「いいから進め」
──先手、スターク陣営。
駒が装備する鎧や法衣の色は、白。
スタークやパイク、その少し後ろで行く末を見守っているティエントの視界には映らなくなった観客たちが、わいわいがやがやと紛れもない遊戯感覚で観戦する中にあり──。
『りゅー、りゅ〜……りゅあぁ』
「あ? あぁ、わーってるっての」
『りゅう……? りゅあ──』
競技者兼規定教範のパイクが、よかれと思ってパラパラとページを捲って、チェスにおける定跡──いわゆる“オープニング”についてが記されたページを見せるも、スタークの反応は鈍いというか、どうにも素っ気ない。
いや、素っ気ないというより──。
──……そもそも、見てもいない。
薄々ではあるが、その事に気がついたパイクは違和感を覚えて何かを伝えようとする。
しかし、スタークはそれを待たず。
「……d2兵隊、d4へ進め」
『りゅっ!?』
『了解! へへ、腕が鳴るぜ!』
「……」
スッと右腕を前に出すとともに自分の目の前のマス目に立つ、『兵隊』の駒と化していた比較的ガタイの良い人間の男性に指示を出し、かたやパイクが規定教範に目もくれないスタークに驚き、かたや男性が『敗けたら消滅』という事を本当に理解しているのかと思わずにいられぬほどに意気込んで進む一方。
「ほぉ! 迷わず私と同じ列の歩兵を前進させますか! いやぁ愉しくなってきましたね!」
「……お前の手番だ、さっさとやれよ」
「えぇ、えぇ! 言わずもがな!」
規定教範基準の定跡通り──とは言えないのかもしれないが、ほんの少しの躊躇いもなく自分の命を奪う事だけを見据えて行動している少女の殺意を秘めた意思に、マキシミリアンはより一層テンションを上げに上げる。
──後手、マキシミリアン陣営。
駒が装備する鎧や法衣の色は、黒。
「参りましょう! e7兵隊、e6へ!」
『うふふ、これで私も億万長者に……!』
「……」
そのままの勢いでマキシミリアンが前のマス目へ進めたのは、スタークと違い女王の前列に位置する兵隊であり、やはり先ほどの男性と同じく意気揚々と前進せんとする人間の女性を睨むスタークの瞳は冷徹極まりない。
たとえ、属する陣営が最終的に勝利しようが駒同士の戦闘で敗北すれば──消滅する。
彼ら、もしくは彼女らは自分が敗北するなんて夢にも思っていないのか、それとも賭博場の者たちが言うところの博打意欲とやらが感覚を麻痺させているのかは分からないが。
……全く以て、理解が及ばない。
自ら進んで死地に身を投じるような輩を。
助けてやる意味や理由なんて欠片もない。
ゆえに、スタークの手は止まらず。
「g1騎士、f3」
「f7兵隊、f5へ!」
「b1騎士、c3」
「g8騎士、f6へ!」
当然、マキシミリアンの手も止まらない。
そうして盤面が更に進むにつれ、いかにも群雄割拠といった具合の盤面が出来上がる。
あと二・三手もあれば駒はぶつかり。
四方世界特有の駒同士の戦闘が発生する。
と、ここまでが先述したオープニング。
・駒の通り路を形成する
・より多くの駒を中央に集中させる
・王の入城を行う
三つ目の王の入城に関しては、まだ両者ともに成していないが、それでも準備は万端。
少なくともスタークとマキシミリアンはそう思っている筈──そう、その筈なのだが。
『……りゅうぅ……』
パイクは今少しばかり悩んでいた。
本当に、これでいいのだろうか──と。
並び立つ者たちを討ち倒す為ならば多少の犠牲はやむを得ないのかもしれないが、だからといって何の罪もない民の命で博打をしたり、どちらにせよティエントを犠牲にしなければならなかったりと正直、不安が大きい。
ただ、この遊戯を今さら棄権したところでメリットなどなく、降参と見做されて総取りされてしまうのだろう事は想像に難くない。
ゆえに少しでも犠牲を減らし、できる限り王様のマキシミリアンを狙って駒を動かす。
それが、パイクの為さねば成らぬ事。
スタークを介して、為さねば成らぬ事。
そして、ついにその時が訪れる──。
「──c1教皇、g5」
『灰は灰に、塵は塵に……』
スタークが兵隊を進ませた事で出来上がった通り路を、スターク自身は見た事がなかった霊人の一種、“灼人”が通常の戦闘形態とは違う炎の法衣を纏った状態でマス目を移動。
この灼人の女性は何の因果か元々修道女。
聖神々教の信徒ではないようだが、こんなところで博打に興じている時点で、まともな宗教ではないと嫌でも分かるというものだ。
「……ふむ」
そんな中、マキシミリアンの手が止まる。
もちろん駒と化した者たちを案じているわけではなく、もう間もなく発生するであろう駒同士の戦闘を見据えて思案しているだけ。
──……戦闘。
普通のチェスには存在しない規定。
これが単なるチェスであれば、とある駒を動かした方が元居たマス目の駒を取るだけ。
しかし四方世界においては動かした方が駒を取ってマス目に移動するというだけでは終わらず、そこで駒と駒との戦闘が発生する。
兵隊・騎士・戦車・教皇・女王・王様といった駒に与えられた役割としての強さや、それらの駒に成り切っている者が持っている属性の適性や肉体強度、年齢や性別などといった能力値に大きく左右される戦闘が──だ。
その戦闘で敗北した駒は消滅し、勝利して初めてマス目を陣取る事ができるのである。
王手しようと思うなら、多かれ少なかれ相手の駒を減らさなければどうしようもない。
要は、ほぼ確実に相手陣営の駒と化している一般人を犠牲としなければならないのだ。
そして、ほんの数秒ほどの思案の後──。
「では、私は──f8教皇を、e7へ」
「……」
『っ、りゅう──』
先ほどまでの数秒は何だったのか、マキシミリアンは何の躊躇もなく微笑みを浮かべながら最後列の教皇を前進させ、その一手を皮切りに戦況が変わりそうな嫌な予感を抱いたパイクがスタークに何かを告げようとした。
──その、瞬間。
「g5教皇、f6へ進め──戦闘だ」
『りゅ!?』
「Excellent!」
『『『おぉおおおおっ!!』』』
もはや数秒どころか数瞬すらも躊躇う事なく、スタークが自らの教皇で相手の騎士に戦闘を仕掛けると宣言した事により、かたやマキシミリアンと観客たちは湧き上がり、かたやパイクは驚愕と困惑と不安を露わにする。
当然と言えば当然だろう、相手方の騎士の能力値も把握せぬまま教皇という大戦力をぶつけるのは四方世界において御法度だから。
あくまでも四方世界においては、だが。
『あぁ、欲深き仔羊に聖焔を与え給う……』
『だぁれが仔羊だぁ! ぶっ殺してやるよ!』
しかし、そんなパイクの懸念に構う事なく神に仕える者とは思えない積極性で以て煌々と輝く炎の十字架を手にする修道女に対し。
あちらの陣営からは、いかにも気性の荒い獅子獣人の男性が、どう見ても本物としか思えぬ馬に乗り、漆黒の鎧を纏って威嚇する。
双方とも、もう準備万端のようだ。
そして、どちらからともなく臨戦態勢に移った二人を外から見ていた実況が息を吸い。
『記念すべき第一戦、緊張の一瞬! 勝利を掴み、王手に先んじるのはどちらなのか!?』
『はっ、俺に決まってんだろうがぁ!!』
『威勢のよろしい事で……』
『『『わぁああああっ!!』』』
観客を沸かせる為に放った筈の言葉は開戦の合図となって、その火蓋を切って落とす。