3−9
「なんだよ、それは……」
話がまるで見えない。
そもそも新原の仕業だというならばなぜあいつが指をパチンと鳴らした時にこれらの小物が動くんだよ。というより何が言いたいんだ。
「……」
結局、この言葉が抑圧されていた不穏な考えを呼び起こす導火線となり、どうにもならないこの状況を代弁するかのように自分の表情が揺らいでいくのがわかった。そして手づまりにも似た閉塞感、何者かが自分に危害を加えようとするような圧迫感、何らかの陰謀が漂う不気味な感覚がまた襲ってきて、払拭しようとも叶わず逼迫させられるような心情になっていく。
「おまえが、おまえが何かを仕組んでいるのだろう」
「さあ、どうしてそういいきれるのですか?」
おまえは俺の何を試しているんだ? 何か誘導尋問でもしてカマでもかけているのか。ここまでしつこくやられると、いくら面構えがよくたって顰蹙を買う。
「新原がやったとは……。何が、なにが言いたい」
きっとこのターンも、会話のキャッチボールがままならない気がしていた。
それは問いと回答にたいする因果関係に大きなズレを感じる奴だからだ。いままでのやりとりから判断するに。
「はて、新原さんとは。実は私もどこかの組織に操られていまして今まで喋った事は何も知りません、覚えていませんと言ったらどうします?」
そしてその答えは俺の想像を遥かに超えていた。
ホントマジで、なにをいまさらいいだすんだ。その全ての事情を知悉しているかのような言い草のくせして。
もはや怒りの感情は沸点の限界を突破しそうになっていた。
「そう怒りを露わにしないでください」
男は口元だけを動かして笑いの形を作り、
「私が思うにですよ。あなたはこの世界が、今ある現実しかないと考えるような現実主義者ではない思っているのですよ。だからこんな話をするのです。まあ、その現実主義者達が崇めるこの現実も、例えば富とか名声とかその他いろいろ。そんなのですら、かの昔から増築されてきた――それこそ現実主義者達が嫌いな妄想だと呼んでもいいものなんですけどね、まったくの余談ですが。で、話を戻しましてですね。あなたはどちらかと言えば、夢やロマンを追求する夢想主義者ではないのでしょうかと思うわけで――」
「あのなぁ!」
怒鳴るもの無理はない。だが男はさらに続けて、
「待ってくださいって。そうですね、あなたは私の話していることが詭弁、論過、虚偽、誤謬といった類のものとでも思っているのではないでしょうか。それとも、ここで繰り広げられている私の会話は、もはや形骸化されている言葉の残骸とでも思っているのでしょうか。ただ、それは大いなる勘違いですよ。なぜならさっきまで私は、大脳気質に埋め込まれたコントロールチップか躍動していたため、自分では何を言っていたのか全く分からないんですよ。こうやって明らかな情報処理が施されてしまうのです、私は」
まくしたてるように語りかけてきた。
だが俺は、そのふざけた会話を煮えくりかえるような思いでいたのでこう言ってやった。
「なあ、いい加減にしろよ! なんだ? その意味不明な話は? それよりもな、世界があーだこーだいっていた話はどうなったんだ? それに新原の件について、偶然なんですよ、で済ませたり、今更関係ありませんでした、なんて言わないだろーな!」
凄んでは見せるが、なにせ文化系なよなよの俺である。文庫本を小脇に抱えています、とでも自己紹介札が付いていておかしくない体格。いくら自分をどう見せるかは鏡の前で研究はしていても、それに相手を威嚇するように低く構えて体躯をしならせ懐に入り込むような格好は管轄外だ。所詮それは子供騙しであろう。
しかし、そう注意すると男は意外にも謝罪をしてきたのだ。すいません、と。
「そうでしたね。少しおふざけが過ぎましたかー」
そしてふー、と一息吐き。俺も心の中でほっと一息ついているところでまたもや話を続ける。
「ただ、偶然という観念事態は必然と必然が重なり合ってできたものという可能性もありますから、その物言いには語弊がありますね。いや、それよりもどうして謝罪したのかというと、理由を挙げれば私はあなたの考え方に興味を持っていましたので、会話に置けるいろんなパターンを試行錯誤して組み合わていたところだったのです。でも、それはいささか失礼に値していたんですね」
やはり、煮え切らない話に痺れを切らしてしまった俺は、核心に迫ろうと男の話を遮断した。
「そんなことよりな、現状把握のほうが大切だ。あんたがさっき述べていたやつだ。新原が率先して超常現象を発生させていると言ったその理由をなんだ?」
「そうですか」
うむ、と一人首肯し、あごに手を当てて呟く。
「では仮定の話ではありますが、私があなたを守るといったらどうしますか。そうすればきっと信頼しないでしょうね」
返事を促してきたので「ああ」と短く答えてやった。
「ですが私は思うのです。この十時三十八分には重大な暗号が隠されているということを。そしてそれを伝えなければならないことを。なぜ十時三十八分だったのでしょうか。これは新原さんが情けをかけたメッセージなのかもしれません、と私はいいたいのです。それに、あの『だいじょーぶ、まだへーき』という言葉、あなたの問いに対して完璧なまでのはぐらかしといえませんか?」
やはり新原が電波で宇宙人的な存在であることも知っている。これも今更ながら、だが。
しかし、待て。どうしてそう何もかも知っているのか。
おまえが自身が何者かに操られているというからなのか。
と、そのような類の事を会話の合間に挟んでみたが、
「知っているものは知っているものなんですよ。何もそんなふうに言われる筋合いはありません。それにそのうち分かる事ですから」
不快そうな言動。ただ、それでもその言葉を浴びせてくる表情は清涼感に溢れていて、微々たる変化も感じられない。
まったく……、こいつは超自然的ポーカーフェイス人造人間からくり言葉使いか。
「話を続けますよ」
そう言われたので、また俺は「ああ」と答え、こう思う。
もしかしたら本当の世界とやらの話が不意に飛び出してくる可能性だってある、と。
なぜだか俺は先ほどまでの感情に任せていた怒りは消え、全神経を凝集させて男の話をじっくり聞く体勢になっていた。それは少しだけ確信に迫ってきているような話のような気がするからか?
「で、そうです。明らかにおかしなことが成瀬 春彦さんの周りでは起こっているはずなのに、あなたを守るといった新原 紗希さんはどうして素早く対策を打たないのでしょうか、ということです。だからですね、実は時間的猶予――まあ、タイムリミットの事ですね。それを設けまして、あなたに情けをかけているのではないですかと?」
俺は自分の思考が泥沼の中を必死に這いずりまわっているのを感じた。
「話が、見えない」
「まあ、落ち着いてください」
こいつに会ってからもはや三度目ぐらいになるこのセリフ。
そして男は、一息ついてからまた喋り始めようとする。俺は思考回路がショートしているのか、思考の論理的な組み立てができない。
「だからですね。あなたが十時三十八分に超常現象が起こるということにこだわりを見せるのならば、その時間を解読してみれば面白いのですよ」
こだわり? それだけは違う。
なぜなら、おまえが俺の事をつけてきた時間と超常現象が起こった時間とが合致して、そこに疑いを向けたから始まったのだ。
だが男は構わずに、
「あ、おまけに一秒も取り付けますけどね。そこでですよ……ものは考えようなんですが、十と言う漢字は何に見えますか?」
無為な質問を投げかけてきた。答えることはないが。
いや、答えるより先に前に男が会話を進めていた。
「良く考えれば十字架が持つ本来の意義である救いというメッセージ、ほらそのペンダントみたいにですね。これは新原 紗希さんが表面的に述べている、あなたをまもるという意味です。ただし、」
男は呼吸を整えてからもったいぶった調子で、
「これは磔という意味にも取れるんですよ。で、ここでまた例え話なんですが、新原 紗希さんが宇宙人と仮定し未確認飛行物体――まあ、俗世間ではUFOなんて呼称されていますが――それを使ってやってきて、まず地球の侵略を試みるための手始めとして成瀬 春彦という人物を捕獲せよ、ただし充分な好意をもたれるように。と言う指令が下されたとしましょうか。だから、そのミステリアスな部分や浮世離れな部分を前面に出しつつも――」
こんなふうに新原に関しての話がしばらく続く中、俺はあの時を思い返す。
あの子なに? へっ? 新原紗希。まあ、良くある話だろ? なにが。ひとめぼれってやつじゃないかと。はー? 非現実の世界っぽい話だけどさ、本当にあるんだなって。何言ってるの目を覚ましなさいよ。だが、この話にはもう少し続きがあるんだよ。なにそれ? あの時はあいつが言った言葉は俺を守るだった。意味わかんないんだけど、ナル。どこが? いい加減にし――
そう、あの日の喫茶店での一部始終。
特にそういう浮世離れした不思議系な少女には、憧憬にも似た一種のあこがれがあるとは言えなくもない。実際、入学式の日におとなしそうでクールで背の低い少女(イコール新原のことだが)に「なるせ、あなたはあたしが守る」なんて真剣な瞳とおちょぼ口を向けられたらわくわくしてしまったものだ。
「所謂ですね、あなたは第三種接近遭遇状態であったのです。彼女は、あなたに近づくため突飛な事をいって、なおかつあなたの味方である事を告げ油断させようとする。というよりかは、着々と舞台裏を整えつつも宇宙人に近い存在であるのを少しずつ晒け出し、だけど、地球規模のエマージェンシーな侵略だということを看破されないようにする。そこに重要性を置いていた。そしてあなたにも抵抗感を無くさせるために、連れだしていこうという魂胆が浮かびあがってきますから」
新原が宇宙人?確証はない。
だけど、どう考えたってさ。
そういう感覚のある眷族だ。
どう考えたって間違いなく。
俺が関わっているその人物。
その名は新原 紗希という。
彼女は人物と呼べるのか?
テレポートを見ただろう?
俺を守るといった彼女の。
分からないことだらけだ。
この世界に宿るすべてが。
瞳孔が開く。なぜだか涙袋に水分が上乗せされる気分だった。
それは、そういう事に想いを馳せていた昔の思い出や知識なんかがポーンと浮かんできたからであった。あのころの感覚が心地よかった。
「そして、こうです。超常現象が起きた時間の十時三八分一秒。漢数字だけを括りだせば、十、三、八、一。合体させれば奉るという字。これは新原さんがあなたをどこかに連れだし、そうですね。任務を遂行するように命じた人物のところにさしだそうかしているのではないのでしょうか。との仮説があります。あなたに関することならば何でも知っている私がいうんですけどね」
ここでようやく、面と向かいあっている奴の思考に合わせて舞い戻った。
件の十、三、八、一。組み合わせると……、確かに“奉る”である。
自分より上位の相手に何かを差し出す謙譲語。それは俺が指令を出したボス的宇宙人に生贄を捧げるという解釈か?
いや、まぎれもなく屁理屈。俺はおまえの思考パターンの方が恐ろしい。
でも、そこらに張り付けてあった政治家のポスターのおっさんよりかは、十二分に説得力のある表情だったのだ。
でも?
「さて」
その接続詞を聞いた瞬間、なんだか難儀な展開がやってきそうな気がしていた。そう、あれである。シックスセンスみたいなやつだ。
「成瀬 春彦さん」
だから、この空気が変わってしまったような感覚とともに、俺の予感はえぐえぐしくも的中してしまったらしいのだ。
「いままで熱心に語ってきたのですが、ピノキオ話はここらへんで終りにいたしましょうか。それともパスカルに掛けまして、クレオパトラの鼻が短かったということにしますか? だから世界は分からないとでも。絶対的指針を持たなくてそれでも流動的であり儚いのがこの世界。もしクレオパトラの鼻が短かったら、たったそれだけでも私たちの世界の存在意義が変わるのかもしれません。なんてそんな話を、あなたの知りたい本当のことに乗せまして言いましょうか」
「…………」
ピノキオ……あれだよな。嘘だよな。
鼻がビヨーンって伸びるやつだ。
でっかくなっちゃた、じゃーすまされない。
まさに鼻トラウマ街道を驀進中だな。
思考の間隙を縫って、自分の痛めつける嗜虐的な言葉が脳裏をよぎる。
――はぁー。
今の今まで躍らされていたのか、俺は。
この吟遊詩人め。貴様は流離の嗜みに身につけた人だけが使える奥儀を披露し、相手をもて遊ぶようなことをしやがって。そして俺は冗談に翻弄されたというのか。
それにしても、まったくだ。
人間の耳は聞きたい音だけを選りわけて聞く能力があるように、正しい情報だけ選りわけて聞けたら最高であろうに。
だが嘘には適用されない原理だ。まあ、当然のことではあるが。
そして奴は、人が嘘を付くとき左上を見るという一般論的理論も通用しない人物なのだ。今までその傾向は露ほども感じられなかった。もはやその語り口と表情は怒りという次元を通り越している。もちろん最悪な意味でだ。
この超自然的ポーカーフェイス人造人間からくり言葉使いがー。
「ですから、ウソ話はこの辺にして本当の話をしますね」
ふいに男が言葉を発した。
しかし、俺は新原の時と同じように頷くことができなかった。
するとそれを見た男は、不思議の国のアリスに出てくるあのチシャネコよりも、ぐつぐつと紫に煮えたぎる鍋釜の中をかき混ぜる林檎売りの魔女よりも、ヘンゼルとグレーテルをようやく家から追い出したばかりの継母よりも、それらを全て足してその数で割らなくも賄えるほどの陰気さでにやりと笑っていた。
そのこちらを覗き込んでくる瞳に気味の悪さを感じつつ(始めてそのような感情を見せてきやがった)、ますます混沌して行く話に笑われてしまった平々凡々な人物は頭を抱えそうになっていたのだった。