感謝感激、元歓楽地
フェアトは結局その日、寝て過ごした。
一日中、アストリットの実験に協力していた事もあり眠気が限界だったのもそうだが。
どうやら自分で思っている以上に、フェアトの細い身体は疲労を感じていたらしく、いつの間にか眠っていたというのが正しいか。
そして、ちょうど二十四時間後の早朝。
「──……ん、んん……?」
閉じられた窓の隙間から差してくる目映い朝日が目蓋を叩き、フェアトが目を覚ます。
服装は、ちょうど二十四時間前と同じ。
お腹の辺りにかけられたシーツを掴みながら、むくりと上半身を起こしたフェアトは。
「……っ、あ!? 私、寝ちゃって……!」
何であれば、ポールが薬を持って出ていった後、続いて部屋を後にして薬の散布や病人の治療を手伝おうと考えていたのに、いつの間にか床に就いてしまっていた事を悔いて。
私の馬鹿──と軽い自責の念に駆られていたそんな時、部屋の扉が音を立てて開いた。
「──お、やっと起きたかい? フェアト」
「ガウリア、さん……」
『りゅーっ!』
「シルドも……おはようございます」
そこには、おそらくフェアトの清拭でもしようとしてくれていたのだろう、ほかほかと湯気が立つお湯の入った桶と白い布を持ったガウリアと、その肩で羽を休めるシルドがおり、ひとまずフェアトは朝の挨拶を交わす。
それに対してガウリアが『あぁ、おはようさん』と返し、シルドが未だにベッドに腰掛けたままのフェアトの太腿辺りに降りる中。
「……ポールさん、まだ戻ってきてないんですね。 あれから、どうなったか聞いても?」
「あぁ、まぁ色々あってねぇ──」
ふと、この場にポール一人だけが居合わせていない事に気がついて、あの後どうなったのかと素直にフェアトが聞いたところ、ガウリアは布をお湯で濡らして適度に絞り、それをフェアトに手渡してから語り始めた──。
あの後、一度だけフェアトの様子見と現状報告を兼ねて戻って来ていたポールと、そんな彼がつらつらと語ったパラドの今の話を。
起きた出来事は大きく分けて、三つほど。
・ポールから受け取った薬を魔導師団が一日弱で量産し、パラド全域へと散布した事。
・その結果、パラドに蔓延していた疫病は根絶し、これ以上の被害は出さずに済む事。
・とはいえ、まだまだ疫病の罹患者は数多く、アイザックを始めとした魔導師団やポールは、この街の為に尽力しているという事。
「──てなわけで、もうこの街は疫病の脅威に晒される事ぁなくなったそうだよ。 つってもまぁ、まだ病人は掃いて捨てるほど居るから万事解決たぁなってないらしいけどねぇ」
「なるほど……」
以上の事から、まだ完全に救われているというわけではないものの、この先パラドの街が国から隔離されるような事態にはもうならないから大丈夫だと語り終えたガウリアの言に、フェアトは身体を拭いた布を置きつつ。
「……外、出ますか。 私はともかく、シルドなら役に立てると思いますし。 ね、シルド」
『りゅう!』
「ったく、お人好しだねぇ」
全てが救われていないというのなら、シルドの力を必要とする人たちも居る筈だと立ち上がり、そうして声をかけてきたフェアトに応えたシルドの妹コンビの献身に、ガウリアは呆れと感心の混じった溜息をついてから。
「ま、出るなら出るで覚悟はしときなよ。 何しろ、ポールは有言実行の男だったからね」
「? どういう──」
それはそれとして、もし本当に手伝いに出るつもりなら、ガウリアが語った三つの出来事とは別に起きた出来事──ポールが起こした出来事について覚悟はしておけと告げて。
されど、いまいちピンときていなかったフェアトが困惑しつつも、ひとまずその隙間から朝日が差していた窓のカーテンを開けた。
──その、瞬間。
「──……えっ?」
自分の視界に映る光景の異常さに、フェアトは更なる困惑の感情に囚われる事となる。
その光景とは、ずばり──。
『──あっ!? お、おい、あれ……!』
『あの娘か!? あの娘がそうなのか!?』
『馬鹿お前、あの方だろうが!』
『そうよ、この街の救世主なんだから!』
『確か名前は──……っ、そうだ!』
『『『──フェアト様ぁああっ!!!』』』
「な、何事ですかこれは……」
偶然にも、フェアトが顔を出した瞬間を目にした一人の男性が勘づくやいなや、リハビリも兼ねて歩いていた街の人々や、この宿の近くに住んでいる人たちが次々と反応して。
最終的に、二・三十人近くの人たちが満面の笑み、もしくは熱い涙を流しながらフェアトへの感謝を込めて叫ぶという、まるで凱旋パレードの様な光景が出来上がってしまい。
何がどうしてこうなった、と困惑に困惑を重ねまくっている様子のフェアトに対して。
「ポールが言ってたろ? 『フェアト様の功績によるものである』、と必ず伝えるってさ」
「だからって、ここまで……?」
有言実行──要は『あの薬を手に入れたのはフェアトであり、フェアトこそが疫病根絶の立役者だ』と、アイザック率いる魔導師団のみならず、パラドに住まう人々全てに伝えたが為に、こうなっているのだと説明する。
しかし、フェアトはいまいち要領を得ず。
確かに、あの薬を散布する寸前まで死の淵に居たという人たちもいるだろうし、かの疫病のせいで命を落とした者の遺族からすれば仇を討ってくれたも同然なのかもしれない。
だが、それでもここまで狂喜乱舞するほどの事なのだろうか、と疑問符を浮かべる中。
そんなフェアトの胸中を察したガウリアの表情から、すとんと笑顔が抜け落ちて──。
「……これは悪口じゃないけどね。 あんたにゃ分かんない事なんだよ、この街の連中が苛まれてきた疫病による痛みや苦しみなんて」
「……それは、そうでしょうけど……」
結局、疫病どころか一般的な病にさえ罹った事がなく、あまつさえ痛みという感覚すらも未体験のフェアトには、パラドの住人たちの心身を蝕んでいた痛みを本当の意味で理解する事はできないのだと少々棘のある言葉で以て、ガウリアは少女を納得させようとし。
霊人以上に人外じみているのだから──そんな風に言われた気がしたフェアトが珍しく拗ねたような表情を見せたからか、ガウリアは再び笑顔になって少女の背中に手を当て。
「あの連中は全員、心からあんたに感謝してる。 それくらいは流石に分かるだろう? あれは、その感情の表れさね。 応えてやんな」
「……こんな、感じですか?」
『『『うおぉおおおおっ!!!』』』
『『『わあぁああああっ!!!』』』
「あ、おぉ……どうも……」
人々の声に応えてやるのも救世主の役割の一つだ、とガウリアに言われたフェアトがスッと右手を振っただけで、それを見ていた住人たちは一斉に歓喜の声を上げてみせ、そのあまりの勢いにフェアトは押されるばかり。
……そんな喧騒の中で、ふと思った。
ふと、思ってしまった。
「……こんな事、言いたくないんですけど」
「ん?」
この状況は、まるで──……そう。
「教祖にでも、なってしまった気分ですよ」
「あー……そりゃあ、悪かったね」
「……ガウリアさんのお陰で、あの人たちの気持ちは理解できる気もするんですけどね」
とある宗教の頂点に立つ教祖のようだ、と思ってしまった事を口にしたフェアトに、フェアトの事情をある程度にとはいえ知っていたガウリアは申し訳なさそうに長髪を掻き。
彼女からの謝罪を受けたフェアトは苦笑を浮かべて許しつつ、この瞬間も宿の外で自分を待つ人々の元に向かう為、扉へと向かう。
そして、その扉の先にある廊下をゆっくりと歩きながら、ふと窓に映った空を見上げ。
(……こっちは解決しましたよ、姉さん。 そっちも、大丈夫──……ですよね? きっと……)
馬車でも一日・二日はかかるだろう遠く離れた地で戦っている筈の姉を、深く案じた。
期待より不安の方が大きかったから──。