第一話 ありきたりな花火の話
感傷的にさせる蝉の鳴き声。少し窓に目を向ければ、雲一つない青空を飛行機雲が横切っていくのが見えた。頬杖をついて、飛行機の行方を追っていく。
「おーい、望月、気持ちは分かるが授業中に黄昏れんなよー」
ハッと目を戻すと、クラス中の視線が僕に集まっていた。一呼吸置いて笑い声が聞こえてくる。
恥ずかしくて顔を俯けるように
「あ、すいません」と頭を軽く下げると先生は再び英文の説明をし始めた。
笑いの余韻が残る中、僕は自然と反対側の白濱さんに目線を向けてしまう。さっきの僕のことだろうか、隣の女子と何かを喋っている。
溜息をたっぷり吸い込んだ自分の期末テストを見やる。他の人に見られないように折り曲げた点数部分を今一度めくると、悲しみを背負った29点がチラリと顔を出した。
赤点。開始十五分でテストが終わったから覚悟はしていたが、いざ現実を突きつけられると泣きたくなる。
答えの解説を聞く意味さえ見出せず、視線は再び飛行機雲へと吸い寄せられていく。
「今回のテスト、平均点が低く先生も少し難しくしすぎたかなと反省しています。このままでは学年主任に怒られてしまいます。そこで赤点を取った人は間違えた所を正解に直して、提出すれば30点にして赤点を見逃すことにしました」
……先生の話を聞いておくべきだった。
「お前何点だった?」
授業が終わると早々に、前の席の浩介が冷やかしてきた。
「僕が親なら産んだ子を間違えたと思うレベル」
浩介は僕の話を聞いていなかったのか、返事もろくにせずテストを奪っていく。
「うわっなんだこの点数ヤバッ」
「やめて。純粋に傷つくからやめて」
取り戻そうとは思わない。寧ろそのままどこか見えない所まで持ち去ってほしい。
「こんな点数だと黒澤に嫌われるぞー」
「な、何で葉子が出てくんだよ!」
「バッカ! 声でけぇよ」
しまった。と自分でも思い、振り返ると葉子と目が合った。眼鏡が反射していて顔色は分からなかったが、手に持っていた文庫で顔を隠して、中指を立ててきた。
「あーあ、怒らせた」
「何度も言ってるけど、葉子はただの幼馴染なだけだって」
大声を出したい所を我慢し、声を抑えて訴える。でも浩介は決まって
「高校まで一緒に来る幼馴染なんているわけねぇだろ。つまりはそういうことだろ」と言い返してくる。
「確かにそう滅多にいないかもしれないけど、葉子と僕はその滅多にない関係なんだって」
その言い訳聞き飽きたよ、と言いたげに「はいはい」と流されてしまう。じゃあ何て言い訳すればいいんだよ、と僕は眉を寄せた。
「二人とも何話しているんですか?」
不意に声を掛けてきたのは白濱さんだった。思わぬ相手にドキリとしてしまう。
「それがさー望の奴がまた」と浩介が言い出し
「余計なこと言うなよ」と僕は前に身を乗り出して、減らず口を塞いだ。白濱さんがふふと笑い、僕の目は惹かれてしまう。
「そういえば先程の授業、山岡先生に気持ちは分かるけど、と言われてましたけど、そんなに点数が悪かったのですか?」
「悪いの何のって。見ろよこの点数」
浩介が人の黒歴史を勝手に披露する。こいつは間違いなく地獄に落ちる。落ちろ。
「あー…… 元気出してください!」
同情に満ちた声で白濱さんが肩を叩いてきた。そんな一瞬の出来事に僕はときめいてしまい、浩介の悪行を許すことにする。
「テスト中も黒澤のことばっか考えてるからー」
「おまっ!」やっぱりこいつは生かしといてはいけない。
白濱さんの様子を盗み見ると、驚きや落胆みたいな少し期待した反応はなく、楽しそうに聞いているだけだった。察するに、もしかしたら浩介は普段から白濱さんにこういう話をしているのかもしれない。
「はいはい。ムキになんなって」
浩介がいい加減な対応で僕を静めようとする。ナニクソ、と僕が蒸し返そうとすると、何かを思い出したように
「そうでした」と白濱さんが切り出した。
「今度の花火大会、皆さんで行きましょうよ」
すぐに思いついたのは、最近校内中に張り出された近くの河川敷で行われる花火大会のポスターだった。クラスの後ろを見れば、その詳細が書かれたポスターが黒板の横に張り出されている。
「えーあれ行くのー」と渋るように口を尖らせる浩介。僕としては白濱さんの誘いは全て一つ返事で頷きたいのに。贅沢な奴だ。
「あれ、人の量凄いじゃん」
「ほんと、人混み嫌いですね」と白濱さんが笑う。
「それだったら俺とユリカだけで行こうぜ」
分かっている関係だが、言葉として聞くと心臓が止まったみたいな嫌な感覚になった。
高校に入学し、高一の七月に白濱さんに一目惚れした時点で、浩介は既に白濱さんと付き合っていた。あれから一年経った今でもその関係は変わっていない。
「それだったら木更津の夏祭り二人で行くじゃないですか」と白濱さんが口にする。
当たり前のことだけど。付き合っている男女がデートをし、二人っきりの時間を楽しむ。考えれば当たり前のことなのに、僕の中身がひっくり返されたみたいに悲鳴を上げる。二人が手を繋いで、キスをしてって、そういうことが考えられない。
「私は皆で行きたいんです!」
「わーったよー。望もいいっしょ? 花火大会」
名前を呼ばれて我に返った。
「あ、あぁ、いいよ」と僕は頷いた。内心が見透かされないように、強く。
「望は黒澤誘えよ」
「え」
僕と浩介と白濱さんは仲が良いから不自然なメンバーではないが、ここに葉子は…… 浮いてしまう気がする。第一そういうことを気にする葉子が参加するとも思えない。
「浩介は良いとしても、白濱さんは良いの?」と遠回しに拒否の姿勢を見せるが、意図が通じなかったようで、白濱さんは
「はい、大丈夫ですよ」といつもの笑窪を作った。
僕がノーと言うわけにはいかない。痒くもない後頭部を掻き、苦笑いを返した。
放課後、昼休みに返し忘れていた本を図書室に返却し、新しい本を借りて出る頃になると、校舎の中は昼間とは違う様相をしていた。
静かな場所なんてないように思えた喧騒が、嘘のように静まり返り、今は蝉の鳴き声と吹奏楽部の練習音だけが微かに聞こえてくるだけ。貸し切り状態の廊下を歩くと、まるで今日の出来事が全部夢だったかのように感じられる。
校舎を出て、体育館脇にある駐輪場へと向かうと、僕の自転車に女子高生が跨がっていた。暇そうに足をブラブラしている。その光景を何度か見たことがある僕は、その女子高生にすぐに見当がついた。
「何か用? 葉子」
女子高生は案の定、葉子だった。振り向くなり目を釣り上げ
「遅い。熱中症になるかと思ったじゃん」と不満をぶつけてくる。
「待ってなければいいだろ」と反射的に返事をするが、そのことには取り合わず、
「こないだ借りた本、返すために待ってたんだから」と恩義背がましく言ってきた。
「それだったら家が隣なんだから態々待たなくても良かったろ」
「一回帰ってその後あんたの家に行くの面倒じゃん」
「そうか?」
隣の家まで一キロある田舎ってわけでもない。匍匐前進でも一分もかからない。それなのに、葉子が時折それすらも面倒くさがってこうして待つことがある。謎だ。
「面倒なら教室で渡せばいいじゃん」
「他の女子と喋っている所、白濱さんに見られたくないでしょ?」むむっ。言い返せない。
葉子は自転車から降り、僕のバックを勝手に開けてその中に本を突っ込むと、
「さ、帰ろ」と校門に向かって歩き出す。自転車のカゴの中には葉子の荷物が入れっぱなしだった。
「おい、荷物」
「よろしくー」と振り向きもせず腕を振ってくる。ったく。
自転車を漕いで葉子の隣に並ぶと、僕は自転車を降りて歩き始めた。馴染んだ歩幅は僕と葉子でほとんど変わらない。
「先に帰ってもいいのに」と葉子は僕の顔さえ見ずに言う。
「一回帰ってからお前んちに荷物届けんの面倒なんだよ」とどっかの誰かさんが言った台詞をパクるが、その誰かさんは「あっそ」と素っ気ない返事をしてきた。
そこから何気ないやり取りを僕達は始める。
「熱いね」なんてもう何十回したか分からない話題から始め、話をどんどん路線変更していく。気付けば納豆の話なんてしていて、どうしてそんな話になったのかも分からない。
ジリジリとアスファルトが焼ける声。遥か先で陽炎が揺れ、ぬるま湯のような湿気が肌に纏わりつく。公園の前を通過すれば、噴水の中ではしゃぐ子供達が見え、僕達の話題はそちらへとズレていく。
遠い迂回を繰り返し、何かのキーワードで僕は「そういえば」と例の件を思い出した。
「今度の花火大会一緒に行こうよ」
「えっ」と日差しが熱いからか、葉子の顔は真っ赤に茹で上がっていた。
「あたしと、あんたで?」と目を白黒させて、事実確認をしてくる。どうやら僕と二人では少々嫌みたいだ。
「僕と葉子に、浩介と白濱さん」
「あ、あー……そういうやーつ……」
声がどんどん小さくなっていく。明らかに乗り気じゃないテンション。そうだよな、メンバー的に葉子浮いてるもんな。と兼ねてより懸念していたことが的中し、僕はすかさず
「嫌ならいいんだ。無理強いするつもりはないから」と助け舟を出した。
しかし、葉子はその船には乗らなかった。返事もせず、空を見上げだす。釣られて僕も空を見上げる。
街路樹の葉の隙間から日の光が差し込んでいた。パラパラと木漏れ日が降ってくる。濃い影の向こうには青い宇宙が広がり、飛行機雲はなくなってしまっていた。目線を戻すと、葉子と目が合った。
「花火大会って確か七月の終わりだよね?」
「うん」
「じゃあちょっと考えさせて」
良い返事は聞けないだろうなと覚悟しつつ、僕は頷いた。葉子が少し早足になり、僕はその小さな背中を見つめた。
葉子は何を考えているんだろう。上手い断り方でも考えるつもりなのか。
葉子とは物心つく前から一緒だ。昔からおもちゃを奪い合い、夏休みの宿題を一緒に片付けてきた。なのに、中学の途中から、葉子が何を考えているのか分からないことが増えてきた。思春期とか経験の違いとか価値観のズレとか、そういうのじゃなくて、距離の問題のように、僕には思えた。
歩幅が合わなくなる。それが分からなくなる時の、特徴の一つだった。
期末テスト後のだらけた短縮日課も、友達の接待であっという間に過ぎ去り、ついさっき終業式を終えた。既に夏休みに入っているのだが、夏休み初日とは呼べない終業式のあとの午後、僕は丸まった背を正せないまま昇降口とは反対に向かって歩いていた。
背後からは青春を謳歌する浮き足だった声が聞こえてくる。まるでプールの授業を楽しみにしていた男子生徒のようだ。目に染みる。
『評価で赤点は付けなかったけど、ちゃんと英語のテストを提出するように』
背筋がゾッとする怪談話。通知表を受け取る際、英語教師である担任の山ちゃんにそう耳打ちされた。そうされたら否応にもやるしかなく、当然お前もカラオケ行くよな? という悪魔の囁きも一蹴して、Google先生とワンツーマンで英語のテストの間違えを血眼で修正した。一人、また一人と減っていく教室で、一人居残りテストを修正するのは羞恥刑のようだ。
廊下を歩く。校舎に残っている生徒は疎らで、相変わらず蝉の声はしつこくて、汗ばんで、吹奏楽部の音が聞こえ始めて、溜息が出た。
生徒の教室が並ぶ廊下を曲がると、生徒指導室などが並ぶ廊下に突き当たる。
そこですれ違った男女二人がこんな話をしていた。
「今度の文化祭の日、流星群が流れるらしいぜ」
男子生徒の台詞に、隣を歩いていた女生徒が抑揚もなく相槌を打つ。
耳に入ってきた流星群という単語が頭の中で反芻した。
十年前、流星群を見た。過去に例のない一度きりの奇跡的なものらしいが、当時の僕にはその奇跡の価値は分からなかった。
何を思って、どうやって見たのかも思い出せない。朧気に思い出せるのは、葉子と山奥で、という断片的な記憶だけ。
流れ星が流れている間に願い事を三回唱えれば願いが叶う…… だっけか。
当然今ではそんなこと信じていない。高校生にもなって、そんなことを信じている奴はきっとサンタの存在もしているだろう。
でも今の僕は現実を知ってしまっている。手を伸ばせば届きそうだったあの月に行くまでに、英語をマスターして科学系の博士号を取得して社会経験が三年以上必要だということを知ってしまっている。宇宙は、焦がれるだけでは絶対に手が届かない位置にあるのだ。
手に持ったプリントをもう一度確認する。
『望月望 英語期末テスト 29点』
あー……何度見ても溜息が出る。いや溜息なんて生易しいものじゃない、魂だ。口から心臓が出るみたいな感じで口を開けば魂が出てしまう。死んでしまう。宇宙に行くまでにあと七十一点も足りない。
別に夏休み開幕の鼻っぱしをテストの提出で折られたからヘコんでいるわけじゃない。英語で29点を取ったことがいけないのだ。
小さい頃からの宇宙への憧れ。小学生高学年から始まった英語でいきなり躓いて、そのまま起き上がれないままゴロゴロ転がってだましだましやってきた。まさか英語が宇宙と関係するなんて中学三年になるまで知らなかった。
高校受験に際して気合いを入れて英語の勉強に手を付けたが、これを天賦の才というのだろう、僕には英単語を覚える才能が一ミクロもなかった。いまだに曜日すら英語で書けないのは絶対に誰にも言えない秘密だ。
推薦で英語を免除してもらい、今の学力であぐらを掻いてしまうことになった。
校舎の端まで来ると、夏への扉へと消えていく嬉々とした喧騒は届かなかった。代わりに反響してくるのは、青春を捧げたような運動部の掛け声ぐらいだ。
さっさと提出して浩介達と合流しよう。今から行けばまだあいつらのカラオケには間に合ううううううううううう――
何かを踏んづけたみたいで、突然視界がひっくり返った。見事綺麗に尻餅を着き、痛みなんかより誰かに見られてないかと恥ずかしくなる。
ったく、誰だよ、こんな所に……
踏んづけたであろうものを拾い上げる。それは掌に収まるサイコロのようなものだった。
鉛のように重く、ステンレスのような材質だった。六面の内、五面は無地だが一面には三つの白い点が表示されていた。なんだこれ。
見たことないし、用途も使い方も分からない。振ってみても変化はないし、中から音がするようなこともなかった。
何かの部品? それとも玩具か何か?
指でつまみ、上から下からと観察しながら英語の教員室へ向かう。ドアの前に辿り着くと、タイミングを見計らったように突然ドアが開いた。反射的に背中に隠す。
顔を上げると、ドアから出てきた人物と目が合い、ドキリとしてしまった。
向こうも僕だと気付くと、おっ、と少し跳ねた反応を見せてくれる。
一旦僕に背を向け、退室の挨拶をする。僕はドアを閉めるのを待ってから声を掛けた。
「ひ、白濱さん、何してたの?」噛んだ。
「最後なので先生方に挨拶しておこうと思いまして」
「学期末ってだけなのに律儀だね」
白濱さんがクスリと笑い、人差し指を唇に当てる。笑うときの癖だ。
「日本人らしく節目は大切にしないといけませんからね。そういう望月くんはどうしたんですか?」
何を緊張しているんだ僕は。邪魔なサイコロ状のそれを後ろポケットにねじ込むと、手汗をズボンで拭った。
「ぼ、僕も挨拶って言えたら素敵なんだけど、残念ながらこれの提出に……」
期末テストを見せると「あっ」と白濱さんが察した声を漏らした。
あ、なんか今の傷ついた。
僕の心情を感じ取ったのか、逃げるように白濱さんは
「それでは私はもう行きますね」と僕の横をすり抜けた。
「し――」
浩介も誰もいない場所で二人っきり。しかも夏休みでしばらく会えないとアクセントも効いていたのだろう。呼び止めようと、無意識に口が動いてしまう。もう少し話したい。いっそのこと好きだと言ってしまいたい。でもそんなこと言っていいはずがないし、呼び止めた所で話題なんて何もない。
焦燥感だけが一瞬の内に去来して、掻きむしって、傷跡を作っていく。
胸の痛みを噛みしめて結局僕は、振り返らない白濱さんの後ろ姿を、見えなくなるまで見送った。
白濱さんは去年した約束を覚えているのだろうか。僕にとったらとても大切な約束だが、白濱さんにとったら簡単に忘れてしまうようなものかもしれない。普段から態度を見ていると、忘れているような気もして、一人でげんなりとしてしまう。
まぁ書類でサインを書くような大層なものでもない。ただの口約束だし。
僕は落とした肩を引き上げると、担任の山ちゃんへ提出しに行った。
「あんたさ、アオハルをするなら私に聞こえない所でやってよ。何一瞬呼び止めようとしてんのよ、全く」
恥ずかしさのあまり、死にたくなった。
※
翌日、うだるような蒸し暑さにだらりと起きた。シャツは汗で濡れ、何ならパンツまで湿っている気がする。カーテン越しでも眩しいぐらいに今日の天気は快晴のようだった。
夏休み初日。最悪な寝起きに、頭がボーッとする。階段を下りてリビングに行くと、葉子がソファに座りテレビを見ている気がしたが、ここは僕の家、いるはずがない。
「おはよ」
「何でいるの葉子」
「ヒント、今日から夏休み」
「ん? あー……そっか、もうそんな季節か」
「自分のことなのに他人事みたいに」
夏休みに入ると、僕の両親は毎年仕事の都合で出張に行ってしまう。僕が小さかった頃は田舎のお婆ちゃん家に葉子と一緒に預けられていたのだが、中学生になってからは一人でも平気でしょ、ということで預けられることもなくなったのだ。しかし、
『思春期の青年が一人で何するか分かったもんじゃない。俺がいないのをいいことに女を連れ込んであんなことやこんなことをするかもしれない。あー想像しただけでうらやまけしからん』
という心配性のお父さんのせいで隣の家の葉子が毎年夏休みの間、監視役としてウチに入り浸ることになっているのだ。……葉子はいいのかって話なのだが。
冷蔵庫から麦茶を汲んで、葉子に隣に腰掛ける。
「え? 私の分は?」
「ないけど?」
「何で?」
「え? 何で僕が葉子の分まで」
葉子は口をフグのように膨らませると、僕のコップを奪い取り、これ見よがしに一気に仰ぎ飲む。
「あぁー!」なんという無慈悲。これが最近のJKか。なんて末恐ろしい。
「さっさとご飯食べてよね。早くしないと冷めちゃうんだから」
麦茶を奪い取ったことを気にする様子もなく葉子が言う。
「ご飯?」
キッチンの方へと行くと、白米に味噌汁、野菜炒めと朝食が用意されていた。
「何これどうしたの!?」
バレンタインに余り物のクッキーを投げつけられてたことはあれど、葉子がこんな優しさをみせてきたことはかつてない。何か陰謀さえ感じてしまう。
「こないだ読んだ本の主人公が楽しそうに料理してたの。それだけだから」
あー、読んだ本に影響されたのか。納得。葉子はよく本に影響されて何かを始める。冬にマフラーを編んできたり、僕の部屋で勝手に観葉植物を育て始めたり、デジカメで写真を撮り始めたり。順当にいけば料理を始めたのが遅いぐらいだ。
どれ、試しに野菜炒めを一つまみ。
……うん、自然の味がよく生かされてる。
葉子に気付かれない内に野菜炒めに塩を追加する。増えすぎたワカメと豆腐の味噌汁も掬ってみればダシに使ったであろう煮干しがコンニチハ。
まぁ作ってもらっといて文句を言う筋合いはない。
配膳して葉子の隣で食べ始める。葉子がチラチラと横目で見てくるので
「うまいよ」と一言いうと
「あ、そ。別に聞いてない」と背中を向けてきた。素直じゃない奴め。
「そういえば」突然葉子が立ち上がった。
なんだなんだと見ていると、玄関の方から茶封筒を持って戻ってくる。
「浩介くんから来てたよ」
「浩介から?」
封筒を受け取ると確かに『波島浩介』と差出人の名前が書いてあった。封筒の底に何か入っているようだ。
何だろう? 学校で渡せばいいのに。まぁ夏休みに入って渡し損なった物だろうか。
封を開けようとして、引っかかった。
あれ? 浩介に住所教えたことあったっけ?
改めて封筒を見ると、僕の家の住所は書いてあるが宛名は書いていなかった。僕の両親は浩介と知り合いではない。差出人が浩介なら十中八九、僕宛なのだろうが、どうして住所だけなのだろう?
「葉子、浩介にウチの住所教えた?」
「いや、教えてないけど…… もしかして望も?」
「うん」と首を縦に振る。
「山ちゃんに教えてもらったのかもよ?」
「あぁ、確かに」
だとしても、宛名がないのはおかしい。どうせ僕宛だと分かるだろ、と高をくくって省略したとか? それにしたって携帯で一言〈荷物送ったから〉と言ってきてもいいだろう。
これじゃあまるで、この住所に誰が住んでいるのか分からずにただ送ったみたいじゃないか。
「葉子、何でこれが僕宛だと思ったの?」
「え? そりゃ浩介くんの名前だもん。あんた宛て以外に誰に送ったって言うのよ」
「まぁそりゃそうだ」
特別他に僕宛だと分かるものがあったわけではなさそうだ。
「何入ってるの?」葉子が興味津々に覗いてくる。
まぁ後で本人に聞けばいいか、と僕は封筒の上を手でちぎり、封筒を逆さにして中身を取り出した。
「へー、オシャレじゃない」
ネックレスだった。シルバーの細いチェーンの先端に水色のガラス玉が付いている。シンプルでどんな服にも似合いそうな逸品だ。
「あんた誕生日だったっけ?」
「うん、半年ほど前に」
「それを世間一般様じゃ誕生日じゃないって言うのよ」
「……知らなかった」誕プレはいつでも年中無休で募集中である。
「それで何でこんな物を?」
葉子に言われる前から考えていたが、思い当たる節はなかった。僕と浩介の間でネックレスの話題なんて一度として出たことはない。
「分かんない」
「ふーん…… 気になるね」
「気になるね」
僕は浩介に〈ナニコレ?〉とメッセージを送り、一先ずは朝食に戻ることにした。
八時過ぎの見慣れない朝の情報番組で二人してあーでもないこーでもないと言いながら、朝食を食べ終えると、葉子が
「図書室行こ」と言い出した。
「え、図書室ってどこの?」
「北高に決まってるでしょ」と葉子は手元にあった本を見せてきた。
「読み終わったから新しいの借りたいの」
ウチの高校がお盆以外の日は常に開いていることは知っている。部活のためとか、補習のためとか。僕達生徒のために開けているとはいえ、夏休みのために学校に行くのは御免蒙りたい。
「一人でいけばいいじゃん」
「絵日記を最終日に写させてあげたの、どこの誰だっけ?」
「えぇー、小三の時のまだ引っ張るのー」
確かに当時「一生のお願い」とは言ったけど、普通ならもう時効だろ。時効。
うだうだとした押し問答の末、最終的に
「もし私が学校に行ってる最中に日射病と熱中症が併発して死んだらどうするの?」
と、じゃあお前普段学校にどうやって行っているんだよ、ってツッコミたくなる理由に押し負け、自転車に乗せて行くことになった。嫌々ながら制服に着替えることにする。
一歩家の外に出れば、あっという間に汗が噴き出した。空はやっぱり雲一つない快晴で、七月でこの暑さなら八月は一体どうなってしまうだ、と二人でぼやいてしまう。
自転車に跨がり、葉子を荷台に乗せる。
「あんまくっつくなよ。暑いだろ」
「落ちたら危ないでしょ」
二人分のペダルを漕ぎ出すと、ギギギと自転車が縄で首を絞めたような悲鳴を上げ始める。頑張れホームセンターで半額だったママチャリよ。苦しいのは僕も一緒だ。
ペダルの重みと気温の高さで体の芯から火がつきそうだった。
「二人乗りするの中一以来だね」と葉子が。
「えぇ? そうなの? どうでもいいや」返事するのも一苦労。
顔を歪ませて走っていると、自転車に乗った小学生数人が楽しそうに駆け抜けていく。
同じ夏休みだというのに何故だろう。小学生の夏休みは高校生の夏休みの輝きより光り眩しい気がする。羨ましい。
普段なら十分で着く所を五分増しで学校の駐輪所に到着する。自転車から降りるや否や
「背中汗びっしょりで気持ち悪い」と葉子が気持ち悪いもの触ったみたいな顔をした。
「葉子が?」
「望が」
イラッときたので、背中の汗を掌にたっぷりと付けて葉子を追いかけ回した。
大して涼しくない、寧ろ無風になったことで暑さを増しているだろう廊下を抜けて図書室に到着する。中に入ると本の匂いと一緒にエアコンの涼しい風が全身を包み、体中の細胞が歓喜の声を上げた。
カウンターには司書さんがいて僕達を一瞥すると手元の書類へと戻っていく。他に誰かがいる様子もなく、いるはずもないのに、もしかして白濱さんがいるかも、なんて少しでも期待していた僕を誰が責められよう。とりあえず片想いを経験したことがある人は責められないはずだ。
葉子はというと、逸る気持ちを抑えられないのか、トコトコと足早に奥へと進んでいく。おもちゃ屋に来た子供みたいだ。
あいつはほっとくとして、僕はどうしよう、と手持ち無沙汰に特集コーナーへと足を運んだ。映画化やドラマ化が決まった本が可愛らしいポップと一緒に並べられている。そんな中、目が留まったのは【なにわ花火100選】と書かれた写真集だった。
色とりどりの花火の写真が解説と共に鮮やかに掲載されている。
パラパラと捲りながらふと思う。
……そういや葉子、花火大会行くのかな。
誘ってからもう一週間が経過した。花火大会まであと数日しかない。そろそろ答えを聞きたいところだ。とはいえ、僕が葉子の立場ならきっと同じように燻ってしまうだろう。幾ら幼馴染、気の知れた奴がいるとはいえ、大して仲良くもない人といきなり花火大会はハードルが高いと思う。せめて間に一回グループワークを挟みたいものだ。
「いく」
突然耳元で声がすれば誰だって驚くだろう。
「うわっ」と体を跳ね上げると、そういう反応やめてよね、と言いたげな怪訝な目で葉子がこちらを見てきていた。
ネガティブな視線から逃げると、葉子が腕に本を抱えているのが見えた。タイトルを見る限り、来る途中で葉子が言っていたものだった。
「え、もういいの?」
「うん、これって決めておかないといつまでも見ちゃうから」
移動時間より滞在時間の方が短い気がする。まだもう少しこの冷房に当たっていたいが、それを言い出したら切りがない。潔く諦めて、ここは男を見せることにしよう。
「じゃあ帰るか」
歩き出すと、隣に来た葉子が僕の歩幅に合わせてくる。
「コンビニ寄ってこ」
「アイス、葉子の奢りだかんな」
「パピコでいい?」
「二本とももらう」
「そんなの駄目に決まってるじゃん」
帰りは歩いて帰ることにした。また気持ち悪いと言われたらたまったものじゃない。
乗車ゼロ人の自転車は先ほどと打って変わってカラカラと本来の地声を上げる。
コンビニに行くためには道路を横断する必要だった。赤信号に足を止め、自動車でもないのに車道側の信号を確認する。日差しの強さでどれが光っているのか分からない。赤、黄、緑の三色を眺めて、僕はふいにさっきのことを思い出した。
「そういや、さっき『いく』って言ってたけど、何のこと?」
無言の間が続いた。赤信号が長い。返事の待ち時間も長い。葉子は考え事をする時、上を見る癖があるのだが、今回は珍しく下を見ていた。いや正確に表現するなら俯いているように見えた。
焦りを感じる程長い待ち時間を経て、葉子が蚊の鳴くような声で口を開き始める。
「……アレ」
「え? なんだって?」
「ア、アレのこと」壊れてしまったのか声の強弱がデタラメだ。
「あれ?」何のことか分からない。
暑さのせいか次第に葉子の顔が火照っていく。
「……いく」の続きに何かを言っていたが声が小さすぎて、その何かが分からない。
「何だって?」長かった信号が青に変わった。
葉子が駆け出して、横断歩道の真ん中で振り返る。吹っ切ったように
「花火大会に行くって言ったの!」と声を荒げた。
――その瞬間が訪れるまで、僕はきっと何も考えずに生きていたんだと思う。
毎日どこかで起きている悲劇的な事件や事故も、自分とは何も関係ない、それこそ別次元の出来事だと思っていた。
それに気付いたのは幸いにも、音速が車より早かったおかげだった。
空を切る音、はたまた暴走したエンジン音かもしれない。聞き慣れない異様な音が耳を掻きむしった。僅かな間隔で音が大きくなる。直後、すぐ目の前のコンビニの角から白い車が飛び出してきた。
丁字路をフェンスにぶつかりながらギリギリで曲がり、カーブミラーをなぎ倒す。そして僕達の方へ車は更なる加速をするようにエンジンを高らかに鳴らした。
鬼気迫る勢いでこちらに向かってくる車は、減速どころか間違いなく加速していた。仮に今ブレーキを掛けたとして、赤信号で止まり切れるはずがない。
突然の出来事に葉子は固まってしまっていた。
危ない。頭では分かっている。でも体は動かなかった。本能的に今助けに飛び込むのは危険だと察知してしまっている。
「葉子っ!」口にした瞬間、何かが振り切れた。
暴走した車が葉子に迫る。そんな中、僕の足が一歩を踏みしめた。葉子までの距離はたかが数メートル。でも間に合うかどうかはギリギリだった。それでも僕は踏みしめた足で地面を蹴り上げ、葉子の元へと飛び込んだ。
しかし、車の速度は僕が想定していたよりずっと速かった。
――ぶつかる。
瞬間、逃げるように目をつぶった。鉄がひしゃげる轟音が響く。
嵐が過ぎ去るのを待つように、騒音が鳴り止んだ頃、僕はゆっくりと目を開けた。
デタラメに描かれたブレーキ痕の先、車が電柱に衝突して停止。僕と葉子は反対側の歩道で小さくうずくまっていた。
何が起きたのか理解できなかった。何をどう考えたらいいのかも分からない。放心してしまっていたんだと思う。
何もかもが止まってしまったと思っていた中、我に返ったのは
「君たち大丈夫かい?」と近くにいたおばちゃんに声を掛けてもらったからだった。
「は、はい。たぶん……」
どうして僕は反対側の歩道にいる? どうして僕は葉子を抱えてうずくまっている?
疑問が頭に浮かぶ。だけどその考えは形になる前に、服を引っ張られたことで意識はそっちへと持っていかれた。胸の中で葉子が小動物のように震えていたのだ。
「葉子、どこか痛い所はないか?」
葉子が黙って頷く。僕はホッと息を吐くと、葉子が動けるようになるまでそのままでいることにした。
これは後の話になるが、この事故による死者や負傷者などは出ておらず、運転していた百歳になる男性によると、ブレーキが利かなかった、とのことだった。
一日の疲れをドッと吐きながら、自室のベッドへと倒れ込む。蝉も鳴き疲れたのか、聞こえてくるのは別の虫たちの合唱だ。スズムシとかキリギリス辺りだろうか。夜の帳に隠れて、その正体は分からない。
あれから警察の事情聴取を受け、どこから情報を得たのか担任の山ちゃんが駆けつけてきたり、両親から電話が来たりで、怪我もしていないのに大騒ぎだった。
葉子も疲れたのだろう、晩ご飯作りに来るから、と言い残して家に戻っていったきり、結局来ることはなかった。たぶん寝てしまったのだろう、無理もない。
今思い返せば、本当に無事に済んで良かったと思う。こうして考え耽られるのも何事もなかったおかげだ。もしどちらかが事故に遭っていたらと思うと、ゾッとしてしまう。
それにしても、僕と葉子が反対側の歩道でうずくまっていたこと、あれだけがどうしても小骨のように引っかかる。
飛び出した僕がいうことではないが、あれは確実に間に合うはずがなかった。
火事場の馬鹿力で早くなった? 急に走る才能が開花した? 咄嗟の出来事に一部の記憶が欠落している?
どの憶測も的外れな気がする。あの出来事を正確に言うなれば、あれは瞬間移動だ。でもそんなことが現実的にあるはずがない。起きるはずがない。
しばらく考えたが、答えが出ることはなかった。
明日葉子にも訊いてみよう。ついでに花火大会のことも。
携帯を見ると、浩介からメッセージが来ていた。今朝のネックレスの件についてだった。
〈望の家に届いたの?〉
〈うん。これ僕宛に送ったんじゃないの?〉
〈分かんない。たぶん、お前宛でいいんだと思う〉
話が見えない。
〈どういうこと?〉
〈俺はただ先生に『この住所にこれを送ってほしい』って言われただけだから……〉
先生? 山ちゃんが? 僕に?
〈どうして?〉
〈悪い。俺にも分かんねぇ。とりあえず頼まれたことをしただけ。これ以上訊かないで!〉
訊かないでと言われたらどうしようもない。
まぁ貰えるものは貰っておこう。僕も少しはオシャレに目覚めてもいい歳だ。
溜息を一つ。
仰向けに寝返るとお尻に違和感を覚えた。サイコロを制服の後ろポケットに入れたままにしていたことを思い出した。
取り出してクルリと回す。 ……あれ?
点が二つに、減っていた。
※
「いやぁ、いいね、やっぱ浴衣いいよ」
浩介の顔には一足早く、花火のような満面の笑みが花開いていた。
「……死ね」と物騒な言葉と裏腹に恥ずかしそうな葉子がもじもじとしている。黒を基調とした色に花が舞っている。
辺りを見渡せば、普段はサラリーマンばかりの駅のホームが浴衣の若者や親子連れで埋め尽くされ、すっかり夏模様へと変貌していた。皆一様に河川敷の方向へ歩いている。
顔を戻すと「何か感想とかないの」と葉子が目を泳がせながら訊いてきた。
「感想って言われても、昔は結構浴衣姿見てたからなぁ……んー……背伸びた?」
「死ね」と今度のは明確な悪意を持って言われた気がした。
待ち合わせの午後六時、五分前になった頃
「すみません、お待たせしました」と後ろから下駄を鳴らす音が聞こえた。目の前にいた浩介が僕の後ろを見るなり、ニヤリと笑う。
振り向くと、白濱さんがいた。いつもとは違い、長い黒髪をお団子にまとめ、その名に相応しい淡い白い浴衣で、色白の白濱さんによく映えていた。
「めっちゃ可愛いじゃん!」と浩介が隠しきれない興奮を見せる。
可愛いという言葉よりも、美しいとか綺麗とかの言葉の方が合っている気がした。
僕も褒めようと言葉を探すも、言い出す勇気を持ち合わせてない上に、浩介の怒涛の褒めちぎりと白濱さんと葉子が意外にも褒め合っていて、結局何も言い出すことができなかった。
人波に沿って、僕らも会場へと向かい出す。進んでいく中で、自然と浩介と白濱さんの後ろに、僕と葉子が並んで歩くという形になった。
アスファルトを叩く下駄の音、屋台の賑わい、人々の談笑があちこちから聞こえてくる。
浩介と白濱さんが楽しそうに話しているのを見ていると、横から
「あんたって、ホント分かりやすいよね」とツンとした声が飛んできた。
「さっき見惚れてたでしょ」
「は!? え、いや……」
見惚れてないと言えば嘘になる。平気で嘘がつけない性分が仇となって、一瞬の間を読み取った葉子は「やっぱり」と溜息を吐いた。
「あんたそういうの気を付けた方がいいよ」
「急に説教始めんなよ……」と聞こえているであろう小声を無視して、葉子は続ける。
「浩介くんにバレたら気まずくなるに決まってんだから」
「それは…… まぁ…… そうだけど……」
浩介は気付いているのだろうか、僕が白濱さんを好きなことを。
日常生活での些細な目配せ、会話の反応で、葉子は僕が白濱さんのことを好きだと見抜いた。だから浩介が見抜いていてもおかしくはない。でも毎日の反応を見る限り
「浩介はたぶん、僕は葉子が好きだと思ってるよ」
見抜いている上で、葉子をゴリ押しするのは浩介らしくないと思えた。あいつならきっと、ゼッテー負けねー、とか言い出す。
「……何でそう思うの?」
「幼馴染だからじゃない? 浩介はそういうのいないから幼馴染の距離間ってのを知らないんだよ。今日だって、ダブルデートだーって騒いでたんだから」
葉子から返事がなかった。どうしたんだろうと思い、横目で見ると、また空を見上げていた。
夏の六時はまだ明るい。時間の感覚をなくしてしまいそうになる。空は明るいのに、星空が見え始めていて、夕方なのに昼間なのか夜なのか、曖昧になっている。
考えるのを終えたのか、葉子の目線が戻ってきて、目を合わせた。
「今日はあんたにとって、どういう日なの?」
「花火大会」
「真面目に答えて」
葉子の黒い瞳が微動だにしない。迫り来る眼差しに気圧される。
葉子の質問の意図が分からないが、いつにも増して真剣な顔に免じて、とりあえず考えてみることにした。
夏休みに仲の良い友達と幼馴染の四人で花火を見る。上辺をなぞれば、何てこともない楽しそうなイベントだ。でも、僕の真意はどうだろうか。白濱さんが言っていたように、皆と楽しく過ごせればいいのか? それは違う。だって今の僕は全然楽しくない。来る前からこの花火大会は楽しくないと分かっていた。浩介と白濱さんは付き合っている。さっきから目の当たりにしている現実に、今にも吐きそうだからだ。じゃあ何で来たかって、それは白濱さんがいるからだ。僕は白濱さんと仲良くなりたい。あわよくば恋人になりたいとも考えている。だけど、浩介とも僕は仲良くしていたい。でも浩介と白濱さんが付き合っている限り、僕はこの場所から動くことは出来ない。だから今の僕は矛盾している。傷つきたくないのにここいて、でもここにいないと傷ついてしまう。
「……僕にもよく分からない」それが正直な答えだった。
葉子は「イジメて悪かった」と反省の色も出さず、相変わらずツンとした声色で言った。
「お二人は何を話しているんですか?」
白濱さんが振り向いてきた。返事の出来ない僕に変わって、葉子が
「二人は仲良いなって話」とあながち間違ってはいない含みのある返事をした。
二人はそんなことないですよ、と素直に受け取ったが、葉子の言いぶりはまるで、僕に諦めろと言っているように思えた。
会場の河川敷に到着すると、既に人山で埋め尽くされていた。パズルゲームみたいに隙間なく陣取りされ、立ち見を考え始めた頃
「おい、あそこ空いてんぞ」と手狭だが、浩介が四人が座れるだけのスペースを見つけた。
浩介に持ってこいと言われていたブルーシートを広げ、僕達は横並びになるように座る。
「結構ワクワクすんな。あと何分ぐらい?」と子供のような浩介。
白濱さんが「あと三十分ぐらいありますよ」と答えるその姿は、恋人というより姉弟に近いように思えた。
「浩介はホント子供だなー」
「童心は墓まで持っていくつもりだからな!」
「あんただって似たようなもんでしょ」
「そんなことないよ。もう虫とか触れないし」
「中三の自由研究でアサガオの観察日記つけてたじゃん」
「そ、それは童心とか関係ないだろ!」
僕と葉子が言い合っていると隣から押し殺すような笑い声が聞こえてきた。見ると白濱さんが
「あぁ、すみません、つい可笑しくて」と笑いを堪えていた。
「お二人はやっぱり仲が良いですね」と白濱さんが言うと、それに乗っかるように
「超お似合いじゃん!」と浩介が言い出す。
「だから!」
「はいはい、幼馴染幼馴染」
僕を宥めるように浩介が肩を叩いてくる。全然気は治まらないが、大人しくしてやることにする。
そうやって他の人達と変わらない談笑で、僕達は花火が始まるまでの時間を過ごす。小さなやり取りの中で、僕は白濱さんを意識し、少しでも好感度を上げる姑息なことをする。
きっと葉子にはバレているだろう。会話の節々からあいつはすぐに読み取る。逆に葉子の言葉の節々には、遠回しに僕に諦めろと念が込められている気がした。それでも僕は止めることが出来ない。だって、こんなにも近くに好きな人がいるのに、止めることなんて出来るはずがない。
「おー、浩介、お前来てたのか」
突如、頭上から低い男の声がした。思わず振り返る。僕達の会話を問答無用でブチ切ったのは、日焼けした坊主の男だった。後ろには男女数人がジュースの缶を持っていて、浩介に向かって「いぇーい」だの「もしかして噂のカノジョー?」だのと言っている。
「えっ皆!?」と浩介が上ずった声を上げた。
「部活の皆向こうにいんだよ。友達いんのに悪かったな、つい見掛けたもんで。じゃあな」と坊主の人が去っていく。それにアヒルの子供みたいについていく連中が「またね」「カノジョさん超美人ー」などと口々に行って去っていく。
「あーまじかー…… こんだけ人いるから会わないと思ってたのに」と下唇を噛みながら浩介が立ち上がる。
「ごめん、先輩達に挨拶だけ行ってくる」
「うん」と答える僕らの声に反応もせず、浩介は駆け足で人混みの中に消えていく。
「体育会系って大変ですね」
白濱さんの呟きに「そうだね」と僕は返事をした。
携帯を見ると、始まるまで残り五分を切っていた。
「帰って来るかな?」なんて冗談の口調で心無いことを僕が言っていると、隣に座っていた葉子が立ち上がった。
「どうした?」
「トイレ」
「え、でももうすぐ始まるよ?」
「馬鹿。女子のトイレを止めるもんじゃないよ」
そう言って葉子は制止も聞かず、早々に人波に混ざり、見えなくなった。
すぐに嘘だと分かった。葉子は花火が終わるまで帰ってこないつもりなのだろう。下手をすれば、今日はもう帰ってこないつもりなのかもしれない。僕に諦めろと言う癖に、応援紛いな事をする。あいつこそ、あいつにとって今日はどういう日だったのだろう。
白濱さんは何も言わなかった。葉子の意図に気づいているかどうかまでは分からない。
ただ、笑っていないことは確かだった。
残された僕と白濱さん。急に二人になり、どんな会話をすれば分からなかった。
騒がしいのに、気まずい沈黙が僕達の間を掠めていく。
打ち上げ時間がもうすぐに迫った時
「浩介くん遅いですね。連絡してみます」と白濱さんは携帯を巾着から取り出した。
その時だった。全身を揺さぶる大きな音と光に、僕達の意識が引っ張られた。
赤と黄と緑の閃光が、綺麗な放射線状に広がっていく。目を奪われた。次々に花開いていく光の芸術。咲いては散り、咲いては散り。色とりどりの光が湾曲を描いては、散っていく。ホタルの光より力強く、されどその輝きは彼らより短く、儚い。
「凄い……」白濱さんがポツリと呟く。
花火の音にかき消されそうなその声に、僕も思い出したように同じことを感じてしまう。
夏のジメっとした暑さも、短命を叫び続ける蝉の声も、全てを置いていくような勢いで、小さな悩みさえも忘れてしまいそうになる。
鮮やかな光が川に反射し、現実と幻の境界が曖昧になっていく。
小さな花火がたくさん弾け、怒るように激しく咲いたと思えば、親のような深さのある大きな一発が僕らを照らす。
光に吸い込まれるように、そこにいる人達は皆、空を見つめていた。
隣を見ると、白濱さんも星よりも眩しい夜空に夢中になっていた。子供のような無邪気な顔が、何色にも移り変わる。
僕の視線に気づいたのか、目が合った。途端、白濱さんは照れたように笑い「凄いですね」と言ってきた。花火にも匹敵する美しさに魅了される。
心の底から、この人が好きだと思い知った。
白濱さんが花火に目を戻す。すると、花火を見つめながら切り出した。
「そういえば望月くんは」
名前を呼ばれてドキリとする。言葉の紡ぎ目、一瞬の間が永遠にも感じる。
「望月くんは、黒澤さんのことが好きなんですか?」
予想外の質問だった。花火は鳴り続ける。どうして白濱さんがその質問をしてくるのか、分からなかった。
ただの純粋な疑問なのかもしれない。でも、どうしてもその意味を勘ぐってしまう。もしかして白濱さんは僕に気があるのかもしれないと、捨てきれない希望が顔を出す。
「ち、違う!」僕は葉子が好きなんじゃない。
「え、そうなんですか?」
白濱さんと再び目を合った。大きな瞳に捕まってしまい、目が離せなくなる。
花火の振動。跳ね上がる鼓動。逸る呼吸。
押し出された気持ちが、僕の理性を越えていく。
「ぼ、僕が、僕が好きなのは――」
大きな花火が打ち上がった。周りの観衆が、その大きさに唸り声を上げる。白い光が河川敷一面を照らす。不意に、白濱さんの携帯が目に入った。
『浩介くん遅いですね。連絡してみます』
開かれたままの浩介とのやりとりの画面。そこには《一生大切にする》という冷やかしも茶化しもない浩介ならぬ、文面が書かれていた。
そしてその文面に白濱さんは《お願いします》と、装飾も何もない真剣な返事が返されていた。
続きに《まだ戻ってこないんですか?》と文面が続いている。
体の中がぐちゃぐちゃにされ、膨らんで爆発し掛けていた何かが、急速に萎んでいく。吐き気を覚えるほどの喪失感が、体を埋め尽くして、痛みに似た失意に蝕まれる。
言葉を失って、台詞の続きを待つ悪意のない白濱さんと視線が交差する。
早く続きを言わないと、と砕け散った何かを継ぎ接ぎにして絞り出す。
「僕が好きなのは……み、皆だよ」
白濱さんが笑窪を作った。
「素敵です」
花火が最後の輝きみせて、巨大な花をいくつも同時に咲かせる。光と音に埋め尽くされ、夜空が万華鏡のように光り輝く。
浩介も、葉子も、きっとこの空を見上げている。
夏はまだ終わらない。
それなのに、花火は終わりを告げるように、散っていく。




