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1−6

 平時からナルシストを公言してはばからない成瀬春彦という人物。つまりは俺の事なんだが、そいつはとうとう重大なことに気がついてしまった。それは休憩という二文字から成り立つ魅惑の時間が小早川 紫という人物にことごとく蹂躙されちまうことだ。例えば、『喫茶店での人生の休憩時間然り、昼休みでの学校の休憩時間もまた然り。

 だが、常に時間に追われている生きざまはかっこいい男の証だぜ!

 なーんてな。

 こんなあほらしいことをボヤボヤと考えているうちに小早川が連れだした場所は屋上だった。あんなにも強引に引っ張ってきたわりにはなんてことのない場所。

 ていうかなんで鍵が開いているんだ? これまた都合よくとか思いながら俺たちは十七段あった階段を登り終えた。侵入禁止と書かれたプラカードみたいなのも、富士の樹海ではあるまいしなんてせせら笑い華麗に無視をする。

 とりあえずは注文通りにと屋上へ出て、『赤毛のアン』ばりの――心からお祈りをしたくなった時に、たった一人で広い原っぱか深い森にでも出かけて空を仰ぎ見る――みたいな心持ちで空を仰ぎ見た。

 ふーむ。

 透き通ったようなマリンブルーの空は心地よい気分にはさせてくれるね。さっきまでの自分勝手な小早川にいらついていた気持ちが見事に吹き飛んでしまったな。

 そう、この優しい春の風のように世界がもっと清らかで整然としていたらどんなに素晴らしいことか、とか思ってみたりもするんだよー、ていうのはなしか?


「ハ、ハルくん……」

 

 とここで、小早川しかいないのこの場所で俺の名前を優しく告げる声色が聞こえてきた。

 

「あのね」


 ……って、えっ? ユカリか? 

 俺のことをハル君って呼んだのか?

 そんなのいつ以来だよ。中ニの時に寝言でうっかり聞いちまった時以来か。 それともバミューダトライアングルの見解について言い争いになったときに、意固地になってハルくんと言ってしまった時ぶりか。 

 様子がおかしいだろ。おかしすぎる。

 こっそりと様子を窺ってみると、俺の些細ないたずらもおふざけもそして現実逃避という名の夢も全て見透かしてしまうような、そんな無駄に爛々と輝いていた双眸そうぼうがそこにはなかった。


「ハルくん、ってば」


 やはり、ユカリはさっきまでの威勢の良さがすっかり影を潜め、どなり散らしていた声はかよわくおしとやかな声になっていたのだ。さらにはうるるとした瞳でこっちを見つめてたし、俺の裾のはじをちょこんとつまむようにしていた。

 なあ、それだと美少女に磨きがかかってしまうじゃーあありませんかぁー。

 しかも……おいおいユカリさん?

 小早川は若干の躊躇を含ませながらも――それは葛がからみつき藤が巻きついた思考を緩慢な動作で表現してきたので分かってしまったのだ――こっちに向けて差し出していたものに驚いてしまう。


「これは?」


 ここに来る前から気にはなっていたものだが、まさかそこからクリーム色した可愛いお弁当の包みがでてきてくるとは思わなかったからであった。目をこすって見てもまぎれもなくお弁当だった。が、まだわからん。俺をからかっているのかもしれん。


「お、おべんとー」


 あーわかっている。だが、意図を聞いているんだ。


「おべんとう」


 どうすればいいんだ。あれか? おべんとおべんとうれしいな何でも食べますよくかんで〜。なんて音痴な歌でも披露すればいいのかね俺は。

 もし仮に、砂糖と塩を間違っているようなドジっ娘ぶりを発揮しても、笑顔で頷くのがこの場合でのたしなみだろうか。 

 すると。 


「たべなさいっ」

 

 まるでうそのようだった。

 今の小早川はセリフだけで考えるとつんつんとした命令口調なんだが、本当のところは素直で優しい声色だった。まるで清純でちょっぴりおしとやかな女の子が乗りきれないもののなんとなくツンデレに挑戦してみました的な違和感。いや、外人面だが喋ってみたら日本人よりも流暢な古風的日本語を話すぐらいの違和感だろうか。

 なんにしても、普段の小早川 紫とはかけ離れた雰囲気なのだ。


「あのね、いっ、いっしょーけんめいつくったの」


「えっ」 


 今度はおかしな語尾口調でもなく、正真正銘のかわいさだった。

 きっと今の俺は、年末ジャンボの宝くじで四等を当てた時ぐらい唖然としているであろう。 ちなみに当たったことはない。アイスの当たりやガムのおまけですらない。

 いや、そんなことはどうでもよくて、そんぐらいこいつが何か施すなんてことはありえないってことを言いたいだけだ。少なくとも記憶にはございません、とやら政治家みたいになものぐさになっちまうじゃないか。


「ダ、ダメ、かな?」


 ユカリはそう言いながらも小首を傾げた。

 その男を骨抜きにしてしまいそうな柔らかい表情。

 少し伏し目がちで恥ずかしそうに笑い、ちょこんと目が合ってしまった時に見せた屈託のない微笑み。

 それは百万ドルの微笑みと形容されちまうやつだ。

 年末ジャンボでは二等ぐらいか? 百万ドル。

――いいや、そんなことよりもさ。俺、もうだめかもしんない。

 たとえこのお弁当で毒殺されようとも、小早川が裏の組織に操られていようとも、夢うつつであったとしても、こいつを食わなければ男として間違っている気がする。


「いや、そんなことないよ。でも、これって俺のためにつくってくれたの?」


 驚きのあまりこんなこと聞いてしまった俺。なんて傲慢なんだ。


「う、うん」


 頬を紅色に染め軽く視線を反らしつつもそう言ったユカリは、ベンチに座ってお弁当の包みを開けるように促した。俺は迷いもなくお弁当を開けていく。


「あのね、あたしがたべさせてあげたいな」


「えっ、うそ……」


「う〜、うそじゃないよぉー」


 あー、ダメだ。可愛すぎである。

 ユカリは向日葵の種をほおばるハムスターのようにむくれていた。そう、あえてちょぴりむくれていたという感じだ。その様子は奥ゆかしい百合の花のようで、普段の棘のある薔薇とは大違いだった。


「これね、ホウレンソウの玉子焼きなの。卵を溶いて、だし汁と砂糖で調理してね、ホウレンソウを芯にして巻いたんだ。あっ、これはタコさんウインナー。さっきのあたしは食べちゃったみたいで、でもほら、鳥のからあげも葉っぱ……じゃなくて、へたのついていないミニトマトもあるんだ」


 なんて優しげな饒舌なんだろう。トマトのへたのことを葉っぱっていうところに、なぜか心拍数が振り切れたメータのように駆け上がるぜ。


「これ、ほんとに食べていいのか?」


「――うん。それに、あーんして」


 俺はユカリの言われるままに、餌を待つ小鳥のようにただ口をあんぐりと開けていた。

 しかし、はたと気づく。

 このお約束のような、むず痒くなるような恋人的イベントはどういうことだろうか。

 何度も言うが、あの小早川ユカリだからだ。

 よく考えろ、よく考えろ。ユカリが本当にそんなことするわけがないじゃないか。

 例えば、例えば、そうか! 


 ――あれは四月の初めの事でした。星の綺麗な夜にふと散歩をしたくなって外に出てみると、遥か遠くの空の彼方から不可思議でスペクトルといえてしまう変な可視光線が輝いていました。まるでドップラー効果を受けたかのように波長が変化していて、赤方変移を見ているような感覚でした。宇宙膨張説が正しいのだということを確認しつつ、あたしは夢で見たその光を追いかけてしまいました。すると、たどりついた場所は学校であり、そこであたしは困惑してしまったのです。

 だって、変な衝撃波を感じたのだから。

 なのに上を見上げると満点の星空。その中でうごめくUFOにも似た存在。否、似た存在なんてものではなく、あれはまぎれもなくUFOでした。なぜならそれは、物理的に不可能な速度で星の咲いた空を旋回し、あたしに精神に語りかけてきたのです。


「あなたの魂を救済してあげるわ。――でもその代償として、あなたのあずかり知らぬところである行動を起こしますね。私が地球でやってみたいことをするために」


 あたしはこの言葉をきいた瞬間、すーっと見えない何か自分の体の中に取り込まれていったのをここで確信しました。あーこれは宇宙人に肉体を乗っ取られるんだ。そこでふと後悔。なんであたしは、この世の中の不可思議な存在から目を逸らし続けていたんだろう。そしてはふとのナルのことが脳裏を掠め、あのばかの言っていたことが正しかったんだと思いました。


 そうだ、小早川はきっと宇宙人に体を乗っ取られ、だからこうして――


「――ハルくん。あたし、恥ずかしいから、あーんはいっかいだけねっ」


 しかし、そんなありえないショートショートを考えてしまったのがまことに情けなく、俺はコンクリートに頭を打ち付けたくなるぐらいにぶっ飛んでいたことを思い知らさせた。それは小早川が放り込んでくれたホウレンソウ入りの玉子焼きが、口の中でとろけていったからである。

 このようにして、しばらくの間はユカリが作った弁当に舌鼓を打ちつつ春のこもれびのような視線を投げかけてくる彼女に、

「こはんつぶ……ついているよー。ぱくっ」とか「はい、緑茶も飲んでね」とか言われて、日本人の幸せを存分に感じながら昼食を食べ終えた。

 よく見るとその右手小指の目立たない場所には、絆創膏が貼ってあった。

 もしかしたら普段しない料理をやってみたのだから怪我をしたのかもしれない。

 そうして、最後にユカリは最高の笑顔を浮かべてこう言った。





「――あ、あたしも、文芸部でいっしょにほんを読みたいな――」





 もう脳天を痺れさせるような発言だった。

 といっても別にユカリが好きなわけではないんだからな! 

 これはな、史上最大の奇跡を目撃した嬉しさ、ということだ。

 だがその可愛らしい言葉を聞いた瞬間は、ひらりひらりと優美なターンを繰り返す蝶が舞っているかのような小早川 紫の可愛らしい幻影を見ていたのかもしれないと思ってしまった。そう、つまりは茫然自失寸前だったんだな、この俺は。





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