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「まぁ、あれは確かに驚きましたけど。だって、あの大熊係長が、シンプルな物を差し置いて、まさかまさかの可愛いうさぎのティッシュ箱を手に愛らしいって言うなんてーーー、いえっ、別に、何でもないですっ!」
佐川は目をつむりながらその時の様子を思い出していたのだろう、何度かうんうんと深く頷いていたが後半でぽろっと出た言葉が上司に向って言うことではないと気が付いて、慌てて片手で口を塞いだかと想いとわたわたし始めた。
佐川は仕事で時々、うっかりなところがあるのは知っていた。
まあ、これくらいの失言はどうということもない。山崎の方がよほどやらかす回数と度合いは多いなと正剛は思ったぐらいだ。だから怒ってはいないことを分かってもらうために、こう続けた。
「あのウサギの写真は誰が見ても可愛いと思うだろう?」
淡い色で印刷され、正面を向いているウサギ。うちのうさお程ではないが、はやり愛らしい。
「そうですよねっ、ウサギって可愛いですもんね!?誰でもあのティッシュは可愛いと思っちゃいますから、値段は高いと思っても肌触りは最高だし、つい手が出ちゃいますよね!?」
「無理に話を合わせなくてもいい。・・・昔から動物好きなんだ。最近ようやくウサギを飼い始めたんだが、とにかく可愛くて。そうすると色んな雑貨にウサギ柄があることに目につくようになって。そういうわけでティッシュに手が伸びたんだが。こんな上司が小動物に弱いなんて滑稽だろう?」
過去の経験から、正剛はそういった。自分を卑下した言い方になってしまった。
見た目が凶悪。柄が悪くて怖そう。絶対にその道の筋の人。まあ、昔から色々と言われてきたことが頭の中を過っていく。当然、誰からも動物好きだとは信じてはもらえなかったことも。
「え?無理に、ですか?別に無理にではないですよ?確かにウサギ好きにはものすごーく驚きはしましたけど、それだけです。愛らしいなんて言葉が出てきたほうが似合わなくてびっくりしただけですよ。あっ!」
また要らない事を言ってしまったと口を紡ぐ部下は、見た目が凶悪な上司が動物好きなことを気持ち悪く思うわけでもなく、素直に受け止めてくれたらしい。
なんとなく感じた、もしかしたら佐川なら信じてもらえるかもと漠然とした予感は当たったらしい。
奇跡だ。
佐川の表情がころころと変わる様子や、身振り手振りであたふたする様子が何やら小動物を思わせた。
なんだか手にしたと思っていたヒマワリの種がどこかに消えてしまい周りを見渡すハムスターの姿に見えてしまった。
思わず正剛はなんだかほっとした。自分を偽らず正直に答えて理解してもらえたことがとても嬉しい。
「そうか、愛らしいという言葉に吃驚したのか。動物好きは信じてもらえたのなら、それでいい。だが、うちのうさぎを言葉に表すのに可愛いという言葉では収まれ切らなくてだな、そうすると思いつくのは愛らしいという言葉しか思いつかなくて」
「うそー、・・・係長が笑ってる・・・」
佐川は相次ぐ失言に怒られることに構えるでもなく、ぽかんとした表情を浮かべている。
確かに無表情が標準が多いが、正剛だって人間だ。喜ぶこともあれば、悲しむことだってある。どうやらウサギ好きと信じてもらえたことが嬉しくて無意識に笑みを浮かべていたらしい。
「悪い」
正剛はすぐさま気を引き締め、少し俯き加減になると視線を地面へと向けた。
「え?何がですか?」
「怖かったんだろう?」
動物好きだと認めてもらえたのは嬉しいことだが、だからと言って部下を怖がらせたいなどと思ってはいない。
「え、本気で意味が分かりませんけど?」
「だから、俺が笑ってるのをみて怖かったんだろう?」
お互い見つめあってみるが、話がかみ合っていない気がする。
「いえ、笑ってるところが見たことなかったんで、珍しいもの見たーっっ思っただけですよ?大熊係長には眉間にシワが当たり前で、いつも難しい顔してるのが普通なんだと思ってましたから。さっきみたいに普段からもっと笑えばいいのに。あ、でも大口開けて笑うと、山崎さんさんあたりなんて腰ぬかしそうですねー、あははー、あー、・・・なんちゃってー。ーーー調子に乗りすぎました、ごめんなさい。本当にすみませんでした」
山崎の名前が出たあたりから、ようやく言い過ぎたのを自覚したのだろう、目をあちこちさまよわせたかとおもうと、また手をわたわたとし始めた。その動きが個性的すぎる。
「いや、いい」
駄目だ、なにかツボに入った。
正剛は後ろを向いて笑いたいのを我慢する。だが声は抑えられても、肩は震えた。
「・・・なんですか。私のどこがおかしかったんですか!?もー、そんなに後ろ剥いて我慢されるくらいなら、正直に正面をむいて笑ってくれた方がすっきりしますっ!」
そう言われて後ろを向いていた体を、元の位置に戻した。そして目に入ったのはこれでもかと膨れた頬。頬袋か?
更にツボに入ってしまった。
「す、すまん」
ここ数年、こんなに笑ったことが覚えがないくらいに声をだして笑ってしまった。
後で、佐川には意外な一面を見れたからいいと許しをもらった。
***
「・・・昼飯、ここで食べていくか?」
正剛は腕時計で時間を確認すれば、まだ余裕があった。
「そうですね、お腹すきました」
佐川と同じベンチに座り、手に持っていた袋から買ってきたものをとりだし分けた。
木陰の下で外の景色を見ながらのコンビニのご飯を食べはじめると、やはり話の流れでウサギの話が出てきた。念願だったペットの紹介を果たせたのだ。
うさぎの顔のアップの写真もいいが、他のも見てもらいたい。スワイプして寝顔や顔を洗う仕草の動画を見てもらう。
「うっわー、かっわいいですねー。まだ二か月かー、子供ですね。もふもふですねー」
携帯に保存してある愛ウサギの写真を始めて他人に見せることが出来た。
生まれて二か月のネザーランドドワーフ。体はまだ小さく、ころんとした体つきだ。毛はふわふわで、手触りが最高なのだ。
「そうなんだ。うさおの背中をなでると羽毛みたいに柔らかくて、すべすべして、とにかく最高なんだ」
「・・・ど、ドヤ顔」
携帯片手に上司のドヤ顔を近くで見た佐川は大爆笑した。べしべしとベンチの座面を叩くほどのことだったらしい。しまいには軽い呼吸困難に陥っていた。佐川は厳ついと言われ続けたこの顔が怖くないと思えるまでに耐性が出来たらしい。若いから、耐性も早く付いたのかもしれない。
「・・・この顔で笑いが提供できたようで何よりだ」
心からの賛辞のつもりだっのだが、また呼吸困難に陥っていた。
気を付けないと昼飯を落としそうだぞ?
***
涙まで流していた笑いが治まってから、佐川が嵌っているものを聞いてみた。
「細マッチョなんですよ。この目と手の色っぽさが堪りません」
「そうか」
割り箸を握りしめ、そう語る佐川の目はキラキラと輝いていた。
今夢中になっているのは、2.5次元俳優と言われている一人なのだとか。
最初はゲームで発売され、人気がでたのでアニメ化され、映画化されて、最近舞台化されたらしい。主要なメンバーが9人いる中でも、一番人気の役者なんだとか。
携帯で写真を見せてもらったが体つきは細くて、男なんだが綺麗とい形容詞がよく似合う男なんだな思った。
それからも話は続き、倍率が高くて中々とれないチケットが買えた時は飛び上がって喜び、気合をいれて舞台を見に行けば、応援しまくり張り上げる声で疲れ果てて帰って来るのだとか。
DVDやテレビ越しでも、出来れば踊って声を上げて応援したいが、近所迷惑になるために我慢していることとか。
実は、佐川は先週の新人歓迎会の当日は仕事はしていたが、定時で帰り歓迎会への参加は出来なかったことがある。
体調不良が理由で帰宅をしたのだが、前日に、嵌っている俳優の深夜ラジオを直で聞いていたから、ただの睡眠不足だったのが理由だったらしい。しかも、その日は俳優の誕生日で、沢山送られていたメッセージの中から佐川が出したものが読まれたらしい。もちろんテンションが上がりまくりで眠れるわけがない。それが寝不足の理由だったらしい。
「・・・そうか」
風邪を引いたのかと心配していたのだが、ばかばかしい理由を聞いても怒らずに正剛は言葉を飲み込んだ。録音でも勿論聞くことは出来るが、生で聞きたい熱意は伝わってきた。
「勿論録音もしてありますし、コピーも完璧です!我が家の家宝です!」
「・・・そうか」
その好きな俳優はラジオの出演は毎週ではなく、出ている週だけチェックして聞いているのだとか。週によって出演するメンバーが変わるらしい。これが毎週だと寝不足で大変になるだろうと言っていた。確かに、毎週同じ曜日に体調不良は願い下げだ。
「そうか。佐川も色々大変なんだな」
部下の新たな一面は、聞いていて面白かった。コンビニで同じ商品に手が伸びなければきっと知らないまま仕事をしていただろう。
「はいっ。寝不足になろうとも、すごい幸せなんです~」
好きなものを語る佐川はとにかくよく喋った。正剛は聞き役しか出来なかったが、有意義な休み時間を過ごせたと思う。
その後、ぎりぎりになり午後の仕事に間に合うよう慌てて走ったことも含めて。