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第五話 星に願いを、また会えますようにと


 去年、七月のことだ。移動教室での授業を終え、浩介と一緒に教室へと戻っていると

「おい見ろよ」と浩介が指を差した。

 その先、掲示板には【第三回 星を見る会】なるポスターが貼られていた。

 主催者は理科の松平。

「どうせまた松平がウンチクを言って気持ちよくなるためのものだろ。誰が行くんだよ」

 浩介は鼻で笑っていたが、僕は少し興味があった。

 いつからか、たぶん葉子と流星群を見に行って以来、星への興味が尽きなくなっていた。

 昔、親にねだって買ってもらった望遠鏡でも最近は全く星を見なくなっていた。たまには星を見たいなと思い、僕は浩介にも葉子にも内緒で星を見る会に応募することにした。

 

 夏休みが始まり、数日後の夜八時。

 集合場所である職員用駐車場に着くと、松平の姿と他四人の生徒の姿があった。

 在校生が七百人近くいる高校なので、もっと多いのかと思いきや想像以上の少なさで僕の緊張はすぐになくなった。松平曰く、例年の二倍以上の人数らしかった。

 友達と参加したであろう眼鏡の女子二人と、俺は闇属性だぜと言わんばかりのクラスで浮いてそうな男子が一人、そして色白の可愛らしい子だった。

 可愛いくせに星も好きなのかよ、と既に興味以上の関心を寄せていた。

 近くの山まで移動するらしく、僕達は松平が用意した車に乗り込んだ。

 車内は奇妙な空間だった。運転席で誰も聞いていない宇宙のウンチクを垂れ流す松平。後部座席でずっと喋っている女子二人とその隣で一人でぶつぶつ言っている男子。更にその後ろの席で僕はさっきの色白の子と隣同士で座っていた。

 色白の子は外を見ているのか、真っ黒な窓ガラスを眺めている。僕はそれに反射するその顔をチラチラと見ながら、数十万する松平の望遠鏡を抱えていた。

 気まずい。何か話した方がいいだろうか。

 そんなことを考えている内に約二十分の移動を終え、僕達は森に囲まれた駐車場に到着した。更にそこから五分程坂道を登ると、丘の上に出た。

 二人がけのベンチが一つ。崖際の柵の向こうには僕達の街が一望出来た。

 都会ではないが田舎でもない。変哲もない住宅地。百万ドルの足下にも及ばないが、だけどそれ故にお金には換算できない暖かな光が眼下に広がっていた。

 女子二人が凄いとか綺麗とか言っていると、松平が

「夜景を見に来たわけじゃないぞ」と一人で天体観測の準備に励んでいた。

 その間、僕は星を見上げていた。

 田舎のお婆ちゃん家までとはいかないが、自宅のベランダよりはよく見えた。とはいっても期待していたよりは見えなかった。光害の影響もあるだろうが、そもそも夏だからというのもあるだろう。見えるのは夏の大三角形ぐらいだ。夏の星座として有名なさそり座は木々に隠れて見えないし、いて座を見るにはまだ時間帯が早い。

 それなのに、隣から耽美を思わせる吐息が聞こえた。車で隣に座っていた子だった。

 僕が見ていたことに気付いたのか、目が合った。

「綺麗ですね」と恥ずかしそうに笑った。

「そ、そうかな?」

「はい。私が住んでいた場所では全く星が見えなかったので。もっと綺麗に見える所があるんですか?」

「うん。こんなのとは比べ物にならないよ。寧ろ今は見えない条件が揃ってるぐらい」

「そうなんですか?」

「うん。例えばほら、夏は太陽が沈むのが遅いでしょ? そのせいで夜になっても太陽光の影響を強く受けて見えにくくなるんだ。それに夏は湿気が高い。空気中の水分に光が反射してより見えにくくなる。より綺麗な星空を見るなら光の影響を受けないように、都心部から離れた標高の高い冬の山が一番なんだよ。まぁ松平先生もそれを理解しているだろうから、近場で少しでも条件が良くなるここを選んだんだと思うよ」

 色白の子を見ると、呆然と僕の顔を見ていた。

 ……しまった。思わず得意げに語ってしまった。

 引かれてるに違いない。誤魔化すために自然と引きつった笑みを浮かべてしまう。

 しかし、色白の子の反応は僕の予想を外れて

「凄い! 詳しいんですね!」と一歩近付いてきたぐらいだった。

「もっと教えてください! 私星に興味はあるんですけど、歴史と違って専門用語が多くて中々覚えられないんですよね……」

 歴史も中々に用語が多くて覚えられないと思うんだけど…… なんて野暮なツッコミを入れるわけもなく、星に興味があるという台詞は僕の気持ちを前のめりにさせた。

 そこで僕は定番である夏の大三角形と、季節に合せて天の川について話すことにした。

 普段星の話が出来ない分、僕もついに熱が入ってしまう。それでも色白の子は僕の熱に負けないぐらいにコロコロと表情を変えながら聞いてくれた。

「七夕のせいで天の川は夏のイメージが強いけど、本当は一年中見えるものなんだ。ただ夏の方が濃く見えるのは確か――」

「あっ!」

 僕が話をやめたのは女子二人組の甲高い声が聞こえたからだった。見ると、僕達そっちのけで始まっていた天体観測の最中のようで、二人が空を指差している。

「今の見た!? 流れ星!」

 釣られて見上げる。しかし流れ星なんて一瞬の出来事だし今更見上げた所で……

「あ」

 閃光が夜空を駆けた。しばらくするとまた一つ、また一つ、今度は二つ同時に。

「凄い。凄いです! 流れ星がこんなにたくさん」

 色白の子が興奮気味に見上げていた。僕は星を見るよりもそちらの方に気が惹かれた。

「予報通りだな。みずがめ座デルタ南流星群だ」松平が言った。

 そうか、今日が極大になる日だったのか。これに合せて松平は開催日を設定したのか。

「にしても凄いな。こりゃ流星群じゃなくて、流星雨クラスだな」

「流星雨?」色白の子が僕を見てきた。

「流星群で見られる流星の数で決まるんだよ。一時間に五十個ぐらいなら群、百個以上なら雨、千個以上なら嵐。流石に嵐は一生に一回あるかないかだけど、雨ならかなり運が良ければ見られるんじゃないかな?」

「じゃあ今私達かなり運がいいんですね!」

 色白の子が嬉しそうに再び空を見上げる。空を仰ぐその姿は星を見るというよりは星を浴びると表現した方が正しいような気がした。

「こんなに凄い天体ショーを見るのは十年前の流星嵐を思い出すなぁ」

 十年前の流星嵐。普段はあまり見えないみずがめ座デルタ南流星群。だがあの日は数百年に一度と言われた奇跡のような日で流星嵐と呼ばれるぐらいに流星が見られたのだ。何故あんなに流星が見られたのかはいまだに謎多い現象だそうだ。

 あの日、葉子とお婆ちゃん家を抜け出して見たものだ。もう記憶も朧気だが、心を奪われたことだけはしっかりと覚えている。

「そうだ。知ってる? 願い事を三回唱えると、その願い事が叶うんだよ」

 葉子から教えてもらったことを得意げに色白の子に言った。

「そうなんですか!? じゃあ私、またこの流星が見たいです。その時はまた一緒に見ましょうよ」

「え」思いがけない誘いにたじろいでしまう。

「一緒に星を見ましょう一緒に星を見ましょう一緒に星を見ましょう。はい三回です!」

 返事までに少し要したのは嫌だったからじゃなくて、照れてしまったからだった。

 僕は後ろ頭を掻いた手を下ろすと「うん、分かった」と頷いた。

「約束ですよ」

 この色白の子が後に白濱さんと知ったのは夏休み明けに、浩介に紹介された時だった。



 ※



 目を覚ます。知らない天井だった。上半身を起こす。ベッドにいるようだった。辺りを見渡す。

 ……病院?

 小綺麗な白い部屋に僕のを含めて六つあるベッド。病室の大部屋だった。部屋は僕以外誰もいなかったが、他のベッドの散らかり具合からみて、全てのベッドが普段から使われているようだった。確か、最後に見たものは……

 ……どうしてここにいるんだ?

 記憶を辿り思い出す。

 そうだ。白濱さんは!? 葉子は!?

 ハッキリと鮮明に思い出せた最後の瞬間。ベッドから出ると体の節々が多少痛んだが、問題なく動かせた。だいぶ長い間寝ていたようで、筋肉が驚いている。

 部屋の扉を開けると、丁度入ってこようとしていた人と出くわした。

「望ちゃん!」クリームちゃんだった。

 どうしてクリームちゃんが? と質問するが前に厚い胸板が僕の体を抱き締めた。

「もぅ心配したのよぉ~。三日間も起きなかったんだから」

「えっ!?」三日!?

 そんなに長いこと寝ていたのか。少し信じられないが、体の気怠さがそれを物語っている気がする。

「ねぇ何がどうなったの? ここはどこ? 葉子はいないの?」

「ちょっと待って落ち着いてぇ。説明してあげるからぁ」

 そうして僕はベッドに腰付けさせられると、クリームちゃんはさてどこから話そうかしらと、薄らと生えた顎ひげに手を掛けた。


 簡潔に述べれば、やはり戦争が始まったらしかった。

 三日前の正午頃、突然宇宙から飛来した大量の宇宙船が地上に攻撃を開始した。爆撃にも似たレーザー攻撃は、地獄の扉を無理矢理開けようとしているみたいだったらしい。

 電気ガス水道通信などのインフラは全滅。三日が経過した現在午後二時においても復旧の目処は立っていない。被害状況も分からず、生き残った近隣住民は避難誘導に従いわけも分からないまま、ここに避難したらしかった。

 そもそもここがどこかと聞くと、隣町の空き地にあった物入れのような建物から入り、かなり長い階段を下りた場所だとのことだった。

「病院じゃないの?」と驚く僕にクリームちゃんは

「館内図を見るのが早いわね」と館内図がある食堂へと向かうことになった。

 これまた病院を彷彿とさせる廊下を歩き、百人を収容出来るであろう食堂の壁に、館内図はあった。それを見て僕は「何ここ。旅館なの?」と口走った。

 食堂に食料庫。大規模な発電ルームに、大量の個室と大部屋。はたまた運動施設も存在している。まるでここで長い間暮らしていくためのようだった。

「地下シェルターらしいわよ。終戦するまでここで暮らすんだって。奴らが言ってたわ」

「奴ら?」

「ここの責任者達よ。ちょっと頭がおかしい人達みたいでね、自分たちのこと未来人って言ってるの」

 クリームちゃんの話でようやく点が繋がった。ここは浩介が言っていた未来人の基地の話と、夜の学校に侵入した時に白濱さんが語った秘密基地の話の二つが繋がる場所だ。

「そうしたらどうしてクリームちゃんがここに? 旅してるんじゃなかったの?」

「偶然仕事の都合でこっちにいただけよ。特に深い意味はないわぁ。そんなことよりも」

「……?」

 クリームちゃんが数ある大部屋の中の一つを指差した。

「ここに用があるんじゃないの?」


 あたしはあんまり行きたくないから一人で行って、と言われ、そこに何があるのかも知らないまま僕はその部屋を訪れることになった。

 部屋に行く間に十数人とすれ違った。大部屋の数だけも二十あったから単純に考えても百二十人は収容されているのかもしれない。

 両親は大丈夫だろうか? 同じようにここに避難してくれてたらいいのだが……

 あとでクリームちゃんに聞いてみるか、と考えている内に目的の部屋に到着した。

 ドアをノックし、覗くように部屋に入った。ベッドが六つ。知らない顔が並んでいた。生気の失った顔に気味の悪さを感じつつ、クリームちゃんに言われた通り一番奥の左側に向かう。

「あの、すみません、失礼します」

 薄緑色のカーテンを捲り、ベッドの上の人物と目が合った気がした。

「あ……葉子っ!」

 僕の声に小さな体がビクンと跳ねると本当に僕か確かめるように「望なの?」と言った。

 上半身を起こし、僕の方に体を傾けてくる。

「良かったー無事だったんだね」と近くの椅子を寄せると葉子の脇に座った。

「そっちこそ。ずっと寝たままで起きないって聞いてたから心配してたかもしれないよ?」

「何で疑問形なんだよ。少しでも心配してない可能性をチラつかせるなよ」

 僕のツッコミに葉子が笑った。それを見て、本当に無事だったんだな、と安堵した。

「他の皆はどうなったか知ってる?」

 学校の皆についてだ。本当に気になっているのは白濱さんだけだったが、あの光景を見た上で言及するのは躊躇われた。

「生き残ってた五、六人はここに来たみたいだけど、話を聞いた限り私達の知ってる人はいなかったよ。先生も山ちゃんだけみたい」

 思っていた以上に少なかった。被害の大きさと、白濱さんの名前が出なかったことに思わず拳を強く握ってしまう。

「これから私達どうなっちゃうんだろうね……」

 大丈夫だよ、とは言えなかった。上辺だけの励ます言葉ならたくさんあった。でもそのどれを駆使しても葉子の不安を払拭することは出来ないだろうし、なによりこの事態を引き起こしたのは僕である。お気楽にそんなことを言える立場じゃない。せめて共感だけでもと思い「そうだね」と呟くことしか出来なかった。

「そうだ葉子、家族がどうなったか知ってる?」

 葉子は首を横に振った。知らないという意味なのか、大丈夫じゃないという意味なのか、どちらか分からなかったが、それ以上追及するのも気が引けた。

 続ける言葉を見失い、重くなった空気をどうにかしようと、僕はパッと思いついたことを提案する。

「ねぇこの施設案内してよ。僕さっき起きたばっかでまだよく分からないんだ」

「……ごめん、出来ないんだ」

「どうして?」

 葉子の顔が曇った。背筋に走る嫌な予感に駆られて、僕の目は咄嗟に葉子の足に向かった。まさか、と言葉を飲み込んで、恐る恐る葉子の下半身にかけられた掛け布団を掴んだ。

 まさか、あの時の爆発で――

 布団をめくる。しかし予感は外れ、葉子の足は二本あった。もしかして不随に? と考え、足を触る。

「違う。足じゃないよ」

 僕の予想は外れた。しかし葉子の言いぶりは別の部分が、僕の予想を当てていると遠回しに物語っていた。

 葉子の顔を見て、ようやく気付いた。ここで葉子と再開して、最初に感じた違和感。

『――目が合った気がした』

 僕はゆっくりと手を伸ばし、葉子の顔の前で手を振った。

 そして葉子は言った。

「……ねぇ、どこだと思う?」

 ぞわりとしたものが全身を駆け巡った。衝動的に立ち上がり、椅子が倒れる。

「あ、もしかして分かった? 目、見えなくなっちゃったんだよね」

 僕に気を遣っているのか、葉子の口調は普段よりも軽快に何てことないよと言いたげに跳ねている。それが更に僕の奥でずしりと重みを増した。

「……ごめん、葉子」

「そんな何で望が謝るの」

「ごめん、本当ごめん」

「仕方がないよ。悪いのは攻撃してきたあいつら何だしさ」

 僕が悪い。僕が悪い。僕が悪い。僕が悪い。僕が悪い。

 この戦争は僕のエゴのせいで始まったのだ。僕が白濱さんにキューブを返していればこんなことにはならなかったのだ。

 口を動かすたび出てくるのは謝罪の言葉だけ。謝っても謝りきれるものじゃない。それでも僕はひたすら謝ることしか出来なかった。




 夜になったらしかった。地下のため施設の至る所にある時計でしか時間は分からない。

 消灯を告げられ、ベッドの中で丸くなる。カーテン越しに同室の人のすすり泣きが聞こえてくる。昼間もそうだった。

 葉子と別れてから僕は施設内を歩き回った。怪我人や家族友人を失い、泣いている人もいれば家財を心配している人もいた。家に帰せと制服を着た人に怒っている人もいた。

 誰かの泣き声が、怒号が、胸を締め付ける。僕に向けられるべき怒りが、涙が、他人を不幸にしていると思うと、申し訳なさでいっぱいになっていく。

 いっそ罪を追及された方が楽になる気さえした。

 一晩、僕は一睡もすることが出来ず、誰かの行き場のない悲しみを浴び続けた。

 そして決意した。

 気丈に振る舞ってくれた葉子のために、自分のせいだと泣いた白濱さんのために、理不尽に日常を奪われた誰かのために、そして何よりも僕のために。

 何があってもこの戦争をなかったことにしよう。

 それだけが犯した罪の償い方だと思った。




 ここは病院のような場所だが、病院ではない。医者はいないし、施設の人間と言っても未来人の七人だけ。食事も食堂にて一斉に配給されるだけだ。

 朝、僕は葉子を連れて食堂へと向かった。

 昨日までは山ちゃんが面倒を見てくれていたらしい。

 食堂には既に多くの人がいたが、混雑しないように何回かに分けて配給が行われている。

 葉子を席に着かせて、レトルトのご飯と汁物を二人分貰い、一緒に食事をする。葉子も少しは慣れたようだが、溢したり、狙いを外したり、見ていたらいたたまれなくなった。

 葉子を部屋に戻すと、僕は最後の別れのつもりで「じゃあね」と一言いった。

 葉子は「またね」と笑った。頬を叩き、気合いを入れる。

 ……さて、ここからだ。

 キューブを持ったままの白濱さんの元に行くため、僕は一直線に出入口へと向かった。

 昨日確認した時と変わらないまま、立入禁止の黄色いテープが張られていた。テープの奥には重々しいシェルターが口を閉ざしているのが見える。

 出入口の正面には未来人の常住する部屋があり、ガラス窓で出入口が常に監視される形になっていた。

 テープの前に立つと、ガラスの向こうから男の鋭い視線が背中を刺した。

 何故、出入口が封鎖されているのか。僕は刃物のように切れそうな視線に怯えつつ、ガラス越しに訊いてみた。

「あの外に出たいんですけど、何で出入口を封鎖してるんですか?」

「出たら駄目だからです」

 無愛想にそれだけ言われる。それで話は済んだと言いたいのか、男が身を引いた。構わず、一歩前に出る。

「それは分かってます。それでも学校に行かないと」

「その服装、北高の生徒ですよね? 悪いことは言いません。やめておいた方がいいです。途中にある自衛隊の駐屯基地が乗っ取られたって話です。もし見つかったら」

「でも行かないといけなくて」

「人の話は最後まで聞いてほしいものです」

 男はこれ見よがしに溜息を吐くと、矢のような目で僕を射抜いた。

「いいですか? もし外に出て、このシェルターの場所がバレたらどうするんですか? ここが攻撃されて終わりです。貴方は百八十人の命の責任が取れるんですか?」

「……すみません」その正論に反論できる言葉はなかった。

 キューブのことを未来人に話して代わりに行ってもらうことも考えたが、何故僕がそのことを知っているのかと疑われて、前の浩介のように撃たれる可能性もある。

 僕はうな垂れるとその場を立ち去った。

 これ以上僕の過ちで誰かが危険な目に遭うのなら、もう何もしない方がいい。

 ――と、いうとでも思ったか。

 こんな考え方も酷いが、今更百八十人がーとか言われても規模が小さい。もう世界的に戦争が起きて何百万人って死んでいるかもしれないんだ。寧ろここで犠牲を恐れて立ち竦む方が無責任てなもんだ。

 昨日の時点で出られないことは予想していた。そのため事前に考えた案を実行することにする。

 まず目星を付けていた子供から「僕もお絵かきしたいな」と言い、紙とペンを借りると、『清掃中につき、立入禁止』と書いて男子トイレの人払いを行った。

 次に無人になったトイレで鏡の前に立つと、腕を振りかぶり、思いっきり叩き割った。

 こういう不良っぽいこと、一度やってみたかったのだが ……思ってたより痛かった。

 鏡の破片を手に入れる。この破片で出せと脅すわけではない。

 一旦自分の部屋へと戻ると、やはり昼間の時間帯は無人だった。それをいいことに隣のベッドのサイドテーブルを漁る。隣の人は昨夜寝る前に薬を飲んでいたのを目撃していた。この環境下で処方されている薬ならそれは恐らく……

 見つける。やはり睡眠導入剤だった。

 ピーク時を終えた食堂は憩いの場として多くの人がいる。その中でコーヒーを注ぎ、カップを運ぶ姿は何も不自然ではない。人目を盗み、薬を溶かし入れると、ボクは再び監視所へと向かった。

 男は僕を見るや否や露骨に睨んできた。軽く会釈し

「すみません。さっきのお詫びで、コーヒー淹れてきました」とカップを見せる。

 逡巡する間。男は立ち上がり、ドアから出てくると

「こちらも先程は言い過ぎました」とコーヒーを受け取った。僕は再び頭を下げ、一旦角へと姿を隠した。

 監視所に戻ったのを確認すると、死角に入るように壁沿いににじり寄り、鏡の破片で反射させて中を覗いた。

 全く人通りのないこの通路。さぞ暇なことだろう。男は何も警戒もなくコーヒーに口を付けた。効果が出始めたのは思ったよりも早く、十五分後のことだった。

 男の頭が船を漕ぎ出し、やがてゆっくりと沈んだ。よし。

 黄色いテープをくぐり、侵入に成功した。

 薄暗く殺伐とした広い空間だった。端から端まで三十メートルはあるだろう。隅に置かれた三台のバイクと見張り台のようなものしかなかった。

 目の前にある巨大なシャッターはもはや壁。開けるには恐らくスイッチを使うのだろう。試しに力尽くで開けようとしてみたが当然ビクともしなかった。

 近くに機械類は見当たらない。だとしたら監視所にある可能性が充分高い。

 踵を返し、監視所へと戻った。窓からまだ寝ていることを確認し、忍び込む。ドアに鍵は掛かっていなかった。恐らく日中の誰かがいる間は鍵を開けているのかもしれない。

 監視所内は三人も入れない程狭く、よく分からない機械が詰まっていた。壁にあるキーフックにはマスターと思われるものやバイクの鍵が掛けられている。ザッと見回し、開閉スイッチらしきものを探す。施設内の照明スイッチが並ぶ中に、それはあった。

 押すな! とテプラが張られた赤いボタン。めっちゃ押したい。

 勿論それは押すなと言われたから押したいのではなく、出入口開閉スイッチと書かれていたからだ。

 こういうのって大概、作動させたら警報が鳴るんだよな……

 嫌な予感がするが下げなければどうしようもない。僕は生唾を飲み込むと一息にスイッチを押した。

 瞬間、けたまましいサイレンが体を震わせた。不安を煽る警報音。走ってシャッターに向かったが、焦る僕とは裏腹に、シャッターは寝起きのようにのんびりと口を開き出す。

 早く早く。後ろと前を交互に見る。早く早く。先に開いたのは、監視所の扉だった。

「貴方! 一体何をしているんですか!」

 やっべ。起きた。早く早く。僕がその場で駆け足をしたところで、シャッターが早く開くわけではないのだが。ジッとしていられない。

 ようやく出来た隙間に僕は這いつくばって入ろうとした。しかしまだ体は入りきらない。

 そして残念ゲームオーバー。開くのが止まった。潰される前に隙間から抜け出す。

「さっきのは演技だったのですね……」

 ぐいぐいと鬼気迫る勢いで近寄ってくる男。僕は左に行くふりをしてフェイントを掛けると、男が右足を大きく出した瞬間に右側に飛び出した。決まり、脇をすり抜けた。

 男の怒鳴り声を無視して、テープを潜って通路に飛び出す。このまま他の人達に紛れて姿をくらまそう。

 右から二人の未来人がこちらに向かって走ってきていた。左に曲がり、全力で走る。最初の角を曲が――

 その角から未来人が三人飛び出してきた。急いで引き返すが、目の前には追いついてきていた未来人が三人、既に目の前に迫ってきていた。

 挟み撃ちにされ、それでも足下の隙間を通り抜けようと飛び込んだが、あっけなく捕まり、組み伏せられた。締め付けられた腕が悲鳴を上げた。抵抗するが、その度に締め付けがキツくなる。

「脱走未遂により逮捕します」

「離してよ!」

「秩序を乱し、他人を危険に晒すその独善的な行動。終戦するまで留置場で大人しくしてもらいますよ」

「違う! 僕はただ戦争を止めるために!」

「世迷言を…… これだから青い人は……」

「本当だ! あなた達だって知っているはずだ! 僕はキュ」言い掛けた時だった。

 これまで何度も感じたあの違和感が体を襲った。



 ※


 

「ーブを使って…… へ?」

 葉子が目の前に座っていた。食堂でついさっき見た光景だった。

 手元の食事を見ると今朝、食べたものと同じだった。

 ……まさか、時間が戻ったのか。

 何で? どうして時間が戻った? 僕はキューブを持っていない。時間を戻せるのはこの場においては未来人だけだ。でもあの場にいた未来人が時間を戻したとは到底考えられない。地上で戦争中の奴らが時間を戻した可能性もあるが、にしてはタイミングが良すぎる…… いや、普通に運が良かっただけなのか?

 辺りを見渡したが、時間を戻したような妙な動きをする人はいなかった。

「何か言った望?」

「あ、いや、何でもないんだ」

 僕は不審がられないように食事を再開する。まぁ、何にしても助かったのは良かった。

 スイッチを押せばサイレンが鳴る。これを加味した上で改めて作戦を練る必要がある。

 最も単純な手としては出入口の反対に当たる場所で騒ぎを起こして、注意を引いている間に脱出するという手だ。さて一体どんな手を使って……

 と、考えているとふと思った。

 待てよ。時間が戻ったことに気付けるのは一度でも時間を戻ったことがある人だ。つまりは未来人は全員、今さっき時間が戻ったことに気付いている。そしてあいつらにとって僕は時間が戻ったことに気付いていないことになっている。ということは、僕はさっきと同じ行動をしなければ、時間を戻した張本人にされるということではないのか? 違う行動をしても同じ行動をしても、どちらにしろ、僕は捕まるのが確定しているのでは……

 マズいことに気が付いてしまった。急いでさっきとは別の状況になるための方法を探さないと。

 ――ゴッ

 突如、頭に鈍い音が響いた。視界が揺れ、ガラスが割れる音がした。

 右側頭部が思い出したように強烈な痛みを持ち始める。足元を見ると、グラスの破片が散らばっていた。

 痛む箇所に手を触れる。指先に血が付いていた。

「何っ、どうしたの!?」

 葉子が慌てふためき、近くにいた人達は騒然としていた。

 ……投げつけられた? 何で? どうして? こんなことなかったはずだ。

 辺りをぐるりと睨んだが、犯人らしき人物はやはり見当たらない。

「ちょっとぉ~、大丈夫ぅ?」

 掛けられた声の方を見ると、別の席にいたクリームちゃんが心配した顔で近付いてきた。僕の髪を捲って傷を確認してくる。

「やだっ。血ぃ出てるじゃない。医務室に行きましょ」

「大丈夫だよ。たぶん皮膚が切れただけだよ。それより犯人を」

「素人が傷の具合とか分かるはずないでしょ」

 クリームちゃんは近くにいた知らない人に「ちょっとアンタ、犯人見つけといて」と肩を叩くと、僕と葉子は医務室へと引っ張られていった。


「運が良かったわね。表面が切れてるだけみたい。唾付けておけば治るでしょ」

 医者の代わりにいた山ちゃんが適当そうに言った。座っていた丸椅子をくるりと回すと、戸棚の方へと歩いて行く。

「山ちゃん、そういう知識あるの?」

「あるわけないでしょ。教師だからって無理矢理任命されたんだから」

 ガーゼと包帯をこちらに向かって放り投げてくる。全く乱暴な。

「良かったわぁ。大事にならなくて」

 近くのベッドで腰掛けてたクリームちゃんが両手を合せた。

「ね?」と、隣に座る葉子に同意を求める。

「確かに良かったけど、一体誰がグラスを投げるなんてことを……」

「まぁ他の皆もストレス溜まってるしね。誰かに八つ当たりしたくなるのも分かるわ」

 山ちゃんが自分もストレスを溜めてますと言わんばかりに乱暴に椅子に腰掛けた。

 ……恐らく犯人は無差別ではなく態と僕を狙ったのだろう。それも時間を戻した張本人が。でなければ時間を戻した直後に、僕に投げつけてくるなんて行動がとれるはずがない。でも理由が分からない。僕に危害を加えたいなら、何故僕が捕まりそうになった時に時間を戻して僕を助けるようなまねをしたんだ? そもそも何故僕を狙う?

 時間を戻した理由、グラスを投げつけてきた理由、僕を狙う理由。この三つが一直線に並ばない。

「ねぇ望どうする? 部屋に戻る? 私、まだ怖いんだけど」

「え、あぁそうだね、どうしようか」

 そうだ。一先ず犯人とその理由は保留にしよう。その謎を解明するよりもここを脱出して白濱さんの元へと行く方が大事だ。

 とりあえず怪我の功名だが、同じ行動をする必要性は消えた。だが未来人が僕をマークしていることには変わりない。下手に脱出しようとしているのがバレたらすぐに捕ってしまう。僕一人で出来るだろうか……

「部屋に戻るのが怖いならどぅおぅ? あたしの部屋に来ない?」

「あなたの言い方、別の意味で怖さを感じるんだけど」

 目の前で三人が雑談に興じていた。

 信頼出来る仲間が必要か……

 僕はしばらく考えて、意を決した。

「ねぇ三人共、話があるんだ」

 切り出すと、話をぶつ切りに三人の視線が集まった。唾を飲み込み、口を開く。

「僕、ここを脱出したいんだ」

「どうして?」即座に訊いてきたのは山ちゃんだった。まるで前から予見していたような早さだった。口調にはなかったが、目には既に答えはノーと言っているようだった。

 だけど、引くわけにはいかない。

「戦争を止めにいきたいんだ」

「どうやって?」

「言っても信じてもらえないかもしれないけど、何でも願いを叶えられる道具があるんだ」

「あらやだ素敵」クリームちゃんの合いの手を無視して、山ちゃんが言う。

「なに馬鹿なこと」

「でも本当なんだ。だからここを脱出するために力を貸してほしい」

 僕が頭を下げると、山ちゃんの反論はなかった。

「仮にその何でも願いが叶えられる道具があったとして、それは今どこにあるの?」

「僕達の学校」

 クリームちゃんと山ちゃんが目を合せた。やがて山ちゃんが僕の方を見て言った。

「それは無理よ。途中に奴らが占拠したっていう自衛隊の駐屯基地があるんだから」

「施設の人からもそれを聞いたんだけど、そんなに無理なことなの?」

「無理無理。望月くんは気を失ってたから知らないだろうけど、あいつら老若男女関係なく手当たり次第に殺すのよ」

「だったらその基地を避けて行くとか、大きく迂回して学校の裏側から入るとか」

「基地周辺も厳戒態勢に決まってるでしょ。避けていく案は無理。大きく迂回する案は出来なくはないと思うけど、ここから学校の裏側に行くように回ったら道中の道のりが二倍以上に膨れ上がるわ。そんな長い時間、外にいたらそれだけ見つかる危険性も上がるわ」

「それでも」

「望月くんはそれでいいかもしれないけど、私達はそうじゃないの」

「あ」返す言葉がなかった。

 山ちゃん達にとったら、確証もない絵空事に急に命を懸けてくれと言われているようなもの。逆の立場なら僕も同じ事を言うだろう。

 うな垂れた頭から液体がこぼれ落ちそうになった時だった。

「いいじゃない。手伝ってあげましょうよぉ」

「うん、私も手伝う」思いがけない台詞に顔を上げた。

「ちょ、ちょっとあんな達なに言ってるの!?」

「先生の言うことも最もだと思うわぁ。でもね残念、気付いてた? あたしオカマなの。オカマはね、そんな保守的じゃないのよぉ。保守的に生きてたら大人しく男として生きてるんだからぁ」クリームちゃんがニヤリと笑った。

「私は望の言うこと本当だと思ってる。別に好きだからとか幼馴染みだからとか、そんな感情論じゃなくて、論理的に考えて、私がこうして生きてるのってその何でも願いを叶えてくれる道具を望が使ってくれたおかげなんでしょ? コンビニ前で轢かれそうになった時も望が奇跡的に助けてくれたし、きっとそれ以外でも私が知らない所で助けられてる気がするの」

 言葉が出なかった。ただ嬉しくて、喉が詰まってしまう。

「あんた達ねぇ……」

「ほら、先生も素直になりなさいよぉ。自分の身を案じてるフリをしてるけど、本当はただ心配で引き留めたいだけでしょ」

 反論しない山ちゃんにクリームちゃんは続けた。

「もう三対一で決まったようなもんなんだから。諦めなさい」

 山ちゃんはたっぷりと嫌味を含んだ溜息を腹の底から出すと

「分かったわよ」とヤケクソのように言った。

「で、脱出が出来たとしても、その後はどうするのよ。学校に辿り着かなきゃ、骨折り損のくたびれ儲けよ」

 乗ったと言っても山ちゃんはやっぱり反論の立場は揺るがないらしい。とは言っても、山ちゃんが言うことも正しいことには違いない。

「それは…… まぁ迂回する案しかないとは思うんだけど……」

 そこに関しては策の打ちようがない気がする。気付くと全員が黙り込み、考えこんでいた。やがて煮詰まったのか、クリームちゃんが両手を上げた。

「もう無理お手上げ。お星様にでも安全を願いましょ」

 ……ん? ……あれ? 何かが引っかかった。

「クリームちゃん今なんて言った?」

「え? お手上げって」

「違う。その後」

「安全を願いましょ?」

「その前!」

「お星様にでも?」

 お星様お星様お星様お星様お星様。なんだ。引っかかる。答えがすぐ喉元まで出かかっている気がする。何だ。なんだっけ。思い出せ。思い出すんだ。

 連想ゲームでもするように、頭に浮かぶ言葉を並べていく。

 お星様、星、光、明かり、キューブ、願い事、流星、石、歪、コピー、未来、浩介……

「あっ…… そうか…… お星様だ……」

「だからどうしたの?」クリームちゃんが首を傾げる。

 何で今まで気付かなかったんだ。

 浩介は言っていた。戦争が始まる十年前に行った時、系外派に襲われて一回だけ使えるキューブのコピー、マークⅡをなくしたって。それの特徴は金色に光る歪な石だ。それって昔、僕と葉子が流星群を見に行った時に拾ったお星様のことなんじゃないのか。

「ねぇ葉子、昔拾ったお星様って覚えてる?」

「え? うん、覚えてるよ」

「アレどこにやったか覚えてる?」

「うん。私がもらってお煎餅の空き缶に入れて、部屋にあるけど」

「でかした!」

 話が掴めていない三人が眉間に皺を寄せていた。

「今話に出たお星様ってのも願い事を叶える道具なんだ。だからつまり北高と駐屯基地のある方に行かなくても、北東にある葉子の家に行けばいいんだ。それなら学校に迂回して行くよりも早く着く」

「まぁ、それが一番マシな案なのかもしれないわね」山ちゃんが頷いた。

「それじゃあ脱出作戦を考えましょ」クリームちゃんの台詞に僕が返事をした。

「それなんだけど、山ちゃんかクリームちゃん、どっちかバイクに乗れる?」

「原付なら」と山ちゃん。

「大型二輪まで余裕のよっちゃんよ」とクリームちゃんがVサイン。

「よし、ならもう決まったようなものだよ。作戦と言えるようなものじゃないけど……」

 時間も人もないから仕方ないと、自分に言い訳をする。

「葉子はお星様のある場所を正確に覚えているようだから僕と一緒に脱出。山ちゃんは出入口とは真反対の場所で騒ぎを起こして施設の人をおびき寄せてほしい。その間にクリームちゃんは出入口にあるバイクを使って僕達を乗せて脱出、そのまま葉子の家まで向かってほしい」

 全員が分かったと頷き、クリームちゃんが笑いながら言った。

「まるで一回、脱出に失敗したことあるみたいね」

「ははは」笑って誤魔化すしかなかった。




 クリームちゃんの提案で作戦は翌日、昼食の時間帯に行われることになった。

 多くの人が食堂に集まっている中、背筋を逆立てる警報が鳴り響いた。

「火事ヨー E5区デ火事ガ起キタワー」演技下手くそか!

 山ちゃんの台詞に一部の大人と未来人がE5区、出入口と反対方向に向かって走り出した。E5区には山ちゃんが医務室の薬品を使った煙で充満されている。

「皆急イデー コッチヨー」山ちゃんが奥の方へと案内していく。

 未来人が出払った所を見計らい、残る僕達三人は出入口へと向かった。

 監視所前に行くと、先の僕の件があったからか同じ男が監視を続けていた。

「どうしよう」

「任せて。望ちゃん達は少し離れてて」

 指示通り角で待機し、様子を窺う。

 クリームちゃんが窓越しで男に何か言っていた。すると顔を真っ赤にした男が出てきて、クリームちゃんを突き飛ばした。おいおい何してんだよ、と飛び出したのも束の間、突然男が意識を失い、倒れた。

「ほら行くわよ」

「え、何したの」

「いい? 男に襲われた脇を締めて下顎にフックを決めるのよ?」

 色々ツッコミたかったが今は時間がないので我慢する。

 クリームちゃんに監視所から取ったバイクの鍵を渡し、葉子と一緒に先にバイクの元に行かせる。僕は監視所で合図を待った。しばらくしてエンジン音が聞こえ、OKのサインが来た。

 ――よし、行くぞ。

 とっくに決めたはずの心の準備をもう一度整え、僕はスイッチを押した。

 再びあのけたたましいサイレンが鳴り響き始め、胸を逆立てる。

 走ってバイクの元に向かうと、葉子の後ろに座り、クリームちゃんとの体で挟んだ。

 バイクがシャッターの前まで軽く走り停車する。ゆっくりと開くシャッターは焦燥感を空回りさせる僕を嘲笑っているようだった。

 早く早く早く。

 シャッターの口が車体分のスペースを開き掛けたその時だった。

 シャッターが一旦止まり、再び動き始めたと思いきや今度は閉じ始めた。

 咄嗟に振り向いた。未来人の一人が監視所にいた。警報を聞きつけてきたのだろう。

「二人はここにいて。僕がスイッチを押してくる」

 葉子の制止を無視して監視所へと走った。

 スイッチを押した未来人のおっさんが僕の方へと向かってくる。これまで何度かやったように脇をすり抜けようとしたが、おっさんの方が一歩早く、服を掴まれてしまった。

 掴む腕を殴り、引き剥がそうとするが筋肉質のおっさんは全く効いていないようだった。

 逆におっさんが僕の腹に放った一撃は、一発で僕の意識を持っていきそうになった。歯を食いしばり、なけなしに振るった拳がおっさんの鼻を掠める。怒りに触れたのか、牙を剥きだしにしたおっさんが僕の顔を殴った。

 ……まずい。このままじゃまた意識が。

 その時、シャッターが再び開き始めた。監視所で山ちゃんがピースをしていた。

「あの女……!」

 おっさんが僕のことを振り飛ばし、山ちゃんの所へと向かい出す。ひっくり返った体を戻して、おっさんの背中に抱きつく。肘打ちが僕のこめかみにヒットした。

 それでも負けじとしがみつく。せめて、シャッターが開くまでは……!

 そこに通路から新たな未来人が一人やって来た。状況を確認するや、僕の方ではなく山ちゃんの方へと向かい出す。

 やべぇ。どうしよう。どんどん手が詰まっていく。

 直後、背中から衝撃を受けた。勢いに押されて、おっさん事倒れ込む。葉子だった。

 男が振り上げた手を葉子が体重を掛けて押さえ込む。

「今っ!」葉子の叫んだ。

 僕は脇を締めると、おっさんの下顎目掛けフックをかました。

 確かな手応え。おっさんがだらり脱力し、動かなくなった。

 勝利の余韻に浸っている暇はない。早く山ちゃんを助けに行かないと。

 ふらつく足に喝を入れて立ち上がる。山ちゃんの元へと向かおうとすると、葉子に袖を掴まれた。

「アンタが行ってどうするの。早くバイクに戻って」

「でもあのままじゃ山ちゃんが」

「願いを叶える道具とか、アンタしか分からないだからアンタが捕まったらどうするのよ」

「だからって放っておくわけには行かないだろ!?」

 葉子の手を振りほどく。

「ねぇ望」葉子が柔らかく僕の名前を呼んだ。

 振り向くと見えていないはずの瞳と目が合った。釣り上がった眼にはいつものツンとした険はなく、代わりに慈愛に満ちた優しさがそこにはあった。細い指が僕の頬に触れ、温かい掌がそっと両頬を挟んだ。

 家族と思っていた女の子が、僕を魅了して釘付けにする。

 それも夢を見ていたかのような一瞬のことだった。

 葉子の目に火が灯り、僕の頬に痛みが走った。ビンタされたと気付いたのは大分遅れてのことだった。真っ白にされた頭の中に葉子の叫び声が詰め込まれる。

「いい加減にしなさいよ! 皆はあんたを信じてここまでやってるの! あんたもいい加減、私達を信じなさいよ!」

 心を揺るがす。声を裏返してまで怒鳴られたのは初めてだった。

 ふっと葉子は目の力を抜き、状況にそぐわない微笑みを見せた。

「いい? 私の部屋のタンスにあるから」

 僕の頬に葉子の唇が触れた。すぐに離れた葉子は、その感触を消すためか触れた場所を軽く叩く。

「お願い、行って」

 後ろ髪を引かれつつも、僕はバイクへと足を向ける。躊躇いが抜けきらない中、また新たにやって来た未来人が僕の元へと走ってくる。

 葉子が未来人の足に飛びつき、足を止めさせた。

「早くっ!」

 引力を振り切り、僕は駆け出した。バイクに飛び乗ると、シャッターが僕ら分のスペースを空ける。

「行くわよ望ちゃん。掴まって!」

 バイクが荒々しいエンジン音を吹かし発進した。反動に振り落とされないようにクリームちゃんにしがみつく。壁の向こう、薄暗い一本道のトンネルに突入し、バイクはスロープを駆け上がった。

「葉子…… 山ちゃん……」

 後ろを振り返れば、シャッターは再び閉まり始めていた。

 心の中で僕が僕を罵倒する。泣きそうになるのを堪えて、クリームちゃんを掴む腕に力を込めた。

 もう後戻りも止まることも許されないんだから。泣いていいはずないだろ。

 永遠とも思える長いトンネルを駆け抜けて、出口の小さな光が一気に大きくなる。

 光の中に飛び込むと目が眩んだ。数秒で馴染み、そして、絶句した。

 晴れ渡る空の下。焼け野原が地平線まで広がっていた。歴史の教科書で見たことある光景だった。助けを求めて手を伸ばした建物の残骸、砕けた電柱、溶けた車、燃え残った人形、リードのついた骨。そこにあったはずの生活が、営みの名残をとどめて転がっている。

 鼻をえぐる臭いに顔をしかめ、肌に纏わり付く油に背筋を凍らせた。

 自分のせいで戦争を招いた自覚はあった、はずだった。でも自覚が足りていなかった。話だけしか聞いていなかったから。負傷者の姿を見ただけだったから。

 本当に自分が世界を壊したというのを理解しきれていなかった。肌で知って、実感した。

 戦争というものが何を壊して、何を奪っていくのか僕はまだ分かっていなかったのだ。

 結局今まで自分を楽にするために、ていよく自分を責めていただけなのだ。

 監視所の男が言っていた『百八十人の命の責任が取れるんですか?』という台詞を軽く考えていた。何が今更だ。何を開き直ってたんだ。

 自分がどれだけ馬鹿で軽率だったのか、自分のエゴで奪ったものがどれだけ計り知れないものだったのか気付いた時、目から熱いものが溢れていた。

「クリームちゃん…… 急いで……」

「分かってる。そのつもり」

 一秒でも早く。一刻でも早く。バイクが一際大きな音を鳴らす。掴む手に力がこもった。

「そういえばさぁ」クリームちゃんがエンジン音に負けじと声を張った。

「今から取りに行くお星様って、どこで手に入れたの? そんな何でも願いを叶えちゃうなんて本当なのぉ?」

「うん。ほら、お婆ちゃん家にいた時に一緒にいた奴、浩介が言ってたから間違いない。そいつさ実は未来人で、この戦争をなかったことにするために来てたんだ。切り札としてそのお星様を使おうとしてたらしいんだけど、十年前に落としたらしくてさ、それを丁度、流星群を見に来てた僕と葉子が拾ったんだ」

「十年前の流星群って、あの当時テレビとかで話題になった?」

「そうそう」

 今更、隠すものなんてなかった。どうせマークⅡを見つけて、時間を戻せば、この話もなかったことになる。

 そんな気の緩みのせいだった。そう、僕はどこまでも愚かで、馬鹿だったのだ。

 ぷっ、とクリームちゃんが息を吹いた。

 少し考えれば分かるはずのことだった。夏の時点で浩介はヒントを言っていたのだ。

「あは、はははははははははっっはははははあははははははははははぁはははははは!」

「クリーム ……ちゃん?」

「やっぱりやっぱりやっぱりやっぱりやーーーっぱりあなただったのねぇ!」

 壊れた人形みたいに笑ったクリームちゃんはまだ笑い足りないのか肩がぶるぶると震えている。

「昨日あなたが捕まりそうになった時、時間を戻したのは誰だと思ぅ? その後頭にグラスをぶつけたのはぁ?」

「……え?」

「十年前からキューブのコピーを探してたのはぁ? 怪しいガキ二人を何年も監視し続けたのはぁ? 毎年夏に加齢臭くせぇクソ田舎に態々出向いてたのはぁ? 優しいふりしてずっとお仲間ごっこしてたのはぁ? 正解はねぇ……」

 偽物がギョロリと化けの皮を剥いだ目で、僕を見た。

「全部あたしぃいいいいいいぃいいいい!」

「……は? え、は?」

 ようやく肩の荷が下りたと言いたいのか、肩をぐりぐりと回し出す。

「ホント昨日は焦ったわぁ。あの太陽派の奴らに捕まってコピーの在処 を吐かれたら今までの苦労が水の泡だもの。別の行動が取れないあなたにグラスを咄嗟に投げつけたのは中々のファインプレーだと思わない? まぁちょこーっと普段の恨みが入っちゃったけども結果的には今こうしているわけだし」

「……何を、言って、るの?」

「まぁだ分からないのぉ!? あなたずぅっと騙されてたの! 十年前からずっとねぇ! あ、性別も含めてね」

 思考停止になりかける頭で何とか理解しようとする。

「クリームちゃん…… あなたは一体……」

「え? あたしぃ? そうねぇあなたの知ってそうな言葉で言うなら……」

 んー、と顎に人差し指を当てて考える。やがて良いことを思いついたようにハッとすると不敵な浮かべ、言った。

「あたしの敵はあたし達のことをこう呼んでいるわ。 ――系外派ってね」

 ドキリとした。心臓に杭を打たれたような感覚。バイクの音はもう聞こえていなかった。

「何で…… どうして…… こんなことを……」

 たくさんの人の生活を奪って、壊して、殺して、何も感じないのか。そう問いただしたかった。しかし言葉が上手く組み上がらない。それを察してか、目の前の奴は言った。

「あたし達の目的は一つ。如何なる犠牲を払おうともキューブのコピーを回収すること」

「そこまでして何の意味があるの」

「地球人の誰もが戦争をなかったことにしたいと思ってるわけじゃないのよ」

 目印はないが、地形からしてもうすぐ家がある所まで来ていた。それを奴も理解しているのか、さて、と切り出した。

「冥土の土産はもう充分でしょ。じゃあそろそろ本業をさせてもらうわね」

「……何をする気?」

「何ってそんなの決まってるじゃない」

 奴が自分の首元からネックレスを取り出した。直後

「っ!?」僕は突き飛ばされ、バイクから落とされた。

「時間転移よ」

 奴のネックレスの先端が青白く光り、地面に落ちる直前、僕の視界は真っ白になった。




 星が流れていた。音もなく、川のように。

 流星嵐。それを見たのは七歳の頃だった。目を奪われ、その日、僕の人生を大きく変えてしまったもの。

 我に返った。夜だった。森にいて、葉子がいて、流星に心を奪われている最中のようだった。瞳に流れ星を映す葉子の姿は、やけに幼く、まるで七歳の子供だった。

 全身に悪寒が走る。

 まるで、じゃない。まさか、飛ばされたのか!? 十年前に!?

 視線は低く、大人用のサンダルはブカブカ。手は子供そのもので、右手の中にはお星様、元いマークⅡが握られていた。

 奴の目的はこれを回収すること。バイクから突き飛ばしたのは、子供の姿の方が奪いやすいと判断したからに違いない。だとしたらここにいるのは危ない。

「葉子」

「ん、何?」

 邪気一つない僕らの声と葉子の目に少しビックリした。そんなことはともかく。

「早く帰ろう」

「え? 今見始めたばっかりじゃん」

 問答無用で葉子の腕を引っ掴むと「何々どうしたの」と目を丸くした。

 どう説明すればいいかと悩んでいたその時、奥の草むらが葉擦れの音が聞こえた。独りでに揺れる草の向こうからあいつの声が聞こえてくる。

「望ちゃーん、どこぉ?」葉子がビクリとした。

「走って!」

 腕を引っ張り走り出すと、葉子がつんのめりながらも付いてくる。

 山道に出て、一直線に家の方へと走った。

「見・つ・け・たあ」

 大人用のサンダルに足がもつれる。足が短い分、景色の流れがいつもより遅い。

「葉子早く!」

「走ってるよ!」

 後ろを見ると、かつての被っていた猫を捨てた狂気の目が僕らを捉えて放さないでいた。

 大きな歩幅が着実に距離を詰めてくる。どうにか打開しなければいずれ捕まる。

 ……そうだ!

 元々の目的はマークⅡの回収だ。既に手の内にあるのだから、今使ってしまえばいい。

 僕はキューブと同様に、時間よ戻れ、と念じた。

 ……

 しかし幾ら願って、どんなに想っても、何も起きやしない。

 何で!? 何か使用方法でもあるのかと思い、ぐるりと観察してみるが何かボタンが付いているわけでもなかった。

「ほらほらほらほらぁ! 捕まえちゃうわよぉ!」

「葉子、こっち!」

 なりふり構ってはいられない。道にはなっていない草垣に突っ込んだ。葉が肌を擦り、枝が突き刺さるが無理を押し通す。

 手近な木の陰に潜むと、荒れた呼吸を整えた。

「ねぇあれ何? どうして追い掛けてくるの?」

 説明している暇はない。それにこれ以上葉子を危険な目に遭わせるわけにはいかない。でも僕が捕まってマークⅡを取られる最悪な事態は避けたい。

「ごめんね葉子。これが最後のわがままだ。これを持って家まで帰るんだ」

 葉子の手にマークⅡを握らせる。

「いい? 僕があいつの気を引く。葉子はその間に家まで行くんだ」

「やだぁ、一人は怖いよ……」

「大丈夫。葉子なら出来るよ。ほら行って」

 背中をポンと叩くと、葉子は不安な目で何度もこちらに振り返りながら家の方へと這っていった。

 僕は一度深呼吸すると、懐中電灯を付け、葉子とは反対方向へと走り出した。

「そっちか」野太い声がした。

 どうにか、どうにかしないと……

 逃げ切る―― いや、そんなことが可能なのだろうか? 第一逃げ切ったとしても、実家もお婆ちゃん家もあいつに把握されてしまっている。戻った所で捕まるのが関の山だ。元の時間に戻るにも、その手段がない。どうする……

 ……いや待てよ。一つだけある。元の時間に戻りつつ、この状況を打開する方法が。

 あいつのネックレスを使って元の時間に戻ればいい。

 あいつが付けていたネックレスの先端にはキューブが付いていた。形からしてオリジナルじゃなくてコピーの方だが。子供の姿で元の時間に戻ることになるがそれは致し方ない。ここで捕まるよりはマシだ。

 でも、戻った先でどうする? 記憶は引き継がれるんだぞ? それにそもそも、どうやってネックレスを奪うっていうんだ? 何とか奪うことに成功したとしても一度使ったら二十四時間は使えないんだから、結局はその間、逃げ続けるしかない。つまりは奪った後、明日のこの時間まで逃げ切るしかない。

 どうやってそれを実現させる? 大人に協力を求めるか? 子供の言うことだと相手にされないか、あいつに上手く言いくるめられる気がする。それにマークⅡの所在が分かった今、強硬手段をとってくるかもしれない。下手すりゃ人殺しも……

 どうする。どうすればいい……

 服に枝が引っかかり、足を止めた。 ……くそっこんな時に。

 枝を折り、鋭利な枝を見ると、ふと、今考えたことを全て可能にする一つの方法が思いついた。良心が悩んだ。理性的に駄目だと。道徳的に駄目だと。本能的に駄目だと叫んでいる。でも僕の背中に乗っかった重みが、それしかないと焦燥感の中で囁いてくる。

 結論を出すのに、時間は掛からなかった。

 ――殺すしか、ない。

 まずは自分の息を殺した。ライトを消し、草垣を潜り、姿を眩ます。

 子供の非力さで確実に一撃で殺すには、不意をついて喉に丈夫で鋭い木の枝を刺すのがベストだろう。

「そろそろ隠れんぼは終わりにしましょぉ」

 懐中電灯を逆さにするとライト部分を地面に接地させ点灯させた。隙間から光が漏れ出ているのを確認すると、サンダルの片方を懐中電灯の傍に置き、もう片方を遠方へと投げた。すぐさま近くの木陰に身を潜める。

 落下先で音が鳴った。

 なのに草を掻き分ける音は落下先ではなく、こちらの方へと向かってきた。

 物音が遠方で鳴れば、それが陽動で行ったものだと考えるだろう。相手も馬鹿じゃない。だからこそ裏がかける。

 葉擦れの音がすぐ耳元で鳴った。緊張で心臓が大きく騒いでいる。

 奴はすぐ横にいる僕の脇を通り抜けると、漏れ出るライトの元へと向かった。

 そのすぐ後ろを僕は忍び足でついていく。裸足に小石が刺さり痛い。下唇を噛みしめて、ゆっくり両腕を振り上げる。

 奴が背を屈め、懐中電灯を拾おうとした瞬間だった。

 僕は呼吸を止めると、全体重を掛けて後ろ首目掛けて木の枝を振り下ろした。

 軸はブレていない。真っ直ぐ、首筋へ、狙い通り吸い込まれていく。

「なんてね」

 素早く振り返った奴が、僕の手首を掴み、捻り上げた。本来曲がるはずのない方向に無理矢理曲げられ、激痛が走った。手の力が入らなくなり、木の枝が滑り落ちる。

「全く、危ないわねぇ」

 平然とした声で言いながら、捻る力を増してくる。痛みで頭の中が真っ白になり、耐えきれなくなった僕の口から自然と声が漏れ出る。自分でも何を言ってるのか分からない。

「ほら、早くお星様ださないと、このまま折るよ?」

 僕が喋れるようにするためか、力が弱められる。

「……持って、ない」

「は?」

「だから、持ってな」

 手を捻り上げたまま、持ち上げられた。自重が手首に掛かり、さっきとは比べ物にならない痛みが頭まで走った。

「どこにやったの」

「いわ、ない」

 玩具で遊ぶみたいに僕を揺さぶる。軽く揺さぶられただけなのに、一振り事に目に火花が散った。

「折ってもいいみたいね。知ってる? めちゃめちゃ痛いのよ?」

「いわ、ない!」

 麺を湯切りするみたいに僕を大きく振りかぶった。瞬間、バキンと人の体からは鳴っていけない音が耳に届いた。目の前が刹那的に暗転した。

「あああああああああああああ――」

「なぶるのはあんまり趣味じゃないのよぉ。だからほら、言って?」

「い、わ」

「望ちゃんは痛いのが好きみたいねぇ」

 その時、何をされたのか分からなかった。手首の痛みの方が大きかったからだ。腹部が火傷したような痛みを感じて、じわりじわりと痛みが増してからようやく気付いた。

 お腹にさっきの木の枝が刺さっていた。

「さぁ話さないと大変なことになっちゃうわよぉ」

 ぐりぐりと中をかき回され、内蔵を傷つけられる。

 もしかしたら何度か気絶したのかもしれない。気絶しても新しい痛みでまた目を覚ます。

 痛みで吐くことをその時初めて知った。

「本当に言わないつもりね……」

 諦めたのか、手首を放して解放してくれた。

 立つことも満足に出来ず、僕もその場で膝から崩れ落ちる。息が満足に出来なかった。

「人を殴ると、それだけ自分も痛いじゃない? あたし自分が痛いのは嫌だからなるべく暴力でどうにかしようとするのは嫌いなの」

 しゃがみ、僕の耳元に口を寄せてくる。

「だから望ちゃんが木の枝で殺そうとしてきたのは、中々あたし好みだったわよ」

 僕のお腹に刺さっていた木の枝が強引に引き抜かれた。

 痛みの大きさに最早、声など出なかった。筋肉がビクビクと痙攣する。

「どうせお星様は葉子ちゃんにでも渡したんでしょ」

 木の枝を投げ捨てながら、さらりと言う。

「安心なさい。すぐには死なないわ。失血死するまでの間、ゆっくりと走馬灯でも楽しんでなさい」

 奴が去ろうとする。僕は這いつくばって足に絡みついた。鬱陶しそうに払われるが、僕は然れど足にしがみついた。顔を蹴られようとも、歯を折られようとも、その頃にはもう新しい痛みが分からなくなっていた。

「しっつこいわねぇ!」

「行かせ、ない。絶対にぃ……!」

「こぉんのぉ! しつこい男は嫌いよ!」

 大きく振りかぶった足が目の前まで迫った。痛みに恐怖し、目を瞑る。

 ――直後、全てを覆す銃声が暗闇を引き裂いた。

「誰っ!?」

 蹴り辞めた足が素早く音がした方向へと振り返る。

「十年間ずっと待っていた」

 暗闇の奥から銃を構えながら現れた人物に、僕は思わず、はにかんでしまう。

「お前が自分の意思でこの時間にやってくるのを、ずっとな」

「浩介……!」

「何でアンタここにっ!?」

「十年前のこの時間、俺はここにいた。アンタら系外派に襲われて俺は逃げ出した。だけどもう、あん時の俺じゃねぇ。バレねぇように性別まで変えやがって、おかげで最初分からなかっただろうが、この裏切りもの。お前がスパイしてたせいだったんだな、作戦が全部筒抜けだったのも。なぁそうなんだろ? エラーくん」

「ふんっ全く、気付くのが遅すぎるわぁ。それで、だったら何だって言うの?」

「暴行及び殺人罪、ならびに国家転覆陰謀罪により逮捕する」

「あっそ、分かったわ。好きにして…… 私が捕まったらねっ!」

 奴が服の裏からナイフを取り出すと、浩介の元に向かって駆け出した。

 二発の銃声がなり、虚空を撃ち抜く。

 暗闇の中で得物が刃先を光らせ、残光を描いた。

 浩介はそれらを交わし、腕で腕の進行を止め、防御する。まるで事前に打ち合わせが行われたアクションシーンだった。

 腕を潜り、刃物を避け、拳を交わす。

「やだっ! どうしたのぉ! イキがってた割にその程度なのぉ!?」

 僕には五分五分に見えたが、浩介の顔は険しかった。

 起き上がろうとすると、全身が悲鳴を上げる。今すぐにでも体がバラバラになりそうだ。

 それでも僕は踏ん張り、歯を食いしばると、雄叫びで色んなものを誤魔化して、奴に向かって突進した。

「邪魔っ!」

 蹴りが飛んできて、僕はあっけなく後ろに吹き飛んだ。

 でも、その一瞬の隙が命取りだった。

 銃声がして、男の動きが止まった。続けざまに二発の銃声が響き、かつてクリームちゃんを名乗っていた男が片膝をついた。

 浩介の回し蹴りが手に持ったナイフを弾き飛ばすと、男を地面に組み伏せた。

「安心しな。すぐには死なせない。死刑が執行されるまでの間、ゆっくりと監獄の味を楽しむんだな」

 男は顔を歪めて、浩介の話を聞く余裕はないようだった。

 浩介が僕の方を向く。

「遅くなって悪かったな。痛かったろ」

「うん…… かなり」浩介がハハッと笑う。細めた目を戻すと

「今から十年後、つまりお前がいた本来の時間に戻る。俺はこいつを連れて地下施設に行かなきゃいけないからな。お前はどうする?」

「僕は、いいよ。戦争を止めるために、行かなきゃ、いけない所が、あるから」

「……そっか。じゃあ本当に戻すからな。覚悟はいいな?」

「いいから、早くして、痛くて死にそう」

 催促の意味を込めて雑に手を振った。

「あ、浩介、待って。一つだけ、教えて」

 ポケットからキューブのコピーを取り出した浩介の動きが止まった。

「マークⅡって、どうやって、使うの?」

「お前が使ってたオリジナルキューブと同じ。強く念じるだけ」

「ボタン、とか、スイッチは?」

「そんなのねぇよ」

 僕はOKのサインすると、仰向けになってもう止んでしまった流星の名残を眺めた。

「じゃあ浩介、今度こそ、お別れだ」

「ちげぇ。またな、だ」

「お前、キザ臭ぇんだよ」

 浩介が笑うと、釣られて笑ってしまう。お腹が痛かった。

 視界の端が青白く光り、時間転移が始まる。時間が変わる狭間で、浩介が言った。

「そうだ望、言い忘れた」

「ん?」

「白濱のこと、悪かったな」

「え?」




 ハッとするとバイクの上にいた。眩い空、見覚えのある焼け野原と鼻が曲がる匂い。戻ったようだ。

 前に座っていた男の姿はなかった。

 ホッとしたの束の間、制御を失ったバイクが暴れ始める。急いでハンドルに手を伸ばしたが、スロットルを回してしまい、バイクが跳ね上がった。

 鉄の暴れ馬から放り出され、地面を転がった。

 全身が痛い。さっきよりはマシかもしれないが、このまま起き上がりたくない。

 膝に手をついて立ち上がる。掌も擦り傷だらけで顔をしかめてしまう。歩こうと左足に体重を掛けると足首に痛みが走った。

 捻ったか、打撲したか。痛みの原因がなんであれ、どうでもよかった。

 左足を庇いながら、僕達の家まで向かった。幸いにも家まですぐそこまで来ていた。

 遠目から見た時から分かっていたが、僕の家も葉子の家も吹き飛んでしまっていた。涙が自然と湧いてきた。頬の傷に染みて、感傷が押し寄せてくる。

 涙を拭って、葉子の家の方に向かった。葉子の部屋があった場所に行くと、瓦礫の山を掻き分けていく。どこかに飛んでいってしまっていないか不安はあったが、煎餅の缶は思いの外、あっさりと見つかった。

 蓋には『たからばこ』と書かれていた。

 開けてみると、付録の玩具やら木の実が入っていた。その内の一つに、子供の頃の僕と葉子の写真があった。僕の家の前で二人とも楽しそうにピースをしている。

 その写真の下にお星様は眠っていた。

 ずっしりと重たいそれを手に取ると、僕は改めて、時間よ戻れ、と願った。

 ついさっきの十年前に使えなかったのは、恐らくは願う力が足りなかったからだ。

 今度こそ、力強く、戻ることだけを願って、念じて、想って……

 ――どれくらい経っただろうか。

 日が傾き始めていた。何分ここでこうしていただろう。

 何で戻らない? 何で使えない?

 手汗を拭って、今一度強く目をつぶり、時間よ戻れと願った。

 でも、駄目だった。ピクリとも反応しなかった。

 影が差して、気が付いた。

 輝いていなかったのだ。発見した時にはあった金色の光はなく、それはただの黄色い石になり果てていたのだ。

「……使用済み」

 どうして。何に使った? 知らない間に葉子が昔使ったのか?

 しかし思い返せば、先ほどの十年前の時点に使用は出来なかった。拾ってから間もないはず。更によくよく振り返れば、十年前に戻った時、まだ葉子と流星を見ていた時点で光を失っていた気もする。

 一体、何に使ったんだ?

 遠い昔の記憶を掘り返す。

『流れ星が流れている間に願い事を三回唱えると願いが叶うんだよ?』

 葉子はそんなことを言っていた。それで初めて知った僕は降りしきる流星の中で……

 ――

 ――――

 ――――――思い、出した。

 そうだ、僕は、宇宙人に会えますようにって、お星様を持ったまま、願ったんだ。

 全部が繋がった。元を辿れば、全部、僕のせいだったんだ。

 何でも願いを叶える道具を持ったまま、宇宙人に会えますようにって馬鹿なことを願ったから。無限にある平行世界の中で宇宙生まれの白濱さんが、あの日この次元へとやってきたんだ。それで十年経った今、この戦争が起きて、これから十五年後に、浩介達が戦争をなかったことにするために僕が馬鹿な願い事をした日にやってきて、系外派に襲われたんだ。

 全身に力が入らなくなった。立てなくなって、膝から崩れ落ちる。そのまま深く、底のない沼にどんどん落ちていく。

 事の発端も、戦争の原因も、何もかも僕のせいじゃないか。夏に葉子が何度も死んだのだって、失明したのだって、白濱さんが憂い泣いたのだって。

 僕が何かすることで誰かに迷惑を掛けるのなら、もう何もしない方がいい。

 ここまで来るのにだって、どれだけの人に迷惑を掛けた?

 その果てにこれだ。マークⅡは既に使用済み。そのことも早々に思い出していれば、山ちゃんにだって、施設の未来人の人達にだって迷惑を掛けることもなかった。

 迷惑だけで掛けて、得たものは自分の愚かさに気付いただけ。

 ゆっくりと両手を着いた。

 何なら、もう死んだ方がいいのかもしれない。たくさんの人が亡くなった。それを詫びる意味でも、死んだ方がいい。

 虫も鳴かない死んだ世界。物音一つせず、耳が痛い程の沈黙だった。

 望みは絶たれた。もう生きる気力は、微塵も湧かなかった。







 


 ――電子音が鳴っていた。

 ピピッピピッと繰り返されるリズム。最初は気にも留めていなかった。耳元を掠る程度の存在だった。壊れなかった時計でも鳴っているのだろうとしか思っていなかった。しかし、音の発生源がやけに近い気がして、辺りを見渡した。

 服の中から鳴っているようだった。そんな音が鳴るようなもの何も入れてないはずと思い、胸元から中を見ると、ネックレスについたガラス玉が赤く点滅をしていた。

 服から取り出す。やはりそのガラス玉から音が鳴っているようだった。

 なんだ? と思っていると、思いも寄らないことが発生した。

「時刻になりました。メッセージを再生します」

「……本当にそこで諦めるのか?」

 女性の電子音声に続き、男の声がガラス玉から発せられた。

「私は黒澤望。未来の君だ」

 困惑する僕などお構いなしに音声は続いた。

 

 私は逃げたことを後悔している。自分が発端だと気付いてしまった日から十五年経った今日まで、一日として忘れた日はない。あの日、君でいう今この瞬間、何で立ち止まることを選んでしまったのか、何で諦めてしまったのか。過去をやり直したくて仕方がないよ。

 今の私が何をしているか想像つくかい? 

 別に学生の時みたく毎日ウジウジしながら生きているわけじゃないよ。それに不幸だとも思ってない。寧ろ幸せな生活をしていると思う。

 今は学校の教師をしているんだ。子供はいないけど、葉子と結婚して、毎日仕事が終われば、暖かい我が家で一緒にご飯を食べてるんだ。

 諦めたあの日。僕はのこのこと施設に戻ったんだ。戻ってから酷く怒られて、責められてね。終戦した後も数年の間に何度も自殺未遂を繰り返して、鬱病にもなったんだ。当時は酷かったよ。急に暴れたり落ち込んだり。周りの人は誰もいなくなったよ。

 でも葉子だけはずっと傍にいてくれたんだ。失明させた責任もあったのかもしれない。二十五の時に籍を入れたよ。

 それでしばらくしてからかな。安定した生活を続けてふと気が付いたんだ。自分が人並みの生活をしているってね。

 たくさんの人に迷惑を掛けて、死んだ方がマシだと思った自分が一端に幸せに暮らしているんだ。今の自分が味わっている生活を、私のせいで壊された人がたくさんいるのに、そんな自分が幸せに生きている。気付いた時はおかしかったよ。壊された人からしてみたらこんな理不尽な話があるかい? 自分が他人に理不尽を押し付けてることに気が付いて、私はこの生活を破壊しようと思ったよ。気が狂いそうだったよ。いや、実際狂ってたのかもしれない。自分のことを殴り出す。泣き喚く。物を壊し出す。そんな中で葉子が言ったんだ。

『失敗しない人なんていないよ。もしその失敗が、大きなことだったり取り返しが付かないことだったりしても、あなたはそれを経験して悔い改めようとしている。自分の失敗を認めて、悔い改めようとすることが出来る人になったんだよ。私はそれを立派なことだと思うよ。ほら、息を吸って。またやり直そ。一緒にいるから』とね。

 失明させて不幸にさせたと思っていた相手に言われたんだ。正直、救われたよ。

 それからしばらくして、波島浩介という子供が教え子になったんだ。何かの運命かと思ったよ。言い方は悪いが、この子を利用すれば過去を変えられると思った。過去に行けない私の代わりに、このメッセージを過去の自分に届けてもらう。そして願わくば、また歩き出してほしいと思ってね。

 もし過去の私が戦争をなかったことに成功させたら、きっと今のこの生活はなかったことになるだろう。でも、それでも構わない。今回は私のエゴじゃないよ。葉子とはもう話がついている。

『もし今の生活がなかったことになったらどうする?』って訊いたら、

『もしかして昔のお星様の話? 別にいいよ。結婚して何年も一緒に生活してて思ったもん。きっと結婚してなくても私達の距離感は変わらなかっただろうなって』

 ホント、昔から勘も頭も良い奴だよ。

 長い自分語りをしてしまったね。改めて、もう一度言わしてもらうね。

 本当にそこで諦めるのか?

 今の君は全部を知って、歩みを止めた。でもだからこそ、全部を知ったからこそ自分がどうしてそうしたのか、原点を見つめ直してほしい。

 今の私は葉子が好きだが、それは今も昔も家族としてだ。こんな話、葉子には聞かれたくはないけど、ずっと心に残っている人が一人だけいる。十五年経った今ではもうだいぶ熱は冷めてしまっているけど、刻まれた大切な人がいつまでも残っているんだ。

 自分がどうして戦争を引き起こしてしまったのか、自分がどうして戦争を止めるために走り出したのか、もう一度思い出してほしい。

 今の私には分からない。今の君だからこそ分かる熱を、また思い出してほしい。

 それじゃあ、健闘を祈るよ。

 

 ガラス玉に灯っていた赤い光がなくなった。考える余地などなかった。

「くそっくそっくそっくそっくそっ!」

 こんなのを聞かされたら、諦めるわけにはいかなくなるだろ!

 神経に響く足首の痛みを噛み殺して、僕は再び立ち上がり、走り出した。

 思い出した。思い出させられた。

 命の重みだとか、責任だとか、戦争を止めないといけないとか、目先のことが積み重なって、忘れかけていた。

 目的地は学校、いや、白濱さんの元だ。

 誰かのため、何かのためじゃない。体裁も建前も嘘も偽りも言い訳も、そんなもの全部捨ててしまえ。自分のために始めたなら、最後まで突き通せ。

 地を蹴った。

 白濱さんに会いたかった。僕が戦争を引き起こさせてしまったのは、白濱さんに会えなくなるのが嫌で、キューブを返さなかったからだ。

 白濱さんに会いたかった。僕が戦争を止めようと最初に思ったのは白濱さんが目の前で泣いたからだ。

 腕を振り、前を見つめ、足を動かす。着地する度にもう駄目だと騒ぎ立てる足にムチを振るう。

 白濱さんに会いたかった。耳にする度に心が弾んだあの声をもう一度聞きたかった。

 傾き出していた日が、オレンジ色に変わり出す。

 白濱さんに会いたかった。鼻先を掠る度に振り向いてしまうあの匂いを。

 道中に自衛隊の駐屯基地はないが、近くは通る。見つかるかもしれない。危ないかもしれない。でももう足を止めるためのそんな小さな言い訳は効かなかった。

 白濱さんに会いたかった。見ただけで有頂天になってしまうあの笑顔をもう一度。

 痛みで汗が滲む。

 白濱さんに会いたかった。また僕の話で笑ってほしかった。

 白濱さんに会いたかった。今度はちゃんと好きだと伝えたかった。

 白濱さんに会いたかった。ただ、それだけだった。



 ※


 

 辺りは薄闇に浸り、日は半壊した校舎の影へと沈んでいた。

 瓦礫の山を目の前にし、肩で息を吸っていた。心臓は強く脈打ち、腫れ上がった足首は常に針で刺されているようだった。ぎこちなくなった足取りで瓦礫を登って行き、最後に白濱さんを見た自分の教室跡へと向かう。

 生徒の肉がたくさん転がっていた。誰のかも判別が付かない手足内蔵肉片に異臭。吐き気を堪えて、渇く喉に無理矢理つばを押し流す。目を凝らし、奥へと進んだ。

 十分程探したが、見つからない。瓦礫の下敷きになっていては探しようがない。

 諦めきれず、教室跡の瓦礫をどかし始めたその時、視界の隅で何かが光っている気がした。視線を巡らせる。気のせいではなかった。

 見覚えのある小さな一つの白い光。駆け寄る。

 キューブだった。瓦礫の下になっている誰かの手の中にそれはあった。心当たりは一人しかいなかった。瓦礫をどかし、確認する。

「……白濱さん」返事はなかった。

 目を瞑り、血の気が引き、より白くなった顔。触れると粘土のような感触に人とは思えない冷たさがあった。

 分かっていた。分かっていたことのはずだ。

 出そうになる涙を堪えて、白濱さんの手からキューブを取った。

 戻す時間は決めている。心を落ち着けて、僕は祈った。

 あの雑談に笑い合った日常を。一挙手一投足に一喜一憂した日々を。早く明日にならないかなと願っていた毎日を。

「時間よ、戻ってください」両手の隙間から光が漏れた。

 

 死んだ世界が息を吹き返していく。

 忙しく生きる蝉の声が、部活に励む生徒達の声が、肌に纏わり付く不愉快な熱が、自分の色を取り戻していく。

 ゆっくりと目を開ける。そこは学校の廊下だった。倒壊もなく、悲惨なことがあった痕跡すらない。窓の外を見ると、行き交う車、敷き詰められた住宅、濃い人影が、営みを育んでいた。

 手には英語のテストとキューブ。点は三つに戻っていた。

 ……帰ってきた。

 今日は七月。夏休み前日。僕が初めてキューブを拾った場所だ。

 すぐそこには英語の教員談話室。

 踏み出すのが怖かった。何かに躊躇っている自分がいる。

 そうこうしていると、教員談話室のドアが開き、中から女生徒が出てきた。僕を見掛けるなり、顔を綻ばせて、手を振ってきた。

「望月くんも山岡先生に用事ですか?」

 白濱さんの声だった。白濱さんの匂いだった。白濱さんの笑顔だった。

 昔の記憶に触れたように、懐かしさのあまり喉が詰まってしまう。繕わなきゃ、未来から来たなんて知られたら、またややこしいことになる。

「う、うん。え、英語のテストの再提出」

「あっ」察したような声を出し、白濱さんは口を押さえた。

 気まずさを隠すように

「それでは私はもう行きますね」と僕の横をすり抜けていく。

「し――」そういえば前回は呼び止められなかったっけ。

「白濱さん」

 立ち止まり、振り返った白濱さんに近寄ると、僕はキューブを握った手を持ち上げた。

 とても簡単なことだ。これを返せば全てが円満に終わる。終わる。終わる。分かっている。もう覚悟も決めた。これを、キューブを返して、白濱さんが母船に帰って、戦争は起こらなくて、ハッピーエンドなんだ。なのに。なのに。どうして言葉が出ないんだ。

「望月くん?」

 何でまだ躊躇う。何を躊躇う。何をしているんだ。早く、早く返すんだ。早く。

「望月くん? どうして泣いてるんですか?」

「……え?」

 頬を触れると、両目から大粒の涙が溢れていた。

「なんだ、これ。どうしたんだろ」

 拭っても、拭っても、一向に止まる気配がなかった。それどころか、心に燻っているものがハッキリと形になって、余計に悲しくなってくる。

「え、あ、望月くん大丈夫ですか?」

 心配そうに白濱さんが顔を覗いてきて、何かしたそうに手が右往左往としていた。

 子供みたいに泣きじゃくりそうだった。嗚咽しそうになるのを必死に堰き止める。

 単純だ。僕はただ、白濱さんともう会えなくなるのが嫌なだけなのだ。

「白濱さん、僕は…… 僕は」

「はい。何ですか?」

 貴方が好きです。と言い掛けて、その言葉を呑み込んだ。

 僕にそんなことを言う資格はない。

 起きたことになってないとはいえ、僕は多大な迷惑を掛けた。白濱さんにキューブを持ってないと嘘をついた。自分よがりなことをしてはいけない。

 涙を垂れ流して、恥も外聞もなく顔をくしゃくしゃにしながら、

「僕は、これを届けに来たんだ」とキューブを差し出した。

「あっ……」

「もう、落としちゃ、駄目だよ」

 白濱さんが僕の掌に載っかったキューブを摘まんだ。

「どこで、これ、私のだって…… まさか、望月くん」

 大きく開かれた目が僕を見た。

「ごめん。本当にごめん」

「……いつから来たんですか?」

「十月から」

「最終調査報告の後から、ですか…… もしかして全部?」

「うん。全部、知ってる」

「そう、ですか…… 未来ではそんなに辛いことがあったんですか?」

「うん。たくさん、あったよ。でも、今泣いてるのは、未来にあった出来事のせい、じゃないんだよ」

「聞かせてもらってもいいですか?」

 僕は首を横に振った。

「ごめん。それは、出来ない。僕は、未来で、たくさんの人に、迷惑を掛けたんだ。白濱さんにも、ね。そんな僕が、言っていいことじゃ、ないんだ」

「……そうですか、残念です。あの、全部知ってるなら分かっていると思いますけど、私は今日で元の世界に帰ります。 ……だから、もう会えないかもしれません。もう二度と会えないかもしれません。それでも言えないんですか?」

「うん。ごめん」

「そんな…… もう会えないのに…… 分かりました。でしたら約束してください」

「何?」

「次会うことがあったら、その理由を教えてください」

 躊躇う僕に、白濱さんは続ける。

「もし望月くんが今の自分を許せなくて、罰のつもりでそうしているのなら、もし次会うことが出来たら私が全部許します。人類80億人×無限の別次元の可能性。もしかしたら宇宙の星より多いかも知れない出会いの中で、私達は出会いました。もしまた出会うことが出来るような奇跡が起きたら、それはもう許されるべきです。ね? 悪くない賭けだと思いますよ」

 痒くもない後頭部を掻き、僕は頷いた。

 白濱さんが笑った。僕に一歩距離を詰めてくると両手で僕の右手を握る。掌の中に硬い感触があった。

 追求する暇もなく、白濱さんが僕の瞳を覗く。

「また、会いましょうね」

 僕もまた白濱さんの瞳を覗く。強く、芯のある目をしていた。僕は忘れないようにしっかりと目に焼き付けると

「うん。また会おうね」と、握り返した。

 手を離すと、白濱さんが点が二つになったキューブを僕に見せびらかす。

「約束ですよ」

 はにかんだ白濱さんはそのまま照れを隠すように走り出すと

「またね」と手を振った。

 夏の陽光の中へと、溶けていくその姿。

 見えなくなるまで手を振り返し、一人になると、どうしようもなく泣きたくなって、声を上げた。



 ※



 もしも願いが何でも叶うなら僕は何を願うだろう。

 最初からいないことになった親友に会いたいと願うのか。想いを告げずに去っていった好きな人に会いたいと願うのか。はたまた別のことを願うのか。

 二人がいなくなった夏休みは、ぽっかりと穴が開いていた。

 夏休みの初日に起きるはずだったコンビニ前の事故も、僕が葉子を図書室で足止めしただけで簡単になかったことにすることができた。

 花火大会に行くこともなかった。葉子が海に行きたいと騒ぐこともなかったし、深夜の学校に忍び込むこともなかった。当然お婆ちゃんの家に行くこともなかったし、そこであったお料理対決とか、肝試しとか、神社のお祭りとか、線香花火だとかも、起きることがなかった。僕の記憶だけになった一夏の思い出が、夕方に押し寄せる哀愁みたいに常に付きまとった。

 図書館の学習スペースで宿題を片付けていると、葉子が訊いてきた。

「あんた白濱さんのこと好きだったでしょ?」

 この意地悪な質問が、なんだか懐かしい気がした。

「うん。好きだった。大好きだったよ」

 答えると、一瞬ペンの音が止まって、またすぐに動き出す。

「やっぱり」

 葉子が死ぬ心配はもうどこにもない。だから前みたいに突き放すみたいなことをしなくてもよかったのだが、白濱さんがいなくなって傷心中の僕にかけてきた塩なのだから、こっちもかけ返してもいいだろう。どうせ僕達の距離はいつまでも変わらないのだから。

 例年通りの夏休みを終えて、僕は三度目の九月を体験する。とはいっても毎回違う内容なのだからタイムリープ特有の先読みみたいなことは出来ない。

 ただ一つ、葉子に「うちのクラスはたこ焼きの模擬店になるよ」と言い当てるぐらいは披露して驚かせてやった。

 つつがなく文化祭の準備は進み、本番を迎える。

 もう戦争は起きないと分かってはいるのだが、例刻を過ぎるまで気が気でなかった。

 正午を迎えて、空を睨んだ。

 白い雲が行き先も知らされないまま、呑気に風に流されていた。

 時計の長針が一つ進み、ホッと胸を撫で下ろした。

 世界は変わらず、いつも通りの連続した時間が過ぎていく。

 痛みに耐え続けたあの日々を思い返す。痛みを我慢して大切な人を二人も失って、僕は何を得たのだろう。誰も知らない世界平和? 痛みを耐え抜く経験? 諦めない心?

 別にそんなもの望んでいなかった。壮大なものでもなくて、生きる力でもなくて、もっと身近にあり続けて欲しかったもの。僕が望んでいたものは――

 その時、クラスの一人が言った。

「あ、流れ星」

 思わず空を見たが、そこにはもう何もなかった。


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