1−1 獅子にバラを配した幼馴染
人生とはオカルティックなもの。
こういう真理を見抜けない大人がこの世の中には多いのではないだろうか。ただ流れるままに人生のレールに乗っかって過ごし、できるだけ波風立てずにやり過ごしていく日々。それはまるで永遠にたゆたい続ける水面のように安らかであるかもしれない。
だがそれとは反対で、波乱万丈に満ちた嵐のような人生を望むのだって悪くはないだろうと思うんだ。
人は嵐がきて初めて自分の身の危険、その悲惨さに気づくというならば、その前に自分から起こしちまえばいいんじゃないか、と。
なぜって?
だって生あるものには必ず死が訪れる。ならば、その間に人生をいろいろと楽しめたものの勝ちじゃないか。
とどのつまり、俺が言いたいのは人生とはオカルティックであるのが当然であって、結局は健全な未来に安定したレールなんてなく、人の禍福なんてものは変転し定まりのないものだということである。だから、未来の自分の平和ばかりを気にしても仕方ないのだよ、と世の懸命に働く大人に毒づいてみたりもしたくなるね。
そして、こんな俺とやらは、きっと面白いであろう宇宙人の存在も信じていたいと思ってはいるし、この世にファンタジーとやらが存在しているなら全てに首を突っ込みたいとも思っているんだ。世の中の不思議な事を探索したいのも当然で、奇妙な話の本があればのめり込んでしまうほどに魅了されてしまうともいえる。
だからこそ、こうやっていつ面白いことが起きていいように準備はしているのである。いろいろな知識を蓄えたり、実際にそういうことが起こったときのシュミレーションをしてみたりとか。それが何の準備だ?なんて邪推なことを考える輩が多いのはもちろんいただけないし、特に俺の幼馴染のお嬢さんは「何いってるのよー」とでもいいそうな勢い(というか言っている)で仕方がない。
例えば昔の事を挙げると、この幼馴染のお嬢さんとはこんなことがあった。
中学の時、俺はテストの裏にいろいろな空想事を記して紙ひこーきを飛ばしていた。よく夢を乗せて空に飛ばそうみたいな話だ。そしてさまざまな事を計画通りに、なんか面白いことが起これーなんて願いを込めて飛ばしていたのだが、彼女はそれを拾ってきて「もう少ししっかりしなさいよっ、あんたはもっとしなければならないことがいっぱいあるでしょー? 学校の事とか運動の事とか、本ばかし読んでるからこうなっちゃうのよー」とか言う始末だった。せっかくの人の幸せ気分をぶち壊しにしておいて何が楽しいんだかな。
そう、だからまったくもってたちが悪いと言えまいか?
何もそこまでしなくてもいいだろう、と思ってしまうわけだ。
それにな、小早川よ。おまえがそういうつもりならば本当はこっちにだって言いたいことはあるんだぜ。
そうあーだこーだと耳がタコになりそうなほどいろいろと言うけれど、俺だって常識的に考えてありえないことはありえないって心のどこかでは分かっていたりはするということをだ。
それは実際に現実ってものが厳しくて、こっちの想いがたとえ束になって世の不思議な現象に立ち向かったとしても一向に表す気配もなく、きっと屋根から来るサンタクロースぐらいの極小さか、おみくじで大吉を七回連続で引いたとしてもまだ物足りないぐらいの確率って感じだろうってことだろう、きっと。
しかし――。
それでもまだ、俺はそういう世界を求めていて踏ん切りが付かず、実はじたばたともがき苦しんでいるのかもしれない。そして、それをユカリが上から目線でのたまう。
まあ、だから結局はこういうわけだ。
こうやって必死に虚空に咲いた花を掴もうとしていた俺の想い。
それが叶わぬ今は、この鬱屈とした気分を吹き飛ばそうと自己の存在をこのクラス中の皆にアピールするために破天荒な振る舞いをして、あっはっはって笑い飛ばされて華麗なる高校デビューを飾るのもいいもんかもしれんな、ってそんなのこと一瞬だけでも思った俺を誰が責められようか。いや、まったくもって責められやしないな。
――なーんて意味のない長ーいプロローグ張りの独白みたいなことを思いながらも、俺はただの新入生でしかなかった。
そんないっぱしの大道芸人みたいな自己紹介パフォーマンスなんて絶対できやしないし、あんなふうに物事の道理を分かった気になって、懸命になって身を粉にして働いている大人を卑下してみるふりをするだけ。結局は頭の中で面白い世界がどうたらこうたらとゴネゴネ理屈をこねくり回すしか能のない自分ってわけらしい。
こうやって普通に大学へと進学できそうな――俺が努力して入れる範囲内の進学もどき校的な近くの高校へと入り、桜舞い散る入学式での長い校長先生の話に辟易として、あいさつ代わりみたいな担任のひょろんとした話の空気も薙ぐように聞き流して、あーこれが普通の高校生活なんだなーと実感しながらも、自分のキャンパスに描いてきた面白い夢は何度も何度も現実の絵の具で塗りさおなれて、そうしてこの世の中と折り合いをつけていくものかもしれない。
そう、だからこうして新年度を迎えた四月一日を過ごして、四月二日を過ごして、四月三日を過ごしきった俺は、今まさにここで新しいクラスのみんなに平凡な自己紹介をしてささっと席につき、倣岸不遜と言ってはいいすぎだがそのようにあたりの反応を窺い、別に大した変化もなく少し先に座る幼馴染の小早川 ユカリの視線がちょいときつめだなとか思いながらも、後ろの人の声がやけに響く声で自分の名前を言ったから耳をそば立てる必要もなく聞こうかとしていたんだ。
だがその後は、一向にうんとスンとも言わないわけであって、
俺は思わず振り返ってしまったんだよ。
ひょいっと。
すると、自己紹介の途中だった彼女は、
その一見しただけでえらくちっこくてクールな容貌の彼女は、
五秒まえに初めて名前を知った新原 紗希という女の子は、
耳元でこう言ったんだ。
その吐かれたセリフは、
口元をスローにでも再生して、
それでいてすりきれるほど何度もテープで確認したいセリフで、
そんなセリフを言うの彼女がとても気になって、
いやそれだけじゃなく、この先一生忘れることができないであろう入学初日の四月四日火曜日に聞かされたセリフは、
「なるせ……、あなたはあたしがまもる」という言葉だったんだ。
この瞬間、俺は冗談にもこんなことを思う。
大河もその源は觴を濫べるほどの小さな流れかな、という濫觴なんて『事の始まり』を表す言葉があるんだが、それにしちゃあーインパクトが大きすぎる『事の始まり』ではないですか、と。
これは初っ端から河口付近の大きな流れじゃーありませんか?
だけど、この吃驚仰天してしまいそうな彼女の囁きは、新生活の幕開けが予想をはるかに通り越して面白いものになりそーだと思わせるのに充分過ぎる出来事だったんだ。
そして教室中がわーわーきゃきゃと色恋沙汰的な様子で騒いではいるのだが、なぜか俺にはその新原 紗希という女の子の真摯な視線が只者ではないオーラを感じさせていた。
まさにこれをきっかけとして、日常から超常に足を踏み入れていたなんて冗談ごとになったら願ってもないこととか思いながらもな。しかし、それ以降貝のように黙りこくってしまった彼女を席に座るよう促していた。
はい、拙作に目を通していただいてありがとうございます。
そこで……、もうおわかりの方もいらっしゃるかと思われますがこの小説は『涼宮ハルヒの憂鬱』をモチーフにしています。
これは自分にとって苦手な一人称を鍛えるために文体をお借りしようかと考えた次第であり、テーマやこれから出てくるキャラも似通っていくはずです。(たぶん)
そして主人公のことなんですが、原作と比較すれば15倍ぐらいうざいキャラになってしまいました。ただ、これから成長していくように話を動かせていく所存であり、試行錯誤しながらも続きを紡いでいきたいと思っています。
こんな不肖な作者ですがこれから先もよろしくお願いします。