それは、あまりに突然の──
瞬間、ケイトリンの肉体を構成する炎が単なる赤から深い真紅へ変色するとともに足元を這うが如く闘技場を侵蝕し。
「──……『私の為に、仮初の命を燃やしなさい』」
『あ? そりゃあ確か……』
『おおっと、ここでケイトリン選手が切り札を発動だ!』
『【紅蓮鼓拍】。 灼人の固有能力ですね』
その炎こそが霊人の一種たる灼人の切り札であると、これまでの魔闘技祭で何度も観てきたのだろう実況や解説のみならず、バルトまでもが戦場での経験を活かして看破する。
──【紅隷鼓拍】。
炎で作った仮の心臓を無機物に与える事で一時的に使用者の意のままに動く傀儡とする、灼人にのみ許された能力。
与えられるのは心臓だけで脳や神経まで通わせる事はできないが、その分〝余計な思考〟を許さず自在な操作が可能。
正しく、〝奴隷〟であるかのように──。
先述した通りバルトは人工知能に頼るまでもなくその事を知っていたものの、彼自身の頭には疑問符が浮かんでいた。
(今や俺の肉体の八割を占める機械部分に命を与えて戦況を有利に運ぶ……人工知能はそう分析してたが……当てが外れたか? それとも手駒を増やしてからか……まぁ、何でもいい)
人工知能が導き出した答えと異なる、より正確に言うと導き出せてはいたが『確率は低い』と切り捨てていた〝手数の増加〟を選択したケイトリンの思惑を読みかねていた為に。
……が、しかし。
『一応言っとくが、俺自身には効かねぇぞ? 【紅隷鼓拍】も含め、あらゆる精神汚染は人工知能が勝手に弾くからな』
そもそもの前提として、バルトに埋め込まれている人工知能は機械国家における最先端の代物であり、人間の魔法や獣人の特性、そして霊人の固有能力を使用しての〝機械部分への内部干渉〟の一切を完全に防ぐ機能が搭載されており。
どれだけケイトリンが優れた実力を持つ灼人だったとしても関係なく、バルトの機械部分がバルト自身に牙を剥く事は決してないと確信した上での挑発めいた忠告に対し──。
「……いいのよ、私の狙いは──別にあるからッ!!」
『う、お……ッ!?』
(コイツ、足場を……! 二番煎じじゃねぇか!)
ケイトリンの次の手は、バルトの足場を崩す事。
確かにそれ自体はAブロックの試合で才気溢れる少年が行使した策と同じだったが、あちらが床石を魔法で浮かせて一つ一つ足場を奪うものだったのとは対照的に、こちらは床石が設置された闘技場の堅牢な土台そのものに仮初の命を与えて操り、緩急をつけた振動や隆起及び陥没で足場を崩す策。
(クソが……ッ! しゃあねぇ、ひとまず空に──)
どちらが〝隙を作る〟上でより有効かは相手によって変わるだろうものの、少なくともバルトに対しては有効的だったようで、とりあえず足場問題とは無縁な空中を主戦場とするべく肩甲骨から展開した推進飛行装置を起動せんとしたが。
『ッ!? しま……ッ!!』
読んでいたのか偶然かはともかくとして、バルトから見て前方を除いた全方向を覆うように闘技場が隆起した事で彼は逃げ場を失い、それを見逃さなかったケイトリンは当然バルトへ手痛い一撃を加える筈だと会場の誰もが予感したが。
──ちゅっ。
『……は、あ……?』
「「「え!?」」」
『な……!?』
闘技場の中心で起きた事に対し、バルトのみならず実況や解説、観客たちまで含めた全員の目が点になってしまった。
……それも、無理はないだろう。
何しろ、ほんの僅かな隙を突いたケイトリンのした事が。
バルトへの、〝接吻〟だったのだから──。
『け、ケイトリン選手が、バルト選手に……キスを……?』
『初対面の筈……魅了できる自負があるとでも……?』
解説者が、その突拍子もない行為を〝己の美貌を過信しすぎたケイトリンの愚策〟だと失意を込めて訝しむ一方で。
『……てっきり炎だの溶岩みてぇな血液だの流し込まれンのかと思ったが、テメェの熱でイカれたか? 自意識過剰女が』
困惑こそすれ動じてはいない様子のバルトは一瞬で隆起した闘技場を細切れにしつつ、およそ潤いの『う』の字もない唇を拭う事もせずに『何のつもりだ』と素直に問いかける。
たった一つの接吻で揺らぐような造りはしていない。
なのに、人工知能が彼女の行動の真意を導き出せない。
一体、何をした? という疑問が解消されるより早く。
「自意識過剰は、アンタの方よ」
『何だと──』
彼女が口にしたのは、バルトの言葉を使っての挑発返し。
もはや、その挑発に何の意味があるのかさえ分からなくなっていたバルトの人工知能が解答を算出せんとしていた時。
「──『自分で自分を、攻撃しなさい』」
『……は? 何言ってやが──』
さも【紅隷鼓拍】で仮初の命を与えた無機物へ命じる時のように〝自傷行為〟を命じてきたケイトリンに、いよいよ訳が分からなくなってきたバルトが唖然とした──その瞬間。
『──なッ!? あ……ッ!?』
「「「!?」」」
「残念だけど、もう闘いは決したわ──」
機械腕の一つが暴走し、バルト本来の右腕を切断した。
バルトはもちろんの事、会場の誰もが驚愕の感情に支配される中、何かをしたのだろう当の本人は妖艶な笑みを湛え。
「──貴方はもう、私の虜になったから」
間もなく訪れる己の勝利を、確信した──。




