百日紅④
珠々子の女学校を発った車が走る道。
山間ならではの木漏れ日がきらめく、爽やかな風景。
心を和らげるはずの、そんな風景の美しさは、少女のこれからを思い知らせるように、残酷なほど澄み過ぎていた。
やがて、濃い桃色の百日紅が眩しい、大きな屋敷が見えて来た。
藤野家屋敷。
珠々子は、既に車窓から視線を正面に移動さていた。乳母はそんな彼女を、見つめていた。
車門を入った、珠々子を乗せた車を待ち構えていた者たち。いつも居る者たちでなく、亡き先代の周りについていた者たちだった。
「『お帰り』なさいませ」
藤野家屋敷を取り仕切る初老の渡辺が、車のドアを開けた。
珠々子は、渡辺の顔を見上げた。
祖父にいつも付き従っていた頃よりも、白髪が増え、目もわずかに落窪んだ渡辺。
渡辺が珠々子に手を差し出す。
「ありがとう」
差し出された手に自分の手を乗せ、珠々子は車から降りた。
祖父が亡くなって以来、足が遠のきがちだった藤野家屋敷。珠々子は渡辺と乳母を従え、凛とした空気を纏い歩み出す。
長い廊下の先。
彼女が辿り着いた座敷。
祖父の応接部屋であった場所。
かつて、祖父が座り、応接と執務を行っていた椅子に、珠々子は座った。
座敷にすでに集まっていたのは、藤野家の年寄りたちや藤野家で働いている年寄りたちだった。
珠々子を初めて見る者たちさえ少なくない。
ヒソヒソと耳打ち会う者たち。
座敷の中の空気は、その者たちの心境や思惑を映し出したように、落ち着きなくざわついていた。
珠々子の乳母兼藤野家女中頭がチラリと、主人である少女を見やった。
ざわついている、いい大人たち全体を静かに見つめている、茶水晶のような珠々子の瞳。
先々代当主だった亡き祖父そのものの瞳。
少女と、少女の雰囲気と対極にある大人たちを、黙って見ている渡辺。
珠々子が当主の椅子に座って、しばらく経つ。
チリン、と、南部鉄器の風鈴が鳴る。2度目、3度目と涼やかな凛とした音ともに、座敷に風が通った。
艶のある長く濃いまつ毛に縁取られた少女の双眸が、続けて音を連ねる風鈴を見つめる。そして、少女はその双眸が閉じ、軽やかな一迅の風が頬を撫でていくのを、わずかに楽しんでいた。
風が止む。
それを合図に。
珠々子は目を開け正面に視線を戻した。
彼女が視線だけで動かした空気のあまりの大きさに、その場にいた大人たちが声を忘れた。