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エピローグ


 夜の山道を、懐中電灯を頼りに登っていた。

 昔はあれだけ怖かった夜の闇も今ではほとんど怖くない。

「うん。うん。それで? へー」

 電話の向こうの葉子に適当な相槌を打っていく。互いに一人暮らしを初めて、大分経つのに学生じゃなくなった今でも週一で愚痴の電話が飛んでくる。職場の話から友達のことまで実に色とりどりだ。

『てかあんた、随分息切らしてる何してるの?』

「山登ってる」

『山ぁ? こんな時間に? あーそっか、夏だもんね。ホント毎年毎年よく行くよ』

「仕事の一環でもあるからね」

『何が仕事の一環よ。あんたの職場から見た方が百億倍は綺麗に見えるでしょうが』

「はは、まぁね。でもここで見たいんだよ」

『あ、そう。こだわりが強いんだから。こだわりが強い男は結婚出来ないわよ』

「葉子には言われたくないね。少しは危機感持ったら?」

『うっさい! そういうことに繊細な歳になるんだからやめなさいよ!』

「はいはい。ごめんごめん。それじゃあそろそろ電波の届かない所に入るから切るよ」

『あ、ちょっと待って』

 圏外にならないように足を止めた。

 電話越しからでも伝わってくる緊張の間。葉子の吐息が準備を整え、吐き出される。

『今日ね。 ――された』

「え? 何? 聞こえない」

『……プロポーズされた』

 いずれそういう報告がされるだろうと思っていたけど、想像してたよりあっけなくされたのもあって、少しだけ驚いた。

「そっか。それで何て答えたの?」

『前向きに検討するから、もう少しだけ待ってって』

「ぷっ、なんだよそれ」

『だって、だって、結婚って改めて考えると意味分かんなくない!? 資産とか時間とか空気とかそういうのをずっと共有するんだよ!? 全然合理的じゃないじゃん!? 子供とか作らないといけない義務感とか湧くし、一人の時間も減っちゃうし、それに』

 早口で捲し立てる葉子の名前を呼んで制止させる。

「おめでとう。良かったじゃん」

 さっきの間とは意味が違う間があった。心を整理させる間だろうか。しばらくして向こうで「うん」と頷く気配がした。

『あんたに報告して、おめでとうって言われる日が来ると思わなかった』

「そう? 僕は高二の時からいつかこういう日が来るんじゃないかなって思ってたよ」

『何それ』葉子が笑った。

「そろそろ切るよ。見逃しちゃう」

『あ、うん。ごめんね、ありがと』

「またね」と言って、電話を切った。通知が一つ来ていた。歩きながら確認する。浩介からだった。

〈先生! 次いつ来てくれんの!? テスト近いから早めにね!〉

 僕が高校三年に進級する少し前だった。あの青春アレルギーだった山ちゃんが結婚した。苗字が波島に変わって、おいおい、と思っていると産休に入って、僕が卒業する少し前に復帰した。生まれた子供の名前を訊くと、浩介にした、と答えて流石に苦笑いをしたのを今でも覚えている。

 僕より十六個も年下になってしまった浩介も今年で高校二年になった。押し入り強盗が入っただとか、秘密警察だとか、そういったゴタゴタもなく、楽しそうに毎日過ごしているようだ。

 皆順風満帆で少し羨ましい。

 そんな僕はというと天文台の職員になっていた。かつての僕は教師になったと言っていたが、彼と僕では時代が違う。彼も追い求めていたであろう宇宙の探求を僕は選び取ることが出来た。ここだけ切り取ると、夢だった職業につけて大成功のように思えるが、客観的ではなく主観的に見れば、常識の通用しない宇宙の凄さに日々悪戦苦闘している。

 夢だったものに近付けば近付くほど、色褪せて見えてしまう。夢と現実のギャップに打ちのめされてはいるが、それでもやりがいを持って続けられている。

 坂を登り切り、見晴らしの良い場所に出た。

 二人がけのベンチが一つ。崖際の柵の向こうには僕達の街が一望出来た。

 ここの景色は何年経っても変わらない。いや少し人工の光が増えたかもしれない。

 ベンチに腰掛け、誰もいない夜空を独り占めする。

 十六年前の十五年後の人達は、戦争がなくなって今幸せに暮らしているだろうか。

 僕はいつも何かに想いを馳せる。誰かのこと、これからのこと、あの人のこと。

 七月二十八日の夜八時。

 星も見えない真っ暗な空に流れ星が瞬いた。みずがめ座デルタ南流星群。

 小さい頃、葉子と一緒に見た流星群。その十年後、あの人とまた一緒に見ようと約束した流星群。流星群の中でもあまり頻繁に流星が見られる種類ではない。

 流星と流星の間隔が長く、僕は誰もいないのをいいことにベンチに寝そべった。

 宇宙の広大さからすれば、人間なんて定規では測れない程に小さな存在だ。そうやって物事を俯瞰して考えれば、悩みとか燻りなんてのはどうでもいいものに思えてくる。

 瞼が重く、あくびを掻く。

 心地良く夢と現実の間を行き来し始めた時だった。

 不意にあの夏の日に幾度となく感じた、あの違和感に襲われた。

 寝そべっていたはずの僕はベンチに腰掛けていた。何が起きたのか分からない中、視界の隅がチカチカしていることに気付いて、視線を上げた。

 流星嵐だった。

 何百という願いの粒が夜空を駆け抜けていく。花火より小さく、短い存在なのに、いやだからこそ、儚さが際立った奇跡の連続だからこそ、夜空を埋め尽くしたその光景は、万人の心を鷲掴みにする。

 見惚れていて、ふと我に返った。

 ただの気まぐれだった。ただの思いつきで、冗談半分で、口にする。

「宇宙人に会えますように」なんて。

 人気のないこの場所で後ろから足音がした。十六年通ってそんなことは一度もなかった。

 振り向いて、呆然とした。

 昔、約束をした。どんな文言だったかなんて昔過ぎて、詳細なことは忘れてしまった。でも胸に残る確かに約束した感触。一つ目は一緒にまた流星を見ようというもの。二つ目は、うん、一つ目よりもハッキリと覚えている。

 さて、さしあたり第一声は何しよう。

 久しぶり? 十六年ぶりだね? 何か違う。

 まぁ何でもいいか。話したいこと、言いたいことは山ほどある。

 僕は立ち上がって、半泣きの彼女に言った。

 

 ――おかえり。

 ――ただいま、です。

もし最後まで読んで頂いた方がいらっしゃったらありがとうございます。


かなりの長丁場だったと思います。


宜しければ最後まで読んだその熱量をもう少し振るい、評価と感想を頂けたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

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