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3−7

「ユカリ、早くこの映画館を出るぞ!」

 

 俺はまだなんとなくその場で名残惜しそうにしている小早川を引っ張って無理やりイスから立ち上がらせる。そして人が大分少なくなった通路階段を急いで駆け上がり、その進路に割って入ってくる人の形をした障害物の隙間を縫って駆け足で進んでいく。


「ちょ、ちょっとぉ、ハルくんってばー」


「いいから、こいよ」


 どんなにやめてと言われようがダメだ。それよりも彼女が狙いならば安全なところに避難させなくてはならない。


「あーハルくん、あんまりひっぱると腕がぁー」


「あっ」


 ――なんだよこれ。

 今俺がしていることはこれまで小早川がしていたことと同じなんじゃないか。こんなふうに、こんなふうにあいつは俺の意見を聞くこともなくずんずか引っ張っていって好き勝手に判断していく手法。

 なぜか走馬灯のように思い出し、知らないうちにこみ上げてくる懐かしさのような感情が湧いてきていた。館内のドアを飛び出して走りながら、外の階段を急いで駆け上がりながらもぼんやりと浮かぶことは、やはり昔の小早川。


「ねぇ、ハルくん?」


 しかし、また別の感情も湧いてくる。

 あーあ、今日、いや昨日から何度目だ? 

 どんだけ感傷的になれば気がすむんだよ、このうすらトンカチがー。

 これ、映画にでもしたら「バーロー、おまえの女々しいセンチメンタル発想はなあー、破綻した性格の幼馴染に振り回される何の特徴もない男のライト小説ぐらい食傷気味なんだぜ」っとか言われちまうぞ、みたいな。

 そんな嘲け笑うような感情も入り込んできて困惑してしまう。


「あの」


「いいから黙ってろ、紫」


 しかも、この場合の話ではいつもヒロインだけが素直になれないでいやがって、主人公はやけにおろおろするだけで妙に素直じゃないか。そしてあけっぴろげになんでも打ち明けようとする。ばかの一つ覚えみたいに。

 ――というわけでしょうがない。

 この悪しき弊害を打ち破るために、俺はおまえを守ってやるとは素直に言ってやらねーことにするさ。俺がわざわざ言ってやる義理はないんだ。

 それに危険だというのも憶測で判断しているのだからなんともいえない。ホントはナルシストらしくかっこつけて、これからおまえを守ることに対する凄さを取って付けたように講釈してやりたかったが、こういう事情ならいた仕方ない。

 こうやって、頭の中でトンデモ烈理屈をコネくりあげ暴れさせていたその時だった。


「あ、あの、あのね!」


 ツーテンポぐらい遅れてユカリの声が聞こえてきた。何やらいぶかしんでいるような視線が背中からびゅんびゅんと飛んでくる。だが気にしない。

 これからどう行動すべきか必死に善後策を練って、練って、練って。

 考える。

 やはりあの携帯の画面から反射して見えた男。わざと都合よく写りましたとでもいいたげなピースと笑顔。遠目から見ても同い年ぐらいに見える男ではあったが、間違いなく超能力者か、魔術の使い手だろう。

 なにせ、あの超常現象の時に吸い込まれた――やけに先のとんがった思い入れのある消しゴム、小早川が長い髪を珍しくアップにしてきた時にうなじ見たさでわざと落としてやったあのシャーペン、そして――十字架の首飾り。特にユカリの装飾品を意味ありげに手元で浮遊させていやがった。

 そうだ、これは映画が終わったあとに感じていた薄気味の悪さと同一のものだろうか。

 だが、あいつはいつからいるんだ? それに何のためだ? 

 俺に超常現象を仕掛けて、そうでありながら小早川のペンダントを見せつけてきたのはどうしてだろう。新原との関係性はあるのか。

 せめて、ユカリの追っかけ程度であれば適当に対処することもできたかもしれなかったが。

 いや、これは彼女とはなんの関係もないことなのだろうか。

 だったら小早川の短期記憶欠落はありえない。

 いや待て、俺が操られていて記憶の形状があやふやなのかもしれないぞ。

 しかし、まずは、ここは、ここはやはり――。

 そう逡巡しゅんじゅんしていると、


「ハッ、ハッ、ハルくんってば!」


 やがて映画館を抜け出し、大道路へと駆けだしていた俺達はユカリの大声で止む無く静止させられた。春の気配に浮かれた通行人が、あるいはそうではない通行人も団子になって通り過ぎていく。

 これ、スクランブル交差点のど真ん中だったらどんだけ迷惑なんだろうか。

 そんなドラマを妹が見ていたのはついこの間だったのでふと思い出す。


「なんだっ」


 団子になっていた集団はちらりと視線を走らせてきたが、だれも気に留めやしなかったようだった。それは駅前近く雑踏の中だからか、痴話喧嘩の一部始終を見せられても仕方がない思ったのか、それぞれ仕事か何かに追われているのか。

 まあ、当然であろう。案外人ってものは他人を気にしないものなんだ。俺の自意識が過剰すぎたらしいが、それも気にしないことにする。


「あのね、気になることがあるの」


「なんだってこんな――」


「ハルくん!」


「ああ? 何の話だよ」


 返事はしつつも今のユカリにはまるで迫力もなければ、俺を抑えつける腕力も関節技も使ってこない。だからチャンリコを止めてあった駐輪場の方へと移動するため、もう一度ユカリをひっぱって行こうとする。


「あたし、思っていたの、ハルくんは朝からずっとおかしかったってこと。それは夢が現実世界に紛れ込むとか、そう、お昼前のボートの時には突然目を見開いたようにして辺りを窺ったりとか。そして今だって何かに駆られるように、いや、執拗に追われている何かから逃げるように行動している!」


 久しぶりに凛としている声、じゃなくて怒声に近い声を聞いた気がする。


「だからハルくん、どうしたの? なにがあったの? あたしにでき――」


 小早川の話が途中で途切れたのは俺が四本の指で口を封じたからだ。

 そして、普段ふざけているバカがかしこまるのはタカがしれているのだが、真剣な面持ちでこう言ってやる。


「――なあ、頼むから俺の言うとおりに行動してくれ、頼むから」

 

 小早川の顔が、カラスの濡れ羽色の美しい髪が、滑らかな稜線の頬が、きりりと引き締まった眉が、憂いを帯びた瞳が、アヒルのようなおちょぼ口が、歪んだ。

 だが、いつもの百分の一にも満たない迫力は変わらない。


「――ユカリお願いだ。おまえはこれから俺の自転車に乗ってこの場から立ち去ってくれ。家に帰るなりなんでもいいから、この場からいち早く離れてほしい」


「…………」


 ただ呆然とするユカリ。


「それって――」


 三行半みくだりはんを突き付けられた貞淑な妻。

 いや、幼児がだだをこねて癇癪を起こす一秒前みたいな顔だ。

 すまない。


「ど、どういうこと、なの?」


「たいしたことではない。ただの用事だ」


「なに?」


「ちょっと……だ。すまない」


「ハルくん、いやだよ」


「頼む」


「いや」


「このとおり、だ」


 俺は小早川の前で手を合わせた。


「――やだよ」


「お願いだ」


 だが、かぶりを振って反対するユカリ。


「やだよっ!」


 そう怒鳴って、俺のただならぬ気配からか事の重大さを推し量ろうとしているようだった。

 そして肩を揺らして、


「やだって、ハルくん、なんかおかしいよ? どうして? あたし、ここで、ここで待ってるから」


「ダメだ。せめて、そのー、さっき言ってた喫茶店でいいから。とにかくここから離れてくれ」


「どうして?」

 

 肩をつかんだまま首をひねるユカリ。

 どこぞかで、いまからキスでもするのかお兄さんとお穣さんは。そんなはやし立てるような声が聞こえた気がした。

 

「あたし、なんだか今離れたら、いけない気がするの。なんだか、なんだか胸騒ぎがするから」


「大丈夫、平気だから」


 まるで新原のセリフじゃないか……。これじゃあ、小早川が不安になっちまう。

 それに、なんでもっとスムーズに物事を運ぶことができないんだ? 青臭く情けなく格好悪いこんな状況。


「……ホントに?」


「ああ、何もただの用事だ。なんなら後からその喫茶店に行くから」


 最初からこう言えば良かったとひそかに悔やんだ。

 ユカリは少し考えを巡らした後、


「じゃあ、喫茶店に来てくればいい」と言った。


「そうか」


「うん」


「なーに、必ず行くから、なあ、そこで待っててくれよ。ステーキでも食って」


「……」


 さっきまで肩を揺すっていた手の動きが糸を切ったかのように静止した。

 自由自在に操っていたマリオネットの動力が途端に失われたみたいに、小早川がピクリとも動かなくなった。


「たいしたことないんだ。野暮用だ」


 そういった俺はポケットから電子工学的散弾銃を取り出し、アンテナという名の銃口を伸長させ、ウエスタン気取りの空想上ではピストルを握っていることにして携帯を差し向けた。


「さあ、早く俺から離れないと、撃ってしまうぞユカリ」


 こめかみにアンテナ、先っぽの部分を当てる。


「ハルくん。なっ、なにを」


 若干表情が和らぐユカリ。

 

「早くしないと、バーンだ、バーン」


 ――なーんてな。

 …………。

 しかし、ふと冷静になって思う。いや、冷静じゃなくてやけくそに、だ。

 俺は……白昼堂々、何をしているんだ? 人質ごっこかよ、と。

 あーなんて猿芝居だ。もう今すぐにあれだぜ。

 ハットをひっくり返した形式上の小銭入れに、パン屋を襲撃して奪い取ってきたパンでも投げ入れてほしいぐらいだな。あー固いことは言わない。パンがなければケーキでも良い。が、あいにく甘ったるいものはお口に合わないぞ、嫌いですから。

 あ、そうだ。なんならベルサイユ宮殿から飛び出たマリー・アントワネットの憑依一発芸でもやってやろうか? しないけど。


「あまりにも遅かったらな、これで連絡してくれればいいだろ。戦争にかりだされた若獅子じゃあるまいし」


「う、ん」


 ユカリが不承不承ながらも頷いた。

 それにしても、これから戦地にでも赴くかのような主人公かっ。

 このナルシストな演劇部気取りがー。

 と、自分自身に冴えない突っ込みを入れていた時、てこでも動かなそうだったユカリが手を差し伸べて、


「ハルくん。それなら鍵がないと……」


 俺は虚を突かれたせいか、さらに続けて言おうと舌先まで出かかった軽口が食道を通って十二指腸ぐらいまでに逆流しちまった。


「でも、出来るだけ早く来て」


「ああ、分かってる」


 と、ここでようやくポケットから鍵を取り出し、ユカリの手を包み込むようにして握らせた。


「待ってるから、ハルくん」


 ユカリはワンピースの裾をひるがえしながら走っていってくれた。ひらりひらりと蝶のような申し訳程度の加減で脚を動かして、チャリキーを持って視界から消えていく。それはまるでらしくないふわふわとした動き。駿馬しゅんめのように駆けだしてほしかったが仕方があるまい。

 と、そんなふうに思っていたらくるんと振り向いてきた。

 俺は穏やかに手を振る。朝学校に行く妹を見送った時と何か雰囲気が似ていた。

 そしてまたふわふわ。

 タンポポの綿毛みたいなふわふわ。

 俺の心のように、あるいは小早川の心のようなのか、そのふわふわは。


 ――ひゅん。


 すると突然、またあの音が聞こえてきた。

 ユカリの姿が見えなくなった途端に。

 そうか。やはりそうだったか。

 俺は今までべったりと張り付いていたユカリモードを剥離はくりさせ、猛々しく映画館入口の方へと振り返らなければならないのだろう。

 なぜなら変なオーラを放つ一人の男がいるはずだから。

 だから振り返った。

 変なオーラを放つ一人の男がいた。

 俺達がさっきまでいた映画館の入口にいた。

 階上にいるその男が、雑踏に埋もれているこっちを見降ろすような形で立っていたのだ。





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