1−5
その日の昼休み。
まだ本腰とはいえないかったるい授業を野球選手の一流打者的凡打率ぐらい(まあ七割)のアバウトさでさらっと流しきった俺は、世間一般であれば休憩時間とも呼べるであろう昼休みの至福な時間を迎えようしていた。
鞄から弁当の包みを取り出し中を開いて、そこから飛び出してきたタコさんウインナーがやけに丹念と作られているのを感慨深げに眺め、そして精神を一点に集中させて狙いを定めたまさにその時だった。
「ちょっと、ナル」
そう、久方ぶりに小早川の声が聞こえてきたのだ。つまりは、俺の中の脳内警報が緊急事態を訴えて鳴り響いている状態になる。
ここ一週間、「それってなんかのさなぎじゃね?」ってぐらい静かだった小早川のユカリ穣が何をしてくるかが分からないので、柄にもなく緊張していたと言ってもいいのだろう。でも、また夢の話でもしてきたら事細かに解析でもしてやるよ。
「ど、どうした? 小早川」
とりあえずはさわやかに返事をしてみる。
自分の心の内を晒さないようにな。
「おい、どうしたんだよ?」
しかし、そんなこともお構いなしにユカリのやつは俺を連行しようとするのだ。
おいおい、どういうことなんだ?
「用があるからに決まってるでしょ」
そう言いながら腕をひねり上げ、てこの原理を応用した間接可動部を封じる技を繰り出した。だから、そのひねり癖はいい加減に何とかしてくれ。
「なあ、おまえいきなり何をするんだよ」
「いいの!」
そしてこんな状況にも関わらず、それを羨望の眼差しで見てくるクラスメート。なんという勘違い。
後ろの席にいた新原 紗希は置物人形ばりのノーリアクション。
なあ、小早川はあれだけど、新原よ。
あれから何一つアクションを起こさないあんたは、今こそあの耳元でクールに囁いた「あたしがまもる」を実践するときじゃーないのか?
いや、そんなことはしなくてもいいが、なんであの日から誰に対しても口を利かないんだよ。今だってその唐辛子みたいなの銜えて不思議そうな顔しているのはどういうことなんだ?
――って、あれモノホンの唐辛子じゃねぇーか。
「ほら、はやく!」
「おい、ちょっと待てよ……」
まるで痴漢をした男のように連れられていくこの現状を打破しようととりあえずは声を上げてみる。しかし、こうなってしまったユカリはとにかく強引なのだ。もうどうしようもないのかもしれない。
「いいから来なさい」
「待て。このウインナーぐらいは」
「ダメに決まっているでしょー。おとなしく言うことを聞きなさい!」
あーあ、すんでのとこで難を逃れたタコさんウインナーのやつは、こんな姿を見てざまーみろとでも思ってるんだろうね。きっと。
こうして俺主導の自由民権運動ないし人類三大欲求の一つを完膚なきまでに拒否した小早川は、サッカーの競り合いで培ったであろう腕力を使いこなしさらに腕を抑えつけてきた。するとこいつが諸悪の根源だというような目つきで、優雅に八本以上の足を広げる軟体動物を睨みつけている。
「おい、ユカリ、なにしてんだよ」
「ナ、ナルはあたしよりもこっちが大事なのね。だったらこんなの、ナルのウインナーなんか食べてやるんだからっ!」
「おい、止めとけそのセリフ」とそんな言葉すらを発する余裕すら与えずに言い切ってしまった小早川は、若干照れくさそうな顔していた。
――だったらいうな。それに食うな!
おかげで間違った方向にベクトルを向けている思春期真っ盛りの野郎が、この瞬間にリビドーまるだしの変な勘違いをしちまったらしい。
「ほ、ほらっ、あたしが食べてあげたからはやく行くわよ」
どうやら俺には、五十メートル走タイム分の食事時間すら与えられないのか。まったくどうしてこうなるんだよ。けど、いつもの小早川が戻ってきたからいいとするか。
んむっ? 別に嬉しくなんかはねぇけどな。
それよりもこんな後ろ髪引かれる思いで教室を後にするのは癪に障るから、タコさんウインナーに惜別の呪文ぐらいは唱えてやろう。
「その艶やかなる八本の脚よ。またの名は偉大なる触手よ。成瀬 春彦の名において貴様に命じる。我が難敵の小早川に聖なる試練を与え給へ」
俺はせめてもの悪あがきと思い、先祖代々から伝わってきた古の呪文を今ここで淀みなく言葉を紡いだのだ。
するとどうだ!
まるで真紅の竜が翼を広げるかのごとくひゅるひゅるとタコさんウインナーの足の部分が広がっていくではないか。そう、その姿はまさに大海の帝王であり、見事なまでのドラゴンソードと化した触手は、小早川 紫の体のラインを強調させるようにぐるぐると巻きついていく。そして――、
「ばっかじゃないのー!」
ああ、そうだとも。魔法なんて使えるわけないさ。誰か今すぐ俺をブン殴ってほしいぜ。




