、彼女は頬に手を当てて驚き、そのまま固まってしまった。一体何に驚いているのだろう。アイリーンはシャルマを見やる。
「シャルマ、殿下はちゃんと彼女に侍女についてお話はしたの?」
「侍女の仕事の内容説明は、教育係に丸投げされました」
「なるほど……では、リィナ。王宮で侍女として働く女性はどんな方かご存じ?」
「いえ……わかりません」
素直に答えるとアイリーンは自分の胸に手を置く。
「わたくし、伯爵家の生まれですの」
「伯爵……っ⁉」
五等爵の中でもいい位の家柄ではないか。驚きを隠せないリィナにアイリーンは小さく首を振る。
「伯爵といってもピンからキリまでいますから。その中でも私は中の下くらいの家柄で三女ですの。貴族の娘は行儀見習いとして他家や王宮に務めることがあります。中でも王宮は憧れの的です。結婚にも優位ですし」
「じゃあ、平民の私が働くなんてとんでもなく場違いなのでは……⁉」
「そうですね。下働きならともかく、特に王族の侍女となれば、嫉妬を買うこともあるでしょう」
知らなくても無理はない。リィナは根っからの平民で、貴族の事情など知る由もない。平民の小娘がいきなり王族の侍女に抜擢されたとなれば、周囲からの反感を買うことになるだろう。この国の就職口が適材適所とはいえ、これは逃げられない。
「おそらく殿下は貴方を信頼のおける貴族と養子縁組をさせるでしょう。私は貴方を侍女としての教育だけでなく、どこに出してもおかしくない素敵な淑女に教育していくつもりですわ」
愕然とするリィナにシャルマが困った様子で笑顔を浮かべる。
「リィナ嬢、アイリーン嬢だけでなく、オレやガジェット様も貴方の教育に立ち会う予定ですのでよろしくお願いしますね」
「はい……」
思ったよりも高密度な予定を走ることになりそうだった。
アイリーンの説明により、リィナの自室は離宮の他に使用人寮にも個室を用意されている。通常は離宮の部屋に滞在し、休日は寮の自室に戻るようになっている。
アイリーンは説明を終え、リィナを離宮の自室へ案内すると、すぐに仕事に戻って行った。シャルマはこのまま休みをもらっているらしく、専属の使用人達が使う休憩室へ案内してくれる。移動中、侍女やメイド達から痛い視線を向けられ、針の筵に立たされている気分だった。
(胃が痛い……っ!)
「大丈夫ですか、リィナ嬢」
シャルマが紅茶を淹れてくれ、小さな焼き菓子まで出してくれる。
「良ければ、これを。甘い物は心を和らげてくれますから」
「あ、ありがとうございます……」
そういうと彼は短く「いいえ」と答え、はにかんだ笑みを浮かべる。
リィナはなぜか落ち着きがなくなり、彼の笑みから逃げるように一口サイズのクッキーを口にした。贅沢な甘さと香ばしいナッツ風味がリィナを幸せにしてくれる。
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「美味しい……」
「お口に合って良かった。このお部屋はガジェット様やアイリーン嬢も利用するのですが、二人もよく甘い物を食べるのです。だから、こうしてお菓子を常備しています。リィナ嬢も好きなものを置いてください。あ、個人的なものは名前を書かないと腹ペコ虫に食べられるのでお気を付けください」
冗談めかしにいう彼にリィナは笑みをこぼすと、彼は安心した顔をする。
「ようやく笑ってくれましたね」
「あ……えーっと」
「急にここへ連れてこられて、さぞかし不安だと思います。特に貴方は女性ですから」
彼はそういうと、リィナの向かい側の椅子に腰を下ろした。そして、同じクッキーを口にした。
先ほどから彼が気遣ってくれているのが痛いほど伝わってくる。それが少しだけ居心地を悪くさせた。
「心配してくださりありがとうございます。シャルマ様、できれば私のことは普通に呼んでください。私は平民なので……敬語も結構です」
そういうと彼は少し困った顔をして首を横に振った。
「実をいうと、オレも平民の出なのです。殿下に拾われて今の立場にいます」
「そ、そうなんですか⁉」
物腰も柔らかく、言葉遣いも丁寧で、立ち振る舞いも洗練されていたため、生粋の貴族だと思っていた。
「ええ、意外と祝福の能力によって選出されることが多いのです。オレもその一人です」
そうなると、彼はそれなりの地位にいる人間なのではないだろうか。リィナの表情から察したのか、さらに付け加える。
「一応、訂正させていただくと、オレはそれほど偉くありません。どちらかというとガジェット様の下で使いっ走りをしている身なので、気楽に接してください。敬語も癖のようなものなので気にせず。貴方のことはリィナさんとお呼びしていいでしょうか?」
彼がどういう身分か分からないままだが、リィナは素直に頷いた。
「は、はい。では私もシャルマさんとお呼びします」
そういうと、シャルマは嬉しそうに頷き返した。
「ええ。これからよろしくお願いしますね」
「はい!」
「それから、何か食べたい料理があれば、オレに言ってください。メニューにもよりますが、最短でご用意できるようにいたしますので」
食べたいものを誰に頼めばいいのか分からなかったが、シャルマが手配してくれるらしい。彼に頼むのであれば、リィナも少しだけ緊張しなくて済む。
「で、では……早速いいでしょうか」
「はい。なんでしょう」
リィナはきゅっとする胃の辺りを抑えていった。
「しばらくの間は、消化によく食べやすいものをお願いします……」
実をいうと別棟に隔離されていた間、身体は元気だったが、孤児院の院長や子ども達が心配で気が休まらなかった。おまけに、周りの世話をしてくれる侍女達にも気を遣い、王族の傍で働くという事実。
「あと、できれば情報量の少ない質素なものを……っ!」
そして、連日食べたことのないものを口にしたせいで祝福が発動し、食事の間、脳内で卓上ベルが連打されていた。膨大な情報が濁流のように頭の中へ押し寄せ、リィナの精神疲労は増しに増していた。これからも食べた事のないものを口にする機会が増えるだろう。慣れるまでは食べ慣れたものを食べたい。
シャルマはどこか可哀そうなものを見る目で頷いた。
「黒パンと……野菜スープにしますか?」
「できれば、薄味でお願いします!」
「かしこまりました」
その夜、さっそくリィナの希望に沿った食事が配給された。
焼かれたばかりの黒パンは柔らかく、スープは具がたくさん入っており、見た目から美味しそうだ。
大体一口目はリィナの好みに合うかどうか分析される。
(まずは一口……)
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「美味しい!」
薄味で具の野菜もリィナが食べ慣れたものばかりだ。リィナはようやく、ほっと息をつくのだった。
◇
翌朝、部屋に用意された侍女のお仕着せに身を包み、髪はいつも通りに三つ編みにする。そして時間になったら来るように言われた休憩室へ向かった。すでにシャルマとアイリーンが中で待っていたが、リィナの姿を見たアイリーンが眉間に皺を寄せる。
「芋臭いわ……」
「え、芋ですか?」
確かに昨日の食事に芋は入っていたが、匂うほどだろうか。風呂も使わせてもらったので体も綺麗になっているはずだ。
「ええ、芋よ。まずはその髪型!」
びしっとリィナの髪を指さした。
「王族直属の侍女が三つ編みなんてありえません! そしてその顔!」
「ぶひょっ⁉」
顔面を鷲掴みされ、リィナはブタのような声を上げた。
「化粧をせずに人前に出るなんて、裸で戦場に出るようなものですわ! まずは貴方を性別女性にするところから始めないといけないようですね!」
「うばみゃるだばだばっ⁉」
「お待ちください、アイリーン嬢⁉」
アイリーンと共に訪れていたシャルマが慌てて二人の間に入った。
「か、彼女は孤児院出身なのですよ⁉ いきなり化粧なんてできません!」
「いいえ、シャルマ。女性は幼い頃から化粧に多少の憧れを持つものです。そして自然に美しくなろうとその術を身に付けようとするのです! 平民とはいえ、お小遣いで化粧品の一つや二つ買うくらいするでしょう⁉」
「何度でも言いますよ? 彼女は孤児院の出身です。そんな余裕はありません! 孤児院はどんなに寄付を募っても一般的な贅沢はできません!」
そういくら寄付があろうと、施設の改修や、衣服、食事ですぐお金が無くなる。祝福の能力によって職人の下で働きに出ている子もいるが、その給金は施設の職員が管理しており、好きに使えないのだ。ちなみにそのお金は明細とともに独り立ちした時に渡されるようになっている。
「ましてや孤児院の子どもが化粧をして街を出歩けば、変な男に路地裏に連れ込まれたり、金があると思われて強盗に遭ったりします。下手に着飾らないことも、平民は身を守る盾になるのですよ!」
見かけによらず、はっきりと主張するシャルマに、アイリーンは厳しい顔をしながらも大人しく頷いていた。
「なるほど……わたくしが世間知らずでしたわ。昨日は綺麗に身支度されていたものですから」
「あれは殿下の前に出るからです。身支度を他の侍女達にお願いしました」
「あら、そうでしたのね。リィナ、ひどい物言いをしてごめんなさい」
あっさりと自分の非を認めてリィナに頭を下げるアイリーンに、シャルマは嘆息を漏らした。
「リィナさん。彼女は少々……いえ、たいぶ苛烈……あー熱血、でもなく……色々一生懸命な女性でして……悪い人ではありません。本当に一生懸命過ぎる人なのです」
どうにか優しい言葉を選んでいるシャルマの表情から、アイリーンが印象に違わず仕事に厳しい女性だとリィナも理解ができた。
「では、まずは身支度の整え方からですね」
アイリーンはリィナを椅子に座らせ、リィナの髪に櫛を通していく。
「いいですか、リィナ。まずは心構えとして身なりを整えることも仕事の一環だと思いなさい」
「身なり、ですか?」
「ええ、そうよ。身なりに無頓着でいると、仕事能力に関係なく相手にいい加減な印象を与えてしまいます。そして、ユリウス様は自分で身なりを整えることすらできない部下を雇い、また教育もできていないと、組織管理能力を問われてしまいます」
「そ、そんなに……?」
「ユリウス様は王族だから、周囲の目は余計に厳しくなるのです。はい、できましてよ」
アイリーンに手鏡を手渡され、リィナは鏡に映った自分の姿を見て声を上げた。
「わっ! すごい!」
長い銀髪は後ろでお団子にし、青いリボンでまとめられていた。ところどころ編み込みもされていて一気に垢抜けたように見えた。
「今日はひとまずこの髪型にします。やり方をお教えしますので、毎日練習するように」
「はい」
「次、化粧!」
「びゃっ⁉」
顔に冷たいものを掛けられ、顔全体に塗りたくられる。
「現在の殿下の立ち位置ですが。王族は十四歳までに祝福が判明しなければ、祝福を与えられなかった者として王位継承争いから外されます。そのため、ユリウス様は王位継承権から最も遠い位置にいます」
(そういえば、殿下って世間で『能無し』って言われているんだっけ?)
今では『能無し』と言われているが、昔は祝福が判明しない人間を『女神に愛されなかった忌み子』とされ、異端扱いを受けていた。しかし、差別を訴える暴動が起きたことで呼び名だけでなく社会制度を見直し、国民の意識を変えていく方針になった。特に呼び名は、暴動後に王族にも祝福を与えられなかった者がいることを世間に公表したのもあって、『忌み子』という呼び名は忌諱されている。とはいえ、能無しも大概である。
「この国では最も有能な祝福を得ているものが王位に就くのが習わしです。以前は未来視の祝福を持っていたユリウス様の同腹の弟、第四王子が筆頭でしたが、早くに亡くなられてしまいました」
そういえば、リィナも聞いたことがある。第四王子は元々身体が弱く、幼くして病死したと。彼の祝福が判明した当時、暴動直後だったこともあって、彼の未来視に国民の誰もが期待していた。その後数年足らずで亡くなってしまったので、陰謀を噂されていたほどだ。
「殿下にはほかにも腹違いの兄弟が何人もいますが、幸いなことに兄弟仲は悪くありません。殿下自身が王位継承争いから外れたのもあって、命を狙われることもなくなりました」
顔をぺたぺた触れられて頷くこともできない。アイリーンは休憩室に置いてあった化粧箱からおしろいを出してリィナの顔を叩いた。
「ユリウス殿下は王位に興味がないようなので、二十歳になれば適当な領地をあてがわれることになると思います」
今度は筆を使い、口に紅を引いていく。それがくすぐったく笑いそうになると軽く頬を叩かれた。
「殿下のお望みは、それほど地位が高くなく、誰からも期待されず、のんびり暮らすことだそうです。我々はそんな殿下をお守りすることが役目です。はい。仕上がりましたよ」
再び鏡を手渡され、リィナはぎょっと目を見開いた。
「こ、これが私……⁉」
大げさではなく、まったくの別人のようだった。おしろいと頬紅によって整えられた顔色、淡く色づく唇。目もともくっきりさせて愛嬌が増していた。ここまで変わると、世の女の子が必死に化粧を覚える気持ちが分かる。
「お化粧も必須課題ですわ。リィナは化粧映えもしますから力を入れて叩き込みます。明日の午後は生活品を買いに行くついでにお化粧品もみましょう」
「ぜひ!」
伯爵家のアイリーンとリィナでは金銭感覚が違うだろう。しかし、最低限の化粧品は揃えたいという気持ちが湧いた。
「ほら、シャルマも! 男ならリィナに言うべき言葉があるでしょう!」
そうアイリーンに小突かれるが、彼は眉一つ動かさずにリィナの顔を見た。無言のまま見つめられ、リィナが不安になってくる。
彼がようやく動いたかと思うと、化粧箱から小瓶を取り出した。
「シャルマさ……つべたっ⁉」
彼は無造作にリィナの顔に液体を塗りたくると、今度は布で顔面を拭く。綺麗に化粧を落とされ、今度はアイリーンから悲鳴が上がった。
「ああぁっ⁉ わたくしの力作が⁉ なんてことをするのシャルマ!」
「アイリーン嬢……これはダメです。絶対に、ダメです」
アイリーンに胸倉を掴まれてなお、彼は冷静に首を横に振る。
「一体何がダメなのですか! このくらい着飾らないと離宮はブスしかいないのかと鼻で笑われますわ!」
「アイリーン嬢……下手に着飾れば、リィナさんが悪目立ちして殿下の兄弟達のみならず、陛下や妃達にも目を付けられます」
「………………失念していたわ」
アイリーンから解放されてシャルマが短くため息を漏らすのを見て、リィナは恐る恐る口を開いた。
「あのう……似合いませんでしたか?」
「いえ、そんなことはありませんよ。」
彼はそういうと、おしろいとパフを手に取った。
「今度はオレがやりますので、そのままでお願いしますね、リィナさん」
「え…………えぇえええええええええええええっ⁉」
◇
「おや、思ったよりも普通だね」
支度が整ったリィナがユリウスに言われた言葉がそれだった。シャルマによってリィナの顔は普段よりも顔色が良くなった程度になった。
ユリウスは意外そうな顔でまじまじとリィナを見つめる。
「もっと化粧映えのする顔だと思っていたんだけどなぁ……?」
「殿下、もっと言ってくださいませ! シャルマのくせにこれ以上はダメだと抵抗したのですよ!」
「おや、珍しいね。シャルマがアイリーンに口答えするなんて」
実はこの顔が出来上がったあと「もう少し紅を差すべきだ」と主張するアイリーンに対し、シャルマは「もうこれ以上は手出しさせない」と譲らなかった。やはりリィナの印象通り、彼は普段から主張が激しくない方のようだ。
シャルマは小さく首を横に振る。
「彼女は毒見兼侍女ですよ? 必要以上に着飾る必要はありません」
「それに対しては私も同意見ですね」
黙って隣にいたガジェットが眼鏡を押し上げて言った。
「ただでさえ、殿下にそぐわない評価が広まっているというのに、むやみやたらと着飾った侍女を侍らせるなんていけません」
じろりと鋭い目がリィナに向けられる。
「まあ、彼女が殿下に取り入ろうと不届きな考えがあるなら、話は別ですが……」
「滅相もございません!」
リィナが全力で首を横に振るのをユリウスは愉快そうに見つめ、手を叩いた。
「さて、無駄話はそこまでだ。ガジェット。本日の予定を」
「はっ!」
彼が手帳を取り出し、眼鏡を押し上げた。
「本日、サシェ卿と剣戟稽古ののち、ヴァイオリン、ピアノの練習。午後は夏のお茶会で着る衣装の打ち合わせです。それから……」
(ひぇ……過密スケジュール……王族も楽じゃないなぁ……)
ぎちぎちに詰められた予定に、リィナはただただ驚いていると、ガジェットは手帳から顔を上げ、リィナ達を見つめる。
「……シャルマとアイリーンは、しばらくリィナの教育をお願いします。せめて、人前に連れていけるよう礼儀作法と所作を重点的に」
「御意……」
そう返事をした二人に連れられて、リィナは使っていない空き部屋へ移動する。しばらくはここがリィナの勉強部屋となる。
「人前に立てるように、ビシバシしごいて……いえ、指導していきます。御覚悟を!」
「アイリーン嬢は公爵令嬢にも引けを取らない綺麗な所作を身に付けていらっしゃるのでご心配なく」
まるで歴戦の戦士のような言い方をするアイリーンに不安を覚えると、それを見たシャルマが紳士の如くフォローする。
そしてアイリーンから基礎という基礎を叩き込まれた。お辞儀の仕方から言葉遣い、果てには歩き方や姿勢まで細かくチェックされる。
「よろしくて、リィナ。どんな極悪人だろうと、身なり、歩き方、姿勢、笑顔さえ良ければ、大概の人間は騙されます」
「つまり、それだけ印象が変わるということです。頑張りましょうね」
「また猫背になっていましてよ! ちゃんと人間におなりになって!」
「そうそう、姿勢が綺麗ですよ、リィナさん」
「なんですか、その頭の下げ方は! 頭突きで相手を殺すおつもりなの⁉ 殺すにしても角度が足りてなくてよ!」
「もう少しゆっくりの方が優雅さと丁寧さがあっていいですよ。そう、それです」
一体誰だろうか、この二人をリィナの教育係に推薦したのは。アイリーンの斜め上に厳しい指導と、ほどほどに優しいシャルマの応援がいい塩梅だった。ただ、アイリーンに頭突きの指導までされたのは予想外ではあった。
あっという間に午前中が過ぎ、アイリーンがリィナの頭に乗っていた本を下ろす。
「では、今日の作法のお勉強はここまでにいたしましょうか」
そういって少しほっと息をついたあと、アイリーンに背中を叩かれた。
「ほら、終わったからって姿勢を崩していいわけではございませんよ!」
「ひぃ! ごめんなさい!」
「侍女、いえ淑女は様々な角度から常に品定めされているのです。その気を緩めていいのは自室で一人になった時、もしくは旦那様と二人っきりになった時だけでしてよ!」
「え、はい⁉」
「いい返事です。それではわたくしは別の仕事をしてきますので、二人は昼食をとってくださいませ! では!」
彼女はそれだけいうと風のように部屋から出て行く。シャルマは彼女を見送るとリィナに向き直った。
「では、オレ達は昼食を摂りに行きましょうか」
「は、はい!」
シャルマの後に続いて部屋を出て行く。さきほど受けたアイリーンの指導通りに姿勢を意識して歩いていると、半歩前を歩くシャルマが小さく笑う。
「な、何か……?」
「いえ、ちゃんと教えられた通りにしていらして、偉いなと思いまして」
「そんな子どもみたいな……」
「子どもっぽいというわけではなく……ただ、初日から根詰めてしまうと辛くなるので、ちょっと心配です」
少し困った顔をする彼は「午後はオレと歴史のお勉強をしますので、少し気を緩めても大丈夫です」と言ってくれる。
(本当に優しい人だな……)
アイリーンも口調は厳しいが、この裏に優しさがあるのは分かっている。さっきの叱責も王族付きの侍女だからこそ厳しく指導しているのだ。はた目から見れば、いびっているようにも見え、シャルマはそれを通訳するような形だった。彼の印象が物静かな人というものから周囲の人間関係を取り持つ潤滑油のような人に変わりつつある。
「心配してくれてありがとうございます。でも、任せられたからには相応の頑張りを見せないと!」
「……自分が望まなかったことでもですか?」
「え…………」
思いもよらなかった言葉に目を丸くする。彼は少ししてからハッとした顔をした。
「いえ、なんでもありません! ご飯! そう、ご飯を食べましょうね! ご飯を食べると元気が出ますから!」
そう早口で言い、歩調も速くなった。
(ああ、そっか。最後は自分の意思で決めたけど、あの時は無理やり毒見役になったようなものだったもんね)
契約書を渡された時点で、もう働けと言われたようなものだ。相手は王族なので逆らうこともできない。
(まさか一緒にいるのも逃げないように監視役を頼まれたとか? 私、忠誠心低いし。でもシャルマさんは裏表関係なく、普通に優しそうなんだよな)
今は深く考えないでおこう。何より食事。一体どんなものが出るのだろう。
専属の従者や侍女は、他の者達と違って専用の休憩室で食事を摂る。昨日は専用の休憩室にリィナの食事も届けられたが、結局自室に持って行った。
(美味しかったなぁ……黒パンなのにほかほかで、スープも情報量が少なくて……)
下手にいいものを食べてしまうと脳内の卓上ベルが連打されてしまう。味や食事に慣れてしまえば問題ないのだが、貧乏舌の自分が憎い。
専用の休憩室の前に着くと、色札がついたバスケットが二つ並べられている。シャルマは白い花が書かれた札を手に取ると、それをリィナに渡した。
「はい。これがリィナさんの分です」
「ありがとうございます。中身はなんだろうなぁ……」
ユリウスの毒見は専用の人間を数人雇っている。毒を専門とする鑑定の祝福を持つ人らしいが、彼らは鑑定後、自分で実際に食べて毒見をしているらしい。毒の鑑定は経験と知識の偏りによって、前の食中毒のようにすり抜けてしまうからだ。
摂食分析と毒や病気の無力化の祝福を持つリィナがいれば毒見は事足りるのだが、彼らを急遽解雇するわけにはいかない。そのためリィナの毒見はしばらくお預けし知識と経験を詰むことになった。
徐々にユリウス達が食べるものに慣れ、よく使われる毒や仕込まれる手口などを勉強する。今日は毒見の練習がないそうなので、安心して食事に集中できる。
シャルマは休憩室に入るかと思いきや、そのまま扉にも手をかけずに歩いていく。
「あれ? 休憩室は使わないんですか?」
「いつもは使うんですが……アイリーン嬢がダッシュで休憩に入った時は入らないようにしているんです」
「あー、別の仕事があるって言ってましたね」
もしかして仕事を抱えながら食事をしているのかもしれない。
彼は少し困った顔をしながら「ええ」と頷いた。
「代わりにいい場所を教えます。こちらです」
シャルマに案内されてきたのは、離宮の屋上だ。見晴らしがよく、風も気持ちいい。彼は大きめの布を敷くと、靴を脱いで腰を下ろした。
「風がない日は、ここで食事をしているんです」
「すごい、いい場所ですね!」
「息抜きにもピッタリです。さあ、ご飯を食べましょう」
こっちにおいでと手招きされて、リィナもお邪魔する。
バスケットにかかった布を取って、中身を見たリィナは目を輝かせた。
「うわっ! 美味しそう!」
レタスにトマト、チーズが贅沢に挟まったバゲットだ。孤児院で暮らしていた時は、寒さの厳しい冬は歯が折れそうなくらい固い黒パンと具無しのスープだった時もあった。そんなリィナにとって、これが昼食だなんて考えられない。
「す、すごい! 豪華……本当に皆さんこれを食べているんですか⁉」
目を輝かせるリィナにシャルマは困ったように言った。
「いえ、専属の者はもう少し手の込んだものを用意してくれます。これらはオレが作りました」
「え、シャルマさんが⁉」
「はい。一流のシェフじゃなくて申し訳ありません。こう見えて一時期は殿下の食事を担当していたので味は保証いたします」
「ま、まさか昨日の食事も……?」
「あ、オレが作っていました。美味しくありませんでしたか?」
「と、とんでもない! とても美味しかったです!」
まさかシャルマが作っていたとは思わなかった。調味料を最小限にして素材の味をいかしたスープは孤児院で食べたものよりもはるかに美味しかった。
「それはよかった。これもお口に合うといいのですが……」
シャルマからバゲットを手渡され、リィナは「いただきます」とかぶりつく。
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「美味しいっ!」
レタスもトマトも新鮮でチーズのしょっぱさが絶妙なアクセントになっている。脳内で鳴り響く卓上ベルの音が最小限で済まされているのは、それだけ素材の良さを引き立てた食べ物だからだろう。
(幸せ過ぎる……っ! こんな幸せでいいの⁉)
午前中にあったアイリーンの指導のことなど頭から吹っ飛んでしまう。今度は小さな小瓶を手に取ると、ひんやりとした冷たさを感じる。
「え、冷たい!」
「厨房には冷蔵庫がありまして」
「この世界に冷蔵庫があるんですか⁉」
思わず声を上げると、彼はきょとんとした顔をする。
「世界?」
「あ、いえ、聞いたことあるだけ、実在しているとは思ってなくて! 開けるとひんやりして冷たい箱のことですよね!」
前世よりもずっと文明が発展してないため、そんなものがあるとは思ってなかったのだ。せいぜい降った雪や氷を一室に溜め込んで冷やしておく氷室がある程度だと思っていた。
リィナが咄嗟に誤魔化すと、彼は納得したように頷いた。
「ええ、そうです。氷を作る祝福持ちが大量に氷を作って、保冷効果のある箱に入れて保存しています。小さな氷室みたいなものですね」
本当に昔の冷蔵庫だ。感動しながらリィナは瓶の蓋を開けると、爽やかな香りが鼻を掠めた。
(お、まさか……)
ちーんっ!
分析結果『水の中に果汁が含まれています』
ちーんっ!
分析結果『推定 レモン果汁』
やはりこれはレモンだ。レモンの風味が鼻を抜け、感動のままシャルマに顔を向けると彼は嬉しそうな顔した。
「レモンです。厨房の方にあまりを分けていただいて、輪切りを水と一緒に冷やしておきました」
「美味しいです! おしゃれです! 感激しました!」
冷えた水だけでも感激なのに、果汁入りだなんて素晴らしい。
「シャルマさん、美味しいです。幸せです! というか、シャルマさん。私なんかの食事を作って負担じゃないですか⁉」
「いえ、趣味の延長線のようなものですし、気にしないでください」
「でも、シャルマさんの本分って殿下の侍従ですよね? 元々料理人だったんですか?」
「殿下は一度食事に毒を仕込まれたことがありまして、その時に『お前、なんでもできるんだから料理ぐらいなんとかなるだろ』って半ば無理やり」
「わー……」
その時の光景が目に浮かぶ。あの笑顔で「やれ」と言われて彼は素直に従ったのだろう。
「去年、オレが料理しているのがバレて、陛下からも『せめて形だけでもシェフを雇いなさい』と諭され、最近はめっきり料理をさせてもらえなくて」
作るのは結構好きだったのですが、と言いながら見せる彼の笑みが当時の大変さを物語っていた。
「大変だったんですね……」
「そんなことないですよ。あ、オレの食事が飽きたらいつでも言ってくださいね。いつでも解任されますので!」
「むしろ、いつも食べたいです。シャルマさんこそ、いつでも作るのが嫌になったら言ってくださいね!」
リィナがそういうと、彼はどこか照れくさそうに小さく笑う。リィナの胸のあたりが叩かれたような感覚がし、ふと内心で首を傾げた。
(なんだ今の? でも、今は食事よ、食事)
リィナはそのままバゲットを口に運ぶのだった。
◇
リィナがアイリーンとシャルマから指導を受け始めて数日が経った。時々ユリウスから呼び出しがかかり、毒見をさせられることもあったが、特に問題ない日々が続いている。
「では、今日の作法のお勉強はここまでにいたしましょうか」
アイリーンはそういうが、リィナは背筋を正した状態を保ったままだ。すぐに姿勢を崩せば、アイリーンから「人間を辞めるのは早くてよ!」と叱責が飛んでくるからだ。
「リィナも少しずつ所作にぎこちなさがなくなってきましたね。その意気ですよ!」
「はい、がんばります!」
「午後のお勉強はシャルマにお願いするわ。わたくし、午後からお休みをいただいたので」
「ええ、お任せください」
「では、ごきげんよう!」
アイリーンがそう言って部屋を出て行ったのを見計らって、リィナは姿勢を崩した。
「疲れたぁ~」
「今日もお疲れ様です。リィナさん」
彼はそう言ってリィナを労うと、手を差し伸べる。
「さあ、軽食を摂りに行きましょうか」
「は、はい!」
リィナはシャルマの後について部屋を出て行く。午前中の勉強が終わるとシャルマと昼食を摂るのが日課になっている。
天気がよく風のない日は屋上に行き、風のある日は中庭で食事をしていた。
今日も専属の休憩室へ向かう途中、小さな笑い声がリィナの耳に届いた。声のする方へ顔を向けると、さっとこちらから顔を逸らす侍女達がいた。
(一体、何かしら……最近、多いのよね)
リィナを見て何か話している侍女達をよく見かける。時々聞き取れる言葉と、すぐ顔を逸らすことからリィナをよく思っていないことは明白だった。
こういうのは放っておくに限る。孤児院にいた頃も祝福をあえて隠していたことで「あの子は女神から見放された子だ」と大人達によく言われたものだった。少なからず心にもやもやとしたものが残っていたが、休憩室の前まで運ばれた二つのバスケットを見て忘れてしまう。
「今日のお弁当は何かなぁ……」
色札付きのバスケットを抱えてそんな独り言を漏らすと、隣にいたシャルマは微笑ましい顔で見つめていた。
中庭へ行き、布を敷いたリィナは、わくわくしながらバスケットを開ける。
「わっ! 今日も美味しそう!」
「今日はサンドウィッチと冷製スープ。デザートにゼリーもつけてみました」
トランプの絵型に型抜かれたサンドウィッチはジャムや具材によってカラフルだ。最近は『徐々に色んな食材に慣れましょうね』とさらに豪華なものに変わっていた。
「この黄色は卵焼きサンド! こっちはまさかイチゴジャム⁉ これはマーマレード⁉」
「研究所に知り合いがいまして、季節を過ぎても採れるように品種改良や栽培、保存方法の研究などをしているんです。まだ市井に出回るほど一般化していませんが」
「すごい! これが一般化したら革命ですよ!」
それこそ前世のように季節外の食べ物を食べられるようになれば、すごいことだ。リィナが生きている間は難しそうで残念だが、今は目の前の食事である。
「いただきま~す!」
「はい、召し上がれ」
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「美味しい!」
前世ぶりのイチゴジャム。甘くてほんのり酸味があって美味しい。マーマレードもオレンジの苦みがくせになる。
リィナは小さな容器に手を伸ばす。ひんやりと冷たい容器の中にはスープが入っている。
(これはなんだろう。透明感があるから魚介? それともコンソメベース?)
うきうきした気持ちでスプーンを握り、まず一口目を口に運んだ。
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「おいし……」
ちーんっ!
「ん?」
リィナの祝福が割り込むように発動する。
分析結果『雑菌を検出。人体へ悪影響を及ぼす可能性あり』
(雑菌……? なんで?)
シャルマはユリウスの食事を作っていたというほどの腕前だ。それに今までそんなものは検出されなかった。もしかして、毒見の抜き打ちテストだろうか。いや、それなら手っ取り早く毒を入れるのが早いだろう。
(もう一口……)
ちーんっ!
分析結果『検出された菌は、床拭き雑巾に含まれるものとほぼ一致します』
「なっ……⁉」
リィナはシャルマがスープを口にしようとしているのを見て、さーっと血の気が引いた。
「シャルマさん、失礼します!」
シャルマの容器を奪い、一気に仰ぐ。
ちーんっ!
脳内で列挙される成分や材料の名前の他に、雑菌の名前は上がってこない。それに安堵したと同時に、ふつふつと怒りが湧いてくる。
(誰だ……私の食事を邪魔するヤツは……っ!)
食事ができるということがどんなに幸せなことか、リィナは身をもって知っている。孤児院では肉はもちろんのこと、新鮮な葉物野菜だって贅沢品だ。スープだって固くなったパンを柔らかくし、美味しくする魔法の食べ物である。その日を生き抜くための糧を無駄にされるなんてリィナは許せない。
何より、自分の為に作ってくれたものを台無しにされたのが、一番許せなかった。
「リィナさん、どうされましたか? リィナさん⁉」
リィナは自分のバスケットを引き寄せると、バスケットを覆っていた布を手に取った。
(食べ物を粗末にする輩に目に物を見せてやる!)
ちーんっ!
◇
「ねぇ、聞いた? ユリウス殿下付きの新人侍女がお腹を壊してお休みですって」
「いやねぇ、平民でしかも孤児院出身なんでしょう? 拾い食いでもしたんじゃないの?」
少女達の笑い声が使用人専用の食堂で響く。
新人の侍女が一体どんな祝福を持っているかは知らないが、孤児院出身の人間が王族の侍女になるなど異例のことだった。祝福がどうであれ、貴族の出である彼女達には、平民とは違うという誇りがある。それなのに、ぽっと出の平民が自分達の上に立つなど許せなかったのだ。
だから、彼女の食事に雑巾を絞った水を入れてやった。時間になると彼らの食事がバスケットに入って運ばれてくるのも知っているし、彼女はいつも同じ目印を付けたバスケットを大事に抱えている。最近は堂々と自分の名前を書いたバスケットを置いているのだ。やってくれと言っているようなものである。やったのは一度や二度ではない。お腹は壊しても死ぬことはないだろうと思っていたが、本当にお腹を壊すとは。
「おまけにシャルマ様にくっついて歩いて、卑しいったらありゃしない。シャルマ様もお可哀そう。あんな子の教育係になるなんて。きっとお優しいから断れなかったのね」
「本当にお気の毒~。今度は髪の毛とか入れちゃう?」
そう言いながら二人はトレーを取り、食事の配給口へ向かった。すると──……
「いらっしゃいませ~っ!」
食堂では聞かない言葉が聞こえ、少女達は怪訝な顔でその声のする方を見ると、ぎょっと目を見開いた。
「どうかされましたかぁ~?」
配給口に立っていたのは、件の平民の少女、リィナだった。
「あ、え……確かあなた、ユリウス殿下の……」
「はぁ~い! 世間勉強の為に色んな仕事場を経験したいと思ってぇ、ユリウス殿下とガジェット様にお願いしたんですぅ~」
やけに語尾を伸ばした彼女は、テキパキと皿に食事を盛りつけていく。
「たしかぁ~、お姉さん達ってぇ、ゼルマン男爵家のミーシャ様とシーペンド子爵家のアリア様ですよねぇ~?」
まさか名前を言われるとは思わず、二人は息を呑んだ。
「とぉ~ってもお仕事ができるって聞いてぇ~、憧れぇ~みたいなぁ~?」
彼女は楽し気にべらべらと喋るが、その目はまったく笑っていなかった。
「そんな尊敬できる先輩方にはぁ~、リィナ、特別にオマケしちゃう~」
リィナは半透明の飲み物を彼女達のトレーに乗せた。よく見ると中には何か不純物のようなものが漂っている。
絶対に変なものが入っている。そう確信した彼女たちはグラスを手に取った。
「はぁ、こんなのいらな……」
「やぁ、リィナ。頑張っているかい?」
少女達の言葉を遮って現れた人物に、リィナはにんまりと笑う。
「ユリウス殿下ぁ~、この度は私の我儘を聞き入れてくださりありがとうございますぅ~」
それは、離宮の主、第三王子ユリウスその人だった。
少女達はすぐさまトレーをその場に置いて、頭を下げる。周囲の者達も会話どころか手も止め、食堂がしんと静まり返った。
王族が使用人寮の食堂に来るなどあり得ない。緊張感が走る食堂に、リィナの明るい声だけが響いた。
「おまけに、こぉ~んな貼り紙まで用意してくださって感謝感激ですぅ~」
彼女が指さした先には『食べ物無駄にするべからず ユリウス』とご丁寧に第三王子のサインまで入った貼り紙があった。
「ああ、こちらこそ。食料資源の大切さについて貴重な話を聞かせてもらったよ。私も食事を残さないようにしているが、王族の身分となるとそうもいかなくてね。特に、食べ物に細工をする輩が絶えない。民草の中には、その日の食事も困っている者が多くいるというのに、それを無駄にするとは私も心苦しいよ」
ユリウスの言葉に少女達が小さく肩を震わせた。
そして彼は二人のトレーに乗ったグラスに剣呑な目を向ける。
「水だって貴重な資源だ。綺麗な水を飲める有難みを分からないバカは、この離宮にはいないはずだ。いくら貴族の出の人間だろうとな」
少女達は彼の顔を見なくても、自分に言っているのだと分かった。
「今後、食事を提供する際には食べきれる量を調整できるように料理長と相談し、食料資源の無駄を抑えるとしよう。では、リィナ。仕事に励むんだぞ」
「はぁ~いっ!」
ユリウスが食堂を出て行ったのが分かり、少女達が真っ青になった顔を上げる。
目の前にいるリィナは笑顔で言った。
「飲んでくれますよね? セ・ン・パ・イ?」
彼女達が悲鳴を上げて医務室へ飛び込んでいったのは、この数十分後のことである。
◇
「まさか本当に個人を特定するとは……」
呆れた様子でユリウスがそう呟く横で、リィナはあの二人に渡した飲み物と一緒にシャルマが用意したクッキーを食べていた。ユリウスの執務室には二人の他に疲れ切った顔のガジェットとアイリーン、そして苦笑するシャルマがいた。彼らがそんな顔をするにも訳がある。
スープに雑巾のしぼり汁が入っていると分かった後、リィナはバスケットの中を隅から隅まで調べた。それこそ指でこすりとった塵まで舐めた。ご丁寧にもあの二人は食事だけでなく、寮にあるリィナの部屋も荒らしていたのだ。おかげで証拠が十分に採れたのだ。決め手となったのはバスケットの中と自室に落ちていた髪の毛。
分析結果は女性のもの。使用人寮の全ての部屋から髪の毛や枕カバーを失敬させてもらい、犯人を絞ったのだ。最後は精査するためユリウスに相談して本人達の髪の毛を取ってきてくれたのだ。
枕カバーと髪の毛を齧るリィナに、アイリーンは悲鳴を上げ、ガジェットには白い目で見られ、ユリウスからあの胡散臭い笑みが消えた。シャルマだけが申し訳なさそうな顔でリィナを優しく見守っていた。
「君も良くやるよ……こんな髪の毛一本でどうやって個人を特定するんだい?」
「人間にはDNAというものがあるんですよ」
「でぃ……何?」
「えーっと……設計図っていうんですかね? 殿下の身体の中にはご本人であることを証明できるものがあるんです」
前世では科学の力によって、汗や髪の毛、指紋、血液から個人を特定する技術があった。ものによっては個人だけでなく、親子関係も調べることができる。
「髪の毛の中には微量ながら、その人を表す情報が含まれています。髪の毛が二本もあれば、私は祝福でそれが同一人物のものか分かるんですよ。やろうとすれば、親子かどうかも判別できますよ」
それを聞いてその場にいた者達が驚いた顔でリィナを見た。
ユリウスは「なるほどね」と静かに頷くと興味深い目でリィナを見つめる。
「個人を判別するまで調べられるということは、君はそれだけ人の髪を貪っていたことになるんだけど?」
「うっ……」
ユリウスの言う通り。リィナはこの祝福を手に入れてから、片っ端から落ちている髪の毛を口にしていた。それこそ、正確に個人を特定できるほどに。
アイリーンとガジェットの目がますます冷めたものに変わっていく。シャルマも困った顔でこちらを見ていた。
「こ、これには深い事情があるんです……孤児が生き抜くためには仕方ないことだったんですっ!」
「……というと?」
「皆さんは孤児院の子は祝福の能力が分かると里親や就職先が決まりやすいってことはご存じですよね?」
「そうね。その殆どは専門職に携わるものばかりだと聞いています。稀少な祝福であれば貴族の養子にも迎えられると」
そう答えたのはアイリーンだ。リィナは頷くと背中を丸める。
「その中には、親戚縁者を名乗って引き取ろうとする人もいるんです……そういう人達のほとんどは子どもを馬車馬のように働かせたり、引き取ってすぐに貴族やお金のある家に売りに出したりするんです」
もちろん、孤児院の職員はちゃんと相手の身元を調べてから手続きをするが、数年後子どもの様子を確認すると、引き取り相手が姿を消していたなんて話も少なくない。
その社会事情を知ったリィナは大いに震えた。自分の祝福が周囲に知られたら、こんな人たちが来るのではないかと。それからリィナは孤児院の中の髪の毛を拾い集め、摂食分析の精度を上げた。
「特に私の親友は絶対音感の祝福を持っていて、チャリティーで合唱を披露したら親類縁者を名乗る人間がわんさか集まってきたんです」
絶対音感の祝福を持つ子どもは楽器や声楽をやらせれば、メキメキ上達し、音楽家になる可能性がある。つまり、将来的にお金になるのだ。
「親友と顔がそっくりの人が来た時は、親友と二人で強引に相手の髪をむしり取りました。赤の他人だって分かった時はもう怖くて怖くて……」
あとから分かったことだが、彼らは引き取った子どもを売り飛ばす犯罪集団の人間だった。一人は顔立ちを変える祝福を持っており、子どもの顔立ちに作りを寄せて親子だと偽っていたのだ。リィナが一時人間不信に陥ったのは無理もなかった。
「その親友はどうなったんだい?」
「身元がはっきりしている音楽家の貴族の養子になりました。時々手紙もくれます」
たまにチャリティーコンサートや、彼の一家が催す演奏会にも招待してくれたことがあった。本当にいい里親に引き取られて良かった。
ユリウスは少し考えた後、リィナに言った。
「そう……リィナ。もし君の祝福が知られた時、親子関係まで調べられることは、絶対に伏せてくれ」
「え……何でですか?」
「王族や貴族は血筋を重んじる。もし、その血が違うものだと疑われ、真偽がはっきりすることが出来る者がいた時、後ろ暗い者はどうすると思う?」
「………………」
まさかそんなことはないとは言い切れない。もし、血筋を疑われるような事案が発生し、不都合があればリィナは消される可能性があった。
「絶対に言いません」
リィナは固くそう心に決めた。全ては自分の平穏の為。平和に食事をするためである。ユリウスは「物分かりのいい子は好きだよ」とにっこり笑った。
「それで、彼女達に飲ませたそれは、一体なんなんだい?」
リィナが飲んでいる半透明の飲み物を見て、ユリウスが言った。
「あー、これですか? コーヒーをすこし混ぜた水ですよ。変な味がするので、やり返されたと勘違いしたんでしょうね」
顔を真っ青にして食堂を飛び出していった彼女達を思い出して、少しだけ気分が晴れた。
◇
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「美味しい!」
騒動後の昼食時間。リィナとシャルマはいつもの屋上で食事を摂っていた。雑巾の絞り汁を入れられたことから、今度からバスケットは直接厨房から取りにいくことになった。
(今日はミートパイ! 生地がざくざくでバターの味も利いてて美味しい! ああ、幸せ……)
リィナは幸せいっぱいな気持ちでミートパイを頬張っていると、隣にいたシャルマが、リィナの頬に触れた。
「リィナさん、パイ生地がついてますよ」
シャルマに食べかすを丁寧にとってもらい、自分の子どもっぽさにリィナは恥ずかしさを覚え、笑って誤魔化す。
「ありがとうございます。シャルマさんのご飯が美味しくて、つい夢中で食べちゃました!」
「それはよかった……」
彼はリィナの言葉に嬉しそうな、それでいて悲しそうな表情を浮かべる。
「シャルマさん?」
「リィナさんは……」
シャルマは少し言い淀みながら口を開く。
「今の生活が辛くないですか?」
「へ?」
予想もしていなかった問いかけにリィナは素っ頓狂な声を上げる。
「今、ですか?」
「ええ。祝福の能力のせいで殿下に目をつけられて、半ば無理やり王宮で働けって言われて、毒見役なんて自分の身を削って仕事をしているのに、平民の生まれを理由に嫌がらせまでされて……理不尽じゃないですか。少なくともオレはこの離宮に来た頃、それで気が滅入ったことがありますから」
──ああ、そうか。
リィナは、彼から感じた優しさの理由を悟り、自分が思ったことを素直に口にした。
「うーん……すごく単純なことを言っていいですか? 私、今の生活が幸せなんです」
それが意外な答えだったようで、シャルマは目を見開いた。
「幸せ……?」
「はい。だってお部屋は個室だし、雨漏りしないし、隙間風もないですし、衛生面もいい。そのうえ、お仕着せだって配給されるし、日用品も滞りなく配給される。それって普通じゃないことです」
前世の自分が恵まれ過ぎていた。前世のバイト先は制服を支給されるところもあるし、衛生面も市街の治安もこの国よりずっといい。前世の世界を知っているからこそ、この世界の平民の生活水準が低すぎることも身に染みて分かってるし、今の生活が普通でないことを余計に実感する。
「今は違いますが、私が小さい頃の孤児院は劣悪な環境でした。というのも、孤児院に子どもがいっぱい溢れかえっていたんですよ。シャルマさんもご存じですよね、反女神信仰の暴動」
「祝福の能力が判明しない民が、待遇改善を訴えた暴動でしたよね」
痛ましい顔で答えたシャルマに、リィナは大きく頷いた。
十年前に起きたその事件は国だけでなく、リィナの人生を大きく変えた。
「いっぱいになった孤児を養うために職員さんは懸命に駆けずり回ってくれました。お金があっても何も買えないご時世だったので、ただでさえ生活が苦しいのに食べ物を譲って欲しいと頭を下げたり、水場を陣取る怖い人達に目を付けられて脅されたり……」
あの暴動のせいでリィナは両親と離れ離れになったし、一時物流が止まってお金はあっても店が開いておらず食べ物は買えない。水は汚れて、使える水場はゴロツキが陣取っていた。毎日雑草が主食だったし、花の蜜は最高のおやつだった。祝福を得てからは、食べられるものを死ぬ気で仕分けた。親切な貴族のおじ様が植物図鑑を寄付してくれた時は、食べられる実をつける植物やその効能を頭に叩き込んだ。誰かが病にかかったもんなら泣きながら森の中を駆け回る日々だった。
今では王族が孤児院を視察するようになって、寄付や支援を多くしてもらえるようになったおかげで前よりずっといい生活ができるようになった。ここ数年は雑草を口にしていないし、冬には温かいものを食べられている。
リィナの食事に雑巾の絞り汁を入れた彼女達はきっとあの暴動を知らない幸せな生活をしてきたのだろう。
「だから……だから今はシャルマさんの美味しいご飯を食べられるのが最高に幸せなんです……世界一幸せなんですよ、今の私!」
今食べているミートパイだって、自分を幸せにしてくれる魔法の食べ物だ。リィナはこれだけで仕事を頑張れる。
「シャルマさんは私に美味しい食事を作ってくださる神様です! 私の幸せはシャルマさんによって成り立っているも同然! いつもありがとうございます!」
リィナの言葉にシャルマは虚を突かれた様子でリィナを見つめる。そして、静かに「すみません」と謝罪を口にした。
「オレはリィナさんを勝手に同情して憐れんでいました。オレと同じ平民の生まれで、殿下に目を付けられて、無理やり連れてこられた可哀そうな子だって。力になってあげたいなって。とんだ思い上がりでしたね」
その言葉を聞いて、リィナは(ああ、やっぱり)と苦笑する。彼から感じたリィナへの優しさはやはり憐憫や同情からくるものだった。
「リィナさん、貴方は尊敬に値する女性です。今までの失礼な態度をどうかお許しください」
そう言ってシャルマは頭を下げる。
リィナはなぜシャルマがこんなに優しくしてくれるのか何度も不思議に思ったことがあった。最初は単にリィナに甘いのではなく、誰にでも分け隔てなく優しいなのかと思っていた。
「シャルマさん、顔を上げてください」
懺悔する彼にそういうと、リィナは続けた。
「私は……シャルマさんの優しさの裏にどんな感情があっても嬉しかったです」
彼のフォローのおかげでアイリーンの厳しい態度には優しさが含まれていることが分かったし、こうして彼が気遣ってくれることも素直に嬉しかった。
「私を憐れんでいたと言いましたが、シャルマさんはその人を思って言葉を選んでくれていました。価値観の違いから理解が足りない所を言葉で補ってくれます。いつも作ってくれる食事だって、ちゃんと美味しくて栄養があって私の能力のことを考えてくれているものです。憐みや同情だけでは到底できることではありません。人はそれを思いやりというんだと思います」
リィナの言葉にシャルマが薄紫の目を見開いた。
「シャルマさんの思いやりは、ちゃんと私の支えになってます。だから、その謝罪を受け入れません。そのかわりお友達になってくれませんか? 今度は同僚として互いに支え合うお友達です」
まだぺーぺーの新人のくせにだいぶ大口を叩いたつもりだったが、シャルマは眉を下げて優しく笑い返してくれた。
「はい。こんなオレで良ければ喜んで」
彼の言葉にリィナも笑みを返したのだった。
お待たせしました。(むしろ、待ってた人いるかな……?)
連載版を異世界恋愛ジャンルから文芸ヒューマンドラマへと変更し投稿開始しました。




