第三話 子守と襲撃
「もう! ほんっとに信じらんない!」
泥だらけの青い瞳の少女は頬を膨らませていた。
「すみません。魔導具の実験をしてたんですけど、まさか人がいるとは思ってなくて」
少女が涙を浮かべた目で俺を見ている。
許してもらえるだろうか。いや、そう簡単にはいかないだろうな。
「あなたみたいな冴えない男がよくも私に泥をぶつけてくれたわね! 絶対に許さないんだから!」
その言葉にメリアスが反応したのを俺は見逃さなかった。
「ちょっと待て、エルスくんは冴えなくない。撤回しろ」
「なによあんた。どう見ても冴えないでしょ。もうちょっと身だしなみに気を使ったほうがいいわ」
こうもはっきり言われると結構くるものがあるな。
「貴様……、よくも主を愚弄したな!」
メリアスの手のひらからバチバチと電気がほとばしる。
あいつ、ここでやるつもりか? こっちが元凶なのわかってんのか。
面倒なのはごめんだし、ことを大事にしたくないってのに。
「なによ主って。悪いけど、あなたたちの貴族ごっこに付き合うつもりはないんですからね!」
彼女の視線が手元の魔導具に移った。
これがバレることだけは避けたい。
「ただの魔導具。それも下級魔法のマッドショットを一発打ち上げるだけのおもちゃなんか作って実験気取り? そんなの子供でも作れるわよ」
どうやらただの下級魔導具だと勘違いしてくれたらしい。俺としては好都合だ。
ただ問題があるとすると、彼女の胸の紋章。あれはクラス『アグル』の紋章、つまり彼女は王族クラスの生徒だ。学年は俺と同じ一年か。
「本当にすみません。ご迷惑でなければ、お詫びになにかさせていただきたいのですが」
「エルスくん本気ですか! こいつはエルスくんを愚弄したのですよ!?」
お前こそ落ち着いてよく見ろ! 王族は敵にすると面倒だから関わり合いたくないんだよ!
「そう、それならちょうどいいわ。そろそろ時間みたいだし、今からここに来る男から私を逃してくれるかしら?」
「ここに来る男? それって誰なんだっておい! ちょっと待て!」
「じゃああとはよろしくね!」
それだけいうと彼女はそそくさとその場を去っていってしまった。
もうちょっと説明してくれないとわからんのだが……。
そう思っていたが、その男はすぐに現れた。
「おいそこの平民。ここらで白銀色の髪をした青い瞳の女性を見かけなかったか」
この男の紋章はクラス『イース』。上級貴族か。察するにさっきの王族の騎士様といったところだろう。こいつはメリアスと違って本物の騎士様だ。さてはあの女、騎士の目を盗んで抜け出してきやがったな。
「ああそれなら、さっきまであっちの木陰で昼寝してましたよ」
「そうか、すまんな」
男は俺が指差した方へと走り去って行った。王族様はその反対方向に行ったんだけどね。
「エルスくんは優しいですね」
「まあ、一応あの子には迷惑かけたからな」
メリアスはどこか不満げだ。そんなに俺が冴えないと言われたことを気にしてくれているのか。その気持ちはありがたいが、それで面倒事が増えては意味がないだろ。
そこのところはあとで言っておくか。
「もうしばらく調整してみて、暗くなったら寮に戻るか」
「わかりました」
それから何度か、ああでもないこうでもないと調整を重ね、また少し完成に近づいた。
なんとなくだが、この魔王の記憶には欠けている部分があるように思う。知識や出来事が途切れ途切れになっていて繋がらない。その空白を埋めさえすればこの魔導具の完成も簡単だっただろうに。
寮に戻ると、すでに課外活動を終えたクラスメイトたちが数人帰ってきていた。
「あ、エルス、遅かったね」
姿を見せたのはクレナだった。すでに制服ではなく、動きやすそうな服に着替えてある。
「クレナこそ、随分早くないか」
「なんか最近、夜になると変なやつが出るらしいの。変質者ってやつ。だからどこの課外活動も暗くなる前に切り上げてるみたい。他のみんなも帰ってるよ」
よくもこの学園の敷地内でそんなことができるもんだ。
女とはいえ国中の有望な人材が集まったエンデリシア高等学園の生徒に手を出すとはな。
「そういえば、リッタがエルスのこと探してたよ」
「わかった、あとであいつんとこ行ってみる」
「エルスくん、僕は先にシャワーを浴びてきてもよろしいでしょうか」
「おう、リッタのとこ行ったら俺も部屋に戻るよ」
そう言ってメリアスは先に部屋に戻っていった。
「むふふん、相変わらずの夫婦っぷりね」
「どこがだよ。てかその笑い方やめろ」
「目の保養には丁度いいわ、ごちそうさま」
そう言い残して、クレナも自分の部屋に戻っていってしまった。
俺はすぐにリッタの部屋に向かった。
リッタの部屋は俺の部屋の隣。軽くノックすると中からリッタの声が聞こえてきた。
「はいはーい、ちょっと待ってね………。お、エルス、戻ってたか!」
「今帰ってきたところだ」
リッタは金髪の元気なイケメン男子だ。若干着崩してはいるが、まだ制服のままだ。
「それで、なんか用があるんだろ」
「ああ実はさ、ちょっと学校に忘れ物しちまってさ。どうしても今日必要で取りに行きたいんだけど一人じゃ…………な?」
ああ、そういうことか。
リッタは元気で明るい性格でいいやつなんだが、一つ弱点がある。それは暗いところに行くと身体が幼児化するというところだ。
不便なことにそれは多少の街灯くらいでは意味がないらしい。
今は変質者が出るらしいし、幼児状態のリッタでは抵抗もできないだろうから俺も一緒についていくのがいいだろう。
「わかったよ。待ってるから支度しろ」
「俺はいつでもいいんだけどよ。メリアスはいいのか?」
「なんでメリアスが出てくんだよ」
「お前らいつも一緒にいるから」
「言っとくが、別にいつもいっしょにいるわけじゃないからな。俺についてこないといけない決まりなんてない」
「あ、そうなの? んじゃいっか。よし行くぞ」
全くどいつもこいつも。やっぱりメリアスにはもう少し自重してもらう必要があるかもしれん。
寮から校舎まではそう遠くない。歩いて十分程度だ。
途中街灯も並んでいるが、人通りは少なく女子生徒なんかは特に一人で歩くのは危険な所だ。一応学園の敷地内ではあるからそうそう怪しいやつは出てこないはずではあるが、今は不審者が出るという噂もあるし気をつけ他方がいいかもしれない。
そしてそれとは別で、リッタはこの程度の灯りでは幼児になる。
「あぁ……あぁうぁ……」
幼児化したリッタを抱えて、ぶかぶかになって脱げた制服を拾い上げる。
「よしよし大丈夫だからな」
「だっ! だっ!」
おっと忘れていた。見た目が赤ん坊だからといって、中身まで赤ん坊になるわけではないんだった。あんまり赤ん坊扱いするとリッタは今みたいに怒るんだよな。
「そこのお前、止まれ!」
突然後方からそんな声が聞こえ、同時に背中に刃物をつきつけられた。声の感じからすると若い女性。学園の生徒か?
「姿を表したな変質者」
変質者? もしかして俺のことか?
「あの、俺は変なやつではなくてですね」
「言い訳しても無駄だ。裸の赤ん坊にうちの学園の男子生徒の服、それに下着まで」
そう言われると確かに普通ではないかもしれないけど。
「赤ん坊をさらい、生徒の衣服を盗む。何が目的か吐いてもらうぞ」
「あだっ! だぶばぶ!」
背後の女性に向かってリッタが何かを言っているが、何を言っているかは全然わからない。それはもちろんその女性にも伝わってはいない。
「いや本当に怪しいものではなくて、ただの生徒なんです。ちゃんと生徒証明証もあります。なんならこの服の持ち主のもあるんで」
背中越しに二枚の証明証を渡す。刃を離すことなく背後の女性はそれを受け取った。
「エルス、服の持ち主はリッタか」
「最近は物騒ですし、何かあるならまた俺のところに来てくれれば話しますし、リッタに話を聞いてくれても構わないんで今日は見逃してくれないですか」
「わかった」
背後の女性はようやく得物を納めてくれたみたいだ。振り返るとやはり学園の生徒だった。あの紋章は確か下級貴族だっただろうか。学年は同じ一年生。このあたりではあまり見ない武器を腰に帯びているが、あれは東の国の刀だろう。
「また後日伺うが逃げても無駄だぞ」
「そんな、逃げたりしないですよ」
「言っておくがまだ疑いが晴れたわけではないからな。不審者が出ているというのにこんな時間に一人で、しかも赤ん坊と他人の制服を持って——」
一応刺激しないように相槌を打っておくか。しかしいつになったら開放してくれるんだ。
そう思っていたとき、少し離れたところから魔力の波動を感じた。
「危ない!」
「何!?」
とっさに女子生徒を押し倒し、飛んできた魔法をなんとか回避した。
「〖スケイル〗!」
魔力が変化し俺とリッタと女子生徒の体を包み込む。今の俺達は周囲からは見えない透明人間状態だ。代わりに人や動物に触れることはできなくなるが問題はないだろう。魔法で俺達の姿は隠したけど、まだ敵の姿は視認できていない。倒れたままの女子生徒はまだ状況をつかめていないようだ。
「何が起きたんだ!」
「静かに。誰かが俺達を狙っています」
男が四人か? そんなに大柄ではない。おそらく向こうも学園の生徒。ただ、一人だけ魔力がかなり大きいのがいる。
「〖クワイア〗」
さらに魔法を重ねる。俺たちの発した音が周囲に響かなくなる魔法。どんなに音を立てようが聞こえるのは自分だけ。例外は、触れているものだけが俺たちの発した声や音を聞くことができる。互いの声が聞こえるように女子生徒の手を掴んだ。
「多分ですけど、学園の生徒で男が四人、そのうち一人が記録持ちの可能性が高いです」
「記録持ちということは二年以上は確定ということか。しかしなぜ私達を」
「狙いはわかりませんけど、この状態ならあいつらにもバレないはずです。このままここから逃げましょう」
そう思っていたのだが、さすがは記録持ちそう簡単にいかせてはくれない。
「〖ディクワイア〗」
クワイアが解かれ、足音が響く。
「そこか」
放たれた魔法が左足に直撃する。足音で場所を把握できるだけの実力、そしてその経験を積んできた猛者。さらには無詠唱による魔法の行使。学生のレベルではないのは明らかだ。
魔法の直撃によってスケイルが解かれた。スケイルの特徴は姿を消すことと生命体との接触の無効化、そして魔力攻撃によって効果を無効化されることだ。
「私が引きつける。お前はここから離れろ」
囮になる気か? だが彼女は貴族階級。平民が貴族を囮に助かるなどあってはならない。ましてや同い年の女の子だぞ。この危機を抜け出せたとしても、その先にさらなる危機が待ち受けているのはほぼ確定だ。ここはなんとしてでも彼女を無事にこの場から逃がすしか、俺の助かる道はない。
「待ってください。俺に作戦があります」
少しの間をおいて彼女が頷いた。
「わかった。言ってみろ」
「その前にこのことは他の誰にも言わないと約束してください」
彼女が再び頷いたのを見て、俺は彼女に耳打ちをした。