序列一位に質問したい? だったら──
あまりにも唐突に、スタークの何気ない思いつきでシュパース諸島に呼び出されたアストリットは──。
「──……何で一緒に釣りしてんだ、あたしらは」
何事もなかったかのように海に面した岩場で釣りを始めたスタークの隣で、いつの間にか手にしていた彼女の瞳と似た紺碧の釣り竿を使って釣りをしている。
あの場面の後なら、スタークからの問いに答えるか否かというアストリットからの嘲笑を受ける事で、あわや再戦となったとしても不思議でないというのに。
「いいじゃん別に。 ボク、あの頃は一度も城から出なかったんだよ? 当然、釣りだって未経験なんだから」
「……んな事ぁ聞いてねぇんだがな」
我ながら物騒な思考してんな──と、そんな事を考えていたスタークに対し、アストリットが八歳の少女そのままの幼気な笑みとともに『キミが釣りをしようとしてるのは知ってたから』と自らの力をアピールしてくるも、『そうじゃない』とスタークは首を振る。
何せ、アストリットは【全知全能】と名づけられた全てを知り全てを能う力を持つ称号を賜っており、たった今この瞬間もスタークが口にしている事はおろか無意識下で考えている事も読み取る事が可能という。
並び立つ者たちの頂点だった魔族なのだから。
「……あたしが何を思って呼び出したかも分かってんだろ? さっさと終わらせて、あたしは趣味を──」
ゆえにこそ、こういったスタークの意見も間違いなく先読みでき、それに対応できる筈ではあるものの。
「……ふふ、やっぱり鈍いね。 キミは」
「あ?」
当のアストリットは何やら思わせぶりな笑みを浮かべつつスタークを鈍感扱いしており──扱いも何も完全なる鈍感なのだが──それを受けたスタークが若干の苛立ちとともに彼女の二の句を待ってみたところ。
「もう戦いは始まってるんだよ、その名も──」
ちょこんと子供らしく足を投げ出す姿勢で岩場に座って釣りをしていた彼女が、そんな事を言いながらも立ち上がり、おもむろに息を吸ったかと思えば──。
「──『序列一位に質問したい? だったら権利をその手に掴め! ビッグな獲物を釣り上げろ!』ってね!」
「……は、はぁ?」
歌劇か何かかというほど大袈裟な身振り手振りを交えるばかりか、おそらく彼女の魔法によるものだろう小規模の音玉まで発生させたうえで、おそらく戦いの題目である口上のようなものを得意げに発表してきたアストリットに、スタークはこれでもかと困惑する。
「つまりは“釣り勝負”だよ! どうせ普通に戦うんじゃあボクには勝てないでしょ? それならキミの趣味で勝負して、キミが勝ったらぜーんぶ答えてあげよう!」
「……何とも引っかかる物言いだな。 だが──」
そんなスタークに対し、アストリットが右手の細く白い人差し指をピンと立てて説明し始めたが、その説明から自分を見下す感情を読み取れてしまい、ゆえに目の前の八歳児を全力で睨みつけてはいたものの、それはそれとして彼女なりに思うところがあるらしい。
(……悪くはねぇ。 趣味を全うできて、おまけに勝てば知りてぇ事も聞ける。 ただ一つ気になんのは──)
何しろ、その戦いとやらに勝とうが負けようが釣り自体はでき、もっと言うと勝つ事さえできれば当初の目的も問題なく達成できるのだから良い事づくめだ。
……と、この状況下でそんな楽観的な考えだけを広げていられるほど、スタークの頭はお花畑ではない。
だから、これだけは確認しておかなければ──。
「……お前が勝ったら、どうすんだ」
「あぁ、それはね──」
そう考えた彼女の口から発せられたのは、どうにも消極的ともとれる『自分が負けた時の代償』についての話であり、もちろん先読みができていたアストリットは『待ってました』とばかりに顔を近づけてから。
「フェアトを何日か貸してくれない? もちろん今日や明日とかじゃなくて、いつでもいいからさ。 駄目?」
「あ"ぁ……?」
スタークを──ではなく、スタークの双子の妹であるところのフェアトを数日でいいから貸してほしいという要求に、スタークの表情には途端に影が落ちる。
やはり大切に思ってはいるのだろう事が窺えたが。
「……目的は? それが言えなきゃ貸し出せねぇが」
「それは、ちょっと話せないなぁ。 キミには特に」
「……」
それはともかく、これといった目的もないのに貸し出す事はできない──と双子の姉として告げたはいいものの、その羅針盤のような模様が刻まれた紺碧の瞳を細めたアストリットは目的を話す気はないと断言。
目の前で仄暗い気迫を纏う少女から視線を外さぬまま、スタークは脳内で自分なり思考を巡らせており。
以前、彼女がアストリットと戦った末に一週間ほど意識を失っていた間、何やらアストリットがフェアトを──というより、フェアトの力を解析及び研究したそうにしていた事を何とか思い出せていた為、可能ならその要求だけは拒否しておきたいのも事実だった。
何日か──と具体的でないのも嫌な予感がする。
しかし、それ以外に序列一位が満足する要求など彼女には思いつかないし、そもそもそんな要求が存在するかどうかも分からないからこそ、スタークは──。
「……あいつが『いいですよ』っつったらな」
序列一位からの要求を、やむを得ず呑む事にした。
……後で許可を取ると暗に告げて。
「よし、交渉成立だね!」
「で、勝負の内容は?」
それを聞いたアストリットは嬉しそうに指を鳴らして笑みを浮かべており、そんな元魔族に構う事なくスタークがこれから行う勝負の内容について尋ねると。
「最初に釣った魚が大きかった方の勝ち──どう?」
「……普通だな。 まぁ、いいが」
思いの外、何でもない決着方法が序列一位の口から飛び出してきた事により、スタークは少しだけ呆気に取られはしたものの、とりあえず了承したのだった。
その後、公平を期すべく投げていた釣り糸を手元まで戻した二人は、いよいよとばかりに顔を見合わせ。
「よーし、それじゃあ──始めっ!」
「っと」
『りゅっ!』
ほぼ同じタイミングで釣り竿を振り上げ、しなる竿と同じ色の細い糸の先に取り付けられた擬似餌を遠くの方へ投げるのを皮切りに、二人の勝負が始まった。
ちなみに、スタークの──というか釣り竿と化したパイクの擬似餌は小さな小さな竜のような形であるのに対し、アストリットの擬似餌は透き通った紺碧の球体の中に羅針盤が浮いているが如き意匠の物である。
「ふっふふーん♪」
勝負が幕を開けてすぐ、つい先程までと同じように座り込んで釣りを始めたアストリットが呑気に鼻歌なんて歌いながら楽しげに獲物を待ち侘びる一方──。
(──釣りは良い)
スタークは、あの辺境の地だけでなく──この地でも釣りができる事自体を心から喜ばしく思っていた。
(師匠が言ってた身体の制御に役立つってのは確かにあるが……それ以上に、この世界で一番でっけぇ存在に釣り竿越しで触れてるっつー感覚が何とも言えねぇ)
彼女にとっての釣りとは妹との手合わせや新しい必殺技の開発を除く、たった一つの趣味であるとともに修行以外でキルファと繋がる為の機会でもあり──。
また、あの頃は身体の制御が上手くいかずボロボロだった自分に師匠が教えてくれた慣らしの一つであると同時に、たった今この瞬間も目の前に広がる雄大な青い自然に触れられる数少ない手段でもあったのだ。
(始めたのは八年前だが──また負けんのは嫌だな)
もちろん年齢が年齢であるゆえ、そこまで長く続けているわけでも仕事にできるほど腕が良いわけでもないが、だからといって二度目の敗北だけは避けたい。
そんな事を考えていた彼女の腕に──振動が走る。
『──!? りゅうっ!!』
「っ、そこそこ重いな! 大物か!?」
それと同時に、パイクが何かを伝える為に甲高い鳴き声を上げたのも後押しして、まず間違いなく大物が掛かったのだとスタークは判断して歓喜したのだが。
『りゅ、りゅうぅ!!』
言葉が伝わらずとも否定しているのだと分かるくらいの必死な鳴き声を、パイクが付け加えてきた事で。
「違ぇのか!? つっても、この凄ぇ引きは──」
「……」
どうにか否定を察せられても、スタークの腕には今まで感じた事のない確かな重みがあり、それを加味すると何かしらの獲物が掛かっているのは間違いない筈だが──と、そんな風に思考を巡らせている一方で。
(一体どんな確率で……まぁでも、ちょうどいいかな)
この状況でも全く動じる事なく座ったままの姿勢を維持していたアストリットは、スタークが釣り上げようとしている獲物の正体を【全知全能】の力で看破したうえで、ほんの少しの──『呆れ』を見せていた。
何せ、たった今スタークと格闘しているのは──。
あの時の鮫や蛸や烏賊と同類の魔物なのだから。
この広い海の中で『あれ』に二度も遭遇し、それを釣り上げるなんて──と、【全知全能】を持ってしても若干の驚きを余儀なくさせるほど星の巡り合わせが良いのか悪いのか分からないスタークに対して、アストリットは前もって決めていた策を実行せんとする。
「あれー? ボクのも引いてるなー。 もしかして、これってスタークのと同じ魚に引っかかってないかなー」
「はぁっ!?」
その策とは、スタークが釣り上げようとした獲物に自分の釣り竿の針を引っかける事で、『互いに勝ちで互いに負け』だという風な引き分けを演出し、フェアトの貸し出し期間を数日から一日に縮めて確実に貸してもらえるようにするという巧妙かつ狡猾なもので。
「おい、横取りなんて狡い真似すんじゃねぇぞ!?」
「そう言われてもなー」
「……っ! あぁもういい! 勝手にしやがれ!!」
それに気づいているのかいないのか──いや、おそらく気づいていないだろうスタークが声を荒げはするものの、アストリットのあからさまな棒読みはとどまるところを知らず、スタークは苛立ちながらも諦めて今も海に引きずり込もうとする獲物との格闘に戻る。
別に、たった今この瞬間も腕にかかっている重みに耐えられそうにないとか、これほどの重量を誇る獲物って一体どんなやつだという不安があるとか、そういった機微はスタークの中には何一つ存在していない。
ただ、あの辺境の地に住んでいた頃は母が鉱人に作らせたという頑丈な釣り竿でさえ、スタークの馬鹿力の前では一振りすら持たないというのが常だった為。
「昔は身体と釣り竿が壊れちまわないようにって加減させられてたがなぁ……! 今のあたしには全力を出しても壊れない身体と釣り竿がある!! だからぁ──」
未熟だった頃を振り返りながら──まぁ今でも成熟しきっているとは思ってないが──あえて左手を自由にし右手だけで釣り竿を握って思い切り振り抜いた。
「──釣れねぇやつなんざ! いねぇんだよぉおお!」
あわや、フェアトやシルドが寝ている筈の宿まで届くのではという叫びの通り、パイクが変化した釣り竿の先には獲物が釣れていたし、まず間違いなく大物だったのだが──それを釣果と言えるかどうかは不明。
『────!? ────……ッ!!』
「……はぁっ!? 何だこりゃあ!?」
何故ならば、スタークが釣り上げたのは明らかに普通の魚などではなく、ましてや魔物としても異常な体軀を誇る──上顎が剣のようになった魚類型の魔物。
「“重旗魚”──魚類型では最重量を誇る魔物だよ」
「最、重量……! 道理でなぁ……!」
重旗魚──未発見の種も山ほどいるだろうといわれている海において、それでも重旗魚に勝る質量を持つ魚類型は今後現れない筈だといわれる超重量の魔物。
その巨体の殆どは筋肉で構成されている為に肥満というわけではなく、いくら浮力のある海とはいえど本来なら泳ぐ事もできず沈んでいく一方である筈なのだが、この種は水以外に風への適性をも持ち合わせており、それによって海流を発生させて泳いでいるのだ。
基本的に出生後は単独で行動するものの稀に群れで移動する事もあり、その肉は筋っぽくも非常に栄養価が高く美味である事から漁師の狙いの的なのだとか。
(魔導漁船が五隻くらい集まらないと牽引すらできない魔物を……分かってたけど、ここまで馬鹿力だとはね)
しかし、それでも魔力を動力とする大きな漁船が五隻は必要なほど重く、そして馬力もある為に重旗魚を一匹漁獲するのに毎回、一隻か二隻ほどの魔導漁船か竜覧船が犠牲になってしまうと知っていたアストリットは、スタークの馬鹿力に──ちょっと引いていた。
『────……ッ!!』
そんな折、海上高く釣り上げられた重旗魚はといえば、その特徴的な上顎に何やら青と緑の魔力を纏わせており、よくよく見ると水と風の【棘】だと分かる。
その質量を活かし、スターク目掛けて落ちていく。
「一丁前に狙い定めてやがんのかぁ!? いい度胸してんじゃねぇか!! あたしが活け締めしてやるよ!!」
さも的当ての的だと自分を見立ててきている──そう悟ったスタークは怒るでも怯えるでもなく、むしろ高揚していく感情を抑えきれず釣り竿を放り投げて跳び立ちつつ数ある必殺技のどれを放つか考えた結果。
「せっかくだ! 師匠の技で決めてやらぁ!!」
久しぶりに師匠に会えたという事もあり、せっかくならキルファが得意としていた技を見様見真似で試してみようと思いつき、スタークは両の指に力を込め。
「ジェノム流──【虎獣爪撃】!!」
彼女の必殺技の一つである【迫撃両爪】ともまた違う、【癒】無しでは傷が消えないとまでいわれる虎獣人の爪撃を再現した十の巨大な斬撃が重旗魚を襲う。
尤も、スタークは別に虎獣人に姿を変えたりはできない為、『ジェノム流』は言ってみただけなのだが。
『────……ッ!? ────……』
とはいえ、ただひたすらに斬り裂く事に特化したその一撃は重旗魚の命を奪うのに充分な威力であり、それを直に受けた重旗魚は自分に何が起こったのかを把握すると同時に──そのまま絶命して落下していく。
斬撃兼打撃でもある【迫撃両爪】とも、その身を真っ二つにする事にのみ特化した【大鎌縄打ち】とも違う何とも均等なブロック状の赤身魚肉の雨となって。
「っし! あの鮫は消えちまったが、こいつは──」
それから、ゆっくりと重力の赴くままに落下していたスタークが勝利を確信しつつ、あの時の村鮫は原因不明の消失をしたものの今回は大丈夫だろうと──。
「……はっ!? おい、こいつもかよ!?」
……踏んでいたようだが、スタークの言葉にもある通り残念ながら重旗魚の死骸も一つ、また一つと海に落ちる前に灰となり海風に浚われて消えてしまった。
これで当分、食糧には困らないと思っていたのに。
『りゅあー……』
その異様な光景を、すでに釣り竿から小さな竜の姿に戻っていたパイクは何やら思考を巡らせながら見上げていたのだが、そんな彼女に近寄る影が一つ──。
「……ふふ、キミは勘づいてるんだねぇ」
『!? りゅう……っ!!』
もちろん、その影がアストリットである事は言うまでもなく、【移】でも使ったのかというほど音も立てずに近寄ってきた少女をパイクは最大限に警戒する。
何せ、この少女は魔王を除けば最強だった魔族。
警戒して損をする事など、まず間違いなく無い。
「キミの考えで合ってるよ。 あの重旗魚も、そして昼間にスタークたちが討伐した三匹の魔物たちも──」
そんな中、警戒心を剥き出しにするパイクに一つも言及しないばかりか、アストリットは【全知全能】でパイクの思考を読み取ったうえで、あの重旗魚と村鮫や焼蛸、穂先烏賊は同類であったと明かすとともに。
「同じ並び立つ者たちさ──切れ端だけど、ね」
『りゅう……!?』
何かを本体とした──ただの切れ端だと口にする。
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