第4章ー2 とある真夏の暑い日
「ああ、もうイライラするっつーの!」
廊下を歩きながらいきなり叫ぶ。夏休みだから、校舎内にも人はあまりいない。
俺、この後どうするんだよ。ずっとぶらぶらしてるのか?
こっそりと戻るか。行ったところで広瀬や泉に見つかって終わりだ。
こっそり、誰かに手伝ってもらって…。手伝ってもらうって誰に?
「速水がいるじゃん!」
あいつになんとかしてもらおう。練習に戻れないなら、せめて一緒に時間を犠牲にしてもらう。我ながら妙案だと納得しながら、体育館と校舎をつなぐ廊下を歩く。剛健堂と称された建物から、空手部や剣道部の掛け声が聞こえたり、校舎から吹奏楽部の音楽が聞こえる。他の部活動の声がやけに今日は突き刺さってくる気がした。
つーか、あいつは何してるんだ? いや、あいつはどうでもいい!
「あー、もう何なんだよ!」
「何キレてるんすか、こんなところで」
「ななな、何でいきなり現れるんだよ、速水!」
後ろからいきなり声を掛けられて、飛びあがるように振り向く。そこには自分が先ほどまで考えていた人物がいた。
「それよりも先輩こそ何やってるんですか。それも変な声出して」
「…お前がいきなり後ろから出てくるのが悪い」
「俺のせいにされても。で、これからどうするつもりだったんですか」
「決まってんだろ! 練習すんの!」
「逆に面倒なことになる気がするんですけど…」
はあ、と川内はため息をもらす。
「お前さあ、意外と年上にも言うよな」
ラケットを持っていない左手で髪をかく。汗でほのかに指がしめる。
「はい、どうぞ」
速水はパピコの片方を遠慮なく川内に渡す。一瞬戸惑った様子を見て、「嫌いですか」と声をかけた。
「いや、俺、男からパピコもらったの初めてなんだけど」
女子からもらったこともねえけどな、と付け足す。
速水と川内はほぼ同時に蓋を口で外す。そのゴミを店の入口のところのゴミ箱に投げ入れた。入口の階段にしゃがみ込んで、シャリシャリと食べる音が響いた。
「で、何あったんですか」
「む? 流石にいきなりすぎねえ、速水」
口からチューブを取り出して、今日何度目かのため息をついた。口に入れた分のチョコのアイスを呑みこむ。手でアイスを口へと押し上げる。
「話聞いたら、あっけないと思うかもしれねえけどさ」
手の温度でパピコが徐々に柔らかくなっていく。溶けてきたパピコを口の中に思い切り流し込んだ。
「頭、冷えましたか」
「あ、ありがと」
速水はその場を立ち上がり階段を上る。数段上ったところで背中から小さな声が聞こえた。
「俺、馬鹿だよな」
顔だけ戻して速水は振り返る。「んー」と何とも言えない声を出しながら、川内が手と足を思い切り伸ばしていた。ゴミを捨てて、元の場所に座りなおす。
「何か言いたくなくなってきた」
「なら、戻りますよ」
「はあ? 速水、そこは引き止めてでも聞くだろうが!」
立ち上がろうとした速水のジャージの袖をつかんで、川内が叫んだ。
「お前帰ったら、俺この後どうすんだよ」
「じゃあ、俺も巻き添え食らうってことじゃないですか…」
速水はふう、と一息ついて続ける。まあ、なんとかしなくちゃいけないんだけれど、と速水は小さな声でつぶやく。
「何か今言った?」
「え、ああ、何でもないです。そういえば、ずっと気になっていたんですけど、そもそも、何でダブルス組もうって思ったんですか?」
「速水に頼んだけどさ、結局俺たちやることないよな。これから練習って感じでもないし」
「というか、頼むほどのことじゃないと思うんだけど、俺は」
ラケットを台の上に置いたまま、当の持ち主は床に座りただ喋っている。北見もその輪に一応入っているが、窓の外を眺めたり、うろうろ歩き回ったりと落ち着かない様子だ。
「先生、大丈夫ですよ。すぐ戻ってきますって」
広瀬が座ったまま、歩き回る北見に声をかける。北見は眉をひそめた。
「そうかなあ、このまま本当に辞めるとかなったら…」
「ないない」
国分がすんなりと否定する。泉もその意見に同意する。
「俺もそう思う。というか、そろそろどっちかが…」
泉がそこまで言い切ると「やっぱり」とつぶやいた。泉は広瀬の肩を叩いた。
「あ? 何?」
無言で階段の方を指すと、広瀬も同じようにその方を見る。あ、と広瀬が気づいて北見と国分も気づく。
「ごめん、広瀬。何か練習ぶち壊しちゃって」
きょろきょろと辺りを見回しながら、何かを確認して台原は寄ってくる。国分は腰を上げて空間を作った。広瀬が座れと指さして、しゃがみこむ。
「まあ、気にすんな。そういえば速水は?」
「速水? 見てないけど、どうかした?」
「いや、なんでもない」
それなら速水は川内と一緒にいるのかもしれないと広瀬は思った。あっちは速水に任せれば、なんとかなるだろう。
「で、何があったんだ?」
眼鏡の奥を鋭くさせて泉が言い放つ。「まあ、ちょっとね」と台原は言葉を濁した。
「思えばさあ、何でこの二人が組むことになったんだっけ?」
「北見先生は知っているんですか?」
「え、わたし?」
いきなり話を振られて驚いた様子で北見は目を見開いた。広瀬の下にやってきて、泉が開けた隣に座りこむ。
「ダブルスやりたいって言ってきたのは二人からだったけど…」
「え、俺知らない。広瀬は?」
広瀬も泉も首を横に振る。台原は自分のスポーツバックの中からペットボトルを取り出して、口の中に流し込む。喉を潤して、再びペットボトルを閉めてから話を続けた。自分の横にペットボトルを置いた。
「僕と川内は一年の時同じクラスで。でも、初めは全然接点なくて」
ほら、どっちかというと僕はおとなしい方、あっちはクラスの中心で目立つ方だし、と切り出す。
それから、入学してすぐに仮入部期間がはじまって、僕は卓球部に来た。そして、そこには広瀬や泉、国分もいて、もちろん川内もいた。仮入部だったけど、自分でこの部に入るんだろうなって思っていたし、なんとなく仲間はここにいる人たちになるとぼんやり思っていた。もともと、人が少ないのは知っていたけれど、それはそれで気が楽かなと思ったし。
「お前、同じクラスの奴だよなあ、えっとごめん、名前は?」
「台原真也だよ、川内くん」
「えっ、俺の名前知ってんの? お前記憶力いいな!」
川内はぎょろりとした目をより一層大きく見開く。
記憶力がいいも何も、あんなにクラスで目立っていればすぐに名前を覚えるに決まっているはずだ、とその時の僕は思った。驚くことじゃないのに。入学式最初の教室でのホームルームでの自己紹介を聞いた時、この人は自分と正反対なタイプだと瞬時に思った。そして自分は覚えていても、あっちはすぐに忘れてしまうだろうなって。
だけど、正直、うらやましかった。かっこよかった。自分の意見をためらいもなく言える。誰とでもすぐに仲良くなれて、知らない人ばっかりの高校生活を明らかに充実させている。そうぼんやりと考えていると、こちらを見ながら眉間に皺を寄せている。ちょっと怖い。
「んー…?」
腕をで組みながら、左右に首を傾げる。
「気のせいか」
気のせいって何? 人を上から下までじろじろと見ておいて、それはあまりにひどいと心の中でつぶやく。
「お前、中学から卓球部?」
「うん、そうだけど…」
「だよなー、高校から始める物好きなんかいねえよなあ」
ここの卓球部もあんまりいないみたいだし? と川内ははっきりと言う。内心、先輩に聞かれていないかと思ったけど、どうやら他の一年生との会話で話は聞こえていなかったみたいだ。
「まあ、よろしく。…えーと、台原、でいいんだっけ?」
これが川内と会話を初めて交わした、仮入部初日のことだ。
そこまで偏差値が高くはないけど、この地域では「進学校」と呼ばれる学校にぼんやりと受験し合格して入学した。何だか自分のこれまでを振り返ると、あまりにもぼんやり過ぎていないかと思った。「高校でも卓球を続ける!」という強い気持ちがあったかと言われると、戸惑う自分がいる。だけど、どこか部活に入らなければいけないし、他に自分が入れそうなところは特にない。
――高校から始める物好きなんかいねえよなあ。
その言い方から、卓球をやっていたというのが分かったけれど、何だか投げやりな感じだったなと思いだす。逆に、川内が卓球部というのが不思議だった。バスケ部とか、野球部とか、目立ちそうな部活に入っていそうなイメージなのに。おとなしい自分と一緒の場にいるのが不思議な感覚だった。