「一石を投じる」
「そこで自分は、この停滞した市場の打破に一石を投じるべく、このプランを考えたワケでして……!」
「あー、もういいや。めんどい。下がっていいよ水谷」
「部長……!」
「変なルビ振るの止めい」
俺がこの一週間で必死に考えた珠玉のアイディア。
それは、部長の「めんどい」の一言で却下された。
◆◆◆
「んで、結局見向きもされなかったわけか」
「はぁ。やってられないよ」
仕事が休みの日。
しがないサラリーマンの俺は、同僚の山本を連れて近くの湖に釣りに来ていた。
釣りは俺と山本の共通の趣味で、暇なときはよく一緒に釣りに行く。
この湖は街中にあるにもかかわらず、周りが豊かな自然に囲まれている。リラックスにはもってこいだ。魚も多いので絶好の釣りポイントなのだ。
とはいえ、俺のアイディアが却下された傷跡は大きく。
大好きな釣りをもってしても、まだまだダメージは癒えなかった。
「今となってはもう、あの時の自分の言葉が、自分で馬鹿馬鹿しく感じる。なーにが『一石を投じる』だよ……」
そう言って、俺は足元に落ちている石を拾って、湖に投げた。
ちゃぽん、という音と共に、石が投げ込まれた場所から水の波紋が広がっていく。
隣で釣り糸を垂らす山本が、むすっとした表情で俺を見る。
「なにすんだい。魚が逃げちゃうだろ」
「まぁ聞いてくれ山本。『一石を投じる』っていうのは、意見一つで環境や人々の意見に影響を与えるっていう意味なのは知ってるよな」
「お、おう。なんだいきなり」
「その由来は、こうやって水の中に投げ込まれた石が波紋を起こし、周囲に広がっていく様を例えているんだとさ。けれど現実は、波紋が広がってそれっきりだ。投げ込んだ石は水の中に沈み、後には静かな湖が広がるのみ。俺のアイディアなんて結局、湖の中に無数に沈む石の一つに過ぎない、陳腐なものなんだろうなぁって」
「沈んでんのはお前の心だろー。まぁ聞け。お前、それは石を投げる場所が悪いよ」
「はい? 石を投げる場所?」
山本の言葉に、俺は首を傾げた。
石を投げる場所、とはどういうことか。
抽象的でいまいちピンとこない。
「俺はさ、そういう石を投げる時は、湖の中じゃなくて、山の上から転がせばいいと思っている」
「山の上から?」
「おう。山登りする時にさ、こんな注意は聞いたことないか? 『坂道から石を蹴落としてはいけない。その石が転がっていって、さらに大きな石に命中し、その大きな石が転がって、よりさらに大きな石に命中して……繰り返すことで大きな落石になる』って」
「ああー、なんか聞いたことある」
「お前がやろうとしたことはさ、石ころ一つで湖の現状をひっくり返そうとしたのと一緒なんじゃないか? 湖に波紋を広げるんじゃなくて、石ころで湖を消滅させようとした、みたいな。いくら自信があったといはいえ、いきなり部長に直談判なんて、ハッキリ言って無謀だぜ?」
「ひ、否定できねぇ……」
「それよりまずは、小さな石で少しずつ大きな石を転がしていって、地道に物事を進めていくのが大切だと思うね。つまりお前は、部長に直談判する前にまず賛同者を集めるべきだったと思う。地盤を固めておけば、部長も一秒で首を横に振るなんてこともなかったんじゃないか?」
「はー。そういう考え方もあるのかぁ」
「言葉ってのは面白いよな。ちゃんと決まった由来と意味があっても、捉え方やもじり方次第で大きく意味が化ける」
「本当にな。ああくそ、こんな話が聞けるんだったら、お前にだけでもまずは相談しとけばよかった」
そう言って、俺はもう一度足元の石を拾って、湖に投げた。
隣の山本は、それを見て鼻で苦笑いしていた。
……だがその時だ。
俺が石を湖に投げ入れた瞬間、湖に異変が起こった。
なんと、湖の中の魚たちが、湖面からバシャバシャと飛び出してきたのだ。
小さく跳ねては水の中に潜り、また小さく跳ねる。
それを、およそ数百匹の魚たちが繰り返し行う。
俺たちから見たら、それはまるで湖が沸騰して泡立っているかのような光景だった。
「え、ちょ、ま、何? 何だコレ? え? 何だコレ?」
「うわ、わ、わ、うわ、ヤベェなこれ。動画撮らなきゃ……」
俺は唖然として、目の前の異常な光景に目を奪われる。
山本は、この光景を動画に収めるべくスマホを探し始める
しかし程なくして、魚たちは大人しくなった。
「あ、ああ……。動画、間に合わなかった」
「……ふ、ふふ。ふふふ……」
「何笑ってるんだ水谷。俺が動画を取り損ねたのがそんなにおかしいか」
「いやゴメン、そうじゃないんだ。けどさ、俺が湖に一石を投じたら、湖がひっくり返るような出来事が起きたぞ」
一石を投じたら、波紋が広がる以上のことが起こった。
俺が石を投げたのが魚たちに取ってそんなに気に入らなかったのか、それとも別の理由があったのか、それは分からない。
果たして、俺が投げ入れた石が引き金になったのかさえ分からない。
けれどこの際、事実はもはやどうでもいい。都合よく受け止めさせてもらうことにする。
「こんな大きな湖の中に、あんな小さな石ころを投げただけで、湖がひっくり返った。何が起こるか分からないな、人生って」
「小さな石ころも馬鹿に出来ないな」
「それで思ったんだけどさ。お前が言うように地道にやるのも大事かもしれないけど、俺が目指したみたいに小さなアイディア一つで大逆転できるような展開があっても良いんじゃないかなって」
「まぁ、良いんじゃないの。俺も応援するし」
「よっしゃ、こうしちゃいられない。早速家に帰って、アイディアの修正案を練ってみるか!」
善は急げとも、思い立ったが吉日とも言う。
俺はすぐさま荷物を片付け、乗ってきた車に放り込んだ。
そして運転席に座り、エンジンキーを差し込む。
アクセルを踏んで、自宅へ向かった。
今なら何でもできそうな気がする。
この高揚感を、一秒でも無駄にしたくなかった。
「おーい待ってくれ水谷ー。俺はお前の車に乗せてもらってここまで来たんだがー。置いてかないでくれー」
◆◆◆
石ころを投げる程度の気持ちで起こした行動が、多くの誰かに影響を与えることがあるから、世の中というのは面白いと思うのです。
誰も手をつけていない仕事で成功した人や、ツイッターにアップした漫画がバズる人。このなろうにおいても、作品が予想外に大きな反響を呼んだ人を見るたびに、そんな風に思います。
それは、正直に言ってとても羨ましいものですが、同時にとても素晴らしいものだと自分の眼には映るのです。
小説を読むのが専門の方。
小説を読み過ぎて、独自の創作アイディアが自分の中で疼いてはいませんか?
自分でも作品を書いてみたいけど、難しそうだとは思っていませんか?
何か大きな夢を持っている方。
目指す夢が大きすぎて、押し潰されそうになってはいませんか?
やる前から諦めかけてはいませんか?
まずは、小さな石ころ一つ投げる程度の気持ちでいいと思うのです。
小説を書くにせよ、大きな仕事を成すにせよ。
石を投げなければ、何も始まらない。
あるいはそれが、現状をひっくり返すような何かになるかもしれませんよ。
世の中にとっても、あなた自身にとっても。




