第四話 九月二十八日 一二〇〇
二十三時。消灯時間をとうに超え、昼間の熱気が嘘のように静まりかえっていた。どこかのクラスはまだ起きているようで、僕が態と足音を立てると、急に静かになった。
「私達のこと先生と勘違いしてるんですね」
隣を歩く少女は明日起きる出来事を知らず、無邪気に笑った。
九月二十七日。文化祭前日。
僕は廊下の窓から外を眺めた。こういう日に限って、星がよく見えた。
※
赤とんぼが水面を蹴り、小さな波紋が広がった。
八月を終えて、夏を惜しんでいるのか、一年の早さに嘆いているのか、溜息がチラホラと聞こえてくる。残暑でまだ寝苦しい日々は続くが、日を追う毎に夏の喧騒がゆっくりと土に還り、夜の訪れが早くなるのを感じる。
新学期を迎え、この夏にやり残したことを言い合うクラスの中、山ちゃんが言った。
「残念なことに夏休み期間中、波島浩介くんが転校することになりました。他県への引っ越しらしく、突然のことで先生も驚いています」
教室のほぼ全員が初めて知ったようで声を上げた。同じバスケのメンバーも知らなかったようで動揺を隠せないでいる。
驚かなかったのはいなくなることを事前に知っていた僕と、横目で見た視線の先、白濱さんだけだった。
ホームルームが終わるや否や、葉子が僕の所にやってきて
「ねぇ聞いてた!? 私全然知らなかったんだけど! もしかして急用ってこのことだったのかな!?」と捲し立ててきた。
話は前後するが合宿最終日のことだ。
水質調査は無事に終わり、台風も何事もなく過ぎ去り、帰り支度を進めていると「悪りぃ急用が出来た」と浩介は一足先に帰っていったのだ。
何だろうねー、なんて話すふりをしてみせたが、内心ではリーダーに呼び出されたのだろうと思っていた。
それから浩介にメッセージを送っても、返ってくるのは宛先不明を知らせるエラーメッセージだけになった。浩介はもうこの時代にはいないのだと、少しショックを受けた。
話を戻して、始業式のため体育館に向かっている最中、僕は一人で歩く白濱さんを見つけた。誰にも咎められることなく後ろ姿を見続けるのもいいが、それよりも浩介のことについて白濱さんから聞きたかった。足を速め、肩を叩いた。
「ねぇ白濱さん、浩介が転校するって聞いてた?」
「いえ、私も今日のホームルームで初めて知りました。驚きです」
さっき見た全く動じない白濱さんの顔がチラつく。
「へぇ、じゃあ」結局別れたの? と言いかけて、今の自分は別れようと考えていることを打ち明けられていないと思い出し
「じゃあこれから遠距離恋愛?」と無理矢理言い直した。
「うーん…… どうなんでしょう。こういう時って普通、彼女さんには言うものだと思うんですよ。なのにそれがなかったってことは、破局ってことなんですかね?」
「んーどうなんだろうね」
付き合ったのことない僕には恋人同士の距離感なんてものは分からない。
愛想笑いで会話を流すと、僕らは適当に残暑ついて語って、整列のために別れた。
「それってつまり、狙い時ってやつじゃない!」
葉子が目が冴えるような声を上げた。
「そういうもん?」
「そうよ。突然、彼氏がいなくなった失意の中、優しく接して心を射止めるなんて常套手段じゃない」
「何か弱みにつけ込むみたいで嫌だなーそれ」
「あんたそんな言い訳を並べてたらいつまでも行動出来ないでしょ! 今日は前髪が決まらないからとか、今日は占いの順位が悪かったからとか、それで誰かに先を越されて泣くはめになっても知らないからね!」
「はい、そこ静かに。恋バナするなら私がいないとこでやって」
山ちゃんの声が飛んできた。思わず身を縮めてしまう。
校長の長話など聞く気もなく、僕は隣の葉子と話していた。
「あんたのせいだからね」
「何でだよ」
「あんたが白濱さんの話なんか振るから独身の山ちゃんがまた傷ついちゃったんじゃん」
「え、そっち?」
「他に何があんのよ」
喋ってたのを怒られたんじゃないの、とツッコミを入れる前に僕と葉子は頭を叩かれた。
始業式が終わり、教室に戻ると先生は後期の行事予定を説明し始めた。
林間学校や修学旅行と楽しそうな話題が続く中、僕が白濱さんから目を離したのは文化祭についての話が始まったからだった。
「今配ったプリントを読めば分かるけど、文化祭は28、29の二日間で行われます。一日目が学内限定、二日目が一般公開。前日の27は準備日として授業はありません。開催の一週間前21から準備期間として校内に私物などの学校に関係ないものを置くことを許可します。また準備が終わらなかったクラスは申請を出せば、泊まりでの作業を許可します」
『ねぇ本当に戦争は起きるの?』
『あぁ、起きるよ。九月二十八日にな』
クラスが文化祭の話で浮き足立つ中、僕は一人、浩介との会話を思い出していた。
本当に戦争が起きるのだろうか。確信が持てず、妙に落ち着かない。
あの夏のことは全部本当にあったことだ。でもこう時間が経つとあのことが全部、夢のことだったように思えて仕方がない。現実離れし過ぎている。
ポケットに手を突っ込み、キューブを握ると、僕は少し時間が戻るように念じてみた。
「今配ったプリントを読めば分かるけど――」
山ちゃんが再び同じ説明をし、周りの生徒達がさっきと同じことを話し始める。
夢でも幻でもない証が、いとも容易く行われた。
僕の溜息が、愉快な喧騒に揉み消された。
Xデーが近づいている。それが分かっていても何が出来るわけもなく、時間だけが少しずつ削れていく。削りカスは胸の底に降り積もり、焦燥の小さな山を作り始めていた。
文化祭の準備が始まる一週間前までは、既に九月を一度過ごしている。
前回と変わらず、浩介の姿はないが、葉子がいて白濱さんとも疎遠になるようなことにはなっていない。
遅刻しそうになる朝は葉子が起こしに来て二人で自転車に跨がった。教室で白濱さんに会えば挨拶をして、何かと用事をつけて会話を交わした。
前の九月は授業を欠席しまくった分、改めて受けられるのはありがたかった。
一度体験した九月とは違う日々。叶わなかった葉子とのすき焼きも罪悪感から逃れるために決行し、葉子が僕の肉を食べること以外、和やかに終わった。
そして文化祭準備期間、最後の一週間が始まった。
※
一日目。
立ち上がりは静かだった。放課後になると文化祭の準備が始められたが、全員が手探り状態で何から始めればいいのか分からなかった。実行委員が作業を割り振り始めると、少しずつ教室は温められ、十五分が経過する頃には教室ないはドンチャン騒ぎとなっていた。
かく言う僕達のクラスもたこ焼きを振る舞う模擬店をするということで準備が進められている。男女仲睦まじく装飾の準備、当日の動きの確認などが行われていた。
僕は不器用、非力、駄目人間と三拍子揃った余り物だったので、時折振られる折り紙を折る作業だけをしていた。
世界があと一週間で終わるとしたら何をしますか? という質問に僕はきっと平和を願って鶴を折ると答えるだろう。
二日目。
「ねぇ、ごめん、そっち持ってー」
「あいよー。こう?」
「ちょっと、持ち上げすぎ。態とでしょー」
校内の熱さは昨日よりも一層熱を帯びていた。何をすればいいのか、というのを分かってきたからか、ブレーキを失った四輪のようにどこまでも進んでいく。
「文化祭までの間は私、すぐに帰るから用事がある人は副担任の松平先生に言うように」
決して学生達の青い春が目に毒だから……ではなく、学生の主体性を重んじているため山ちゃんは放課後になると早々にクラスから姿を消すようになった。
廊下を歩けば青春嫌いの山ちゃんが早く帰りたがるのも納得である。
楽しそうに店の看板を作る男女の姿や劇の練習が聞こえてくるクラス、お化けの仮装をした集団など、見渡す限り青春の色気に満ちているのだ。
「ごめん、白濱さん。このプリント松平のとこまで持っていってくれる?」
「あ、はい、分かりました」
委員長が週番の白濱さんにプリントの山を持たせていた。
「ほら、あんた今こそ行くのよ」葉子が背中を押してくる。
「え、でも僕週番じゃないよ?」
「馬鹿なの? アホなの? 脳みそないの? 半分持つよって優しさアピールしながら二人っきりになれるでしょうが」
「葉子は天才なの?」
ほいじゃいっちょ行きますかと踏み出した一歩。その一歩分の時間で、僕の中で躊躇いが生まれた。
「あんたまたぁ?」
僕の僅かな動きで理解したのか、葉子が目を尖らせる。
「奥手なんだか、草食なんだかよく分かんないけど、そういう面倒なとこ駄目よ」
「いや、そうじゃなくて…… そうかもしれないけど……」
踏ん切りがつかず、二歩目が出ないまま、白濱さんは教室から姿を消した。僕ではなく葉子の方が溜息をついた。
白濱さんが姿を消した教室のドアを見つめる。
白濱さんが宇宙人と聞いた今、果たして僕が白濱さんへ向けている感情は好きなままなのだろうか。恋? 疑惑? 好奇心?
夏休み前までは話しかけられるだけで有頂天になって頭が真っ白になっていたぐらいなのに。今はそうではない。浩介の探りを入れるために話しかけるぐらいには落ち着いて話すことが出来てしまう。
これはホントに恋心なのだろうか? ささくれのような痛みが、引っかかった。
三日目。
今日も変わらず折り紙作業。完成予想図を知らない下請けの僕は無限にも思える折り紙作業に目を回していた。
「すみません望月くん、こっち手伝ってくれますか?」
後ろから声が掛かった。見ずにともその音波で誰かは分かった。僕は何を手伝うのかも知らないまま、反射的に「うん、いいよ」と振り返る。
「ちょっとあんた。今私の顔見た瞬間怪訝な顔したでしょ」
そこに立っていたのは葉子と白濱さんだった。
「怪訝な顔なんてしてないよ。嫌な顔しただけ」
「ちょっとぐらい誤魔化そうとしなさいよ!」
「お二人は本当に仲が良いですね」白濱さんが口に指を当てて笑った。
否定しようと思ったが、どうでもいい話をダラダラと続ける気も起きず本題に戻す。
「それで何手伝えばいいの?」
「実行委員の人に頼まれまして、当日の机が教室分だけじゃ足りないので空き教室から四台ほど見繕って来てほしいとのことです」
「だってさ葉子、頑張って」
「知ってるわよ! 運ぶためにあんた呼んだんだから」
「僕リンゴ三つ分より重い物なんて持ったことないよ」
「逆に何で口と鼻の境が分からない白猫は持ったことがあるのよ。ほら、いいから行く」
無理矢理立たせられ教室を後にする。廊下も所狭しと装飾作りに賑わっていた。
空き教室は二階、一年生エリアの一番奥にある。三階の僕の教室からは真反対でかなり遠い位置にある。
どこも騒がしいね、なんて言いながら階段を下りると急に葉子が「あっ」と言い出した。
「申請書忘れてた」
「申請書?」
「机を持ち出すのに必要な書類。教室に忘れて来ちゃった。ごめん、私一回教室戻るから二人はそのまま机取りに行っちゃってー」
こちらの意見を聞く隙も与えず、葉子は最後にウィンクをしてから立ち去って行った。
どうやら計られたようだ。
僕と白濱さんは困ったように笑い合うと、渋々空き教室へと歩き出した。
「何だか最近の葉子ちゃんは吹っ切れたような気がします」
思い当たることが一つあるが、とりあえず白を切る。
「そうかな?」
「はい。まるで好きな人にようやく想いを伝えられた後みたいです」
「ず、随分具体的だね……」
命中しているから怖い。これが女の勘というものなのだろうか。
「望月くんはそう思いませんか?」
「わ、分かんないなー。少なくともご飯を食べる量は前と変わってないよ」
目も合せられない会話。何とかして別の話題にすり替えたいと思っていた矢先、白濱さんは「あ、今年もやるんですね」と突然言い出した。
白濱さんの目線を追い、通り過ぎたポスターに目をやった。
【第四回 星を見る会】
そうか、あれからもう一年経ったのか。遠い昔のことのようでもあり、つい最近あったことのようにも感じる。
これがヒントになったのか。ふと僕は別の話題を思いついた。
「そうだ、白濱さんは宇宙人って信じる?」
「宇宙人ですか? また突然変なことを聞きますね」
白濱さんが微笑んだ。いつもならその笑窪が嬉しいのだが、この質問の意図は本当に宇宙人がいるかどうかを討論したいことじゃないため、少し後ろめたさがあった。
遠回しに僕は訊いているのだ。君は宇宙人なの? と。
「いやさ、今度流星群が来るらしいじゃん。丁度文化祭の日にね。だからふと思ったんだよね、これって偶然なのかなって? もしかして僕達の文化祭に合せて宇宙人が態とやっているんじゃないかなと」
おどけた口調で僕は言った。どうして宇宙人がいるかなんて考えに至ったのか、それっぽく。結論から言えば、訊くべきではなかった。
「もぉ何言ってるんですか。宇宙人なんているはずないに決まってるじゃないですか」
そう言った白濱さんは歩く足を速め、僕の視界から顔を隠した。
僕を好きではないと嘘を吐き続けた葉子と似ていた。
それでここ最近、僕が白濱さんに抱いていた感情の正体が分かった。
正直、白濱さんが宇宙人かどうかはどうでもよかったのだ。僕は白濱さんの容姿、声、性格、雰囲気、そういったもの全部をひっくるめて好きなったのだ。だから
白濱さんが正体を隠している。即ち僕に隠し事をしている、嘘をついている、ということ自体が引っかかっていたのだ。
やっぱり嘘はつかれたくない。そんな、単純なことだったのだ。
四日目。五日目。
特に進展はなかった。家に帰ると葉子がウチでくつろいでいて
「何でいるんだよ」って訊くと
「別にぃ、いいじゃん。分かってるくせに」とソファで寝返りをうってそっっぽを向いた。
夏休みの一件以来、葉子の好意はあからさまなものになった。だからと言って僕と白濱さんをくっつけようとする捻くれた所も変える気はないようで、相変わらず面倒なやつだった。
「あんたも充分面倒だから」
「人の心を読むな」
六日目。
明後日を本番に控え、一時間の内に十回はヤバイを聞くようになった。六分に一回のペースだ。この調子でいけば今日明日で一生分のヤバイを聞くことになりそうだった。
しかし、僕が見る限りそんなヤバイを連呼するほど準備の遅れはなかった。寧ろ順調に進み過ぎて明日の一日準備の昼頃にはやることがなくなりそうだった。
白濱さんを見ると、他の女子と雑談しながら看板の塗装をしていた。
平和だ。平和の一言に尽きる。
あの嵐のような今年の夏休みを考えれば嘘のようだ。これから戦争が始まるなんて到底信じられない。鳥の姿が見えなくなるだとか、大量の魚が打ち上がるとか、イナゴの群れが町を襲うだとか、そんな前兆も一切ない。ニュースを見ても不安を煽るような世界情勢の話も特にない。まぁ宇宙人が急に攻めてくるという話だから前兆がないのは当然なのだが、それにしたって不穏な空気のふの字もない。
もしかしたら浩介が所属していた、なんだっけ、そう太陽派とかいう人達がもう未然に戦争を回避してくれたのかもしれない。
「望月くん、はい、追加の折り紙」
突然声を掛けてきた委員長が新品のお徳用五百枚の束を僕の机に置いた。
「え、まだ折るの!?」
僕の机の横に置かれたダンボールの中には既に溢れんばかりの折り紙が入っている。なんなら二百ページ近くあった折り紙辞典の九割は既に折ってしまっている。
「これ以上折ってもどこに飾るのさ」
「さぁー実行委員がやれって」
僕はこれ見よがしに溜息をつくと、折り紙の束を開封した。
いっそのこと千羽鶴でも折ってやろうか。
僕は恨みを込めて紙飛行機を作ると、開きっぱなしの窓目掛けて憎しみ一号を飛ばした。
綺麗に飛んだそれは外に出た途端、風の煽りを受けて、あらぬ方向へと落ちていく。
「痛っ」やべ。
聞き覚えのある松平の声。誰だぁ! という声が聞こえ、僕はすぐさま席を立ち、トイレへと逃げ込んだ。
十分してから教室に戻ると、教室を勘違いしたらしい松平が隣のクラスで喚き散らかしていた。十字を切って、手を合せる。ゴーメン。
七日目。
いつものように時間は過ぎていた。
ヤバイを連呼する実行委員に、看板の完成に歓声をあげるクラスメイト達、絶え間なく聞こえてくる笑い声、廊下を爆走するゾンビの集団。
白濱さんも、葉子も、クラスの皆も、昨日と変わらない。
連日心を掠める戦争のことと、白濱さんへの想い。
本当に明日、起きるのだろうか。起きた時、その時僕は何をすればいいのだろう。
今日と変わらない日が明日も続く気がしてならない。
もしも明日世界が終わるなら何をする? という定番の質問に僕はいつだか、そりゃやりたいことやるさ、一日中ゲームするとか、好きな人に想いを伝えるだとか、と考えたことがあった。でも実際にその状況に陥っても僕は昨日と全く同じ事をしている。変わらない時間を惰性で貪っている。もし戦争が起きた時の動きも想像せず、今日世界が最後だった時の動きもしない。ただ、貴重な時間を折り込んでいくだけ。
こうして今日も一日を終えようとした。午後三時だった。
「皆聞いてー」
教壇に立った実行委員が珍しく全員の視線を集めた。僕もスマホゲームを一回やめる。サボっていたわけじゃない。休憩していただけだ。……一時間ほど。
「準備の最終日だし、折角だから、準備がまだ終わりそうにないって嘘ついて、泊まりの許可貰ってきましたー」
クラスの一部がドッと湧いた。うぇーいだのよくやっただの、賛辞の声が上がっている。
僕はどちらかというと眉を曲げたグループだった。
「強制ではないんで、帰りたい人は帰っても構いません。泊まる人だけ、黒板に名前を書いていってください」
えーどうするー、なんて声がたちまち聞こえてくる。
正当に帰れるようで僕は安堵した。さて、誰が残るんだろうと僕は黒板に集まっていく皆の様子を観察する。
実行委員と喜んだ連中は我先にと書き込んでいた。女子のグループは残るかどうかまだ会議している所もある。クラスの隅を見れば眼鏡率百パーセントのグループが黒板に集まる皆を上から目線で馬鹿にしているようだった。
見ると、白濱さんのグループが名前を書きに行っていた。
しばらくして黒板の人集りが解散していく。出揃った名前はクラスの六割ほどだろうか。
結構泊まるんだなー、と他人事のように名前を眺めていく。そこで一つの名前に目が留まった。
田中光、佐藤舞、山田徹、望月望、黒澤葉子……
……ん?
目をこすり、もう一度見返してみる。
田中光、佐藤舞、山田徹、望月望……
ん? ん? ん?
僕の名前の下には似たような筆跡で黒澤葉子と書かれていた。
すぐに窓際で携帯を弄る葉子の元へと向かった。
「おい! なに勝手に名前書いてるんだよ!」
「え? 不満?」
「不満だよ! 勝手に決めるなよ!」
「でも白濱さんは泊まるみたいだよ?」
「そうだけど、それとこれ関係ないだろ!」
「関係あるよ」
「どこが!?」
「だって、好きなんでしょ?」
言葉が詰まった。葉子は続ける。
「好きな人が泊まる。だから自分も泊まる。別に変なことじゃなくない? 準備が殆ど終わってる今、寧ろ皆、好きな人がいるかどうかで泊まるかどうかを決めてると思うよ」
葉子に反論出来ず、僕は頭を掻いた。そこで一言。
「ならせめて、前もって言ってくれ」僕はそう言って、席に戻った。
日が沈み、夜を迎えた。時刻は二十二時。
他のクラスもそこそこを残っているようで、昼間より静かにはなったがそれでもまだ騒がしかった。
一度松平が様子を見にやってきて
「夜十時には消灯だからそれまでには静かにしろよ。いちよ宿直の先生と守衛さんがいるけど、迷惑かけないように」と言って帰って行った。
「皆で学校に泊まるって何だかワクワクするね」
「これで布団でもあれば最高なんだけどね」
クラスの誰かがそんな話をしていた。一人一枚非常用の毛布を配布されただけで基本雑魚寝だ。
実行委員が晩飯を買ってきたり、適当なゲームで多少の盛り上がりはあったりはしたが、夜九時にもなると流石の皆も騒ぐ元気はなくなっているようだった。
そうこうして十時を迎えると、宿直の先生だろうか廊下から
「消灯ー、起きてる奴は指導室送りにするぞー」
とやる気のない声が聞こえてきて、教室は寝静まることになった。
期待するようなことは何もなかった。小さく溜息をつくと僕は毛布の中に縮まり込んだ。
修学旅行みたいに恋バナでも展開されるのだろうかと思っていたが、流石に二十人近くいる教室でそんなことを話す勇者はいなかった。
ムードメイカーが態とオナラの音を鳴らし、小さな笑いが起きた。誰かがボケ、小さな笑いが細々と起きる。そうやって夜は深まり、時間が経つにつれ、一人、また一人と夢の中へと誘われていく。
時間は分からない。寝息が多くなり、僕も夢の魔の手に捕まり掛けていたその時、誰かが動く気配がした。重いまぶたを薄く開け、人物を捉える。
ボヤけ、月の光を背にした逆光に誰かは判別がつかない。
トイレだろうか。なら別にどうでもいいか。
眠りにつこうとしたその時、その人物が誰か気付けたのは恐らく僕だったからだろう。
普段から見ていた一挙手一投足。普段から聞いていた一歩後ろを行くような足音。そして何より、常に頭の片隅にあるその顔が、結びついたからだと思う。
その人物が物音を立てないようにゆっくりと教室から出て行く。
今行けば二人っきりに……
しかし、そんな後を追い掛ける勇気を握りきれず、僕は冴え始めた頭に眠れと命令した。
こんな時間に教室から出て行くなんてトイレに決まっている。しばらくすればどうせすぐ戻ってくるだろ。眠れ、眠ってしまえ。
しかし気になって気になって、頭は冴えていく一方で、僕は何度も寝返りを打った。
羊を三百匹数えた所で、限界を迎えた。
決して勇気を振り絞った訳でも尿意に限界が来たわけでもない。気になって仕方がなくなったのだ。時間にしても教室から出て行ってから十五分は立っている。
僕は起きると、先程の人物と同様に慎重に歩き、静かに教室を後にした。
静まり返った廊下は夏休みに侵入した時と変わらず、この世の物とは思えない不気味さがあった。早く見つけよ。まずは教室から最も近いトイレに向かった。
手洗い場は無人。トイレからも音はない。覗くのはどうかと思ったが、こんな夜中に誰かいるはずもないだろうと女子トイレを覗いた。やはり無人。素早く脱出すると、あの人が行きそうな場所を考えた。
センチメンタルに屋上で月を眺めてるとか…… ないな。そもそも鍵が掛かっている。
校庭に落書きしに行ったとか…… それもない。前にそれをやって停学になった人がいる。やるメリットも理由もない。
試しに校庭を見下ろしたが、やはり人の姿はどこにもなかった。
じゃあ他クラスの装飾を壊しに行ったとか…… 却下。そんなことをする人じゃない。
ならどこに行ったのか……
そして夜の学校だからこそ、僕には一つ思い当たることがあった。
『どうしてこんな夜中に?』
『望月くんの方こそどうしたんですか?』
『僕はプリントを取りに来たんだよ。ほらあの自由研究のタイトル用紙』
『え、望月くんもですか? 実は私もなんです』
その時は何も思わなかったが、今にして思えばおかしな点がある。
あの人は自由研究の用紙を探しに来たと言いながら、机を少し探るだけで本格的にプリントを探そうとはしなかった。夜中の学校に侵入するほどのことをしておいてだ。とすると、プリント探しは嘘で目的は人には言えない他にあったということになる。そう考えれば学校に侵入した時の会話も、目的を隠すために僕の目的に態と合せたということになる。
夜の学校である必要性…… いや、違うな。夜である必要はない。必要なのは、誰にも知られずにいることだ。
考えを巡らせ、僕の中で線と線が繋がり、一つの答えが導き出される。
もしかしたら、あそこにいるかも……
そうして僕が向かったのは英語の教員談話室がある廊下だった。
角を曲がり、談話室のある突き当たりを見れば、そこには一つの人影があった。
近寄り、声を掛ける。
「白濱さん」驚いたように人影が跳ねた。
雲が流れ、月明かりが薄らと彼女の顔を露わにさせる。
「望月くんでしたか。もう驚かせないでくださいよ」
彼女はいつも通り、普段通りに微笑んだ。
「何してるの?」こんな時間に、と言うのは意地悪だろう。
「探し物です。……あんまり人には言えないものなんですけど」
「一緒に探すよ」
僕の台詞に白濱さんは固まった。どうするかどうか悩んでいるようだった。うーん、と考える音を鳴らして、白濱さんは言った。
「すみませんがお願いします。あまり猶予がないもので」
「うん。それで何を探せばいいの?」
「これぐらいの大きさで、点が三つ表示されたサイコロみたいなのです」
ドキリとした。ポケットの上からそれを握る。暗がりで良かった。昼間だったら表情でバレていたかもしれない。見られないように、探すふりをして顔を背けた。
やはり僕が拾ったキューブは白濱さんの物だった。
夏休みの前日、僕がキューブを拾った時、白濱さんも英語の談話室を訪れていた。恐らくその時にキューブを落として、僕が拾ったのだろう。
きっと僕が知らないだけで白濱さんは何度も学校に侵入し、探し続けているのだろう。
つまり白濱さんは浩介の言う通り、本当に宇宙人なのだ。
じゃあもしかして、本当に明日戦争が……?
鼓動が強く跳ね上がる。お、落ち着け。
僕は違うと言ってほしくて、少しでも否定する材料がほしくて、震えそうになる声を抑えて尋ねた。
「サイコロみたいなのってことはサイコロではないんでしょ?」
返答までだいぶ時間が掛かった。長い、長い沈黙の末、白濱さんが口を開いた。
「思念動式五次元干渉装置です」
白濱さんがまた一つ、僕の希望を現実で潰す。
「分かりやすく言うと魔法のランプです。不可逆な時間や質量保存の法則にも干渉出来て、念じるだけで何でも実現するものです」
白濱さんは探すのを一旦止め、僕に向き直る。
「もっと正確に言えば、多次元宇宙に存在する別の可能性をリンクさせて上書きして、この世界に干渉する、らしいです」
白濱さんは宇宙人。分かっていたことなのに。こうして改めて事実を突きつけられるとショックで、僕は今にも泣き出してしまいそうだった。
でも泣くわけにはいかない。涙を堪え、僕は核心を訊く。
「……白濱さんは宇宙人なの?」
「いいえ。私は地球人ですよ。考え方によっては宇宙人と言えなくもないですけど」
「宇宙人じゃないの? じゃあ君は一体……」
「私は別次元。別の可能性を持った地球から来た同じ人間です。他の言い方をするなら、パラレルワールドから来た人間って言えばいいでしょうか?」
あの天然キャラみらいだった白濱さんの口から次々と信じられない言葉が出てくる。頭を抱える僕に白濱さんは更なる追い打ちを語り出す。
「私達の次元では産業革命がこの世界より百年も早く起きて、二千年頃にもう一度産業革命が起きました。科学技術がこの世界よりも五段階以上進んでいます。深宇宙探査も進み、次元理解も深まりました。しかし、昔から多くの方が語っている通り、進み過ぎた技術は身の破滅を生み出します。
数十年ほど前、遂に私の世界は呼吸器なしで外に出られないほどに環境汚染が深刻化してしまいました。一部の人間は宇宙船に乗り、今はラグランジュポイントで生活をしています。簡単に言えば宇宙で安定することが出来る場所のことです。私はそこで生まれたので、自分の次元の地球というのは実際に見たことはありません。
私が生まれる少し前、別の惑星への移住計画が提案されました。しかし、幾ら深宇宙探査が進んだとしても地球と同じ環境レベルの惑星が見つかるはずがありません。聞いたことありますか? 地球が奇跡の星だということを。プールにバラバラにした時計を投げ入れて、それが水の動きだけで元の形に戻るぐらい奇跡の星なんですよ。そんな奇跡の星がたかが一億程度の星を調べ上げた所で見つかるはずがありません。銀河系一つとっても四千億近くの星があって、その中に人間レベルで知能が発達した生き物がいるのは十四個程度と言われているんです。仮にもし見つかったとしても、そこに移住できるかどうかも怪しいです。
他の星を地球と同じ環境にするテラフォーミングも考えられました。でも圧倒的に時間と労力が足りません。月では小さすぎるし、火星の一部を変えるのにも今の私達の技術では難しいです。
では過去を改変するのはどうかとなりましたが、パラドックスが起き、下手すれば人類滅亡の可能性が出るとして廃案に。
そうして最終的に決定された案が、同時間軸の別次元を乗っ取るという計画です」
「……乗っ取る?」
「はい。科学が発展途上、且つ自分達の話を理解出来る知能レベルまで発展した別世界を探して。そうして私は十年前、流星群に紛れてこの次元へとやってきました。この世界と共に成長し、この世界のレベルを知るためにです」
……乗っ取る。つまり、白濱さんのさじ加減一つで戦争が起こるということなのか? それも明日に。
「それって期限とかあるの?」
「それがさっきも言いましたように、猶予がないんですよ。それこそ明日の正午です。先日言ってましたけど知ってますよね、明日流星群が降るって。それ私の住んでる宇宙船なんですよ。それが明日、この世界を乗っ取るためにやってきます」
「そんな…… どうして…… やめさせてよ!」
「すみません、私のせいです…… 私がこれまで行った調査報告で色んな可能性のある世界の中で、今年の春頃ここが一番の有力候補地に挙がりました。十年も育った場所です。私もやめさせたいです。ですが、止めるために宇宙船に戻ろうにも、五次元干渉装置をなくしてしまい、現在に至るわけです……」
そうか。だったら僕がこのキューブを返せば、戦争が回避出来るじゃないか。
僕がポケットから取り出そうとした時だった。
「本当にすみません。全部、私が悪いんです。自分のわがままで期限のギリギリまでこの世界に居たかったがために」
白濱さんが突然、涙を流し始めた。
秘めていた想いを口にしたからか、悔恨の念を我慢しきれなくなったからか。涙の理由を探る前に、僕は白濱さんの台詞が引っかかった。
「ギリギリまで居たかったって、どういうこと?」
「最終調査報告の期限は明日の正午です。そしてその時刻を持って調査が終了し、調査員の帰還が命じられます」
「それって…… 白濱さんが元の世界に帰るってこと?」
「そうです。一度帰ったら恐らくもう二度とこの世界には来れません。だからギリギリまで……」
キューブを返せば戦争が回避出来る。今ならそれがまだ間に合う。でもキューブを返してしまったら白濱さんがいなくなってしまう。もう二度と会えなくなってしまう。
どうする。どうする。どうする。どうする。
選んだ方が良い選択肢は決まってる。そんなの分かっている。分かりきっている。でもそんな一般論は当事者じゃない奴だから言える他人事だ。
キューブを返すには後一押し、最後の一押しがまだ足りない。
それは白濱さんが僕をどう思っているかで、その決意が決まるような気がした。
花火大会の日、葉子を好きなのかと尋ねてきたこと。水質調査で浩介との別れ話を僕に相談してきたこと、一年前の約束のこと。
これらのことがずっと僕の中で燻っていた。もしかしたら僕のことが好きなんじゃないかと幻想を抱かせてきた原因の数々。こいつらが全部気のせいだった。僕の独り相撲だったと証明されれば、きっとキューブを心置きなく返すことが出来る気がする。
僕は尋ねた。
「ねぇ、白濱さん。どうして僕に、本当の話をしたの?」
間があった。鼓動が何十回と跳ねる間の後、白濱さんはゆっくりと顔を上げた。
「……何ででしょうね。その、自分でも分かりません…… 私はこの世界に来て、十年間一人で生活してきました。友達も出来ましたし、お世話になった人もたくさんいます。形だけでしたけど、彼氏も出来ました。そうやってたくさんの人と出会った中で唯一、望月くんだけは、信頼出来る? という言うのでしょうか。ここが自分でも分からないですが、その特別視してしまうんですよね」
決意は決まった。 ――僕はポケットから何も取り出さず、手を出した。
「そっか…… まぁとりあえず急いでその五次元干渉装置ってのを探さないとね」
「はい、よろしくお願いします」
この選択がどれだけ重いものなのか、僕は理解しきれていなかった。
「もしかしたら別の場所で落としたのかもよ」
「そうですね。散々ここも探しましたし、他の場所に探しに行きましょう」
理解する気もなかった。だってこれが間違った選択だと知っているから。
真夜中の学校を、僕らは歩いた。
「なんだかこうしていると、夏休みのことを思い出しますね」
ただ僕が願ったのはこの人の隣に居たい。それだけだった。
夜が明け、その日が訪れた。
「遂にキターーー!」
クラスの連中は気怠げながらもテンションを上げている。
登校してきた人の中にはギターを持って来ている人もいれば、ダンスでも披露するのだろうか統一されたTシャツを着ている集団も見受けられた。
実行委員長による小ボケの効いた開会の宣言がなされると、校内は一気にお祭りを楽しむ煌びやか声に包まれた。
そんなめでたい雰囲気の中、非番の僕はどこかに行く気にもなれず、席が埋まるまでサクラとして隅の席に座らせてもらった。横目で見る白濱さんの顔も晴れないまま。あれがただ、お客が来なくて暇しているだけというのならいいのだが。
……本当に、始まるのだろうか。
言われた刻限が、針の音を立てて迫っていく。
体育館の方から漏れ聞こえてくる何かの音楽も、校舎下から聞こえてくる模擬店の声も、全てが秒針の前で遮られていく。
正午まで十分を切り、僕の目は外と時計を何度も往復する。五分を切り、座り続けていることも困難になってくる。
そして正午になった時、僕は立ち上がり窓から外を眺めた。
正門から続くビラ配りに、賑わう野球部のストラックアウト。
変わらない光景にホッと胸を撫で下ろした。――直後だった。
「あ、流れ星」
誰かが発したその台詞とほぼ同時に、地平線の向こうが赤く発光した。
……何だ今の。
悠長にそんなことを考えられる一呼吸の間。続いて黒煙が遙か先で舞い上がる。次の瞬間、全身を埋め尽くす轟音と共に、僕は吹き飛んでいた。
――目が覚めるのと同時に、息を大きく吸い込んだ。息が止まっていたのかもしれない。急に大量の空気を吸って咽せてしまう。何だかホコリっぽい。
自分が気絶していたことに気づけないほどに頭が働かない。全身が酷く痛い。それでも何とか両手を使って起き上がる。顔を上げ、目の前の光景に背筋が凍った。
壊れていた。砕けていた。崩壊していた。
ガラスも机も人も装飾も、何もかもが日常という姿を失っていた。
流れてくる血の先には女子が倒れていてピクリとも動かない。
頭が真っ白で、何も考えられなかった。
どこかから聞こえてくるすすり泣きと、頭上から響く重低音。
痛む足を引きずって、枠だけになった窓に近寄った。眼前に広がっていたのは、廃墟と化した地上と空一面を埋め尽くす夥しい数の宇宙戦艦だった。
動悸が止まらない。上手く息が吸えない。
……僕のせいなのか? 僕が返さなかったせいでこんなことが?
「そんな…… こんなこと……」
いつの間にか隣にいた白濱さんがポツリポツリと言葉を溢す。
キューブを使えば、この攻撃を止められるか?
僕はポケットの中のキューブを掴んだ。でもそんなことは無意味な気がした。
相手はこのキューブを作った連中だ。この世界の人間が理解出来ない五次元を理解する連中に、僕の願い事一つで、止められるとは到底思えない。
頭上の戦艦から赤い光が発射され、地平線の向こうに消えていく。また攻撃したのかもしれない。きっとまた大勢の人が死んだ。隣の白濱さんは膝から崩れ落ち、泣き出してしまっている。
その時、僕は簡単なことに気が付いた。そうだよ、時間を戻せばいい。とりあえず少し前に時間を戻して、何か策を考え
かなり近くに着弾した。恐らく一キロ圏内。
音と衝撃が同時に体を襲い、またもや吹き飛ばされる。幸い、今度は気絶しなかった。しかし壁に背中を打ち付けて息が出来なくなっていた。出血はないのに、ドクドクと血が流れる心臓の音が聞こえる。周りでは悲鳴と足音が逃げ場を求めて飛び交っていた。
……早く時間を戻さなきゃ。
手にはキューブがなかった。四つん這いにのまま粉塵の中に目を凝らし、辺りを見渡す。
「あっ」運が良かった。すぐ近くに落ちているのを見つけ、僕は拾おうと手を伸ばした。
が、キューブを拾ったのは僕ではなかった。
キューブを拾った白い腕を辿っていき、目が合った。
「……何で、ここにあるの?」
大きく開かれた白濱さんの目が、僕とキューブを凝視する。
「……何で望月くんが拾おうとしているの?」
「……」
「……最初から望月くんが持ってたの?」
言葉が出なかった。肯定とも取れる無言に白濱さんが絶句する。
思わず「ちが」う、と否定しようとした。でも白濱さんの推測は何も違ってはいない。
「何で…… どうしてこんなことしたの!?」
「それ、は……」言えなかった。これはただの僕のエゴだと。戦争なんかよりも、君がいなくなる方が嫌だったと、そんなこと言えるはずがなかった。
「それは」いや、言ってしまおう。もう全て後の祭りだ。手遅れなのだ。これで白濱さんに嫌われるなら、もういっそのこと――
「それは、僕は君のことが」視界の隅が赤くなった。
――また気を失っていたようだった。体が思うように動かない。
「……白濱さん?」
寝言のように呻き、這いつくばって辺りを見渡した。粉塵が酷い。いつの間にか廊下にいた。広々としている気がする。違う。壁がなくなっているのだ。
さっきまでの悲鳴も足音もしない。丁度いい、白濱さん、と名前を呼び、姿を探す。
何度呼んだだろう。分からない。しばらくして僕は誰かが倒れているのを見つけた。
「白濱さん?」
声に覇気が入らない。気力だけで体を動かし、瓦礫を払い、その人の元へと這っていく。
白濱さんだった。気を失っているのか、呼びかけても反応がない。
「白濱さん、白濱さん、白濱さん」
体を揺すろうと手に掛けた時だった。ヌルリと気色悪い感触が手に触れた。
コンクリートを補強する鉄筋が、白濱さんの胸に、心臓部に、突き刺さっていたのだ。
……嘘、だろ?
何度も名前を呼んだ。何度も名前を叫んだ。呼べば起きると思った。起きて、死ぬかと思いました、なんて言ってくれると思った。
「白濱さん! 白濱さん!」
「望!」声がした。
葉子だった。ホコリまみれだが、どこも怪我はしていないようだった。僕の元に駆け寄って来る。
「葉子ぉ…… 白濱さんが…… 白濱さんがぁ……」
葉子は白濱さんを一瞥すると、強く目を瞑り、再び僕を見た。
「早く逃げよ。ここにいたら危ないよ。肩貸すから」
葉子に抱えられ、ずるずると引きずられていく。力が入らず、抵抗出来ない。
「待ってよ。白濱さんが……」
頭にふとキューブのことが過る。
「あ」そうだった、キューブを使えば白濱さんを生き返させられる。それだけじゃない。一回時間を戻せば、全部なかったことに出来る。
「葉子、待ってよ。僕なら、僕なら全部元に戻せるんだ」
「何言ってんの。頭強く打ちすぎて変になっちゃった?」
「お願いだよ葉子! 戻ってよ! 僕なら、僕なら!」
――目の端で、校庭に着弾するのが見えた。
音も光も衝撃も、感じる間もなく、無理矢理意識が引き剥がされる。
一瞬にして埋め尽くされた黒の中で、僕はただ白濱さんのことだけを考えていた。




